エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

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一章 クリスタ嬢との出会い

15.滑舌の練習

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 リップマン先生の授業は朗読や書き取りに留まらず、この国の言葉の正確な発音にも至っていた。
 特にクリスタ嬢はまだ発音が明瞭ではない。私が勉強をしている横で、リップマン先生はクリスタ嬢に発音を教えていた。

「『わたくしは、クリスタ・ノメンゼンです』と言ってみましょう」
「わたくちは、クリスタでつ!」
「惜しいですね。もう少し頑張ってみましょう。『わたくち』ではなく、『わたくし』と言うのです」
「わたくち!」
「わたくし、です」
「わたくー……し?」
「できましたね! とても上手ですよ」

 クリスタ嬢が『わたくし』と言えた。
 私も自分のことはこれから『わたくし』と言った方がいいのかもしれない。

「わたくし、ひとりのときや、クリスタじょうとふたりきりのとき、おとうさまとおかあさまといっしょのときには、じぶんのことを『わたし』といっています」
「エリザベート様もでしたか」
「『わたくし』といったほうがいいでしょうか?」
「普段の行動が急なときにも出てしまうことがありますからね。普段から公爵夫人が敬語を使って、自分のことを『わたくし』というのも、どんなときもフェアレディであろうとするお姿なのだと思いますよ」

 ついつい甘えて『私』と言ってしまっていた幼い自分とはお別れしなければいけないのかもしれない。
 私……いや、わたくしはこれから自分のことは『わたくし』と常に言うように心がけることにした。

「おねえたま、わたち、いっちゃ、め?」
「クリスタじょう、『おねえさま』といえますか?」
「おねえたま……おねえたま……おねえ、さーまー!」

 妙なところで切ってしまっているが何とか『おねえさま』と言えたクリスタ嬢にわたくしはクリスタ嬢の体を抱き締めて褒めてあげる。

「とてもじょうずですよ」
「おねえさま、わたくし、じょーじゅ?」
「はい、とてもじょうずです」

 クリスタ嬢には指導していかなければいけないと思っていると、リップマン先生から注意が入る。

「エリザベート様、クリスタ様に教える姿勢はとても素晴らしいのですが、クリスタ様はエリザベート様とお話がしたいのです。毎回訂正されていてはお話ができなくて、じれったく感じてしまうかもしれません」
「どうすればいいのですか、リップマンせんせい?」
「クリスタ様が喋った言葉を、正しい発音で言い直しながら会話ができませんか? 先ほどのように、『じょーじゅ』と『じょうずです』と繰り返したみたいに」

 それならばわたくしでもできそうだ。
 口うるさく普段の会話まで訂正されていたらクリスタ嬢にストレスもたまるし、クリスタ嬢のわたくしと話したいという気持ちを蔑ろにしてしまう。それは避けたかった。
 リップマン先生がわたくしに指導してくれてわたくしはとても助かった。

「これからは、わたくしのしゃべることばをまねしてみてくださいね」
「おねえさまのしゃべることば、まねつる」
「まねするのですよ」
「まねする」

 こうやればよかったのか。『まねつる』と上手に言えていない部分を指摘するのではなく、言い直してあげるとクリスタ嬢は理解してもう一度言い直すことができる。
 クリスタ嬢の賢さにわたくしは感心していた。

「クリスタじょうはとてもゆうしゅうですね。しゃべるのがどんどんうまくなっていますよ」
「わたくし、ゆうしゅう! おねえさまがおちえてくれたからだわ」
「わたくしがおしえたからですか?」
「おねえさまが、おしえてくれたから」
「そういってもらえるとうれしいです。クリスタじょうにはりっぱなしゅくじょになってもらわねばなりませんからね」

 もうすぐ宿泊式のパーティーが開かれる。公爵家の客間をメイドさんたちが綺麗に整えている。ノメンゼン子爵夫妻と娘、ハインリヒ殿下とノルベルト殿下を含め、公爵家の一族のものが一週間の宿泊をして寛ぎながら、母の歌の披露や、わたくしのピアノの披露、ダンスパーティーやお茶会を楽しむのだ。
 公爵家主催の宿泊式のパーティーは父の代に公爵位が移ってから初めてということで盛大に行われる。父にとっては一族へのお披露目のパーティーでもあるのだ。

 ハインリヒ殿下とノルベルト殿下が参加するのは予定外だったが、それも侯爵家ならばなんとかなるだろう。

「パーティーまでにクリスタ様は滑舌をよくして、参加者の方を驚かせて差し上げましょう」
「わたくし、かちゅぜちゅ、がんばります」
「滑舌、エリザベート様とも練習なさってくださいね」
「はい、かつぜつ、がんばります」

 舌ったらずの喋りをしていたクリスタ嬢がこんなにもしっかりと喋れるだなんてわたくしは思ってもみなかった。クリスタ嬢可愛さにわたくしはクリスタ嬢の喋りを訂正しようだなんて思っていなかったのだ。
 リップマン先生は近付いて来ている宿泊式のパーティーのことまでも考えてくれていた。

 勉強が終わるとお茶の時間になって、わたくしとクリスタ嬢は食堂に呼ばれた。
 食堂に入ると、クリスタ嬢とわたくしの椅子の前に箱が置いてある。

「おとうさま、おかあさま、これはなんですか?」
「開けてみなさい、エリザベート、クリスタ嬢」
「やっと出来上がったのですよ」
「おじーえ、おばーえ、なんですか?」
「おじうえ、おばうえ、ですね」
「おじうえ、おばうえ」

 言い直したクリスタ嬢が椅子によじ登って箱を開ける。リボンを解いて白い箱の蓋を開けると、中にはオールドローズ色の薔薇の髪飾りが入っていた。わたくしの箱も開けると、空色の薔薇の髪飾りが入っている。

「これ、おたんどうびの!?」
「クリスタじょうのおたんじょうびはもうすこしさきではありませんでしたか?」

 驚いているわたくしとクリスタ嬢に父と母は穏やかに微笑んでいる。

「お誕生日がパーティーの後なので、パーティーに付けられるように先にあげてしまおうとテレーゼと話し合って制作を早めてもらったんだ」
「パーティーで薔薇の髪飾りを着けている二人を想像するだけで可愛らしくて。わたくしの我が儘で、早く渡したかったのです」
「ありがとうございます、おとうさま、おかあさま」
「とってもしゅてき! ありがとうごじゃます」
「すてきですね、クリスタじょう」
「そう、すてき!」

 これは少しずつ滑舌をよくして言葉を正確に発音できるようになろうと努力しているクリスタ嬢と、教えているわたくしへのご褒美のように思えた。箱の中にある薔薇の花から目が離せないでいると、母が席から立ってわたくしの髪に触れた。
 ハーフアップにしている髪を一度解いて、リボンを外し、母がわたくしの髪に空色の薔薇の造花を飾ってくれる。
 わたくしの髪のアレンジが終わると、母はクリスタ嬢の三つ編みにした髪の根元にオールドローズ色の造花を飾っていた。

「おかあさま、ありがとうございます。クリスタじょう、とてもかわいいですよ」
「おねえさまも、とてもかわいいわ」

 素敵な造花がもらえてわたくしもクリスタ嬢も大喜びだった。

「クリスタ嬢の生まれた日はわたくしにとっては大事な妹が亡くなった悲しい日でもあります」
「おかあさま……」
「ママ……」

 スカートを整えながら優雅に椅子に座る母を見て、クリスタ嬢の水色の目が潤んでくるのが分かる。

「悲しい日だったのが、クリスタ嬢を我が家に引き取って、お誕生日の準備をしていると、わたくしは妹のことを悲しく思い出さなくなっているのに気付いたのです」
「かなしくないの?」
「妹の死は確かに悲しいものですが、妹にそっくりのクリスタ嬢がいてくれて、命日にはクリスタ嬢のお誕生日をお祝いすることができる。クリスタ嬢が我が家に来てくれたことで、わたくしは悲しみを乗り越えることができました。ありがとうございます、クリスタ嬢」

 母にとってはクリスタ嬢のお誕生日は妹の亡くなった日であり、ずっと悲しい日だったようだが、クリスタ嬢のお誕生日を祝えることによって母は妹の死を乗り越えられたのだと言っている。
 自分の母親のことを考えているのか目を潤ませているクリスタ嬢に、母がハンカチを渡す。クリスタ嬢は涙を拭いてハンカチで洟も拭いていた。

「おばうえは、ママがだいすきだったのね。わたくし、ママをよくしらないの。おばうえ、おしえてください」
「わたくしの知っている妹のことを話して差し上げましょうね。あの子はとてもおてんばだったのですよ」

 わたくしも母の口から妹であるクリスタ嬢の母親の話が出るのは初めて聞く。それだけ深い悲しみの中にいて、母は妹のことを話せなかったのだろう。

「おてんば? おてんば、なぁに?」
「とても元気がよかったということです。あの子、馬に乗りたがったのですよ」
「ママ、うまにのれたの?」
「そうです。わたくしも淑女の嗜みとして乗馬は習いましたが、あの子の方がずっと上手でした」

 母の妹は馬に乗るのが好きだった。懐かしむような目で語る母に、わたくしは会ったことのない叔母を思い浮かべていた。
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