双子のカルテット

秋月真鳥

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四重奏

四重奏 青 4

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 敷島家に来てから、明らかに変わったのは真朱だった。
 叔母の家では冷たいカチカチのご飯に冷えたお汁と少しのおかずくらいしかもらえなくて、食欲がなく、痩せて棒切れのようだった真朱が、暖かいご飯をお代わりする。

「今日はタンクッパだよ」
「タンクッパって、なんなん?」
「牛の舌の部分を『タン』って言うのですが、それを柔らかく煮て、スープをとって、卵を解いて、ご飯と一緒にお雑炊みたいにしたものですね」
「うしのベロたべるんか?」

 最初は抵抗のあった真朱と青藍も、実際にほかほかと湯気を上げるタンクッパが出てくると、食欲に負けてレンゲで掬って食べていた。スープはあっさりとしていながら味わい深く、タンはトロトロに煮込んであって、口の中で蕩けるように美味しい。なによりも暖かなスープがお腹に入ると、体がぽかぽかしてくるのが幸せだった。
 タンクッパと、薄揚げと人参と干し大根の歯ごたえの良い煮物を食べて、汗をかいて冷たい麦茶を飲む。以前よりもずっと食べるようになった真朱は、顔色もツヤツヤとして、痩せてはいるが背は伸びた。
 もう一つ変化があったのは、日中、真朱のオムツが外れたことだった。それまでは一人でお手洗いに行くのも、一人で行動するのも怖がって、青藍に毎回は言えずに漏らしてしまっていたのが、薫がよく気を付けてくれて、食事の前後やお風呂の前、出掛ける前にお手洗いに誘ってくれるようになってから、ほとんど漏らすことはなくなった。食糧事情が良くなって、未発達だった体が成長したのもあるのだろう。
 夜にはおねしょは時々するので、オムツは外せなかったが、日中はしないでもよくなって、真朱も自慢げで嬉しそうだった。

「まー、かおるさんがすきやねん。かおるさん、まーがおおきぃなったら、けっこんしてくれるやろか」
「かおるさん、23さいやろ? おれらが18さいになるころには……」

 指を折って青藍は一生懸命に数えてみる。もう青藍と真朱は5歳になって、年の差は18歳だから、二人が18歳になる頃には薫と響も36歳になっている。18歳と36歳でちょうど倍だと気付けば、青藍は響の顔が浮かんで気が重くなった。
 初めてこの家に来た夜に、「ママ」と呼んで泣いたとき、「薫さんじゃダメですか?」と抱き締めてくれたときから、真朱は薫に夢中だった。そんな風に露骨には気持ちを出せないが、真朱が薫に甘えているときには、さりげなくそばにいてくれる響が青藍は気になって仕方がなかった。
 5歳の青藍には全く想像が付かないが、響も薫も結婚や恋愛を厭わしく思っていて、それを避けるために二人きりで世界を閉じるようにして仕事をしているのだという。どんな過去があっても青藍に優しくしてくれる響には変わりはないのだが、やはり気にならないわけではない。
 それに、「敷島」というありふれた日本の名前なのに、二人とも褐色の肌にお月様みたいな金色の目と癖のある黒髪、白い肌に海のような青い目と金色の髪と、青藍の知っている「日本人」ではないような気がして、そこもどうやって聞けばいいのか、デリケートな問題なのかもしれないと突っ込めずにいた。

「あしたのごはんは、なんやろな」

 能天気に笑っている真朱は、そんなことを気付いてもいないように見えた。能力が高いとされるアルファ性であるはずなのに、全く違う青藍と真朱。

「よろしくおねがいします」

 座布団に座って、三味線を披露するときにだけ、青藍は真朱がアルファ性だということを思い知る。床に手をついて丁寧に頭を下げてから、三味線を持って撥を構える真朱。それに青藍も合わせて弾くのだが、年の割りにうますぎると言われる青藍と負けず劣らず、真朱には三味線の才能があった。なにより、真朱は三味線が大好きで、指の皮が裂けて痛くて泣いても、時間があれば三味線を弾いていた。
 庭も裏庭も広く、近隣の家と接していないので、夜遅くでなければ、自由な時間はいつでも三味線を弾いて良いと言われて、真朱は喜んで撥と三味線を用意する。

