524 / 528
番外編
これはわたくしがクリスタ・ディッペルとなるまでの物語
しおりを挟む
わたくしはノメンゼン子爵家に生まれた後継者だったようなのだけれど、小さすぎてディッペル家に来る前のことはほとんど覚えていない。
いい思い出ではないのでお姉様も忘れていていいと言っていたので、思い出さないことにする。
わたくしがディッペル家で物心ついたときにはお姉様がそばにいた。お姉様はわたくしと一年半しか年齢が変わらないのに六歳にして完璧な淑女だった。わたくしは小さくて幼くてとても淑女と言える振る舞いができなかったので、ずっとお姉様に憧れてお姉様のことが大好きだった。
お姉様はわたくしと一緒にいるといつもわたくしを守ってくださる。
お茶会でノメンゼン子爵夫人……後にただの妾だったと分かる彼女が仕掛けて来たときにも、その前にハインリヒ殿下に髪飾りを奪われたときにも、わたくしの元に駆け付けてくれて味方になってくれた。
それはディッペル家主催の宿泊式のパーティーでの出来事だった。
わたくしはディッペル家のお父様とお母様に作っていただいたお姉様とお揃いの薔薇の髪飾りを付けてパーティーに出席した。
パーティーではわたくしが歌って、お姉様が伴奏を弾くという大役を任されたのだけれど、わたくしは最初、緊張してうまく歌いだせなかった。それに気付いたお姉様は、前奏の部分を何回も弾いてわたくしが歌いだせるまで待ってくれた。
こんなにも優しいお姉様のおかげでわたくしも無事歌えて、パーティーは大成功に思えたのだ。
テラスに出たわたくしとお姉様にハインリヒ殿下が話しかけてきた。
ハインリヒ殿下はわたくしの三つ編みに付けているオールドローズの髪飾りが気になったのか、取り上げてしまったのだ。
「そのかみかざり、きれいだな。みせてみろよ」
「きゃあ!? かえして!」
大事な髪飾りを取られて取り返そうとするが、ハインリヒ殿下の方が背が高いので上に持ち上げられてしまうとわたくしは手が届かない。泣きそうになりながらわたくしは必死に訴える。
「おねえさまとおそろいのかみかざり! だいじなの! かえして!」
「みてるだけじゃないか。すこしくらいいいだろ?」
「うぇ……かみのけ、ほどけちゃったぁ!」
髪も乱れて、泣き顔になっているわたくしに、お姉様がはっきりと言ってくださる。
「ハインリヒでんか、クリスタじょうがいやがっているではありませんか。おやめください」
「うるさいな! かえせばいいんだろ!」
返すというには乱暴にハインリヒ殿下がオールドローズの髪飾りを投げると、わたくしは受け取れずに、それがノメンゼン子爵の妾と娘のローザのところに転がってしまった。
ノメンゼン子爵の妾は、その髪飾りをローザにもらうと言い出したのだ。
「お前みたいな子どもには贅沢なのよ。これはローザにもらうわね」
「おまちください、ノメンゼンししゃくふじん。そのかみかざりは、わたくしのりょうしんのディッペルこうしゃくとこうしゃくふじんがクリスタじょうのおたんじょうびにあつらえたもの。かってにもっていかれてはこまります」
「ハインリヒ殿下が私にくださったのよ。そうでしょう、ハインリヒ殿下?」
「え? そんなことしてない……」
それに対してもお姉様ははっきりと抗議をしていて、わたくしは怖くてお姉様に取りすがって泣いてしまった。
「お前なんかよりも、ローザに相応しい髪飾りだわ。ローザにあげると言いなさい!」
「やー! わたくしのかみかざりよ! おねえさまとおそろいなの!」
「言うことを聞かない子はどうなるか分かっているでしょう?」
ノメンゼン子爵の妾の扇が畳まれて振りかざされたとき、わたくしは叩かれるのだと思った。怖くて恐ろしくてお姉様にしがみ付いていると、お姉様がわたくしを庇ってくれた。
お姉様はわたくしの代わりに額を叩かれて涙目になっているが、しっかりとわたくしの体を抱き締めて守ってくれている。
このとき、わたくしはハインリヒ殿下のことが大嫌いになった。
