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前編 (攻め視点)

9.見つからないミヒャエル

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 ミヒャエルの通っていたはずの大学に行っても、ミヒャエルのことを知っている人間はいなかった。確かに記録としてはミヒャエル・ハーマンという人物がこの大学に在籍していて、授業にも出ているはずなのに、誰もミヒャエルと交友を持ったことがないというのだ。ミヒャエルの履修していた講義の教授に聞いても、全く覚えていないという。

「ハーマン家の御嫡男様が在籍しているのは知っていましたが、私の講義を履修しているとは知りませんでした」
「出欠の記録があるのでは?」
「そういえば……あぁ、確かに名前は載っていますね」

 名前は載っているし、授業にも出席していたが、ミヒャエルは全く目立たない生徒だったようだ。高校時代に遡って、友人を探しても全く見つからない。高校の担任だった教師にアルトゥロは話しを聞いてみた。

「ミヒャエルくんは、体が弱くて学校を休むことも多かったですからね。気を付けてはいたつもりなんですが、学校に来ているときもとても大人しくて、誰かと話しているのを見たこともありません」

 友達を作らない孤立する学生というのは貴族や王族の通う特別な私立校では珍しくはない。ミヒャエルも人付き合いを好まない生徒として認識されていたようだった。

「進路指導をしたときに何か言っていましたか?」
「行きたい大学は決まっていて、そこの推薦枠も取れるのでそんなに熱心な進路指導はしませんでした」

 行くべき大学も、その先の未来も、ミヒャエルには見えていたのかもしれない。19歳で死ぬと分かっているのだから、そこから先を考える必要もないし、そこから先はミヒャエルにも見えなかった。そう考えると、ミヒャエルが存在感を消して学校に通っていた理由も分かるような気がする。

「ミヒャエルはどこなんだ!」

 焦って探してもアルトゥロに見えてくるのは、ミヒャエルには友達の一人もおらず、担当の教諭ですらその存在を見落としかけているような儚い姿だけだった。将来自分を殺すアルトゥロに関わる必要はないと言いながら、ミヒャエルはアルトゥロが病気にかかったり、怪我をしたりしないように助けてくれた。フリーダが騙されるのも未然に防いだ。
 運命は変えられるのではないかとアルトゥロは思っているのだが、ミヒャエルは自分が死ぬ未来だけは変えられないと言い張っていた。それならばミヒャエルはアルトゥロが殺すときには姿を現すのだろうが、それまでの間どうやって暮らしているのだろう。

「アルトゥロ、今後、母屋に入ることを禁じます」
「どうしたのですか、母上?」
「お姉様の思い出をわたくしが守り通すために、わたくしと信頼のおけるものしか母屋に入ることは許しません」

 ミヒャエルがいなくなってからアルトゥロの生活の中で変わったことがあるとすれば、母のフリーダの宣言だった。アルトゥロのことなど最初から視界に入っていないような母親だったし、どこの男とも知れぬ相手との間に生まれたアルトゥロはフリーダに可愛がられた記憶がない。フリーダは出産後に体調を崩したルイーゼのことばかり考えていて、アルトゥロのワクチン接種が終わっていないことに気付いてもいなかったのだ。
 そんな家庭だったからこそ、フリーダの宣言にアルトゥロは特に不自由を感じていなかった。フリーダの監視の目もなくなるので自由に暮らせるとせいせいしたくらいだった。
 ミヒャエルを探すことに必死になっている日々の中でも、推薦入試は受けなければいけない。第一に考えるのはミヒャエルのことだが、それ以外でも親友となっているディーデリヒとの約束もアルトゥロにとっては大事なものだった。

「推薦入試の当日は大雪になる予報だ。アルトゥロ、私は試験会場近くのホテルに部屋を取ってもらったんだが、君はどうする?」
「俺も試験会場近くのホテルに部屋を取ろう」
「それなら、うちの執事に手配させるよ」

