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16.隣りの家の男の子
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僕は猫又を問い詰めたかった。
タロットクロスを寛のお店のカウンター席に広げて、タロットカードを混ぜると、まずは一枚引く。
一つの質問に一枚のカードで答えを出す、ワンオラクルだ。
質問は、猫又がいつ頃僕のところに来るように言われたかだ。
叔母の背後の猫はとても普通の猫には見えなかったから、かなり格の高い部類なのだろう。
眷属の中でも格の高い猫に言われて僕のところに来るように言われたはずなのに、来たのはつい先日である。
そのことを僕はどうしても問い詰めたかった。
出たカードはカップの六の正位置。
意味は、心の浄化だが、幼少期とかいう意味もある。
『あなたのところに行けって言われたのは、あなたが赤ちゃんの頃だったかしら』と猫又が言う。
それならばなんでもっと早く来てくれなかったのか。
詰問するつもりでタロットカードをもう一枚引くと、ソードの四が正位置で出た。
意味は、回復。
『ちょっとだけ眠ってから行こうと思ったのよ。私も万全ではなかったし。眠っていたら二十六年くらい経っていたけれど、人間って成長が早いのね。まだ赤ちゃんだと思って来たら、大人で驚いたわ』と答えられてしまった。
ちょっと眠るだけが二十六年というのはどういうことなのだろう。
猫又は妖で人間とは感覚が違うと思っていたが、こんなにも違っていたのか。
呆れていると、両親から連絡が入っていた。
『寛くんのお店に行こうと思っているんだけど、予約が取れますか?』
メッセージには百合と椿と赤ん坊たち、それに紅葉と蘭も来ると書いてある。
僕はすぐにカウンター席から立ち上がって寛に聞いてみた。
「うちの一家がお店に来たいって言ってるけど、予約取れるかな?」
「かーくんとこなら座敷だろ。座敷は空けとくよ」
寛の返答にお礼を言って僕は両親にメッセージを返す。
当然僕も誘われたので、大人七人、赤ん坊が二人になる。
「百合姉ちゃんの旦那さんと、椿兄ちゃんのお嫁さんはいいのかな」
「休みだから子どもと離れておきたいんじゃないか。そういう家庭もあるよ」
乳児を連れて実家に帰って来ている百合と椿。それぞれ事情があるのだろうが、夫婦仲は大丈夫なのかと心配になる。
タロットカードを一枚引くと、ソードの八が出た。
意味は、忍耐。
「椿さんの奥さんって、産後に体調がよくなくて育児ノイローゼになりかけてるから、一度実家に帰ってもらって、椿さんが赤ちゃんを引き受けてるって話、かーくんのお母さんがしてなかったか?」
「え? 聞いてなかったかも」
僕はひとの話をよく聞かない。
聞いているつもりなのだが、相手が話しているときに小説のアイデアが降って来るとそっちに集中してしまうのだ。
僕の家で朝ご飯を食べたときに寛ははっきりと聞いていたようだ。
「百合さんは、旦那さんの仕事が忙しくて、赤ちゃんの面倒も旦那さんの面倒も見るのは無理って里帰りしてるんだろ」
「そんな話してたんだ」
「かーくんは相変わらずぼんやりしてるな」
ちょっと笑われてしまったけれど、その笑い方が全然嫌味ではなかったので僕は「へへ」と笑って誤魔化した。
昼の定食は油淋鶏だった。
最近揚げ物もしていると思ったら、遂に寛は油淋鶏まで作れるようになったのか。
揚げたての鶏肉にネギソースがとても美味しい。
ご飯が進むので、鬼のお客さんも天狗のお客さんも、ご飯をお代わりしていた。
「ご飯のお代わり百五十円にしたんだけど、かなり儲かるな」
寛はご飯のお代わりにも値段を付けてきっちりと店を切り盛りしていた。
女将さんと寛と時々バイトさんが入るくらいで回せる小さなお店。
「昼は定食屋、夜は小料理屋になってきたな」
和食ばかり作っていた頃が懐かしいと目を細める寛は本当に嬉しそうだった。
幼少期からお世話になっている女将さんのお店を盛り立てて行けるのは喜びなのだろう。
夜には僕の家族が来た。
僕は兄弟の中では末っ子だが体が一番大きい。
座敷でもかさばるので申し訳ないと端っこに座っていると、百合が赤ん坊を見せて来る。
