天翔ける獣の願いごと

asagi

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Ⅳ.風雲に滲む気配

36.あなたの思いを聞かせてほしい

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 急いで湯浴みをして、一緒に夕ごはんを食べて――なんとなくぎこちない空気を感じながらも、悠里は努めて明るく振る舞った。狼泉が何か言おうとするのを拒むように、闇兎と過ごした時間のことを話す。

 悠里と離れていた間に、狼泉がどう過ごしていたのか、聞く勇気はなかった。夢で見たような話をされたら、悠里の心はどん底まで落ちてしまいそうだ。

「きゅう……」
「グル……」

 心配そうに鳴いた二体が擦り寄ってきて、悠里はハッと言葉を止める。食後のお茶を用意していた手が震えた。

「悠里……大丈夫か?」
「っ、うん、大丈夫。はい、お茶――」

 椀を差し出す手が狼泉にぶつかり、床にお茶がこぼれる。

「あっ! ごめん、今片付けて、淹れ直すからっ」
「いや、俺が片付けるから、悠里は座っていてくれ」

 慌てて立ち上がろうとした悠里の肩に、狼泉が手を乗せて微笑みかけてきた。その心配そうな眼差しに負けて、悠里は身体の力を抜いて座り込む。
 布巾を取ってきた狼泉がお茶を拭い取り片付けていくのを、ぼんやりと眺めた。

 自分が何をしたいのか分からない。こうして狼泉に手間を掛けるのがいいことだと思わない。でも、どうしても、これから狼泉が告げようとすることを予期して、心がその現実を拒否してしまう。

(いつまでも、避けていたって、どうしようもないって、分かってる……)

 悠里は目を伏せて、深呼吸を繰り返した。心臓がトクトクと逸る。怯えて身体が震えそうになった。

「悠里――」

 狼泉が悠里の隣に腰掛けて、ぎゅっと抱きしめてくる。
 温かく力強い腕に囲われて、悠里は目頭が熱くなった。こぼれそうになるものを必死に堪えて、狼泉の胸板に頬を寄せる。背に回した手は縋るように狼泉を抱きしめていた。

「何か、つらいことがあったのか? 何をそんなに恐れて、悲しんでいるのか、俺に教えてくれないか」
「……何も、ないよ」
「嘘だ。こんなに傷ついた顔をしているのに」

 狼泉の手が悠里の頭を撫でる。その優しさが愛おしくて、苦しくて、悠里は目を瞑って必死に口を閉ざした。今口を開いたら、何も悪くない狼泉を責めてしまいそうだ。

「――悠里……」

 悲しそうに沈んだ声で訴えかけられて、心が揺らぐ。思っていることを全て打ち明けて、狼泉に否定してもらいたい気持ちでいっぱいだった。
 でも、それが叶わない可能性の方が高いと悟ってもいるから、どうすることもできない。

 黙り込む悠里に何を思ったのか、狼泉がグッと力を込めて抱き上げる。悠里が気づいた時には、狼泉の膝の上に横抱きされていた。

「っ……狼泉……?」
「この方が、抱きしめやすいから。……嫌だったか?」

 顔を覗き込まれる。その近すぎる距離に、悠里はかぁっと顔を赤らめた。狼泉の青い瞳に映る自分の姿が見えるほどの距離だから、悠里の表情を隠すことなんてできるはずがない。

 狼泉は悠里の赤らんだ顔に目を細め、少し口元を綻ばせた。そして、額を擦りつけて甘えるような仕草をするので、悠里は必死に目を逸らすしかできない。拒否するなんて思い浮かぶことさえなかった。

「悠里。俺は、悠里にはずっと笑っていてほしい」
「……それ、ちょっと馬鹿みたいじゃない?」
「ふっ……そうか? 闇兎や白珠も同じことを考えていると思うが」

 わざとらしく拗ねた顔は、狼泉にとっては可愛いだけしかないようで、微笑ましげな目が向けられる。横目で窺った白珠も、慈しみ深い眼差しだった。闇兎は狼泉に悠里を取られて、抗議するように動き回っていたが。

「……狼泉が、ずっと僕の傍にいてくれるって約束するなら、僕は笑っていられるよ」

 考えるより先に言葉がこぼれ落ちていた。ハッと気づいた時にはもう遅く、狼泉の雰囲気が硬くなっていくのを感じる。
 悠里は泣きたい気分で狼泉の首に腕を回して抱きついた。

「――ねぇ、お願い。約束して。…………僕の、傍にいるって、また、約束、して、っ」

 頬を熱いものが伝い落ちていく。
 悠里は狼泉の頭に擦り寄りながら、必死に訴えた。一度言葉にしてしまったら、もう止められない。心から溢れる思いが、口から飛び出していく。

「狼泉っ……国に、帰るって、言わないで! ……っ、僕を、守るって、なにっ! 僕は、狼泉が、傍に、いてくれるだけで、いいのに……っ!」

 呼吸が苦しくて、途切れる声を必死に絞り出す。
 狼泉の腕が強く悠里を抱きしめた。

「悠里っ……! 悪いっ、全部、俺たちが、悪いんだっ! 謝っても、どうしようもないと分かっているがっ……すまないっ……」
「何が、悪いって、言うの……? 狼泉は、僕に、何も悪いことしてないよっ。なんなの。なんで謝るの! 教えてよ! どうして、狼泉は、苦しんでるの!?」

 悠里はグイッと狼泉を引き離して、両頬に手を添えた。ジッと苦しげな顔を見つめて、ポロポロと涙を零す。

「――……隠してること、全部教えて。狼泉、僕は、それを、知る必要が、あるでしょ……?」

 狼泉が眉間に皺を寄せ、きつく目を瞑った。悩み苦しむ表情を、悠里は痛ましく思うが、問いを取り下げるつもりはもうない。不安や疑問から目を逸らし続けられる時間は、もう終わったのだ。

 そのことを狼泉も理解しているのだろう。暫くして目を開けると、悲しそうな笑みを口元に浮かべて、小さく頷いた。そして、悠里の手をとり、指先に口づけを落とす。

「……狼泉?」

 どこか恭しい仕草に思えて、悠里は少し戸惑った。それと同時に、ドキッと跳ねた心臓の節操のなさに内心で呆れる。今は照れるような状況じゃない。

「悠里。……聞いてほしい。俺たちの、罪の話を――」

 静かな声に、頷きを返す。深い悲哀に満ちた瞳が、悠里を映して瞬いた。

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