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145.歓迎される
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メモを片手に進むサミュエルの横を歩きながら、ノアはざわめきの気配を感じて目を細めた。
サミュエルが渡されたメモによると、マーティンとハミルトンが一触即発の気配を漂わせているらしい。
アダムと話をしに行ったはずのハミルトンが、なぜマーティンとそのような状態になっているのか。そして、マーティンはハミルトンに近づかないと誓約したはずなのに、その誓約が破られているのはなぜなのか。
「……本当にマーティン殿下とハミルトン殿が騒ぎになっておられるのでしょうか?」
「そうだね。思った以上に堪え性がなかったようだよ」
サミュエルは呆れように呟く。ノアはその様子をちらりと見て、苦笑した。マーティンとハミルトン、どちらに対する評価なのか分からない。どちらともなのかもしれない。
ちなみに代わりに行っていた司書業務は、ノアが申し訳なくなりながら離席を告げたところ、むしろ安堵したように受け入れられた。
どうやら他の司書にとっては、ノアが業務を行うことは精神的負担になっていたようだ。突然のことだったのだからさもありなん。後で謝罪の品を送らなければならない。
「……サミュエル様は、教師の中にも部下がいらっしゃるのですか?」
騒動の元まで辿り着くにはまだ時間がかかる。ノアはとりあえずマーティンに関連することに頭を悩ますのをやめ、サミュエルにメモを持ってきた教師について尋ねた。
学園の教師が貴族家の出身である割合が大きいことは知っていたけれど、グレイ公爵家に関わる教師については知らなかった。
「部下というより、親戚かな。うちの遠い分家筋だね。ただ学園での仕事を斡旋したのが私だから、色々手を貸してくれるんだよ」
「そうなのですね」
貴族位を継げない者は多い。それに対する十分な職場が用意されているわけでもない。だから、学園の教師という職は、熾烈な争いの末に手に入れられるものなのだ。
勝てるかどうかに大きく作用するのが、家の地位の高さなのは言うまでもない。
もちろん、本人の成績も重視されるけれど、少なくともこの学園内に平民と呼ばれる類の教師がいないことからも、貴族家からの推薦が重要なのは明らかだ。
「――あぁ、随分と大きな騒ぎに……」
サミュエルと話していたら、騒がしい集団が見えた。その中心にハミルトンたちがいるのだろう。騒がしすぎて、ハミルトンたちが何を話しているかは分からない。
「本当にね。ライアン大公の騒ぎの再来のようだよ」
足を止めることなく進むサミュエルが、少し疲れた様子でため息をつく。ノアも数ヶ月前の出来事を思い出していた。
噂好きな性質は貴族の多くが持つものだ。何か騒ぐ元があれば、良くも悪くも一気に盛り上がる。今のところ、かつてのように悪意に満ちた雰囲気ではないけれど、それもいつ変化するか分からない。
「――失礼」
「っ……」
サミュエルが穏やかな口調で声を掛けると、人混みの外側にいた学生が、ハッとした表情で振り返り、慌てて立ち退く。その反応は連鎖的に続き、人混みが割れて道ができた。騒ぎも次第に静まっていく。
不思議な緊張感が漂う中を、ノアはサミュエルの後について歩いた。本当は図書室に残るよう勧められていたけれど、ノアが断ったのだ。ここで尻込みするわけにはいかない。
「……やぁ、来てくれて嬉しいな」
ノアたちが人の輪の中心まで来たところで、マーティンから声を掛けられる。ノアが予想していたような険悪な様子はなく、少し疲れた様子だった。
マーティンに向かい合う形で立つハミルトンは静かな表情で、こちらも一触即発という雰囲気にはほど遠い。
(メモにあった感じとは違う……? まぁ、これだけ人に囲まれていたら、王族としても、教師としても、下手なことはできないか……。騒ぎをおさめに来たサミュエル様を歓迎するのも当然、かな……?)