 同じ日に推薦入試を受けるディーデリヒはアルトゥロの分もホテルの部屋を予約してくれた。酷く寒い冬休みの終わりごろ、アルトゥロは音もなく降り積もる雪の中、ホテルにチェックインした。勉強道具と着替えを入れたスーツケースを持って部屋に行くと、スイートルームだった。
 当然のようにディーデリヒが学友のために用意してくれたのがこの部屋だというのは、ディーデリヒが王太子なのだから仕方がない。広すぎる部屋に落ち着かない気分になって、アルトゥロはディーデリヒの部屋を訪ねた。ディーデリヒは部屋に迎え入れてくれて、ソファに座ってお茶を出してくれた。

「もう時効だからいうけど、私は君のことが好きだったんだ」
「え?」
「高校に不審者が侵入してきた日、君は私を庇ってくれた。でも、あの後に怪我をしたお兄さんを保健室に連れて行って、病院まで付き添う姿を見たとき、君はお兄さんのことが好きなんだって分かったんだ」

 それで諦めた。
 懐かしむように呟くディーデリヒに、アルトゥロは驚いていた。ディーデリヒとアルトゥロが付き合うというミヒャエルの予言も、当たっていたのかもしれない。それを覆したのは、アルトゥロを助けに来たミヒャエルだ。怪我をした後に一人で立ち去ろうとしていたのを、アルトゥロが保健室まで連れて行って、病院まで付き添ったことで、アルトゥロの運命は変わった。ミヒャエルは予言を外したのだ。

「今は彼と結婚の約束をして、幸せなんだ。高校を卒業したら、私は彼と結婚するんだ」

 今付き合っている学友の彼とディーデリヒは結婚の約束をしたと報告してくれた。親友でもあるディーデリヒの結婚の報告はアルトゥロにも嬉しいものだった。

「そんなに俺が兄上を想っていると、バレバレだったか?」
「私が君のことを好きだから分かったのかな。君の視界にはお兄さん以外入っていないことがあのときはっきりしたよ。そのおかげで私は君を諦めることができて、今の彼と幸せだ」

 アルトゥロとは恋愛ではなく友情で繋がろうと決めて、恋を諦めたディーデリヒは新しく学友の彼に恋をして、結婚の約束までしている。そうなったのも運命が変わったからではないかと、アルトゥロには思えてならない。
 窓の外、雪は降り続いている。この雪が明日には積もって、交通機関は麻痺してしまうだろう。その前にホテルに来ているので、徒歩でディーデリヒもアルトゥロも推薦入試に向かうことができる。

「お兄さんとうまくいってるのかな?」
「それが……なかなか」

 冬休みで大学も再開していないので、ミヒャエルが大学に通っているかどうかも確かめようがない。大学に在籍していることだけ分かっても、それ以上のことが何も分からないのだ。

「俺は兄上のことを知らな過ぎた……」
「私は応援しているよ。君たちが本当の兄弟ではないことは知っているからね」

 母のフリーダのゲオルグとの関係も、彼女が産んだ子どもがゲオルグの子どもではなかったことも、社交界では公然の秘密となっていた。形式上はハーマン家の嫡子と次子ではあるのだが、ミヒャエルとアルトゥロの関係は従兄弟同士である。しかも、母親同士が異父姉妹なので、血の繋がりは更に薄いはずだった。

「従兄弟同士の結婚なんて、貴族社会では珍しくもないよ。むしろ、推奨されているくらいだ」
「ありがとう、ディーデリヒ」

 応援してくれる親友のディーデリヒに礼を言いながらも、アルトゥロは内心で焦っていた。ミヒャエルを抱いた日から、毎日離れの棟を見に行っているが、ミヒャエルが帰って来た形跡はない。ドアは修繕されて、部屋も定期的に使用人が掃除しているが、荒れたミヒャエルの部屋のものにはできるだけ手をつけないようには命じていた。
 アルトゥロの元をミヒャエルが出て行ってから、アルトゥロが離れの棟に行くまでのほんの短時間、ミヒャエルは何を持って逃げ出したのか。それすらもアルトゥロには分かっていない。
 翌日の推薦入試でアルトゥロは合格点を取ることができて、無事に大学入学が決まるのだが、ミヒャエルはその後も全く足取りがつかめないままだった。
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