38 / 51
Ⅳ.風雲に滲む気配
38.悠里が山に来た理由
しおりを挟む
暫く悠里をすすり泣く声だけが響いた。狼泉は悠里が事実を受け入れられるまで、抱きしめながらじっと待ってくれる。
動揺がおさまってきたところで、悠里は胸を苛む疑問を、ポツリと口にした。
「……藍じい様たちが、じいちゃんを探していたから、僕はこの世界に来たのかな」
「それは、どうだろう」
予想に反した返答に、悠里は目を瞬かせた。狼泉が悠里の頬を指先で拭いながら、言葉を続ける。
「――天藍たちも、その可能性を危惧していたようだが、実際のところの因果関係は明らかではない。異界渡りが起きる原因は、古龍が言っていたように、分かっていないからだ。だが、悠里がこの世界に渡ってきたときに、この山に現れたのは、ほぼ確実に、天藍たちの引き寄せの術によるものだろうと、そこに書かれていた」
そこ、と言いながら、狼泉が天藍の日記を指先で軽く叩く。
悠里は言われたことを反芻して、理解したところでホッと息をついた。最悪の予想が覆されて、身体中から力が抜けるような安堵感を覚える。
「……じゃあ、藍じい様たちのせいで、僕がこの世界に来たわけじゃない可能性が高いんだ」
「ああ。天藍たちが行っていた引き寄せの術は、天瑶の魂を手繰り寄せるものだったが、その効果範囲はあくまでもこの世界だけだった。おそらく、天瑶の血縁であることで、渡ってきた悠里がこの山に引き寄せられたんだと思う」
「それなら、むしろ、僕は藍じい様たちに感謝しないと」
ふとその事実に気づいて、悠里は口元を綻ばせた。きょとんとした顔をする狼泉を見つめ、目を細める。
「――だって、藍じい様たちがその術を使っていなかったら、僕は危ないところに放り出されていたかもしれないってことでしょう? 山の中に一人でいた時は、死ぬかもしれないって怖かったけど、藍じい様たちに会えて、保護してもらえて、僕はそれからずっと、不自由なく暮らしてこれた」
「……そうかも、しれないな。悠里がそう思ってくれたなら、天藍たちも安堵するだろう」
狼泉が目を伏せる。その言葉にどこか聞き覚えがあって、悠里は首を傾げた。
(……あ! 古龍が、言ってたはず。天琥たちが魂を引き寄せる縁を得られたことを、僕が喜んだ時……。つもり、あの古龍も、藍じい様たちが僕に感じていた引け目のことを知っていたんだ……)
点と点が繋がっていく。明かされた事実に、悠里は胸を撫で下ろした。感謝している相手を、恨むような事実はなかったのだと分かって、心の底から安堵する。
少し心に余裕ができて、悠里は天藍の日記を眺めてみた。そこで少し疑問が思い浮かぶ。この日記は、昨日狼泉が悠里の目から隠したものだと思う。変な嘘までついて――。
「……ねぇ。狼泉は、どうして昨日、これを隠す時に……しゅ、春画、なんて、嘘を言ったの?」
言葉の途中で口籠ってしまったのは、やはり狼泉に言うには恥ずかしすぎる単語だったからだ。
悠里が頬を染めて俯くと、狼泉がそっと視線を逸らした。
「あれは、その、咄嗟に……」
「咄嗟に出てくるくらい、狼泉にとっては、馴染みのある言葉だったんだね……?」
じとりと見据えると、狼泉の目が泳ぐ。
「いや、違う! ただ、男が集うと、だいたいそういう話になるものだろう? 俺は、兵たちに混ざって鍛錬していることも多かったから……」
動揺の表れた声で言い訳されたところで、なんのフォローにもなっていないと思う。
悠里は呆れつつ、フッとため息をついた。こうして気にして問いただしてしまうのもおかしな話なのだ。悠里は狼泉の友人、あるいは同居人という立場だし、狼泉の趣味に口うるさく何かを言う権利を持っていない。
「……まぁ、狼泉のこれまでの生活がどうだったかなんて、僕がどうこう言えることじゃないけど」
不満が表れるように声が冷たくなってしまった。でも、狼泉の不用意な言葉で随分と動揺させられたのだから、これくらいは許されていいはずだ。
「悠里……」
情ない声と表情で、狼泉が縋るように悠里を見つめる。その視線に微笑み返して、悠里は話題を打ち切った。これ以上この件について話したところで、得られるものは何もない。
「それより! ……狼泉の話は、終わってないよね? 狼泉が僕に謝ってきた理由、まだ分かってないもん」
悠里が気を取り直して尋ねると、狼泉の顔からサッと血の気が引いていき、怯えるように強ばった。
その変化に、悠里も追及をやめてしまいたくなるが、グッとこらえる。もう嘘や隠しごとに振り回されるのは嫌だった。たとえそこに心を痛める真実があろうと、それを受け止める方が良い。
「……あぁ、そうだな」
狼泉が、きつく目を瞑る。耐え難い現実から逃れるような表情だ。しかし、そんな様子を見せたのはほんの数舜ほどで、再び目を開けた時には、決意を秘めた瞳が悠里を貫く。
「――俺がこれから話すのは、その日記に書かれていることに、俺が知ることを合わせた推測にすぎない。それは悠里を苦しめる真実かもしれない。……それでも、聞いてくれるか」
苦しそうな声音だった。どうか拒んでくれと言うような、一方で、どうか受け入れてくれと懇願するような、複雑な感情が伝わってくる。
悠里はその思いを受け止めて、唾を飲み、ゆっくりと頷いた。
動揺がおさまってきたところで、悠里は胸を苛む疑問を、ポツリと口にした。
「……藍じい様たちが、じいちゃんを探していたから、僕はこの世界に来たのかな」
「それは、どうだろう」
予想に反した返答に、悠里は目を瞬かせた。狼泉が悠里の頬を指先で拭いながら、言葉を続ける。
「――天藍たちも、その可能性を危惧していたようだが、実際のところの因果関係は明らかではない。異界渡りが起きる原因は、古龍が言っていたように、分かっていないからだ。だが、悠里がこの世界に渡ってきたときに、この山に現れたのは、ほぼ確実に、天藍たちの引き寄せの術によるものだろうと、そこに書かれていた」
そこ、と言いながら、狼泉が天藍の日記を指先で軽く叩く。
悠里は言われたことを反芻して、理解したところでホッと息をついた。最悪の予想が覆されて、身体中から力が抜けるような安堵感を覚える。
「……じゃあ、藍じい様たちのせいで、僕がこの世界に来たわけじゃない可能性が高いんだ」
「ああ。天藍たちが行っていた引き寄せの術は、天瑶の魂を手繰り寄せるものだったが、その効果範囲はあくまでもこの世界だけだった。おそらく、天瑶の血縁であることで、渡ってきた悠里がこの山に引き寄せられたんだと思う」
「それなら、むしろ、僕は藍じい様たちに感謝しないと」
ふとその事実に気づいて、悠里は口元を綻ばせた。きょとんとした顔をする狼泉を見つめ、目を細める。
「――だって、藍じい様たちがその術を使っていなかったら、僕は危ないところに放り出されていたかもしれないってことでしょう? 山の中に一人でいた時は、死ぬかもしれないって怖かったけど、藍じい様たちに会えて、保護してもらえて、僕はそれからずっと、不自由なく暮らしてこれた」
「……そうかも、しれないな。悠里がそう思ってくれたなら、天藍たちも安堵するだろう」
狼泉が目を伏せる。その言葉にどこか聞き覚えがあって、悠里は首を傾げた。
(……あ! 古龍が、言ってたはず。天琥たちが魂を引き寄せる縁を得られたことを、僕が喜んだ時……。つもり、あの古龍も、藍じい様たちが僕に感じていた引け目のことを知っていたんだ……)
点と点が繋がっていく。明かされた事実に、悠里は胸を撫で下ろした。感謝している相手を、恨むような事実はなかったのだと分かって、心の底から安堵する。
少し心に余裕ができて、悠里は天藍の日記を眺めてみた。そこで少し疑問が思い浮かぶ。この日記は、昨日狼泉が悠里の目から隠したものだと思う。変な嘘までついて――。
「……ねぇ。狼泉は、どうして昨日、これを隠す時に……しゅ、春画、なんて、嘘を言ったの?」
言葉の途中で口籠ってしまったのは、やはり狼泉に言うには恥ずかしすぎる単語だったからだ。
悠里が頬を染めて俯くと、狼泉がそっと視線を逸らした。
「あれは、その、咄嗟に……」
「咄嗟に出てくるくらい、狼泉にとっては、馴染みのある言葉だったんだね……?」
じとりと見据えると、狼泉の目が泳ぐ。
「いや、違う! ただ、男が集うと、だいたいそういう話になるものだろう? 俺は、兵たちに混ざって鍛錬していることも多かったから……」
動揺の表れた声で言い訳されたところで、なんのフォローにもなっていないと思う。
悠里は呆れつつ、フッとため息をついた。こうして気にして問いただしてしまうのもおかしな話なのだ。悠里は狼泉の友人、あるいは同居人という立場だし、狼泉の趣味に口うるさく何かを言う権利を持っていない。
「……まぁ、狼泉のこれまでの生活がどうだったかなんて、僕がどうこう言えることじゃないけど」
不満が表れるように声が冷たくなってしまった。でも、狼泉の不用意な言葉で随分と動揺させられたのだから、これくらいは許されていいはずだ。
「悠里……」
情ない声と表情で、狼泉が縋るように悠里を見つめる。その視線に微笑み返して、悠里は話題を打ち切った。これ以上この件について話したところで、得られるものは何もない。
「それより! ……狼泉の話は、終わってないよね? 狼泉が僕に謝ってきた理由、まだ分かってないもん」
悠里が気を取り直して尋ねると、狼泉の顔からサッと血の気が引いていき、怯えるように強ばった。
その変化に、悠里も追及をやめてしまいたくなるが、グッとこらえる。もう嘘や隠しごとに振り回されるのは嫌だった。たとえそこに心を痛める真実があろうと、それを受け止める方が良い。
「……あぁ、そうだな」
狼泉が、きつく目を瞑る。耐え難い現実から逃れるような表情だ。しかし、そんな様子を見せたのはほんの数舜ほどで、再び目を開けた時には、決意を秘めた瞳が悠里を貫く。
「――俺がこれから話すのは、その日記に書かれていることに、俺が知ることを合わせた推測にすぎない。それは悠里を苦しめる真実かもしれない。……それでも、聞いてくれるか」
苦しそうな声音だった。どうか拒んでくれと言うような、一方で、どうか受け入れてくれと懇願するような、複雑な感情が伝わってくる。
悠里はその思いを受け止めて、唾を飲み、ゆっくりと頷いた。
96
あなたにおすすめの小説
【完結】《BL》溺愛しないで下さい!僕はあなたの弟殿下ではありません!
白雨 音
BL
早くに両親を亡くし、孤児院で育ったテオは、勉強が好きだった為、修道院に入った。
現在二十歳、修道士となり、修道院で静かに暮らしていたが、
ある時、強制的に、第三王子クリストフの影武者にされてしまう。
クリストフは、テオに全てを丸投げし、「世界を見て来る!」と旅に出てしまった。
正体がバレたら、処刑されるかもしれない…必死でクリストフを演じるテオ。
そんなテオに、何かと構って来る、兄殿下の王太子ランベール。
どうやら、兄殿下と弟殿下は、密な関係の様で…??
BL異世界恋愛:短編(全24話) ※魔法要素ありません。※一部18禁(☆印です)
《完結しました》
【完結】最初で最後の恋をしましょう
関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。
そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。
恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。
交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。
《ワンコ系王子×幸薄美人》
もうすぐ死ぬから、ビッチと思われても兄の恋人に抱いてもらいたい
カミヤルイ
BL
花影(かえい)病──肺の内部に花の形の腫瘍ができる病気で、原因は他者への強い思慕だと言われている。
主人公は花影症を患い、死の宣告を受けた。そして思った。
「ビッチと思われてもいいから、ずっと好きだった双子の兄の恋人で幼馴染に抱かれたい」と。
*受けは死にません。ハッピーエンドでごく軽いざまぁ要素があります。
*設定はゆるいです。さらりとお読みください。
*花影病は独自設定です。
*表紙は天宮叶さん@amamiyakyo0217 からプレゼントしていただきました✨
春風のように君を包もう ~氷のアルファと健気なオメガ 二人の間に春風が吹いた~
大波小波
BL
竜造寺 貴士(りゅうぞうじ たかし)は、名家の嫡男であるアルファ男性だ。
優秀な彼は、竜造寺グループのブライダルジュエリーを扱う企業を任されている。
申し分のないルックスと、品の良い立ち居振る舞いは彼を紳士に見せている。
しかし、冷静を過ぎた観察眼と、感情を表に出さない冷めた心に、社交界では『氷の貴公子』と呼ばれていた。
そんな貴士は、ある日父に見合いの席に座らされる。
相手は、九曜貴金属の子息・九曜 悠希(くよう ゆうき)だ。
しかしこの悠希、聞けば兄の代わりにここに来たと言う。
元々の見合い相手である兄は、貴士を恐れて恋人と駆け落ちしたのだ。
プライドを傷つけられた貴士だったが、その弟・悠希はこの縁談に乗り気だ。
傾きかけた御家を救うために、貴士との見合いを決意したためだった。
無邪気で無鉄砲な悠希を試す気もあり、貴士は彼を屋敷へ連れ帰る……。
【完結】生まれ変わってもΩの俺は二度目の人生でキセキを起こす!
天白
BL
【あらすじ】バース性診断にてΩと判明した青年・田井中圭介は将来を悲観し、生きる意味を見出せずにいた。そんな圭介を憐れに思った曾祖父の陸郎が彼と家族を引き離すように命じ、圭介は父から紹介されたαの男・里中宗佑の下へ預けられることになる。
顔も見知らぬ男の下へ行くことをしぶしぶ承諾した圭介だったが、陸郎の危篤に何かが目覚めてしまったのか、前世の記憶が甦った。
「田井中圭介。十八歳。Ω。それから現当主である田井中陸郎の母であり、今日まで田井中家で語り継がれてきただろう、不幸で不憫でかわいそ~なΩこと田井中恵の生まれ変わりだ。改めてよろしくな!」
これは肝っ玉母ちゃん(♂)だった前世の記憶を持ちつつも獣人が苦手なΩの青年と、紳士で一途なスパダリ獣人αが小さなキセキを起こすまでのお話。
※オメガバースもの。拙作「生まれ変わりΩはキセキを起こす」のリメイク作品です。登場人物の設定、文体、内容等が大きく変わっております。アルファポリス版としてお楽しみください。
姉の婚約者の心を読んだら俺への愛で溢れてました
天埜鳩愛
BL
魔法学校の卒業を控えたユーディアは、親友で姉の婚約者であるエドゥアルドとの関係がある日を境に疎遠になったことに悩んでいた。
そんな折、我儘な姉から、魔法を使ってそっけないエドゥアルドの心を読み、卒業の舞踏会に自分を誘うように仕向けろと命令される。
はじめは気が進まなかったユーディアだが、エドゥアルドの心を読めばなぜ距離をとられたのか理由がわかると思いなおして……。
優秀だけど不器用な、両片思いの二人と魔法が織りなすモダキュン物語。
「許されざる恋BLアンソロジー 」収録作品。
sugar sugar honey! 甘くとろける恋をしよう
乃木のき
BL
母親の再婚によってあまーい名前になってしまった「佐藤蜜」は入学式の日、担任に「おいしそうだね」と言われてしまった。
周防獅子という負けず劣らずの名前を持つ担任は、ガタイに似合わず甘党でおっとりしていて、そばにいると心地がいい。
初恋もまだな蜜だけど周防と初めての経験を通して恋を知っていく。
(これが恋っていうものなのか?)
人を好きになる苦しさを知った時、蜜は大人の階段を上り始める。
ピュアな男子高生と先生の甘々ラブストーリー。
※エブリスタにて『sugar sugar honey』のタイトルで掲載されていた作品です。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる