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第2作 アオハル・イン・チェインズ 桜の朽木に虫の這うこと(二)
第8話 ありふれた高校生活、ではなくて……
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ウツロと真田龍子が教室へ入ったとき、クラスからは冷やかしの歓声がわきあがった。
「ははは……」
二人は恐縮している『ふり』をしながら、自分たちへの席へと着いた。
ウツロの席は最後列の一番左奥、真田龍子はその右隣だ。
神がほほえんだかのような配置であるが、高校生活においてはままあることだ。
「佐伯よ、『おつとめ』ご苦労」
「何を言っているのかな、柿崎?」
右斜前のやんちゃボウズ、柿崎景太が、ウツロにすかさずツッコミを入れた。
いつものことだと反らしたが、『佐伯悠亮』の名前にはどうしても慣れないから、そう呼ばれるのにはまだどこか、抵抗感があった。
「柿崎い、朝っぱらから元気だなー」
「なーに言ってやがる、元気なのはお前らの下半身だろ?」
真田龍子の声かけに、下ネタで返す柿崎。
思春期男子特有の仕様とはいえ、これでは女子はドン引きである。
「うわー……」
「下劣だぞ、柿崎」
しかめツラになった彼女を守るように、ウツロが牽制した。
「ああっ、龍子おっ! 来てっ、悠亮っ――」
ガツン!
自分を抱きしめながら妄想している柿崎の頭に、左側から東大の赤本が降ってきた。
「ぎゃあああああ……」
激痛のあまり、彼は患部を必死でさすった。
「その辺にしておけ、柿崎。ここは仮にも公共の場だぞ? 佐伯、真田、すまない。このバカにはあとでちゃんと注意しておく」
クラス委員長の聖川清人が、『仕様済』の過去問題集を机に戻しながら、後列の二人にわびを入れた。
「いや、いいんだ、聖川」
「あーあ、柿崎い、頭、赤くなってるよ」
ウツロと真田龍子はひやひやしながら見ていたが、柿崎はかなりこたえたのか、頭頂部をかかえてもだえている。
「ぬ、ぬ、ぬ、ぬううううう……き、き、き、きいいいいい……」
「やかましい」
「にゃあああああお!」
同じところを今度は平手で打たれ、柿崎は世にも奇妙な悲鳴を上げた。
「ったく、バカまるだしだな柿崎い。お前と違って佐伯は心が澄んでいるのだよ。だからみんな、応援する。それ比べてなんだ、お前は? ドブのように濁ってるんだよ、お前の心は!」
彼とは通路をはさんで右側の席の長谷川瑞希が、茶化すように言った。
「おのれえ、長谷川あ……てめえ、いますぐ××して――」
「黙れ」
「きしゃあああああお!」
本日三度目の聖川による『仕置き』。
もはや悲鳴を上げているのは、柿崎の頭皮である。
「やめなよ、聖川。これじゃ柿崎の頭がパッパラパーになっちゃうって」
「いや、真田。柿崎はもともとパッパラパーだと思うんだ」
自分の言ったセリフにハッとして、ウツロは窓の外を見た。
快晴の空と太陽光、そして、自分の顔がうっすらと、ガラスに映っている。
(パッパラパー、か……)
彼はアクタのことを思い出していた。
―― ウツロ、あんま難しいこと考えんな。パッパラパーになっちまえよ ――
(アクタ、兄さん……本当に、いいんだろうか……俺だけが、俺だけが、生きているなんて……父さんも、もう、いない……さびしい……俺の心の欠落は、もう決して、きっと一生、埋まることはないんだろう……)
こんな風にウツロは、自分の顔とにらめっこをしながら、思索に耽っていた。
物思いに耽溺しかけたとき、教室の後ろのドアがガラッと開いて、彼はハッとわれに返った。
「あ、雅」
真田龍子がつぶやいた。
始業ベルの鳴る直前になって、星川雅の登場した。
妖艶なオーラを放つ彼女は、クラスにも隠れファンが多い。
男子、女子を問わずである。
精神科医を両親に持つという意識もあり、整えすぎず、かといって崩しすぎもしないかっこうや、立ち振る舞いを旨としている。
他者から警戒されず、かつ、油断もされないためだ。
星川雅はすました顔と動きで、教室の中へと入ってくる。
氷潟夕真がいない――
彼女はまず、それを確認した。
そして次の瞬間、教室中央に陣取る赤毛の少女・刀子朱利と目線があった。
ほんの数瞬だが、強烈な殺意を送りあう。
星川雅の母・星川皐月――旧姓・似嵐皐月と、刀子朱利の母で、現内閣防衛大臣・甍田美吉良こと旧姓・刀子美吉良は、互いに幼なじみの間柄であり、不倶戴天のライバル同士でもあった。
娘である二人は、それを強く意識しあって、時を越えて、互いにライバル視しあっているのだ。
