コードペンダントの愛玩

柊わたる

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第一幕 君のいる家

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  世界から祝福を受けた、奇跡の魔法使い。災害で朽ち果てた大地を蘇らせ、汚染された川や街の空気を浄化、不治の病を癒し、果てなく続く戦争に終止符を打った。伝説のような話の数々は、一人の魔法使いの手によって実話となっている。
 そんな魔法使いの帰る場所は、誰にも知られていない。
 広い樹海の最深部、古びた廃墟のような家が世界に置いていかれたように静かに佇んでいる。
「ただいま」
 月光を浴びてキラキラと繊細に輝く銀髪、汚れ一つない純白の高貴なローブを身に包んだ青年が、その古家の扉を開く。
 彼はセオドア。世界から崇拝される祝福を受けた奇跡の魔法使いだ。彼の家は、豪勢な屋敷でもなければ聖なる教会でもない、この誰も知らない古家なのだ。
「おかえり、セオドア」
 セオドアの心地よい低音が消えた頃、部屋の奥からぺたぺたと軽い足音が近付いてきた。そして、ふらふらとセオドアの胸の中へ一つの影が飛び込んだ。
「ただいまロゼ。また、泣いていたの?」
「朝起きたら、セオドアがいないから」
「お寝坊さんだね」
 ロゼと呼ばれたのは、長い黒髪をした細身の青年。大きな白い服……セオドアのシャツ一枚だけを着ている。雪のような白い肌に、燃えるような赤い瞳。露出している手足には、多量の傷跡がある。古傷もあれば、比較的新しいものまで、端正な顔立ちからは想像できない数だ。
「なんで起こさないんだ」
 セオドアは、顔を胸に押し当てるロゼの柔らかい髪を撫でる。腰まで伸びた癖のない濡羽色の髪は、指から流れるように落ちていく。
「仕方ないよ。とても愛らしい寝顔だったんだから、起こしたら可哀想だと思ったんだ」
 セオドアは、むくれながら見上げてくるロゼに微笑んだ。そして、軽い身体を持ち上げて部屋まで戻る。ロゼは、ぴたりとセオドアにくっ付いて離れようとしなかった。
「朝、一人の方が可哀想だろ」
「……そうだね。俺も、仕事中ずっと寂しかったよ」
 セオドアは、世界最大級の教会で普段は働いている。祝福を求める者、願いを持つ者が来れば、魔法をかけてそれを叶える。彼の生きているこの二十年は、歴史上最も平和な時代となると誰もがささやいた。そのうちの十年しか教会にはいないのに、人々はセオドアの存在自体を幸福としているのだろう。

「俺も、教会に行けたらいいのに」
 大人しく抱き上げられていたロゼが、口を尖らせる。
「ダメだよ。ロゼは綺麗だから、悪い人にすぐ攫われちゃうよ」
「セオドアのが綺麗だ。俺は、ボロボロできっと怖がられる」
「まぁ、その方が俺的には都合はいいね」
 ベッドにロゼを座らせると、セオドアは白いローブを脱ぎ始めた。
「初めて会った日以来、行ったことないからどんな場所か忘れた」
「眩しくて、退屈だよ」
 ロゼの身に付けているシャツと似た高級な部屋着に袖を通す。
「なら、いいや」
「ところで。その傷、今日の?」
 部屋着に着替え終えたセオドアが、ロゼの細い腕を優しく掴む。古い切り傷が多い中、そこには新しい引っ掻き傷があった。血は止まっているが、まだ痛々しい。
 ロゼは、黙ったまま首を縦に振る。そして、小さく「ごめんなさい」と呟いた。
「……痛かったでしょ」
 セオドアは、その傷を見つめると口付けをした。彼は、大勢の人の傷を癒すことができる。でも、ロゼの怪我だけはいつも治さない。
「痛かった。やすり、見つからなくて、爪伸びてる」
 ロゼは、長い爪を見て言う。やすりの場所が分からず、暫く伸ばしっぱなしになっていたせいで、うっかり腕を傷つけたのだ。
「それなら、向こうの部屋の棚にあるよ。行っておいで」
「うん」

 ぱたぱたと部屋を出たロゼをセオドアは追いかける。待っていようとしたが、廊下は暗いから、転んでしまわないか心配なのだ。
 キッチンとテーブルのあるアンティーク調の部屋に立つロゼは、愛らしい人形のように見える。棚の前でやすりを見つけると、入り口にいるセオドアの元まで嬉しそうに駆けてきた。
「あった」
「良かったね。でも、走るのは危ないよ」
「大丈夫、転ばない」
「でもダメ」
 短い言葉を交わしながら、再び寝室に戻る。ロゼは、不器用にも懸命に長い爪を削っていった。暫くすると、飽きてしまったのか雑さが目立つようになってきた。
 退屈そうに「うー」と声を伸ばしている。
「これ、魔法でやった方が早いよな」
 そう思い立った瞬間に、ロゼの周りに赤黒い光が現れる。床から黒い荊が生えて、所々に黒薔薇を咲かせている。家の中がら小さな薔薇園となる。
 これが、ロゼの薔薇の魔法だ。しかし、上手く制御できないのか、爪を切るにしては大量の荊が出ている。触れれば怪我をしてしまいそうだ。
「ロゼの魔法だと、手首まで無くなっちゃうよ」
「……手がないと、困る」
「そうだね。俺が整えてあげるから、魔法を解いて。お話ししながらだと、きっとすぐに終わるよ」
 セオドアがそう促すと、黒い荊は光と共に消滅した。ロゼは、やすりを渡して手を差し出す。
 
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