ハインリヒ殿下が最初から髪飾りを取ったりしなければこんなことは起こらなかった。
ノメンゼン子爵の妾とローザはノメンゼン子爵のところに連れて行かれて、無礼を窘められて、謝罪させられた。ハインリヒ殿下も無礼だったことを認めて、ディッペル家のお母様とお父様がその日はディッペル家からお帰り願った。
ハインリヒ殿下がノルベルト殿下に連れられてわたくしに謝罪に来たのは誕生日の直前だった。
わたくしはカーテンの陰に隠れてしまった。
「パーティーではおとうとのハインリヒがしつれいをいたしました。ほんにんにもよくいいきかせています。あやまりたいといっているので、きいてやってください」
ノルベルト殿下はそう言っていたが、わたくしはハインリヒ殿下に会いたいとも思わなかった。
「クリスタ嬢、ノルベルト殿下とハインリヒ殿下が来ましたよ」
「いやー! わたくしのかみかざりとった! かみのけ、ほどいた!」
お姉様に言われても、わたくしはハインリヒ殿下の謝罪を受け入れるつもりはない。
ドアの前に立っているハインリヒ殿下とノルベルト殿下が困っているのは分かっていたが、ハインリヒ殿下がわたくしに意地悪をしたせいで優しいお姉様はわたくしを庇って叩かれてしまったのだ。わたくしは絶対に許すつもりはなかった。
ハインリヒ殿下に会うつもりがないわたくしの気持ちを尊重してくださって、お姉様は王族であろうとも無理やりわたくしに会わせるなどということはなかった。
ハインリヒ殿下とノルベルト殿下が帰るとカーテンの陰から出てきたわたくしに、お姉様はブーケを見せた。
「このお花は、ハインリヒ殿下からのお詫びの品だそうです」
「おわびのしなって、どういうこと?」
「ごめんなさいを伝えるために用意したお花だということです」
「いらない! わたくしのおへや、エクムントさまのおはながかざってあるもの」
その日はエクムント様からお誕生日お祝いに薔薇の花束をもらっていた。お姉様ももらっていて、わたくしとお姉様はお揃いでお部屋に飾っていたのだ。エクムント様のお花があったのでわたくしはハインリヒ殿下のお花を受け取らなかった。
わたくしが受け取らなかったお花は、廊下に飾られることになった。
その後でお姉様は白い箱をわたくしに見せた。
「これはお誕生日プレゼントだそうです」
「なぁに?」
「髪飾りだと言っていましたが、中身を確認しますか?」
「みるだけよ?」
箱の中を見てみると薄ピンクの牡丹の造花の髪飾りと、薄紫の牡丹の造花の髪飾りが入っていた。美しい髪飾りだったが、わたくしはそれを欲しいとは思わなかった。
「きれい……」
「これはもらっておきますか?」
「いらない」
「え? いらないのですか?」
「おねえさまとおそろいのバラのかみかざりがあるもの」
お姉様とお揃いの薔薇の髪飾りがあればいい。
そう言うわたくしに、お姉様は根気強く伝える。
「いつか使いたくなるかもしれません。デボラとマルレーンに保管してもらっておきましょうね」
「つかいたくならないわ。おねえさまとおそろいのバラがあるもの」
「バラの髪飾りもずっと使っていれば、古くなってきます。そのときに替えがあった方がいいでしょう?」
「そのときには、あたらしくおねえさまとおそろいをつくってもらうわ」
「これもお揃いですよ?」
「おそろい……それなら、もっておくだけならいいわ」
王族からのプレゼントを無碍にするのはよくないとお姉様は思っていたのかもしれないが、幼いわたくしはそれがよく分かっていなかった。ただ、お姉様とお揃いならばもらっておいてもいい。付けるかどうかは別として。
そう思った五歳の誕生日だった。
お姉様はバーデン家のブリギッテ嬢が来たときにもわたくしを助けてくれた。
ブリギッテ嬢はわたくしにぶつかっておきながら、わたくしが落としたケーキを自分で踏んで、靴が汚れたと騒ぎ立てた。わたくしは泣かないように頑張って靴を拭いて謝罪をしたのだが、ブリギッテ嬢が去ってからわたくしはお姉様に泣きついてしまった。
そのときにハインリヒ殿下はわたくしを庇ってくれたようだが、お姉様の印象が強くてあまり覚えていない。
両親が不在のときを狙って、ブリギッテ嬢はわたくしをバーデン家に連れ去ろうとしたのだ。
「ブリギッテ様!?」
「御機嫌よう、エリザベート様。遊びに来てくださらないので、わたくしの方から出向きましたわ。せっかく来たのですから、お茶くらい飲ませてくださいますよね?」
「わたくしの両親は、ブリギッテ様が来ることを承知しておりません。招待されずにいらっしゃるのは、いささか、無礼ではありませんか?」
「小さいのによく口が回ること。子ども二人で退屈しているだろうと思って遊びに来てあげたのですよ。歓迎するのが当然でしょう?」
「いいえ、ブリギッテ様。招かれてもいないのに押しかけて歓迎せよとは、あまりにも不作法。バーデン家の教育が問われますよ」
言い争うお姉様とブリギッテ嬢に、わたくしは怖くて言葉が挟めずにいた。
お姉様とエクムント様に守られていると、ブリギッテ嬢とエクムント様とお姉様が激しく言い争っているのが分かる。
お姉様は両親が不在のときには、ディッペル家の後継者である自分がディッペル家の主人だと主張して年上のブリギッテ嬢の前から一歩も引かないし、エクムント様も侯爵家の三男ごときがと言われても、公爵家に仕える騎士なのでこの家を守るのが仕事だと言って一歩も引かない。
二人に守られていると、わたくしは怖いのが少しずつ溶けていく気がした。
「我が家と同格のバーデン家のご令嬢がこんな無作法な真似をなさるとは思えない! 偽物です! 偽物に違いありません! エクムント、やってしまいなさい!」
「はい、エリザベートお嬢様! 偽物め! 覚悟!」
最終的には、お姉様とエクムント様はブリギッテ嬢のあまりに無作法な行為に、ブリギッテ嬢を偽物と断じることで対抗することにしたようだ。
「賊が侵入しようとしておりますー! バーデン家を名乗っておりますが、こんな無作法をなさる筈がないので偽物ですー! 助けてくださいませ、国王陛下!」
「エリザベートお嬢様、王都に早馬を送りましょう」
「エクムント、そうしてください。国王陛下に助けを求めましょう」
エクムント様が馬車の取っ手をもぎ取って、ブリギッテ嬢は逃げ帰り、取っ手は賊が来た証として早馬で王都に届けられた。
「あのかた、きらい! おねえさまにひどいことをいっていたわ!」
「この件に関しても、両親に伝えましょう」
「ハインリヒでんかに、わたくし、おてがみをかきます」
「それは、両親が帰って来てからにしましょうね。手紙を見てもらってから出しましょう」
「わかりました、おねえさま」
ブリギッテ嬢が帰ってからわたくしがお姉様にしがみ付いて安心していると、お姉様はわたくしの髪を優しく撫でながら、宥めてくださる。ハインリヒ殿下にお手紙を書こうと思ったのは、ブリギッテ嬢が最初に仕掛けて来たときにハインリヒ殿下が味方してくれたからだった。
このころにはハインリヒ殿下のことも少しは信頼してもいいかもしれないと思っていた。
わたくしの本当の母であるマリアお母様のお墓に行ったときに、ノメンゼン子爵の妾は、本当は夫人ではなくただの妾ではないのかということは分かっていた。ローザがわたくしが生まれてから七か月しか経っていないのに生まれていたことが分かったのだ。ローザはわたくしの母のマリアお母様が妊娠していたころにノメンゼン子爵が浮気をしてできた子どもということになる。それはつまり、ノメンゼン子爵夫人として振舞っているあの女は妾で、ローザは妾の子だということになる。
その上、マリアお母様を毒殺したことが明らかになったのだ。
マリアお母様の出産に立ち会った医者はマリアお母様が元気だったと言っていたが、帰ってから急に容体が急変して亡くなったと聞いていた。それはノメンゼン子爵の妾が毒を飲ませたからだった。
わたくしの六歳の誕生日直前にノメンゼン子爵は牢に入れられて、妾と子どもは市井に放り出すという国王陛下の沙汰が下った。
