愛することはないと言われた花嫁ですが、夫の真実の愛を知りました

秋月真鳥

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14.ルシアン殿下の演説

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 ずっとルシアン殿下が妨害を続けてきた、ギヨーム殿下の結婚の開放の法案が議会で審議される日が来た。
 季節は初夏に入っており、ルシアン殿下がどれだけ努力して結婚の開放の法案を審議にかけさせないように粘ったのかがよく分かる。それでも強引なギヨーム殿下の権力によって、この日は来てしまった。

 わたくしは持っているドレスの中で一番地味で質素なものを選んで身に纏い、父が迎えに来てくれるのを待っていた。ルシアン殿下は先に出発する。

「ルシアン殿下、わたくしも見守っています。きっとルシアン殿下ならばできると思います」
「リュシア姉様、ぼくに力をくれますか?」
「わたくしにできることなら」
「抱き締めさせてください」
「はい」

 わたくしが了承すると、ルシアン殿下はわたくしを壊れ物のように大切に優しく抱き締めた。夫婦なのだからハグをしてもおかしくはないのだが、わたくしがギヨーム殿下とデュラン殿下の対立を煽って、必死に演技をして二人が帰った後に恐ろしくて震えてしまったとき以外、ルシアン殿下はわたくしを抱き締めることはなかった。
 あのときはわたくしもとても怖くてルシアン殿下に縋って安心したかったし、ルシアン殿下もわたくしを心配して抱き締めてくれたのだが、それ以外には抱き締められたことはない。
 今、ルシアン殿下に壊れ物のように大事に抱き締められて、わたくしは愛されているのだと実感する。

「ルシアン殿下、応援しています」
「リュシア姉様のためにも、この国のためにも、頑張ってきます」

 先に出かけたルシアン殿下の馬車を見送って、わたくしが玄関先で待っていると、父の来訪が告げられた。議会には原則として議員しか入れないのだが、ギヨーム殿下は愛妾を連れていっていて、デュラン殿下はお気に入りの少年少女を連れていっていて、それを堂々と破っている。
 父がわたくしをこっそりと議会に連れていくことなど、ギヨーム殿下とデュラン殿下がしていることに比べれば、罪にもならないことだと思う。一応、父はわたくしに関して、議会の傍聴者としてきちんと手続をして同行させてくださるようだ。こういうところも父はギヨーム殿下とデュラン殿下とは違う。
 議会には国王陛下も参加されるはずなのだが、王妃殿下が亡くなってから政治に関心が亡くなってしまって、ギヨーム殿下とデュラン殿下に全てを任せ、国王陛下は議会の欠席を貫いているという。
 そういうところもギヨーム殿下とデュラン殿下を増長させているのだ。

 その上ギヨーム殿下の無茶苦茶な結婚の開放の法案が可決されてしまえば、次はデュラン殿下が堂々と奴隷を認めさせる法案を打ち出すだろう。その前に、今、ギヨーム殿下とデュラン殿下を止める必要があった。

 議会の会場は演説台を中心に議員席が階段状に配置されたすり鉢状の構造になっていた。
 王族である父は前列に席がある。その近くにはギヨーム殿下とデュラン殿下の席もあるのだが、父は配慮してくれていて、わたくしがギヨーム殿下とデュラン殿下の目に入らないように間に座ってくれていた。

 議員は貴族議員が中心だが、国民議員も貴族議員の半数ほどいる。
 貴族議員は身分で選ばれているが、国民議員は国民投票で選ばれている。
 この場で発言するということは、貴族だけでなく国民の前でも発言するということになるのである。

 議長がいくつかの議題を進めていき、ついに結婚の開放の法案の議題に話が移った。

「ギヨーム殿下の発案された、結婚の開放の法案についてこれから審議いたします。ギヨーム殿下、発言をお願いします」

 議長に促されてギヨーム殿下がのしのしとその太った体を演説台に乗せる。

「この法案はとても画期的なものです。この国の結婚制度はあまりにも古い。夫婦はもっと開放的であるべきなのです。男性は女性を支配し、女性は男性に従う。このような時代はもう終わりました。結婚していても全ての男女が、自由に恋愛をして、自由に他の相手と結ばれる。それこそが古い家庭の在り方から男女を開放する方法なのです」