ただでさえ似嵐家と刀子家は、因縁の深い家同士であったので、家督の重責を担う彼女らのいがみあいは、筆舌に尽くしがたいレベルのものであった。
しかし星川雅は、周囲にそれを悟られないよう、刀子朱利の凍りついた視線をスルーして、自分の席――長谷川瑞希の隣に座った。
「雅い、あいかわらず殿様出勤だなー。いっつも授業開始ギリギリまで、何をしているのかね?」
「別に。瑞希には関係のないことだよ」
「何それ、傷つくー。仮にも中学からの仲でしょー?」
「たかが中学からの仲でしょ?」
「あーら……」
気さくに話しかけた長谷川瑞希は、星川雅のつれない態度に閉口した。
「おはよう、雅」
「おはよう龍子、と、その他の方々」
「なんだ星川、その態度は。俺らは村人かっつーの」
「あなたなんて本来、黙殺に値する存在なんだからね、柿崎?」
「にゃおー! てめえ、いますぐ××して、ひっ……」
柿崎が殺意を感じて振り向くと、そこでは聖川清人が、広辞苑を振りかぶって待っていた。
「その辺にしておけ、柿崎……!」
「は、はひい……」
成長期全開の小芝居に、周囲はただただ、あきれ果てていた。
星川雅は何事もなかったかのように、机の上に教科書を開いて、授業の準備をしている。
ウツロは彼女をそっと見つめながら考えた。
捉えどころのない、でも、決して油断してはいけない相手だ……
先ほど刀子朱利に送った目つき……
幼なじみとだけ聞いてはいるが……
あれはどう見ても、ただならない仲だ……
きっと何か、あるに違いない……
いっぽうで、その母・皐月のことも頭をよぎった。
雅のお母さん……
俺にとっては『伯母さん』に当たるわけだけれど……
まだ会ったことはないが……
父さんの話が確かなら、容易ならない人物のはずだ……
気になるけれど、まだ時期尚早だ……
でもいつか、彼女の口から問いただしたい……
父さんの人生を、奪った人だとすれば……
ウツロの視線に気づいた星川雅は、横目をちらつかせて、ペロリと一瞬、舌をのぞかせた。
いつもの挑発だ、気にするな――
彼は自分に、そう言いきかせた。
そのとき、教室前方のドアが、勢いよく開いた。
「なーはーは! 諸君、おはよう!」
先ほどまで音楽室にいた、音楽教師兼担任の古河登志彦《ふるかわ としひこ》が、スーツの下っ腹をたぷたぷと揺らしながら入室した。
「起立!」
聖川清人が折り目正しくあいさつする。
いい子なんだけど、四角四面なのが玉に瑕なんだよな……
古川教諭は脂汗を垂らした。
「聖川くん、ここは軍隊ではないのだよ? もうちょっと、フレンドリーなノリで……」
「礼!」
良くも悪くも真面目なのだ、彼は。
「あはは……」
教壇に着いた古川教諭は、これではまるで『ご本尊』だとひやひやした。
「着席!」
流れを作られ、軽い態度を封じられた彼は、用意した朝礼のフレーズもボツにして、本題に入った。
「……うん、それではホームルームを始めよう。今度、職場体験があるんだけど、参加者を募集中なんだ……」
ウツロは何だか気が抜けて、もう一度、ガラス越しに窓の外を見た。
のんびりした秋の空、それ以上でも以下でもない。
『人間の世界』にも慣れてきた……
しかしホッブズいわく、『慣れ』ほどおそろしいものはない……
もっと気持ちを引きしめなくては……
俺はまだまだ、『人間』として発展途上なのだから……
こんな風にウツロは思索した。
ありふれた高校生活、ではなくて、どこか危険が入りまじったそれは、こうして秋の風のように、過ぎ去っていくのだった――
(『第9話 思索部の風景』へ続く)
「ははは……」
二人は恐縮している『ふり』をしながら、自分たちへの席へと着いた。
ウツロの席は最後列の一番左奥、真田龍子はその右隣だ。
神がほほえんだかのような配置であるが、高校生活においてはままあることだ。
「佐伯よ、『おつとめ』ご苦労」
「何を言っているのかな、柿崎?」
右斜前のやんちゃボウズ、柿崎景太が、ウツロにすかさずツッコミを入れた。
いつものことだと反らしたが、『佐伯悠亮』の名前にはどうしても慣れないから、そう呼ばれるのにはまだどこか、抵抗感があった。
「柿崎い、朝っぱらから元気だなー」
「なーに言ってやがる、元気なのはお前らの下半身だろ?」
真田龍子の声かけに、下ネタで返す柿崎。
思春期男子特有の仕様とはいえ、これでは女子はドン引きである。
「うわー……」
「下劣だぞ、柿崎」
しかめツラになった彼女を守るように、ウツロが牽制した。
「ああっ、龍子おっ! 来てっ、悠亮っ――」
ガツン!
自分を抱きしめながら妄想している柿崎の頭に、左側から東大の赤本が降ってきた。
「ぎゃあああああ……」
激痛のあまり、彼は患部を必死でさすった。
「その辺にしておけ、柿崎。ここは仮にも公共の場だぞ? 佐伯、真田、すまない。このバカにはあとでちゃんと注意しておく」
クラス委員長の聖川清人が、『仕様済』の過去問題集を机に戻しながら、後列の二人にわびを入れた。
「いや、いいんだ、聖川」
「あーあ、柿崎い、頭、赤くなってるよ」
ウツロと真田龍子はひやひやしながら見ていたが、柿崎はかなりこたえたのか、頭頂部をかかえてもだえている。
「ぬ、ぬ、ぬ、ぬううううう……き、き、き、きいいいいい……」
「やかましい」
「にゃあああああお!」
同じところを今度は平手で打たれ、柿崎は世にも奇妙な悲鳴を上げた。
「ったく、バカまるだしだな柿崎い。お前と違って佐伯は心が澄んでいるのだよ。だからみんな、応援する。それ比べてなんだ、お前は? ドブのように濁ってるんだよ、お前の心は!」
彼とは通路をはさんで右側の席の長谷川瑞希が、茶化すように言った。
「おのれえ、長谷川あ……てめえ、いますぐ××して――」
「黙れ」
「きしゃあああああお!」
本日三度目の聖川による『仕置き』。
もはや悲鳴を上げているのは、柿崎の頭皮である。
「やめなよ、聖川。これじゃ柿崎の頭がパッパラパーになっちゃうって」
「いや、真田。柿崎はもともとパッパラパーだと思うんだ」
自分の言ったセリフにハッとして、ウツロは窓の外を見た。
快晴の空と太陽光、そして、自分の顔がうっすらと、ガラスに映っている。
(パッパラパー、か……)
彼はアクタのことを思い出していた。
―― ウツロ、あんま難しいこと考えんな。パッパラパーになっちまえよ ――
(アクタ、兄さん……本当に、いいんだろうか……俺だけが、俺だけが、生きているなんて……父さんも、もう、いない……さびしい……俺の心の欠落は、もう決して、きっと一生、埋まることはないんだろう……)
こんな風にウツロは、自分の顔とにらめっこをしながら、思索に耽っていた。
物思いに耽溺しかけたとき、教室の後ろのドアがガラッと開いて、彼はハッとわれに返った。
「あ、雅」
真田龍子がつぶやいた。
始業ベルの鳴る直前になって、星川雅の登場した。
妖艶なオーラを放つ彼女は、クラスにも隠れファンが多い。
男子、女子を問わずである。
精神科医を両親に持つという意識もあり、整えすぎず、かといって崩しすぎもしないかっこうや、立ち振る舞いを旨としている。
他者から警戒されず、かつ、油断もされないためだ。
星川雅はすました顔と動きで、教室の中へと入ってくる。
氷潟夕真がいない――
彼女はまず、それを確認した。
そして次の瞬間、教室中央に陣取る赤毛の少女・刀子朱利と目線があった。
ほんの数瞬だが、強烈な殺意を送りあう。
星川雅の母・星川皐月――旧姓・似嵐皐月と、刀子朱利の母で、現内閣防衛大臣・甍田美吉良こと旧姓・刀子美吉良は、互いに幼なじみの間柄であり、不倶戴天のライバル同士でもあった。
娘である二人は、それを強く意識しあって、時を越えて、互いにライバル視しあっているのだ。
ただでさえ似嵐家と刀子家は、因縁の深い家同士であったので、家督の重責を担う彼女らのいがみあいは、筆舌に尽くしがたいレベルのものであった。
しかし星川雅は、周囲にそれを悟られないよう、刀子朱利の凍りついた視線をスルーして、自分の席――長谷川瑞希の隣に座った。
「雅い、あいかわらず殿様出勤だなー。いっつも授業開始ギリギリまで、何をしているのかね?」
「別に。瑞希には関係のないことだよ」
「何それ、傷つくー。仮にも中学からの仲でしょー?」
「たかが中学からの仲でしょ?」
「あーら……」
気さくに話しかけた長谷川瑞希は、星川雅のつれない態度に閉口した。
「おはよう、雅」
「おはよう龍子、と、その他の方々」
「なんだ星川、その態度は。俺らは村人かっつーの」
「あなたなんて本来、黙殺に値する存在なんだからね、柿崎?」
「にゃおー! てめえ、いますぐ××して、ひっ……」
柿崎が殺意を感じて振り向くと、そこでは聖川清人が、広辞苑を振りかぶって待っていた。
「その辺にしておけ、柿崎……!」
「は、はひい……」
成長期全開の小芝居に、周囲はただただ、あきれ果てていた。
星川雅は何事もなかったかのように、机の上に教科書を開いて、授業の準備をしている。
ウツロは彼女をそっと見つめながら考えた。
捉えどころのない、でも、決して油断してはいけない相手だ……
先ほど刀子朱利に送った目つき……
幼なじみとだけ聞いてはいるが……
あれはどう見ても、ただならない仲だ……
きっと何か、あるに違いない……
いっぽうで、その母・皐月のことも頭をよぎった。
雅のお母さん……
俺にとっては『伯母さん』に当たるわけだけれど……
まだ会ったことはないが……
父さんの話が確かなら、容易ならない人物のはずだ……
気になるけれど、まだ時期尚早だ……
でもいつか、彼女の口から問いただしたい……
父さんの人生を、奪った人だとすれば……
ウツロの視線に気づいた星川雅は、横目をちらつかせて、ペロリと一瞬、舌をのぞかせた。
いつもの挑発だ、気にするな――
彼は自分に、そう言いきかせた。
そのとき、教室前方のドアが、勢いよく開いた。
「なーはーは! 諸君、おはよう!」
先ほどまで音楽室にいた、音楽教師兼担任の古河登志彦《ふるかわ としひこ》が、スーツの下っ腹をたぷたぷと揺らしながら入室した。
「起立!」
聖川清人が折り目正しくあいさつする。
いい子なんだけど、四角四面なのが玉に瑕なんだよな……
古川教諭は脂汗を垂らした。
「聖川くん、ここは軍隊ではないのだよ? もうちょっと、フレンドリーなノリで……」
「礼!」
良くも悪くも真面目なのだ、彼は。
「あはは……」
教壇に着いた古川教諭は、これではまるで『ご本尊』だとひやひやした。
「着席!」
流れを作られ、軽い態度を封じられた彼は、用意した朝礼のフレーズもボツにして、本題に入った。
「……うん、それではホームルームを始めよう。今度、職場体験があるんだけど、参加者を募集中なんだ……」
ウツロは何だか気が抜けて、もう一度、ガラス越しに窓の外を見た。
のんびりした秋の空、それ以上でも以下でもない。
『人間の世界』にも慣れてきた……
しかしホッブズいわく、『慣れ』ほどおそろしいものはない……
もっと気持ちを引きしめなくては……
俺はまだまだ、『人間』として発展途上なのだから……
こんな風にウツロは思索した。
ありふれた高校生活、ではなくて、どこか危険が入りまじったそれは、こうして秋の風のように、過ぎ去っていくのだった――
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