突然、母が死にました。

山王 由二

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二日目

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 翌日。予想などまるでしていなかった長く重たい一日を終えた私は、もう一つの現実・・に直面することになった。

 深夜三時に帰宅した私は、明日のことを考えて、少しでも眠ろうとベッドに横になったのだが――
 「………~、~、~、~っ!」
 眠れない。いくら目をつむっても眠気などまるでなく、むしろ、母を失った喪失感と、この先への不安で頭の中はいっぱいで。深呼吸をして少しでも落ち着かせようとするのだが、深呼吸を3、4回くらい繰り返したところで限界、逆に息が詰まり呼吸が乱れる始末だった。
 そんな眠れない息苦しい時間を二時間、延々と繰り返し耐えてきた私は、ついに早朝午前5時に抵抗を、努力することをあきらめた。
 眠ることをあきらめた私は、着替えて会社げんじつに向かうことにしたのだった。
 いつもなら自転車に乗って通勤しているのだが、その日は徒歩を選んだ。
 時間をかけたかった。
 じっとしているのがイヤで、少しでも長く、何かをしていたかった。現実と向き合うのを、少しでも遅らせたかったのだ。
 土曜日の早朝は普段以上に人影はまばらで、車もせいぜい数台しか見かけなかった。
 二〇分くらいだろうか、時間をかけて会社へと着いた私は、この後のことを考えてやれる仕事を前倒しで進めることにした。この後、早ければお昼を回った頃には一度、地元の警察署へ向かわなければならなかったからだ。
 私はやれる仕事をこなしながら、唯一となってしまった会社役員として、これからやるべきことを一つ一つ考えながら、時間が過ぎ去るのを待った。
 仕事げんじつに目を向け続けることで、母の死げんじつから目をそらし続けていたのだ。そうして、不安から逃げていたのだ。
 午前七時を回った頃、早朝勤務からドライバーが帰ってきた。
 私は、母の死を告げるため、彼のいる第二工場へと会いに行くことにした。
 本社工場と第二工場(こちらは借りている)までは、自転車で数分とかからずに行ける場所にある。
 私はそこへと向かうまでの間、彼へどうやって話を切り出すべきか考え、だが、何一つ思いつかずに第二工場にたどり着いた。
 「どうしたの? 早いねえ」
 いつもは八時前後に出勤してくる私を見て、彼は意外そうにそう言った。
 その彼に、私はいつものような態度で応じる余裕はなくて。きっと、表情もこわばっていたことだろう。
 そんな私を怪訝そうに見る彼に、
 「あの、昨日、母が、亡くなりました」
 そう、告げた。震える声を必死に抑えながら。
 「うそ」
 と呟き、彼はよろけ、車にへたり込んだ。私のもたらした衝撃ことばに、彼は足腰に力が入らなくなってしまったのだ。
 そこまでのショックと悲しみを覚えてくれた彼に、私の中には、申し訳ない気持ちとありがたい気持ちとが半々あった。
 まだ、午前便で走らなければならない彼に心理的動揺を与えてしまった申し訳ない気持ちと、
 腰が砕けるほどの衝撃を覚えるほど、母を大切に思ってくれていたことへの、ありがたい気持ちが。
 この後、何人、何十人と母の死を直接的にしろ、電話での間接的にしろ告げることになるのだが、彼に告げたあの瞬間は今でも覚えているし、きっと、一生覚えていることだろう。
 ショックを受けた人はいっぱいいるし、泣いてくれた人も(それこそ号泣してくれた人も)大勢いたが、あそこまでの衝撃を受けた人は彼だけだったから。それは、表現的にどうかと思うが、やはり嬉しかったのだ。母をそこまで大切に思ってくれていたことが。
 私は「これからしばらくごたつくかもしれませんが、よろしくお願いいたします」と彼に頭を下げ、私は自分が詰めている本社工場へと戻っていった。
 午前九時を過ぎたところで、私は出勤してきた従業員全員に母の死を伝え、(皆、ショックを受け、涙ぐむ人もいた)それから元請けの会社にも連絡し、そして、前日に従兄弟に紹介してもらった葬儀会社に連絡した。
 葬儀会社と簡単な打ち合わせをして、警察に母を迎えに行く前に、会社としての現実・・・・・・・・と向き合うことにした。
 私と母は、会社の共同経営者でありたった二人の取締役でもある。が、当然のことながら請け負っている仕事の分野が違うわけで。
 私は工場内での少々面倒というか経験スキルが必要になってくる作業と、外注、従業員への給料の振り込み手続き、それから母とほぼ半々の割合で分け合っていた伝票整理などを行っていた。そして、母は残りの伝票整理と会社の経理ほぼ全般を受け持っていた。ようは母は会社の財務省きんこばんだったというわけで。


 つまり、母を喪った時点で、誰も会社の金の流れが、経理がわからなくなってしまったのだ!
 
 
 不幸中の幸いというか、会社の通帳やら何やらの保管場所は知っていたので、とりあえずそれを見て直近の支払いがないことを確認、後のことは週明けに税理士の先生に連絡を取って対処することにして、締めが迫っている母担当の伝票整理に取りかかることにした。
 まるっきり未経験の会社の経理に自分自身の仕事、それに母が受け持っていた伝票整理に母の死去の連絡やら諸々の雑事(こちらも幸いというか、もっともやっかいな役所がらみの作業については兄が全面的に請け負ってくれた。何せウチの兄、司法書士ほんしょくなので)と、あの頃の私の作業量は母を喪う前の数倍にまで膨らんでいたのではないかと思う。と言うより、自分から膨らませていたというか。とにかく、何かしていないと、何か作業をしていないと不安でしょうがなかったのだ。
 実はこの日を境に、私の身体に幾つかの変調が現れていた。母が死んだことの喪失感、これから会社を、会社に関わる人たちの人生を預かる重責、不安。それらが私の心身のバランスを狂わせ、身体に幾つかの変調という形で表れたのだが、当時の私はまだ、それを明確に意識してはいなかった。
 昼を前にして、警察から『検死終了』予定時間の連絡があり、私はその時間を葬儀会社に連絡、その時間に合わせて現地けいさつにて合流することを確認。兄と電話で連絡を取り合い、葬儀までの間、母を家の何処で眠らせてあげるか、それから四十九日が終わった後は母を生まれ故郷で眠らせてあげようか等々相談しながら、その時間が来るのを待った。
 午後三時。警察の連絡した検死終了予定時間が近づき、私と兄、それから父の三人で母を迎えに行った。
 警察署に着くと、そこで私たちを待っている一人の男性がいた。その人こそ、これからいろいろ尽力してもらうこととなる葬儀会社のI氏だった。とても親身になって私たちに力を貸してくれた彼には、本当に心より感謝している。兄と二人、「ありがとうございます」と何万遍と頭を下げても足りないくらいである。
 前日にお会いした刑事の方から「こちらでお待ちいただけますか?」と一階にある待合室に案内され、私たちはそこで母の検死が終わるのを待った。
 待合室には先客がおり、その方々も私たちと同じ理由・・・・でそこにいるようだった。
 二組の遺族が待つ待合室は重たい空気に包まれていて、隣で交わされる会話も故人を偲ぶ言葉や「どうして?」と言うやるせない疑問ばかりだった。
 検死が終わるのを待っている最中、昨晩、警察が持っていった母の財布やスマホ、手帳などが入ったバッグを返してくれた。ちなみ、ちゃんと預り証も発行されている。この辺り、適当には済まさずにきっちりとしていた。
 母の持ち物を受け取り、北海道にいる母の姉おばと二、三度、連絡を取り合った以外は、私たちはロクに会話をすることもなかった。
 四時を回ったころ、ついに母の検死が終わり、私たちはその結果を聞くために上の階へと上がって監察医と対面した。私たちが対面した監察医は医師らしいイメージなどカケラもなく、どちらかと言うと学校の用務員さんと言った格好の男性で、最初に見たときは、その人が監察医だとは気づかなかった。と言うか、首から下げているIDを見なければ、ずっと助手だと勘違いしていただろう。
 兄から聞かされた『母が倒れていた状況』は、階段下で首をやや不自然な角度で曲げていた(折れていると思えるほど、ひどくはなかったそうだが)状態で横たわっていたそうであり、救急隊員が交わしていた会話から、母からアルコールの匂いもしたという。(母は、ほぼ毎晩、軽くビールを一缶か二缶、たしなみ程度に晩酌するところがあった)
 かような理由から、私はてっきり母の死因は『階段から転落し、頭を強く打ったことによる』ものだと思っていて、彼からもそのような説明がなされると思っていた。だが、
 「残念ながら、目に見える範囲での死因の特定には至りませんでした」
 そう告げた監察医は、警察でおこなう検死と言うものがどういうものなのかを説明してくれた。
 警察内でおこなう検死は、目で見ておこなうものであり、ご遺体の外見に何か異常が、これとわかる要因がないか目で見て検めるというもので、目で見てわからない場合は、
 「ですので、明日、監察医務院にて行政解剖を行います」
 そう、解剖されてしまうのである。
 母の体が切り刻まれてしまう。そのことに、私も兄も、あまりショックは受けなかった。と言うのも、監察医にその説明を受ける前に、刑事や葬儀会社のI氏から念を押すように何度もそういうことがあると聞かされていたからだ。それだけわかりやすいくらいに伏線を張られれば、こっちもそうなるかも……と予想も覚悟もできるというものである。

 ただ、これでもう、葬儀を終えるまで母を家に連れ帰ることができないことが、ただ、ただ、悲しかった。

 解剖されてしまうと、ご遺体を棺から出すことが難しくなる。出せないこともないが、かなりの確率でご遺体を傷つけてしまうことになるため、これ以上傷つけたくなければ出さない方がよいのだ。
 なので、家の構造的に棺を通せなかったり、棺を安置できるだけの十分なスペースがなかったりする場合、ご遺体を家には戻さず、そのまま斎場などに用意されている安置所に直接運ばれることになる。
 私たちの実家も、玄関の構造上、棺を通すことは困難で、家に連れ帰ることはあきらめざるを得なかった。(それでもあきらめきれず、I氏に訊ねてみたりもした。やはり、難しいと言われてしまったが)
 この後、母の体はI氏が手配しておいてくれた棺に入れられ、I氏の手によって解剖が行われる監察医務院へと運ばれることになった。
 最後に、I氏から「明日の午前11時に監察医務院へと来て下さい」と言われ、私たちは警察署を後にした。
 忌引きをとっていた兄は家に戻ってこの後の手続きなどに動き出し、私は会社に戻って残っていた従業員に今回の結果を報告、いくつかの作業を終えてから家路についた。
 自宅マンションに戻ってきた私は、何もする気力がわかず、呆然と、いや、訳も分からない悔しさを感じながら、ろくに食事もとらず(その日私が摂った食べ物と言えば、コンビニのおにぎりが二つと十秒チャージのゼリー飲料だけだった)、そして、気を失うように眠りについた。たぶん、日付をまたいでから。
 そうして翌早朝。シャワーを浴びて身を清めていた私に、一本の電話がかかってきたのだった。

 
 
 
  
 

 
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