200 / 244
第3作 ドラゴン・タトゥーの少年 桜の朽木に虫の這うこと(三)
第38話 決戦前夜 急
しおりを挟む
日も暮れかけてきたころ、洋館アパート・さくら館では、メンバーのおのおのがそれぞれの形でくつろいでいた。
とはいってもそれは、あくまで「建前上」の話ではあるが。
実際には明日の御前試合のことがあり、みなが姫神壱騎とその母・志乃を気にかけている。
しかしいっぽう、何か気づかいでもすればよいのか、それともそっとしておいたほうがよいのか、考えあぐねていたのだ。
ウツロも同様で、悶々とする気持ちを抑えようと、自室へ向かおうとした。
「ウツロさん」
二階へ上がったところで、姫神志乃が声をかけてくる。
「志乃さん……」
ウツロは彼女に、研ぎ澄まされた刀剣のような意志を見た。
「愚息がたいへんお世話になったとか。この姫神志乃、謹んでウツロさんに感謝を申し上げます」
「いえ、そのような……」
深々と頭を下げる様子に、彼はたじろいだ。
「息子はずっと、自身を蝕む闇のようなものと戦っていた。しかし、ウツロさんに出会ってから、どうやらそれを払うことに成功したようです。いったいこのお礼を、どう返せばよいのやら……」
父親を無残にも殺害された少年時代。
いったいそれが、どれほどの苦痛であったことか。
そしてどれほど、その苦難に向きあってきたというのか。
それを思うと、ウツロは自身の境遇と重ね合わせ、複雑な胸中であった。
「志乃さん」
ウツロは姿勢を落とし、ひざをついた。
「ウツロさん、おやめください!」
彼は首を縦には降らなかった。
「ご子息・壱騎さんはまれに見る猛者、そしてそれを支えているのは、そのたぐいまれなるもののふの精神であるとお見受けいたします」
「ウツロさん……」
「ご自身と向き合い、幾多の夜を乗り越えて来られた。それがどれほどの困難をともなうものであったか……俺には想像もつきませんし、推し量るのは無礼にあたるというものです」
「……」
「しかしながら志乃さん。それを可能にしたのは、ほかならぬあなたさまのお力。子を思う母の気持ちに勝るものなど、この世には存在しえないでしょう。志乃さんの支えがあったればこそと、この似嵐ウツロ、おそれながら思う次第です」
「ウツロさん、あなたというお方は……」
「明日の御前試合、ゆめゆめくもりなきまなこで見聞させていただきたく思う所存です」
ウツロは立ち上がると、深く一礼をして、部屋のほうへとはけていった。
そのうしろでは、やはり姫神志乃が、涙をぬぐいながらいつまでも頭を下げていたのである。
*
「ウツロ」
「?」
部屋へ入って少したってから、ドアごしに姫神壱騎の声が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼するよ」
彼はゆっくりと入室し、ウツロと差し向かいに座った。
「母さんに気をつかってくれてありがとう。俺こそこのお礼を、どう返せばいいのか……」
姫神壱騎はまだどこか、迷っている様子だった。
それを察することができないほど、ウツロは間抜けではない。
「友を助けるのに、理由などいるのでしょうか?」
「……」
彼はあえて、心にかかる言葉を選んだ。
「かっこいいね……もてるわけだよ」
「あなたには負けますよ」
涙ぐむ姫神壱騎、そしては二人はくすくすと笑いあった。
「明日の御前試合、もし仮に、俺の心が曲がりそうになったのなら、ウツロ……遠慮なく俺を切り捨ててほしい」
「……」
凛とした顔つき、彼は本気そのものだ。
ウツロは少し間を置いて語り出す。
「おそれながら壱騎さん、明日の試合、俺が思うに、決して見世物などでは、ましてや殺戮のショーなどではありません。おそらく壱騎さんが、ご自身のお心と向き合えるかどうかの勝負。そしれそれは、森さんにとっても」
「ウツロ……」
姫神壱騎は一度うつむいて、また顔を上げた。
「わかってる、わかってるんだけど……なんだか、こう……まだ、頭の中に黒い雲がかかっているような感じがするんだ。油断するとのみこまれてしまいそうなね。俺はいったい、どうすればいいのか……」
ウツロは目を反らさない。
「壱騎さん、おそらくあなたが断ち切るべきなのは、その雲なのでしょう」
そう言った。
姫神壱騎はハッとする。
「精神論に堕するかもしれませんが、剣士の本懐とは、あるいはそれなのではないのかと思うのです。生意気がすぎますが」
「いや、そのとおりだと、俺も思うよ。すごいよね、君は。雲が一気に晴れてきたよ。なんだか、楽になってきた」
「それはあなたの力なのです、壱騎さん」
「ほめても何も出ないよ?」
「すでにいただいております、かけがえのないものをね」
「……」
姫神壱騎はつくづく思った。
光、光だ……
このウツロという少年は。
この子のようになりたい。
真似るという意味ではなく。
俺は俺にできる形で、自分と向き合っていきたい。
そう思った、心の底から。
「ウツロ」
「はい」
「明日の試合、俺は必ず勝ってみせる。もちろん、自分自身にね」
「確かに承りました。俺も全身全霊で臨ませていただきます」
二人は拳を合わせた。
信用は信頼へと。
太陽が二つ輝いているようであった。
御前試合は、明日――
とはいってもそれは、あくまで「建前上」の話ではあるが。
実際には明日の御前試合のことがあり、みなが姫神壱騎とその母・志乃を気にかけている。
しかしいっぽう、何か気づかいでもすればよいのか、それともそっとしておいたほうがよいのか、考えあぐねていたのだ。
ウツロも同様で、悶々とする気持ちを抑えようと、自室へ向かおうとした。
「ウツロさん」
二階へ上がったところで、姫神志乃が声をかけてくる。
「志乃さん……」
ウツロは彼女に、研ぎ澄まされた刀剣のような意志を見た。
「愚息がたいへんお世話になったとか。この姫神志乃、謹んでウツロさんに感謝を申し上げます」
「いえ、そのような……」
深々と頭を下げる様子に、彼はたじろいだ。
「息子はずっと、自身を蝕む闇のようなものと戦っていた。しかし、ウツロさんに出会ってから、どうやらそれを払うことに成功したようです。いったいこのお礼を、どう返せばよいのやら……」
父親を無残にも殺害された少年時代。
いったいそれが、どれほどの苦痛であったことか。
そしてどれほど、その苦難に向きあってきたというのか。
それを思うと、ウツロは自身の境遇と重ね合わせ、複雑な胸中であった。
「志乃さん」
ウツロは姿勢を落とし、ひざをついた。
「ウツロさん、おやめください!」
彼は首を縦には降らなかった。
「ご子息・壱騎さんはまれに見る猛者、そしてそれを支えているのは、そのたぐいまれなるもののふの精神であるとお見受けいたします」
「ウツロさん……」
「ご自身と向き合い、幾多の夜を乗り越えて来られた。それがどれほどの困難をともなうものであったか……俺には想像もつきませんし、推し量るのは無礼にあたるというものです」
「……」
「しかしながら志乃さん。それを可能にしたのは、ほかならぬあなたさまのお力。子を思う母の気持ちに勝るものなど、この世には存在しえないでしょう。志乃さんの支えがあったればこそと、この似嵐ウツロ、おそれながら思う次第です」
「ウツロさん、あなたというお方は……」
「明日の御前試合、ゆめゆめくもりなきまなこで見聞させていただきたく思う所存です」
ウツロは立ち上がると、深く一礼をして、部屋のほうへとはけていった。
そのうしろでは、やはり姫神志乃が、涙をぬぐいながらいつまでも頭を下げていたのである。
*
「ウツロ」
「?」
部屋へ入って少したってから、ドアごしに姫神壱騎の声が聞こえた。
「どうぞ」
「失礼するよ」
彼はゆっくりと入室し、ウツロと差し向かいに座った。
「母さんに気をつかってくれてありがとう。俺こそこのお礼を、どう返せばいいのか……」
姫神壱騎はまだどこか、迷っている様子だった。
それを察することができないほど、ウツロは間抜けではない。
「友を助けるのに、理由などいるのでしょうか?」
「……」
彼はあえて、心にかかる言葉を選んだ。
「かっこいいね……もてるわけだよ」
「あなたには負けますよ」
涙ぐむ姫神壱騎、そしては二人はくすくすと笑いあった。
「明日の御前試合、もし仮に、俺の心が曲がりそうになったのなら、ウツロ……遠慮なく俺を切り捨ててほしい」
「……」
凛とした顔つき、彼は本気そのものだ。
ウツロは少し間を置いて語り出す。
「おそれながら壱騎さん、明日の試合、俺が思うに、決して見世物などでは、ましてや殺戮のショーなどではありません。おそらく壱騎さんが、ご自身のお心と向き合えるかどうかの勝負。そしれそれは、森さんにとっても」
「ウツロ……」
姫神壱騎は一度うつむいて、また顔を上げた。
「わかってる、わかってるんだけど……なんだか、こう……まだ、頭の中に黒い雲がかかっているような感じがするんだ。油断するとのみこまれてしまいそうなね。俺はいったい、どうすればいいのか……」
ウツロは目を反らさない。
「壱騎さん、おそらくあなたが断ち切るべきなのは、その雲なのでしょう」
そう言った。
姫神壱騎はハッとする。
「精神論に堕するかもしれませんが、剣士の本懐とは、あるいはそれなのではないのかと思うのです。生意気がすぎますが」
「いや、そのとおりだと、俺も思うよ。すごいよね、君は。雲が一気に晴れてきたよ。なんだか、楽になってきた」
「それはあなたの力なのです、壱騎さん」
「ほめても何も出ないよ?」
「すでにいただいております、かけがえのないものをね」
「……」
姫神壱騎はつくづく思った。
光、光だ……
このウツロという少年は。
この子のようになりたい。
真似るという意味ではなく。
俺は俺にできる形で、自分と向き合っていきたい。
そう思った、心の底から。
「ウツロ」
「はい」
「明日の試合、俺は必ず勝ってみせる。もちろん、自分自身にね」
「確かに承りました。俺も全身全霊で臨ませていただきます」
二人は拳を合わせた。
信用は信頼へと。
太陽が二つ輝いているようであった。
御前試合は、明日――
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる