運命に憧れても、運命を信じられない男

秋月真鳥

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志信視点

1.時吉志信が運命を信じられない理由

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 運命の相手に出会うと一目でそのことが分かるという。
 どういう風に分かるのかは個人差があるらしいのだが。
 運命の相手とのセックスは最高に悦くて、理性を飛ばしてしまうようなもので、その相手以外を求められなくなるという。
 運命を信じる者も信じない者もいるが、同性同士の結婚も妊娠も可能な世界で、重視されるのは性別よりも運命かどうかだった。

 時吉ときよし志信しのぶは平凡な35歳の男性だ。少なくとも自分では地味で誰かに興味を持たれるということはないと思っている。
 国籍は日本人だが母親が異国で出会った父親は、褐色肌に紫の目の長身の筋骨隆々とした男性だった。志信の母親も男性なのだが、留学先の国で一目で恋に落ちた母親は父親のことを運命だと思った。父親も母親を「私の運命」と呼び愛し合った。
 結婚式を挙げようと留学生だった父親の祖国に戻ってみれば、父親には既に三人の妻がいた。ムスリムだった父親は平等に愛せるならば四人まで妻を持てるのだ。
 ただ一人のひとに愛されて、愛し返すことに憧れていた若い母親は、別れることを決意したがそのときには志信がお腹の中にいた。子どもを産むまで開放してもらえず、生まれた子どもは取り上げられて、母親は一人日本へと帰った。
 残された志信は他の妻たちに可愛がられはしたものの、ずっとどこかで孤独を感じていた。残された母親の写真を見ては母親の生まれ育った国に憧れを抱いていた。
 将来は母親のようなひとと結婚したい。
 夢を抱いて日本に母親を訪ねてやって来た15歳のとき、既に母親は違う相手と再婚して子どもも産んでいた。志信のことを歓迎してくれたし、一緒に住もうと言ってくれたけれど、志信は暖かな家庭の中に自分の居場所はないと理解して、父親の援助で日本で一人暮らしを始めた。
 母親は志信のことを心配して何度も一人暮らしの部屋に来てくれたし、志信が日本人として国籍が取れるように手続きもしてくれた。
 異国で呼ばれていた名前は捨てて、時吉志信という名前になって日本の学校に入学した志信は友達はできたのだが、恋愛対象としては自分は見てもらえないことを痛感していた。
 彫りの深い顔立ち、長いびっしりと生えた睫毛、紫色の目、褐色の肌、癖のある漆黒の髪、やたらと高い背丈と分厚い胸板。こんな志信をかっこいいと寄って来る女性はいたのだが、志信は女性との恋愛を望んでいなかった。
 可愛い男性から誘われたこともあったが、なにかしっくりこない。
 自分が抱かれたい方なのだと理解したのは大学に入った頃で、その頃には志信は完全に恋愛も結婚も諦めていた。
 白い肌に黒髪に黒い目、すっきりとした顔立ちの和風の男性が好みなのは、ずっと写真で見ていた母親がそんな容姿だったからだろう。
 大学を出て数年は師匠の元で学び、父親の援助で日本に工房を立てて、黙々と仕事を続けて十年以上、志信はそこそこに有名な焼き物のアーティストになっていた。
 天目釉と呼ばれる鉄釉をかけた陶器は、星空のように光るので、透明な飲み物を入れると星空が浮かび上がる器として有名になって幾つかの店から注文が入るようになって、そこに卸しているうちに大きな仕事が入って来た。

「結婚式の引き出物に星空のぐい飲みを作って欲しいんです」

 注文にやってきたスーツ姿の男性に、志信は立ち尽くした。
 工房の応接室に通した男性は志信よりも細身で背も低かった。
 弧を描く細い眉に切れ長の黒目がちな瞳、通った鼻筋に薄い唇。何よりも驚くほど白い肌なのに髪は真っすぐで艶やかな漆黒のその男性の美しさに、志信は一目で惹かれてしまった。
 しかし、志信の中の冷静な部分が告げている。
 彼は「結婚式の引き出物」と言った。つまりは、彼は近々結婚するわけだ。
 運命を感じたが、彼は志信の運命ではない。
 運命の相手に憧れてはいたものの、志信は母親の件で運命など本当は幻想だということも分かっていた。優秀な子孫を残そうという本能がお互いを惹かれさせるだけで、その相手が唯一無二なんてことはあり得ないのだ。

「時吉志信です」
「志信さんって言うんですか。志を信じるって、いいお名前ですね」

 名刺を交換すると彼が柔らかに微笑む。
 彼の差し出した名刺には月島つきしま由貴ゆたかと書かれていた。

「由貴さんですか。この漢字で読ませるのは珍しいですよね」
「よくユキって間違えられます。ユキって呼んでください」

 近寄りがたい美貌なのに人懐っこい笑みが志信の胸をざわつかせる。少し離れたくて志信はからからに乾いた喉を唾を飲み込んで潤して声を絞り出す。

「お茶を淹れてきますね。紅茶で良かったですか?」
「なんでも平気です」

 応接室から出て工房の簡易キッチンでお湯を沸かす。電気ケトルはすぐにお湯を沸かしてくれるが、ポットをお湯で温めて、茶葉を入れて待つこと三分。しっかりと茶葉が開いて紅茶が抽出されてから、温めたカップに志信は紅茶を注いだ。
 お盆に乗せて持って行くと応接室から由貴が覗き見ていた。

「茶葉から淹れてるんですね。ティーバックかと思った」
「ティーバッグじゃないですか? ティーバックだと、その……」
「あ、そうですね」

 言い間違いをつい指摘してしまったが、由貴は不機嫌にならずに逆に和やかに笑っている。ティーバッグは紅茶の茶葉の入った袋だが、ティーバックだと下着の話になってしまう。
 ふっと由貴が目を細めた。

「冗談の通じるひとみたいだし、ちょっと安心しました。ティーバック、志信さんに似合いそうですよね?」

 距離を詰められて息がかかりそうなくらい近くで囁かれて、その通りの良い美声にくらくらとする。このひとは結婚するのだ。別の相手がいる。分かっていても取り縋って求めてしまいそうなくらいの色香が由貴にはあった。

「ユキさん、近いです……」
「慎ましやかなひとなんですね。ますます好みです」
「好みって……」

 結婚相手がいるのにこのひとは何を言っているのだろう。
 混乱する志信は由貴から離れて紅茶のカップをテーブルに置いた。お気に入りのフレーバーティーの香りが鼻孔を擽る。
 大人しくソファに腰かけた由貴が仕事の話に戻る。

「家族だけの式で、出席者は五十人くらいですね。今回の件が上手くいけば、コンスタントに注文させていただこうかと思っています」
「一人に一組でご注文ですか?」
「いえ、一人一個で」

 ぐい飲みだと二個一組で注文されることが多いのだが、今回は一人一個のようだった。納期までに五十個を作り上げて、入れる木箱も用意しなければいけない。
 大きな仕事だと気合を入れる志信に、由貴はとろりと甘く微笑んだ。

「志信さんのお仕事、拝見させてもらってもいいですか?」
「えぇ、もちろん」

 工房に取材に来る雑誌社のひとたちや、卸している店のひとたちも製作過程を見たがることは多い。見られることには慣れていたので、志信は二つ返事で了承した。

「今日はこの格好だし、土を捏ねることはないんですけど」

 来客のためにスーツを着て長めの髪もビシッと括っているが、普段は作務衣に髪もタオルやバンダナを巻き付けて落ちて来ないようにしている。

「明日なら見られるでしょうか。ちょうど、僕、明日休みなんですけど」
「明日なら作業してると思いますよ」

 明日の約束をして、志信はそのまま由貴を送り出すつもりだった。
 結婚の決まっている相手とだなんて不毛すぎて冗談じゃない。恋に落ちてはいけないと思うのに、現状がそれを裏切る。

「困ったな……車のエンジンがかからなくて」

 工房は人里離れた山の中にあるのですぐには車の修理会社も来られない。志信が送っていければ良かったのだが、残念ながら志信はバイクしか持っておらず、同乗者を予定していないので由貴の分のヘルメットがない。ヘルメットなしで由貴を乗せるような危ないことはできなかった。

「俺の家、すぐそばなんですけど、車の修理会社が来るまで、休んでいきますか?」
「申し訳ないけど、お願いします」

 それが過ちの始まりだったなど、志信は思いもしなかった。
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