「可愛いでしょう? 抱っこしてみない」
「え!? 首が据わってないんじゃない?」
「肘の上に頭を置いて支えれば平気」
百合に赤ん坊を抱っこさせてもらったけれど、小さくてふよふよしていて、僕は壊しそうで怖かった。
夜のコースの最初は刺身の盛り合わせだった。マグロに鯵に鯖、鯛に赤貝にサーモンと大量にある刺身はあっという間に吸い込まれていく。
僕たち兄弟は刺身や魚が大好きなのだ。
巻き寿司も美味しいし、お吸い物も美味しい。
鯛の煮つけには牛蒡と茄子とショウガが入っていて、鯛のうまみがたっぷりと沁み込んでいた。
美味しくコース料理を食べていると、父がぽつりと呟いた。
「昔お隣りに住んでた一家、亡くなったんだってな」
「え? 僕と同じ年の子どもがいた一家だよね」
その一家についてはよく覚えている。
僕は隣りの家の男の子と仲が良かったし、家が隣りだったので庭でよく遊んでいた。
小学校一年生の春、投稿する途中でその子は車に跳ねられて亡くなっている。
ご両親は自分たちを責め、親戚からもものすごく責められたという。
その後すぐにその一家は引っ越しているが、亡くなっていたとは知らなかった。
「下の子がなかなか生まれなくて、生まれたけど、乳幼児突然死症候群……つまり、原因不明で亡くなったらしいんだ。それで張り詰めてた糸が切れたんだろうな。心中したって聞いてるよ」
重い話題に僕たちは黙り込む。
僕の家に来ていた猫又でも食べられなかった大きな真っ黒な影。
あれは、もしかして。
考えていると、父が僕に声をかける。
「楓はあそこの家の子と仲が良かったから、ご焼香に来てくれないかって言われてるんだ」
それでこの場で父は話をしたのか。
僕はご焼香くらいならば行くつもりで頷いた。
「いいよ。パパとママも一緒?」
口に出してから寛が料理の皿を下げていることに気付いて僕は恥ずかしくなる。
僕はこの年になっても、父と母を「パパ」と「ママ」と呼んでいる。
うちの兄弟はみんなそうだし、どこで切り替えればいいのか分からないままに育ってしまったのだ。
「ゆーちゃん、笑わないでね?」
「何か笑うところがあったか?」
僕が顔を真っ赤にしていると、寛はいつも通りの表情で不思議そうに首を傾げていた。
翌日、僕は喪服を持っていないので黒にも見える紺のスーツを着て、両親と電車に乗っていた。
隣りの家だった男の子のことは、ぼんやりと覚えている。
登校途中にトラックが突っ込んできて亡くなったのだ。
男の子が悪かったわけでも、男の子の両親が悪かったわけでもない。
それなのに、男の子の両親はものすごく責められたという。
――せっかくの跡継ぎを死なせてしまうなんて。
――小学一年生なのだから、送り迎えすればこんなことはなかったのに。
――危機管理能力が欠如している。
自分の子どもを亡くしたご両親が一番悲しいはずなのに、周囲は勝手なことを言う。
それで引っ越して新規一転新しい生活をしようとしても、ご両親は息子を忘れられなかった。
その上、生まれて来た子は乳幼児突然死症候群という原因不明の状態で亡くなってしまった。
もうずっと前からご両親の心には希望がなくなっていたのだろう。
それでも生き続けてはいたが、息子さんが亡くなって二十年目の今年、心中したのだという。
悲しい話を父から聞いて僕は胸が詰まるような気分になる。
それだけではない、何か真っ黒な巨大な影が僕に迫ってくるのだ。
猫又が威嚇しているから一定以上近寄れないようだが、それはとても危険な雰囲気だった。
猫又が食べてしまえないくらいの強い思念なのだろうか。
考えながら葬儀場に行ってお焼香をすると、ひとではないものがぞろぞろといるのが見えた。
『あの子が生きていたらこの子と同じ年』
『なんであの子が生きていないのだろう』
嘆いている影はあの男の子の親戚か、祖父母か。皮肉な言い方から、ご両親ではなさそうだ。
ご焼香を終えて僕は両親と別れて電車に乗る。
黒い巨大な影はまだ追いかけて来る。
これは寛に何とかしてもらわないといけないかもしれない。
思いながら、威嚇して僕を守り続ける猫又を見ると、足元に何かくっ付けている。
『くぅん』
小さく鳴いたのは子犬だった。
「子犬!?」