その後でディッペル家のお父様が国王陛下に申し出てくれた。
「ノメンゼン子爵家は、私の妻のテレーゼの生家、シュレーゼマン家の子どもを養子に立てて継がせてはいかがでしょうか。成人するまでは、シュレーゼマン子爵が後見人となります」
「ノメンゼン子爵家の跡継ぎはクリスタ嬢だったのではないのか?」
「クリスタ嬢は、六歳の誕生日に、公爵家の養子にしようと思っております」
わたくしはお姉様の妹になれるのだ。
そのときにはよく意味は分かっていなかったし、元々お姉様の妹のつもりだったのだが、養子になれるということはディッペル家からノメンゼン家に戻らなくていいということで、わたくしの人生を変える一歩だった。
そのころにはわたくしはハインリヒ殿下を許して、交友を持つようになっていた。
六歳のお誕生日、ハインリヒ殿下はわたくしにプレゼントを持ってパーティーに来てくださった。
もらったプレゼントは早く開けたかったが、わたくしはお茶会の主催なのでお客様を歓迎しなければいけなかった。プレゼントはデボラに預けたが、わたくしはずっとその中身が気になっていた。
お誕生日のお茶会ではディッペル家の両親が宣言してくれた。
「本日より、クリスタ嬢は我がディッペル家の養子となります」
「わたくしの妹の娘です。ずっと自分の娘のように育てたいと思っていました」
「私たちの娘として、今後ともよろしくお願いします」
わたくしはその日、正式にクリスタ・ディッペルとなった。
「クリスタ嬢、これからはわたくしの妹ですよ」
「え、わたくし、お姉様の妹じゃなかったの?」
「今までは従妹でしたが、クリスタ嬢がディッペル家の養子となったので、実の妹になりました」
わたくしはずっとお姉様の妹のつもりでいたけれど違ったことに驚いてしまったが、お姉様の妹になれたことは嬉しかった。
わたくしがディッペル公爵家の娘となったおかげで、十二歳で学園に入学するときにはハインリヒ殿下の婚約者に堂々となれた。
わたくしは、クリスタ・ディッペル。
そして、ハインリヒ殿下の妻となり、皇太子妃となって幸福な毎日を過ごしている。
いい思い出ではないのでお姉様も忘れていていいと言っていたので、思い出さないことにする。
わたくしがディッペル家で物心ついたときにはお姉様がそばにいた。お姉様はわたくしと一年半しか年齢が変わらないのに六歳にして完璧な淑女だった。わたくしは小さくて幼くてとても淑女と言える振る舞いができなかったので、ずっとお姉様に憧れてお姉様のことが大好きだった。
お姉様はわたくしと一緒にいるといつもわたくしを守ってくださる。
お茶会でノメンゼン子爵夫人……後にただの妾だったと分かる彼女が仕掛けて来たときにも、その前にハインリヒ殿下に髪飾りを奪われたときにも、わたくしの元に駆け付けてくれて味方になってくれた。
それはディッペル家主催の宿泊式のパーティーでの出来事だった。
わたくしはディッペル家のお父様とお母様に作っていただいたお姉様とお揃いの薔薇の髪飾りを付けてパーティーに出席した。
パーティーではわたくしが歌って、お姉様が伴奏を弾くという大役を任されたのだけれど、わたくしは最初、緊張してうまく歌いだせなかった。それに気付いたお姉様は、前奏の部分を何回も弾いてわたくしが歌いだせるまで待ってくれた。
こんなにも優しいお姉様のおかげでわたくしも無事歌えて、パーティーは大成功に思えたのだ。
テラスに出たわたくしとお姉様にハインリヒ殿下が話しかけてきた。
ハインリヒ殿下はわたくしの三つ編みに付けているオールドローズの髪飾りが気になったのか、取り上げてしまったのだ。
「そのかみかざり、きれいだな。みせてみろよ」
「きゃあ!? かえして!」
大事な髪飾りを取られて取り返そうとするが、ハインリヒ殿下の方が背が高いので上に持ち上げられてしまうとわたくしは手が届かない。泣きそうになりながらわたくしは必死に訴える。
「おねえさまとおそろいのかみかざり! だいじなの! かえして!」
「みてるだけじゃないか。すこしくらいいいだろ?」
「うぇ……かみのけ、ほどけちゃったぁ!」
髪も乱れて、泣き顔になっているわたくしに、お姉様がはっきりと言ってくださる。
「ハインリヒでんか、クリスタじょうがいやがっているではありませんか。おやめください」
「うるさいな! かえせばいいんだろ!」
返すというには乱暴にハインリヒ殿下がオールドローズの髪飾りを投げると、わたくしは受け取れずに、それがノメンゼン子爵の妾と娘のローザのところに転がってしまった。
ノメンゼン子爵の妾は、その髪飾りをローザにもらうと言い出したのだ。
「お前みたいな子どもには贅沢なのよ。これはローザにもらうわね」
「おまちください、ノメンゼンししゃくふじん。そのかみかざりは、わたくしのりょうしんのディッペルこうしゃくとこうしゃくふじんがクリスタじょうのおたんじょうびにあつらえたもの。かってにもっていかれてはこまります」
「ハインリヒ殿下が私にくださったのよ。そうでしょう、ハインリヒ殿下?」
「え? そんなことしてない……」
それに対してもお姉様ははっきりと抗議をしていて、わたくしは怖くてお姉様に取りすがって泣いてしまった。
「お前なんかよりも、ローザに相応しい髪飾りだわ。ローザにあげると言いなさい!」
「やー! わたくしのかみかざりよ! おねえさまとおそろいなの!」
「言うことを聞かない子はどうなるか分かっているでしょう?」
ノメンゼン子爵の妾の扇が畳まれて振りかざされたとき、わたくしは叩かれるのだと思った。怖くて恐ろしくてお姉様にしがみ付いていると、お姉様がわたくしを庇ってくれた。
お姉様はわたくしの代わりに額を叩かれて涙目になっているが、しっかりとわたくしの体を抱き締めて守ってくれている。
このとき、わたくしはハインリヒ殿下のことが大嫌いになった。
ハインリヒ殿下が最初から髪飾りを取ったりしなければこんなことは起こらなかった。
ノメンゼン子爵の妾とローザはノメンゼン子爵のところに連れて行かれて、無礼を窘められて、謝罪させられた。ハインリヒ殿下も無礼だったことを認めて、ディッペル家のお母様とお父様がその日はディッペル家からお帰り願った。
ハインリヒ殿下がノルベルト殿下に連れられてわたくしに謝罪に来たのは誕生日の直前だった。
わたくしはカーテンの陰に隠れてしまった。
「パーティーではおとうとのハインリヒがしつれいをいたしました。ほんにんにもよくいいきかせています。あやまりたいといっているので、きいてやってください」
ノルベルト殿下はそう言っていたが、わたくしはハインリヒ殿下に会いたいとも思わなかった。
「クリスタ嬢、ノルベルト殿下とハインリヒ殿下が来ましたよ」
「いやー! わたくしのかみかざりとった! かみのけ、ほどいた!」
お姉様に言われても、わたくしはハインリヒ殿下の謝罪を受け入れるつもりはない。
ドアの前に立っているハインリヒ殿下とノルベルト殿下が困っているのは分かっていたが、ハインリヒ殿下がわたくしに意地悪をしたせいで優しいお姉様はわたくしを庇って叩かれてしまったのだ。わたくしは絶対に許すつもりはなかった。
ハインリヒ殿下に会うつもりがないわたくしの気持ちを尊重してくださって、お姉様は王族であろうとも無理やりわたくしに会わせるなどということはなかった。
ハインリヒ殿下とノルベルト殿下が帰るとカーテンの陰から出てきたわたくしに、お姉様はブーケを見せた。
「このお花は、ハインリヒ殿下からのお詫びの品だそうです」
「おわびのしなって、どういうこと?」
「ごめんなさいを伝えるために用意したお花だということです」
「いらない! わたくしのおへや、エクムントさまのおはながかざってあるもの」
その日はエクムント様からお誕生日お祝いに薔薇の花束をもらっていた。お姉様ももらっていて、わたくしとお姉様はお揃いでお部屋に飾っていたのだ。エクムント様のお花があったのでわたくしはハインリヒ殿下のお花を受け取らなかった。
わたくしが受け取らなかったお花は、廊下に飾られることになった。
その後でお姉様は白い箱をわたくしに見せた。
「これはお誕生日プレゼントだそうです」
「なぁに?」
「髪飾りだと言っていましたが、中身を確認しますか?」
「みるだけよ?」
箱の中を見てみると薄ピンクの牡丹の造花の髪飾りと、薄紫の牡丹の造花の髪飾りが入っていた。美しい髪飾りだったが、わたくしはそれを欲しいとは思わなかった。
「きれい……」
「これはもらっておきますか?」
「いらない」
「え? いらないのですか?」
「おねえさまとおそろいのバラのかみかざりがあるもの」
お姉様とお揃いの薔薇の髪飾りがあればいい。
そう言うわたくしに、お姉様は根気強く伝える。
「いつか使いたくなるかもしれません。デボラとマルレーンに保管してもらっておきましょうね」
「つかいたくならないわ。おねえさまとおそろいのバラがあるもの」
「バラの髪飾りもずっと使っていれば、古くなってきます。そのときに替えがあった方がいいでしょう?」
「そのときには、あたらしくおねえさまとおそろいをつくってもらうわ」
「これもお揃いですよ?」
「おそろい……それなら、もっておくだけならいいわ」
王族からのプレゼントを無碍にするのはよくないとお姉様は思っていたのかもしれないが、幼いわたくしはそれがよく分かっていなかった。ただ、お姉様とお揃いならばもらっておいてもいい。付けるかどうかは別として。
そう思った五歳の誕生日だった。
お姉様はバーデン家のブリギッテ嬢が来たときにもわたくしを助けてくれた。
ブリギッテ嬢はわたくしにぶつかっておきながら、わたくしが落としたケーキを自分で踏んで、靴が汚れたと騒ぎ立てた。わたくしは泣かないように頑張って靴を拭いて謝罪をしたのだが、ブリギッテ嬢が去ってからわたくしはお姉様に泣きついてしまった。
そのときにハインリヒ殿下はわたくしを庇ってくれたようだが、お姉様の印象が強くてあまり覚えていない。
両親が不在のときを狙って、ブリギッテ嬢はわたくしをバーデン家に連れ去ろうとしたのだ。
「ブリギッテ様!?」
「御機嫌よう、エリザベート様。遊びに来てくださらないので、わたくしの方から出向きましたわ。せっかく来たのですから、お茶くらい飲ませてくださいますよね?」
「わたくしの両親は、ブリギッテ様が来ることを承知しておりません。招待されずにいらっしゃるのは、いささか、無礼ではありませんか?」
「小さいのによく口が回ること。子ども二人で退屈しているだろうと思って遊びに来てあげたのですよ。歓迎するのが当然でしょう?」
「いいえ、ブリギッテ様。招かれてもいないのに押しかけて歓迎せよとは、あまりにも不作法。バーデン家の教育が問われますよ」
言い争うお姉様とブリギッテ嬢に、わたくしは怖くて言葉が挟めずにいた。
お姉様とエクムント様に守られていると、ブリギッテ嬢とエクムント様とお姉様が激しく言い争っているのが分かる。
お姉様は両親が不在のときには、ディッペル家の後継者である自分がディッペル家の主人だと主張して年上のブリギッテ嬢の前から一歩も引かないし、エクムント様も侯爵家の三男ごときがと言われても、公爵家に仕える騎士なのでこの家を守るのが仕事だと言って一歩も引かない。
二人に守られていると、わたくしは怖いのが少しずつ溶けていく気がした。
「我が家と同格のバーデン家のご令嬢がこんな無作法な真似をなさるとは思えない! 偽物です! 偽物に違いありません! エクムント、やってしまいなさい!」
「はい、エリザベートお嬢様! 偽物め! 覚悟!」
最終的には、お姉様とエクムント様はブリギッテ嬢のあまりに無作法な行為に、ブリギッテ嬢を偽物と断じることで対抗することにしたようだ。
「賊が侵入しようとしておりますー! バーデン家を名乗っておりますが、こんな無作法をなさる筈がないので偽物ですー! 助けてくださいませ、国王陛下!」
「エリザベートお嬢様、王都に早馬を送りましょう」
「エクムント、そうしてください。国王陛下に助けを求めましょう」
エクムント様が馬車の取っ手をもぎ取って、ブリギッテ嬢は逃げ帰り、取っ手は賊が来た証として早馬で王都に届けられた。
「あのかた、きらい! おねえさまにひどいことをいっていたわ!」
「この件に関しても、両親に伝えましょう」
「ハインリヒでんかに、わたくし、おてがみをかきます」
「それは、両親が帰って来てからにしましょうね。手紙を見てもらってから出しましょう」
「わかりました、おねえさま」
ブリギッテ嬢が帰ってからわたくしがお姉様にしがみ付いて安心していると、お姉様はわたくしの髪を優しく撫でながら、宥めてくださる。ハインリヒ殿下にお手紙を書こうと思ったのは、ブリギッテ嬢が最初に仕掛けて来たときにハインリヒ殿下が味方してくれたからだった。
このころにはハインリヒ殿下のことも少しは信頼してもいいかもしれないと思っていた。
わたくしの本当の母であるマリアお母様のお墓に行ったときに、ノメンゼン子爵の妾は、本当は夫人ではなくただの妾ではないのかということは分かっていた。ローザがわたくしが生まれてから七か月しか経っていないのに生まれていたことが分かったのだ。ローザはわたくしの母のマリアお母様が妊娠していたころにノメンゼン子爵が浮気をしてできた子どもということになる。それはつまり、ノメンゼン子爵夫人として振舞っているあの女は妾で、ローザは妾の子だということになる。
その上、マリアお母様を毒殺したことが明らかになったのだ。
マリアお母様の出産に立ち会った医者はマリアお母様が元気だったと言っていたが、帰ってから急に容体が急変して亡くなったと聞いていた。それはノメンゼン子爵の妾が毒を飲ませたからだった。
わたくしの六歳の誕生日直前にノメンゼン子爵は牢に入れられて、妾と子どもは市井に放り出すという国王陛下の沙汰が下った。
その後でディッペル家のお父様が国王陛下に申し出てくれた。
「ノメンゼン子爵家は、私の妻のテレーゼの生家、シュレーゼマン家の子どもを養子に立てて継がせてはいかがでしょうか。成人するまでは、シュレーゼマン子爵が後見人となります」
「ノメンゼン子爵家の跡継ぎはクリスタ嬢だったのではないのか?」
「クリスタ嬢は、六歳の誕生日に、公爵家の養子にしようと思っております」
わたくしはお姉様の妹になれるのだ。
そのときにはよく意味は分かっていなかったし、元々お姉様の妹のつもりだったのだが、養子になれるということはディッペル家からノメンゼン家に戻らなくていいということで、わたくしの人生を変える一歩だった。
そのころにはわたくしはハインリヒ殿下を許して、交友を持つようになっていた。
六歳のお誕生日、ハインリヒ殿下はわたくしにプレゼントを持ってパーティーに来てくださった。
もらったプレゼントは早く開けたかったが、わたくしはお茶会の主催なのでお客様を歓迎しなければいけなかった。プレゼントはデボラに預けたが、わたくしはずっとその中身が気になっていた。
お誕生日のお茶会ではディッペル家の両親が宣言してくれた。
「本日より、クリスタ嬢は我がディッペル家の養子となります」
「わたくしの妹の娘です。ずっと自分の娘のように育てたいと思っていました」
「私たちの娘として、今後ともよろしくお願いします」
わたくしはその日、正式にクリスタ・ディッペルとなった。
「クリスタ嬢、これからはわたくしの妹ですよ」
「え、わたくし、お姉様の妹じゃなかったの?」
「今までは従妹でしたが、クリスタ嬢がディッペル家の養子となったので、実の妹になりました」
わたくしはずっとお姉様の妹のつもりでいたけれど違ったことに驚いてしまったが、お姉様の妹になれたことは嬉しかった。
わたくしがディッペル公爵家の娘となったおかげで、十二歳で学園に入学するときにはハインリヒ殿下の婚約者に堂々となれた。
わたくしは、クリスタ・ディッペル。
そして、ハインリヒ殿下の妻となり、皇太子妃となって幸福な毎日を過ごしている。