 ギヨーム殿下が原稿を見ながら発言をする。言っていることは耳障りはいいかもしれないが、内容は酷いものである。
 結婚していても男女が自由に恋愛をするなど、不倫を推奨するような不道徳なものでしかない。それを振るい家庭の在り方から男女を開放するなどという聞こえのいい言葉に置き換えている。

「この法案が通った暁には、この国は大きな愛に包まれるでしょう。結婚も何も愛を阻むことはできません。全ての男女が自分の愛を自由に掴み取れるのです」

 全てを言い終わってから、ギヨーム殿下は手元の原稿から顔を上げた。
 ギヨーム殿下の言葉が詭弁であり、ギヨーム殿下が結婚している相手を好き勝手しても咎められないための法案だということは議員たちも分かっているはずだった。
 議員の中でざわめきが起き、動揺しているのが分かる。

「これは実質的な結婚の崩壊では?」
「これでは家庭はどうなるのだ」

 小さな声でも議会の会場ではよく響いて、ギヨーム殿下が声を上げた人物の方を焦げ茶色の目でじろりと睨み付ける。声を上げた人物は黙り込んでしまった。

「意義があるものは挙手をお願いします。ないようでしたら、この法案を可決するか議員の投票を行いたいと思います」

 議長は早く話を進めたいようだった。議長もギヨーム殿下に買収されているか、脅されているのかもしれない。
 こんな法案を通してはいけないと誰もが分かっているはずなのに、ギヨーム殿下が目を光らせているので、発言ができずにいる。

 そこに立ち上がって手を挙げたのはルシアン殿下だった。

 ぶくぶくと太って、背もそれほど高くないギヨーム殿下に対して、ルシアン殿下は長身で体も引き締まっていて、とても凛々しく格好いい。

「ルシアン殿下、発言をどうぞ」

 ルシアン殿下が挙手したので、渋々演説台から降りて、ルシアン殿下が横を通り過ぎるときに忌々しそうに舌打ちをするギヨーム殿下だが、その表情には余裕がある。脅している議員たちが裏切るはずがないと思っているのだろう。
 ギヨーム殿下の恐怖政治をルシアン殿下は覆すことができるのか。

 ルシアン殿下は演説の原稿を書いていたはずだったが、手には何も持っていなかった。
 全て内容を覚えてきているのだろう。
 演説台に立ったルシアン殿下がゆっくりと自分を取り巻く議員たちを見回した。
 国王陛下と同じ赤みがかった紫の瞳と黒い髪が、ルシアン殿下が王家の血を濃く継いでいることを示している。

「ルシアン・ノワレです。これより、この法案に対する反対演説をさせていただきます」

 議員一人一人の顔を見ながらルシアン殿下がゆっくりと話し出す。

「結婚とは、ただの契約書ではありません。互いを尊び、守り、共に未来を築くという『誓い』です。しかし、本法案が成立すれば、その誓いは『紙切れ』に変わります」

 理知的なルシアン殿下の声に、議員たちがざわめくのが分かる。こんな風にはっきりとギヨーム殿下の法案を否定しようとする声が上がるとは思わなかったのだろう。

「夫は妻を疑い、妻は夫を恐れ、家は不信と不安の巣窟となる。疑念に満ちた家で、どうして愛が育ちましょうか」

 ルシアン殿下の声が響くにつれて、ざわめきが消えていく。
 しんと静まり返った議会の会場に、ルシアン殿下の声だけが低く落ち着いて響いていた。

「最も傷つくのは、子どもたちです。家とは、子どもが愛を知り、守られ、育つ場所です。その土台が揺らげば、子どもは居場所を失う。父が誰か分からず、母が心安らかでない。そのような家で、どうして子どもが健やかに育つでしょうか。愛のない家庭で育った子どもたちは、やがて愛を信じられず、大人になっていきます。これは、国の未来に関わる問題です。家庭の崩壊は、社会の崩壊です」

 ゆっくりと静かだがルシアン殿下の声に熱が入ってくるのが分かる。
 ルシアン殿下は真剣に議員たちに訴えかけていた。

「これは空想ではありません。すでに被害が出ています。ある貴族の夫は、愛する妻を権力者に奪われ、怒りと屈辱の中で、家族を守れなかった自責に苦しんでいます。ある侍女は、権力者に弄ばれた末に追放され、生まれた子を抱えながら、震えるように暮らしています。彼らは声を上げることすらできません。権力者に逆らえば、さらなる報復が待っているからです。この法案は、こうした暴挙を『合法』にします。法は、弱きものを守るためにあります。弱きものを権力者に差し出すためにあるのではありません」