「かおるさん、きいてぇ」

 毎日薫に一曲捧げるのは、雛鳥が求愛の歌を練習しているようで、薫も悪い気はしていないようだった。

「とても上手ですね。私だけのためにリサイタルなんて、すごく贅沢です」
「またあしたも、きいてください」

 深々と頭を下げる真朱が薫に夢中なのは、明らかなのだが、年の差があるので本気にとってもらえていないのも青藍には見えていた。

「ひびきさんは、おれがおしゃみでいっきょくひいたら、きいてくれはる?」
「青藍くんの三味線を独り占めするようなことをしたら、薫ちゃんに怒られないかな」

 くすくすと明るく笑う響もまた、青藍の気持ちには気付いていないのだろう。
 幼くてまだ成熟していないけれど、青藍はアルファで、響はオメガ。本気で自分のものにしたいと決めたら、方法がないわけではない。けれど、それをしてしまえば、こんな風に優しい笑顔は響から消えてしまうかもしれない。

「ひびきさん、すきやで?」
「僕も青藍くんを可愛くて大事だと思ってるよ」

 一度心を許して仕舞えば、全て明け渡すことに躊躇いのなくなった青藍とは対照的に、響の愛情はどこまでも家族に対するものだった。
 保育園に行くための道具入れのバッグ全部、薫がデザインして、響が作ったもので、青藍の紺色のものには響の入れてくれた蝶々の刺繍が、真朱の赤茶色のものには薫が入れてくれた猫の刺繍が付いている。
 愛されて、こんなに大事にされたことはない。
 物心つかない頃に死んでしまった両親は大事にしてくれたのかもしれないが、真朱にも青藍にもその記憶はない。
 もう真朱は「ママ」と泣くことはなく、寂しくなると「かおるさん!」と涙を堪えて飛び付いていく。叔母の家にいたときには青藍は全然泣かなくて「可愛げのない子やわ」と言われていたが、悲しいことや悔しいことがあると、響のところに行くようになった。そうすると響は青藍の様子がおかしいことに気付いてくれて、膝の上に乗せて髪を撫でてくれる。安心して涙が出るのも、ここに来て青藍が変わったところだった。

「かおるさんは、かみのけがきんいろで、おはだがしろくて、おひさまみたいやろ。ひびきさんは、かみのけがくろうて、おめめがおつきさまのいろで、よるみたいやね」
「すごく詩的に褒められちゃいましたね」
「僕たちは色んな国の血が混じっているからね」

 何気ない真朱の言葉で、青藍は薫と響が日本で暮らしている事情を知ることになる。
 八分の一は日本人の二人。母親はイスラム圏の褐色の肌の男性オメガで、父親が四分の一日本人の白い肌の男性アルファだったらしい。イスラム圏では親が結婚相手を決める。オメガの二人は早いうちから結婚させられそうになって、進学を理由に逃げてきたというのだ。

「まだ結婚なんて考えられませんでしたからね」
「15、6で結婚とか言われても、相手の顔も見たことないし、僕はやりたいことがあったから」

 二人で最初は父親の母国であるフランスに行った。そこで勉強をして、薫がデザイナーとして名が売れるようになったので、去年日本に二人で来たというのだ。

「男同士で、人種が違って、僕たちオメガらしくないから、カップルに見えたんだろうね」

 体格のいい響と薫は、同じ苗字で、結婚しているように周囲には思われている。発情期のフェロモンも他人には感じられず、ただ自分たちの体がつらいだけなので、二人はベータ同士のカップルという誤解を解いていなかった。

「おばさんが、おとこのこがすきなんやって、へんなこといいよったから、おれ、さいしょ、ひびきさんとかおるさんに、めっちゃしつれいなことしてしもたわ。ごめんなさい」
「誤解を解かない僕たちが悪いんだから気にしないで」
「青藍さんがここに馴染んでくれて嬉しいですよ」

 微笑む二人を疑う気は、青藍にももう全くなかった。

「まー、かおるさんのこと、だいすきやで」
「私も真朱さんが大好きですよ」

 膝の上に遠慮なく乗った真朱を、薫が抱き締める。その腕に家族以上の愛情がないことを、気付いているのは青藍だけなのだろうか。
 いつになれば本気で好きと言えるのか、伝わるのか、まだ幼い青藍には分かるはずもなかった。
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