この子犬は何なんだろう。
どこかで見たことがあるような懐かしい感じがするのは気のせいだろうか。
戸惑いながらも、猫又の足元にくっ付いているもふもふの子犬を僕は見つめていた。
タロットクロスを寛のお店のカウンター席に広げて、タロットカードを混ぜると、まずは一枚引く。
一つの質問に一枚のカードで答えを出す、ワンオラクルだ。
質問は、猫又がいつ頃僕のところに来るように言われたかだ。
叔母の背後の猫はとても普通の猫には見えなかったから、かなり格の高い部類なのだろう。
眷属の中でも格の高い猫に言われて僕のところに来るように言われたはずなのに、来たのはつい先日である。
そのことを僕はどうしても問い詰めたかった。
出たカードはカップの六の正位置。
意味は、心の浄化だが、幼少期とかいう意味もある。
『あなたのところに行けって言われたのは、あなたが赤ちゃんの頃だったかしら』と猫又が言う。
それならばなんでもっと早く来てくれなかったのか。
詰問するつもりでタロットカードをもう一枚引くと、ソードの四が正位置で出た。
意味は、回復。
『ちょっとだけ眠ってから行こうと思ったのよ。私も万全ではなかったし。眠っていたら二十六年くらい経っていたけれど、人間って成長が早いのね。まだ赤ちゃんだと思って来たら、大人で驚いたわ』と答えられてしまった。
ちょっと眠るだけが二十六年というのはどういうことなのだろう。
猫又は妖で人間とは感覚が違うと思っていたが、こんなにも違っていたのか。
呆れていると、両親から連絡が入っていた。
『寛くんのお店に行こうと思っているんだけど、予約が取れますか?』
メッセージには百合と椿と赤ん坊たち、それに紅葉と蘭も来ると書いてある。
僕はすぐにカウンター席から立ち上がって寛に聞いてみた。
「うちの一家がお店に来たいって言ってるけど、予約取れるかな?」
「かーくんとこなら座敷だろ。座敷は空けとくよ」
寛の返答にお礼を言って僕は両親にメッセージを返す。
当然僕も誘われたので、大人七人、赤ん坊が二人になる。
「百合姉ちゃんの旦那さんと、椿兄ちゃんのお嫁さんはいいのかな」
「休みだから子どもと離れておきたいんじゃないか。そういう家庭もあるよ」
乳児を連れて実家に帰って来ている百合と椿。それぞれ事情があるのだろうが、夫婦仲は大丈夫なのかと心配になる。
タロットカードを一枚引くと、ソードの八が出た。
意味は、忍耐。
「椿さんの奥さんって、産後に体調がよくなくて育児ノイローゼになりかけてるから、一度実家に帰ってもらって、椿さんが赤ちゃんを引き受けてるって話、かーくんのお母さんがしてなかったか?」
「え? 聞いてなかったかも」
僕はひとの話をよく聞かない。
聞いているつもりなのだが、相手が話しているときに小説のアイデアが降って来るとそっちに集中してしまうのだ。
僕の家で朝ご飯を食べたときに寛ははっきりと聞いていたようだ。
「百合さんは、旦那さんの仕事が忙しくて、赤ちゃんの面倒も旦那さんの面倒も見るのは無理って里帰りしてるんだろ」
「そんな話してたんだ」
「かーくんは相変わらずぼんやりしてるな」
ちょっと笑われてしまったけれど、その笑い方が全然嫌味ではなかったので僕は「へへ」と笑って誤魔化した。
昼の定食は油淋鶏だった。
最近揚げ物もしていると思ったら、遂に寛は油淋鶏まで作れるようになったのか。
揚げたての鶏肉にネギソースがとても美味しい。
ご飯が進むので、鬼のお客さんも天狗のお客さんも、ご飯をお代わりしていた。
「ご飯のお代わり百五十円にしたんだけど、かなり儲かるな」
寛はご飯のお代わりにも値段を付けてきっちりと店を切り盛りしていた。
女将さんと寛と時々バイトさんが入るくらいで回せる小さなお店。
「昼は定食屋、夜は小料理屋になってきたな」
和食ばかり作っていた頃が懐かしいと目を細める寛は本当に嬉しそうだった。
幼少期からお世話になっている女将さんのお店を盛り立てて行けるのは喜びなのだろう。
夜には僕の家族が来た。
僕は兄弟の中では末っ子だが体が一番大きい。
座敷でもかさばるので申し訳ないと端っこに座っていると、百合が赤ん坊を見せて来る。
「可愛いでしょう? 抱っこしてみない」
「え!? 首が据わってないんじゃない?」
「肘の上に頭を置いて支えれば平気」
百合に赤ん坊を抱っこさせてもらったけれど、小さくてふよふよしていて、僕は壊しそうで怖かった。
夜のコースの最初は刺身の盛り合わせだった。マグロに鯵に鯖、鯛に赤貝にサーモンと大量にある刺身はあっという間に吸い込まれていく。
僕たち兄弟は刺身や魚が大好きなのだ。
巻き寿司も美味しいし、お吸い物も美味しい。
鯛の煮つけには牛蒡と茄子とショウガが入っていて、鯛のうまみがたっぷりと沁み込んでいた。
美味しくコース料理を食べていると、父がぽつりと呟いた。
「昔お隣りに住んでた一家、亡くなったんだってな」
「え? 僕と同じ年の子どもがいた一家だよね」
その一家についてはよく覚えている。
僕は隣りの家の男の子と仲が良かったし、家が隣りだったので庭でよく遊んでいた。
小学校一年生の春、投稿する途中でその子は車に跳ねられて亡くなっている。
ご両親は自分たちを責め、親戚からもものすごく責められたという。
その後すぐにその一家は引っ越しているが、亡くなっていたとは知らなかった。
「下の子がなかなか生まれなくて、生まれたけど、乳幼児突然死症候群……つまり、原因不明で亡くなったらしいんだ。それで張り詰めてた糸が切れたんだろうな。心中したって聞いてるよ」
重い話題に僕たちは黙り込む。
僕の家に来ていた猫又でも食べられなかった大きな真っ黒な影。
あれは、もしかして。
考えていると、父が僕に声をかける。
「楓はあそこの家の子と仲が良かったから、ご焼香に来てくれないかって言われてるんだ」
それでこの場で父は話をしたのか。
僕はご焼香くらいならば行くつもりで頷いた。
「いいよ。パパとママも一緒?」
口に出してから寛が料理の皿を下げていることに気付いて僕は恥ずかしくなる。
僕はこの年になっても、父と母を「パパ」と「ママ」と呼んでいる。
うちの兄弟はみんなそうだし、どこで切り替えればいいのか分からないままに育ってしまったのだ。
「ゆーちゃん、笑わないでね?」
「何か笑うところがあったか?」
僕が顔を真っ赤にしていると、寛はいつも通りの表情で不思議そうに首を傾げていた。
翌日、僕は喪服を持っていないので黒にも見える紺のスーツを着て、両親と電車に乗っていた。
隣りの家だった男の子のことは、ぼんやりと覚えている。
登校途中にトラックが突っ込んできて亡くなったのだ。
男の子が悪かったわけでも、男の子の両親が悪かったわけでもない。
それなのに、男の子の両親はものすごく責められたという。
――せっかくの跡継ぎを死なせてしまうなんて。
――小学一年生なのだから、送り迎えすればこんなことはなかったのに。
――危機管理能力が欠如している。
自分の子どもを亡くしたご両親が一番悲しいはずなのに、周囲は勝手なことを言う。
それで引っ越して新規一転新しい生活をしようとしても、ご両親は息子を忘れられなかった。
その上、生まれて来た子は乳幼児突然死症候群という原因不明の状態で亡くなってしまった。
もうずっと前からご両親の心には希望がなくなっていたのだろう。
それでも生き続けてはいたが、息子さんが亡くなって二十年目の今年、心中したのだという。
悲しい話を父から聞いて僕は胸が詰まるような気分になる。
それだけではない、何か真っ黒な巨大な影が僕に迫ってくるのだ。
猫又が威嚇しているから一定以上近寄れないようだが、それはとても危険な雰囲気だった。
猫又が食べてしまえないくらいの強い思念なのだろうか。
考えながら葬儀場に行ってお焼香をすると、ひとではないものがぞろぞろといるのが見えた。
『あの子が生きていたらこの子と同じ年』
『なんであの子が生きていないのだろう』
嘆いている影はあの男の子の親戚か、祖父母か。皮肉な言い方から、ご両親ではなさそうだ。
ご焼香を終えて僕は両親と別れて電車に乗る。
黒い巨大な影はまだ追いかけて来る。
これは寛に何とかしてもらわないといけないかもしれない。
思いながら、威嚇して僕を守り続ける猫又を見ると、足元に何かくっ付けている。
『くぅん』
小さく鳴いたのは子犬だった。
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