 あぁ、ルシアン殿下の声がギヨーム殿下を断罪している。
 夜会でギヨーム殿下に庭に連れ出されて乱暴をされたが、ギヨーム殿下を恐れて誰も助けてくれなかった伯爵夫人。王子妃の侍女でありながらギヨーム殿下に孕まされて、挙句に王宮から追い出された元侍女。ギヨーム殿下の毒牙にかかりそうになっていてルシアン殿下に助けられた令嬢。
 こんなことが繰り返されているのを、議員たちが知らないわけがない。
 議員一人一人の心に、ルシアン殿下は事実を突きつけ、訴えかけているのだ。

「そんなのは嘘だ! でっちあげだ!」
「演説中です! 静粛に!」

 声を上げるギヨーム殿下が議長に制されている。議長すらルシアン殿下の演説に心動かされているような気がする。

「結婚は、道徳の基盤です。それが崩れれば、国の秩序そのものが失われます。男性は安らぎを失い、女性は安全を失い、子どもは未来を失う。では、誰が得をするのか? それは、一握りの権力者だけです。家庭の崩壊は、国家の崩壊です」

 決して荒ぶることなく、静かに、それでいて情熱を込めて、ルシアン殿下が演説を続ける。
 議員たちが息を飲み、ルシアン殿下の様子を見守っているのが分かる。

「こいつは何を言っているんだ! すぐにこいつを引きずり出せ!」
「静粛にお願いします!」

 ギヨーム殿下が喚こうとしているのを議長が止めた。ルシアン殿下はギヨーム殿下を一瞥してから続けた。

「わたしはまだ成人しておらず、若輩者です。しかし、若いからこそ、この国の未来を真剣に考えています。わたしには、愛する妻がいます。彼女は聡明で、優しく、誇り高い女性です。しかし、この法案が施行されれば、わたしが妻を守る術は、法によって奪われます。それはわたしだけの問題ではありません。皆様にも、大切な妻、娘、姉妹がいるはずです。
彼女たちを守る盾が、この法案によって砕かれる。それを、本当に望まれますか?」

 公の場だから、ルシアン殿下は普段は「ぼく」と言っているのに、それを「わたし」と改めている。
 それがまた素晴らしく格好よくて、わたくしは手を握り締めながらルシアン殿下の演説を聞く。
 ルシアン殿下の赤みがかった紫の目がこちらに向いたような気がした。
 「大丈夫です」という気持ちを込めて頷くと、ルシアン殿下も僅かに頷いて見せた。

「議員の皆様、どうか冷静にお考えください。この法案は、たった数名の権力者が、自らの欲望を正当化するためだけのものです。わたしたちは、その不正に加担してはなりません。わたしは、この法案に断固として反対いたします。どうか、良心と誇りをもって、この法案を否決してください」

 今ここで、ルシアン殿下ははっきりと結婚の開放の法案を否決することを求めた。結婚の開放の法案に反対することを告げた。
 それこそが、ルシアン殿下の高潔で正義感が強く次期国王に相応しいことを示しているようだった。

「かけがえのない家族のために。子どもたちのために。そして、この国の未来のために。ご清聴、ありがとうございました」

 最後に深く頭を下げて演説台から降りたルシアン殿下に、議会の会場は静まり返っていた。ギヨーム殿下が顔を真っ赤にして、今にも怒鳴り声を上げそうになっている。
 その中、父が立ち上がってルシアン殿下に大きな拍手を送った。
 他の議員たちも次々と立ち上がって、ルシアン殿下に拍手を送る。

「ルシアン殿下……」

 ルシアン殿下の演説は議員たちの心を動かしたのだ。
 こんなに素晴らしい演説に仕上がっているとはわたくしも思わなくて、わたくしの目には涙が滲んでくる。あの小さくて兄君たちに苛められて泣いていた少年が、こんなにも立派に反対演説をやり遂げた。
 父の隣で立ち上がって、わたくしもルシアン殿下に拍手を送った。
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