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200.一歩前進
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母親の提案はノアにとって必要なことだと理解し、受け入れることに決めた。でも、一つ気になるのは、これがサミュエルの意思に反しているのではないか、ということだ。
「……お作法を、学ぶことを、嫌だと言うつもりはありませんが……サミュエル様には、どうご報告をすれば……?」
「あぁ……そうね……」
困りきって尋ねるノアに、母親も悩ましげな表情で頬を押さえて首を傾げる。
「――たぶん、サミュエル様はノアのトラウマを気にしていただけではなく、ノアに人を近づけたくない、という意味で、閨教育を反対されているのだと思うけれど」
「僕に、人を……」
言われて、サミュエルの独占欲の表れでもあるのだと察した。思わず苦笑が零れる。
「だから、私が教えるのだと言えば、ある程度納得されると思うわ。実践形式では行わないし、教本とかを使って心得を教える程度だもの」
「教本――」
以前、アシェルと共に読んだ本を思い出す。婚約者としてのマナーなどを載せた本だったけれど、一部、閨教育に関する記述もあった。
当時のノアは、ほとんど読み飛ばしてしまって、まったく記憶に残っていないけれど。
「あの、サミュエル様にご報告しなければならない、ということですね……?」
「それはそうよ。内緒にしていたせいで、後で怒られるのは嫌でしょう? きちんと理解を得られていないと」
母親は当然のように言う。でも、ノアは再び顔を赤くして、項垂れてしまった。
だって、サミュエルに閨教育を受けることを報告するなんて、あまりに恥ずかしい。現時点で、ロウや侍女に知られていることすら、いたたまれない気持ちであるのに。
「……私から、伝えておく?」
苦笑混じりで聞かれたけれど、それもそれでどうなのかと思って、頷けない。成年を目前にして、母親に頼りきりというのは情けないだろう。
それに、サミュエルとの間で生じる事柄ならば、ノア自身が話すのが筋だと思うのだ。
今後結婚し、二人で協力して生活していく中で、話し合わなければならないことは、いくらでも出てくるだろう。そんな時に、話を人任せにしていいわけがない。
少し気合いを入れて、顔を上げる。顔は火照ったままだけれど、心は定まった。
「いえ、僕の方から、お話します」
「そう。それがいいと思うわ。じゃあ、教えるのは、サミュエル様に報告してからね。あまり時間がないし、詰め込むわよ」
「……詰め込むというほど、内容があるのですか……?」
「学ぼうと思えば、いくらでも」
にこりと微笑む母親を、ノアは恐ろしくなりながら見つめ返した。
「……怖い。上手く学べる気がしません」
「大丈夫よ。どんな紳士淑女も、大人になるまでに学ぶものなんだから。ノアより幼い子だって、知っていることよ。ほら、最近ノアと仲の良いアダムさんとか――」
「想像してしまいそうだから、言わないでください」
ノアが軽く睨むと、母親は楚々とした仕草でころころと笑う。話の内容とは合致しない上品さに、毒気が抜かれた。
「……覚悟はしておきます」
ため息混じりにノアが呟いたところで、お茶会はお開きとなった。
自分の部屋へと戻りながら、頭の中がぐるぐるする。考えることがたくさんあり、感情が忙しない。
「ノア様、まずはサミュエル様にお手紙を出されますか?」
問いかけてきたロウに頷き、レターセットの準備を頼む。これからの予定を考えれば、まずサミュエルに連絡をとる必要がある。
「――学園で相談するわけにはいかないしね……」
話の内容を考えると、公の場でするものではない。となると、ノアの家に招くか、あるいはサミュエルの家に行くか――。
「お屋敷にご挨拶に行った方がいいかもしれない……」
「グレイ公爵邸にですか?」
「うん。婚約してから、一度も伺っていないから。それはちょっと、失礼だよね?」
尋ねながらロウの顔を横目で見ると、なんだか難しい表情をしていた。
「……グレイ公爵も、ノア様の事情は理解してくださっているのですから、失礼とは思われないでしょう。それに、あちらのご親戚一同とは、既に顔を合わせていますし」
婚約披露パーティーなどで何度か顔を合わせた、グレイ公爵やその後継ぎの姿を思い浮かべる。
「でも、公の場でしか話していないから。近しい親戚になるのだし、もっときちんとお話してみた方がいいかと思うんだけど」
これは迷惑な提案なのだろうかと躊躇いながら、ノアはロウの顔を見上げた。
「……そうですね。ご三男とはいえ、ランドロフ侯爵家に迎え入れることになるのですから、お話した方がいいのは確かでしょう。ですが、ノア様は大丈夫ですか?」
ロウが、未だに人と話すのが苦手なノアを気遣う。その思いがよく分かるから、ノアは不安な気持ちを抑えて、しっかりと頷いた。
「サミュエル様も一緒だから、大丈夫。それに、皆さま、お優しいから」
「……お優しい……まぁ、ノア様に対しては、そうでしょうね」
「どういう意味?」
なんとも微妙な返事があり、ノアはきょとんと目を瞬く。
その姿を見ても、ロウは軽く首を振っただけで何も返さず、ノアが自室に入ったのを見届けると、「レターセットの用意をしてきます」とすぐに立ち去った。
「いったい、なんだったんだろう……?」
部屋に取り残されたノアは、いろいろと悩ましい考えごとも忘れ、不自然な態度のロウが気になってしかたなかった。
「……お作法を、学ぶことを、嫌だと言うつもりはありませんが……サミュエル様には、どうご報告をすれば……?」
「あぁ……そうね……」
困りきって尋ねるノアに、母親も悩ましげな表情で頬を押さえて首を傾げる。
「――たぶん、サミュエル様はノアのトラウマを気にしていただけではなく、ノアに人を近づけたくない、という意味で、閨教育を反対されているのだと思うけれど」
「僕に、人を……」
言われて、サミュエルの独占欲の表れでもあるのだと察した。思わず苦笑が零れる。
「だから、私が教えるのだと言えば、ある程度納得されると思うわ。実践形式では行わないし、教本とかを使って心得を教える程度だもの」
「教本――」
以前、アシェルと共に読んだ本を思い出す。婚約者としてのマナーなどを載せた本だったけれど、一部、閨教育に関する記述もあった。
当時のノアは、ほとんど読み飛ばしてしまって、まったく記憶に残っていないけれど。
「あの、サミュエル様にご報告しなければならない、ということですね……?」
「それはそうよ。内緒にしていたせいで、後で怒られるのは嫌でしょう? きちんと理解を得られていないと」
母親は当然のように言う。でも、ノアは再び顔を赤くして、項垂れてしまった。
だって、サミュエルに閨教育を受けることを報告するなんて、あまりに恥ずかしい。現時点で、ロウや侍女に知られていることすら、いたたまれない気持ちであるのに。
「……私から、伝えておく?」
苦笑混じりで聞かれたけれど、それもそれでどうなのかと思って、頷けない。成年を目前にして、母親に頼りきりというのは情けないだろう。
それに、サミュエルとの間で生じる事柄ならば、ノア自身が話すのが筋だと思うのだ。
今後結婚し、二人で協力して生活していく中で、話し合わなければならないことは、いくらでも出てくるだろう。そんな時に、話を人任せにしていいわけがない。
少し気合いを入れて、顔を上げる。顔は火照ったままだけれど、心は定まった。
「いえ、僕の方から、お話します」
「そう。それがいいと思うわ。じゃあ、教えるのは、サミュエル様に報告してからね。あまり時間がないし、詰め込むわよ」
「……詰め込むというほど、内容があるのですか……?」
「学ぼうと思えば、いくらでも」
にこりと微笑む母親を、ノアは恐ろしくなりながら見つめ返した。
「……怖い。上手く学べる気がしません」
「大丈夫よ。どんな紳士淑女も、大人になるまでに学ぶものなんだから。ノアより幼い子だって、知っていることよ。ほら、最近ノアと仲の良いアダムさんとか――」
「想像してしまいそうだから、言わないでください」
ノアが軽く睨むと、母親は楚々とした仕草でころころと笑う。話の内容とは合致しない上品さに、毒気が抜かれた。
「……覚悟はしておきます」
ため息混じりにノアが呟いたところで、お茶会はお開きとなった。
自分の部屋へと戻りながら、頭の中がぐるぐるする。考えることがたくさんあり、感情が忙しない。
「ノア様、まずはサミュエル様にお手紙を出されますか?」
問いかけてきたロウに頷き、レターセットの準備を頼む。これからの予定を考えれば、まずサミュエルに連絡をとる必要がある。
「――学園で相談するわけにはいかないしね……」
話の内容を考えると、公の場でするものではない。となると、ノアの家に招くか、あるいはサミュエルの家に行くか――。
「お屋敷にご挨拶に行った方がいいかもしれない……」
「グレイ公爵邸にですか?」
「うん。婚約してから、一度も伺っていないから。それはちょっと、失礼だよね?」
尋ねながらロウの顔を横目で見ると、なんだか難しい表情をしていた。
「……グレイ公爵も、ノア様の事情は理解してくださっているのですから、失礼とは思われないでしょう。それに、あちらのご親戚一同とは、既に顔を合わせていますし」
婚約披露パーティーなどで何度か顔を合わせた、グレイ公爵やその後継ぎの姿を思い浮かべる。
「でも、公の場でしか話していないから。近しい親戚になるのだし、もっときちんとお話してみた方がいいかと思うんだけど」
これは迷惑な提案なのだろうかと躊躇いながら、ノアはロウの顔を見上げた。
「……そうですね。ご三男とはいえ、ランドロフ侯爵家に迎え入れることになるのですから、お話した方がいいのは確かでしょう。ですが、ノア様は大丈夫ですか?」
ロウが、未だに人と話すのが苦手なノアを気遣う。その思いがよく分かるから、ノアは不安な気持ちを抑えて、しっかりと頷いた。
「サミュエル様も一緒だから、大丈夫。それに、皆さま、お優しいから」
「……お優しい……まぁ、ノア様に対しては、そうでしょうね」
「どういう意味?」
なんとも微妙な返事があり、ノアはきょとんと目を瞬く。
その姿を見ても、ロウは軽く首を振っただけで何も返さず、ノアが自室に入ったのを見届けると、「レターセットの用意をしてきます」とすぐに立ち去った。
「いったい、なんだったんだろう……?」
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