ノアは周囲から向けられる視線を感じて苦く笑った。
興味深そうに輝く目。不思議そうな目。期待感に溢れた目。揶揄するような目。批判的な目。
集う誰もがこの状況に注目している。圧力さえ感じられた。
「そうですか。――この場は私が引き受ける。各自、良識に従って行動してほしい」
マーティンを一瞥したサミュエルは、すぐに視線を周囲に向ける。集っていた一人一人に目を合わせるように視線を巡らせながら放たれた言葉は、この騒ぎの解散を指示していた。
粛々と立ち去る者がいれば、友人に引きずられるようにして残念そうに去る者もいる。でも、サミュエルの指示という威力は絶大で、暫くすれば周囲から人の姿が消えた。ただ一人を除いて。
「――ルーカス殿下がいらっしゃらなくとも」
「そうだな。サミュエルに任せればいいようにしてくれるとは分かっていたが。……俺もそろそろ、現状に嫌気がさしているんだ」
堂々とした態度で歩み寄って来るルーカスは、サミュエルに声を掛けながらも、マーティンをジッと見据えていた。ピリッと空気が張り詰める。
マーティンが「まいったなぁ……」と呟きながら、両手を挙げてひらひらと振った。ふざけているような態度だけれど、少し弱った様子にも見える。
「――さて、場を引き受けると言ったのはサミュエルだ。俺は暫く、傍観させてもらおう」
ルーカスの促しに、サミュエルが頷く。
この場にいる全員の視線がマーティンに向かい、マーティンは再び「これは困った……」と弱音のような呟きを零した。
サミュエルが渡されたメモによると、マーティンとハミルトンが一触即発の気配を漂わせているらしい。
アダムと話をしに行ったはずのハミルトンが、なぜマーティンとそのような状態になっているのか。そして、マーティンはハミルトンに近づかないと誓約したはずなのに、その誓約が破られているのはなぜなのか。
「……本当にマーティン殿下とハミルトン殿が騒ぎになっておられるのでしょうか?」
「そうだね。思った以上に堪え性がなかったようだよ」
サミュエルは呆れように呟く。ノアはその様子をちらりと見て、苦笑した。マーティンとハミルトン、どちらに対する評価なのか分からない。どちらともなのかもしれない。
ちなみに代わりに行っていた司書業務は、ノアが申し訳なくなりながら離席を告げたところ、むしろ安堵したように受け入れられた。
どうやら他の司書にとっては、ノアが業務を行うことは精神的負担になっていたようだ。突然のことだったのだからさもありなん。後で謝罪の品を送らなければならない。
「……サミュエル様は、教師の中にも部下がいらっしゃるのですか?」
騒動の元まで辿り着くにはまだ時間がかかる。ノアはとりあえずマーティンに関連することに頭を悩ますのをやめ、サミュエルにメモを持ってきた教師について尋ねた。
学園の教師が貴族家の出身である割合が大きいことは知っていたけれど、グレイ公爵家に関わる教師については知らなかった。
「部下というより、親戚かな。うちの遠い分家筋だね。ただ学園での仕事を斡旋したのが私だから、色々手を貸してくれるんだよ」
「そうなのですね」
貴族位を継げない者は多い。それに対する十分な職場が用意されているわけでもない。だから、学園の教師という職は、熾烈な争いの末に手に入れられるものなのだ。
勝てるかどうかに大きく作用するのが、家の地位の高さなのは言うまでもない。
もちろん、本人の成績も重視されるけれど、少なくともこの学園内に平民と呼ばれる類の教師がいないことからも、貴族家からの推薦が重要なのは明らかだ。
「――あぁ、随分と大きな騒ぎに……」
サミュエルと話していたら、騒がしい集団が見えた。その中心にハミルトンたちがいるのだろう。騒がしすぎて、ハミルトンたちが何を話しているかは分からない。
「本当にね。ライアン大公の騒ぎの再来のようだよ」
足を止めることなく進むサミュエルが、少し疲れた様子でため息をつく。ノアも数ヶ月前の出来事を思い出していた。
噂好きな性質は貴族の多くが持つものだ。何か騒ぐ元があれば、良くも悪くも一気に盛り上がる。今のところ、かつてのように悪意に満ちた雰囲気ではないけれど、それもいつ変化するか分からない。
「――失礼」
「っ……」
サミュエルが穏やかな口調で声を掛けると、人混みの外側にいた学生が、ハッとした表情で振り返り、慌てて立ち退く。その反応は連鎖的に続き、人混みが割れて道ができた。騒ぎも次第に静まっていく。
不思議な緊張感が漂う中を、ノアはサミュエルの後について歩いた。本当は図書室に残るよう勧められていたけれど、ノアが断ったのだ。ここで尻込みするわけにはいかない。
「……やぁ、来てくれて嬉しいな」
ノアたちが人の輪の中心まで来たところで、マーティンから声を掛けられる。ノアが予想していたような険悪な様子はなく、少し疲れた様子だった。
マーティンに向かい合う形で立つハミルトンは静かな表情で、こちらも一触即発という雰囲気にはほど遠い。
(メモにあった感じとは違う……? まぁ、これだけ人に囲まれていたら、王族としても、教師としても、下手なことはできないか……。騒ぎをおさめに来たサミュエル様を歓迎するのも当然、かな……?)
ノアは周囲から向けられる視線を感じて苦く笑った。
興味深そうに輝く目。不思議そうな目。期待感に溢れた目。揶揄するような目。批判的な目。
集う誰もがこの状況に注目している。圧力さえ感じられた。
「そうですか。――この場は私が引き受ける。各自、良識に従って行動してほしい」
マーティンを一瞥したサミュエルは、すぐに視線を周囲に向ける。集っていた一人一人に目を合わせるように視線を巡らせながら放たれた言葉は、この騒ぎの解散を指示していた。
粛々と立ち去る者がいれば、友人に引きずられるようにして残念そうに去る者もいる。でも、サミュエルの指示という威力は絶大で、暫くすれば周囲から人の姿が消えた。ただ一人を除いて。
「――ルーカス殿下がいらっしゃらなくとも」
「そうだな。サミュエルに任せればいいようにしてくれるとは分かっていたが。……俺もそろそろ、現状に嫌気がさしているんだ」
堂々とした態度で歩み寄って来るルーカスは、サミュエルに声を掛けながらも、マーティンをジッと見据えていた。ピリッと空気が張り詰める。
マーティンが「まいったなぁ……」と呟きながら、両手を挙げてひらひらと振った。ふざけているような態度だけれど、少し弱った様子にも見える。
「――さて、場を引き受けると言ったのはサミュエルだ。俺は暫く、傍観させてもらおう」
ルーカスの促しに、サミュエルが頷く。
この場にいる全員の視線がマーティンに向かい、マーティンは再び「これは困った……」と弱音のような呟きを零した。
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