218
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
村娘になった悪役令嬢
枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。
ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。
村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。
※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります)
アルファポリスのみ後日談投稿しております。
【完結160万pt】王太子妃に決定している公爵令嬢の婚約者はまだ決まっておりません。王位継承権放棄を狙う王子はついでに側近を叩き直したい
宇水涼麻
恋愛
ピンク髪ピンク瞳の少女が王城の食堂で叫んだ。
「エーティル様っ! ラオルド様の自由にしてあげてくださいっ!」
呼び止められたエーティルは未来の王太子妃に決定している公爵令嬢である。
王太子と王太子妃となる令嬢の婚約は簡単に解消できるとは思えないが、エーティルはラオルドと婚姻しないことを軽く了承する。
その意味することとは?
慌てて現れたラオルド第一王子との関係は?
なぜこのような状況になったのだろうか?
ご指摘いただき一部変更いたしました。
みなさまのご指摘、誤字脱字修正で読みやすい小説になっていっております。
今後ともよろしくお願いします。
たくさんのお気に入り嬉しいです!
大変励みになります。
ありがとうございます。
おかげさまで160万pt達成!
↓これよりネタバレあらすじ
第一王子の婚約解消を高らかに願い出たピンクさんはムーガの部下であった。
親類から王太子になることを強要され辟易しているが非情になれないラオルドにエーティルとムーガが手を差し伸べて王太子権放棄をするために仕組んだのだ。
ただの作戦だと思っていたムーガであったがいつの間にかラオルドとピンクさんは心を通わせていた。
『悪役令嬢は、二度目の人生で無言を貫く。~処刑回避のために黙っていただけなのに、なぜか冷徹宰相様から「君こそ運命の人だ」と溺愛さています~』
放浪人
恋愛
「もう、余計なことは喋りません(処刑されたくないので!)」
王太子の婚約者エリスは、無実の罪を着せられた際、必死に弁解しようと叫び散らした結果「見苦しい」と断罪され、処刑されてしまった。 死に戻った彼女は悟る。「口は災いの元。二度目の人生は、何があっても口を閉ざして生き延びよう」と。
しかし、断罪の場で恐怖のあまり沈黙を貫いた結果、その姿は「弁解せず耐え忍ぶ高潔な令嬢」として称賛されてしまう。 さらに、人間嫌いの冷徹宰相クラウスに「私の静寂を理解する唯一の女性」と盛大な勘違いをされ、求婚されてしまい……!?
「君の沈黙は、愛の肯定だね?」(違います、怖くて固まっているだけです!) 「この国の危機を、一目で見抜くとは」(ただ臭かったから鼻を押さえただけです!)
怯えて黙っているだけの元悪役令嬢と、彼女の沈黙を「深遠な知性」と解釈して溺愛する最強宰相。 転生ヒロインの妨害も、隣国の陰謀も、全て「無言」で解決(?)していく、すれ違いロマンティック・コメディ! 最後はちゃんと言葉で愛を伝えて、最高のハッピーエンドを迎えます。
断罪中、味方が多すぎて王子が孤立している件について
夏乃みのり
恋愛
バーンスタイン伯爵家の令嬢ラミリアは、魔力も剣の才能もない「ごく普通」の地味な女性。
ある日のパーティーで、婚約者であるジェラルド第二王子から「地味で無能で嫉妬深い」と罵られ、身に覚えのない罪で婚約破棄を突きつけられてしまう。
しかし、断罪劇は予想外の展開へ。
婚約破棄に、承知いたしました。と返したら爆笑されました。
パリパリかぷちーの
恋愛
公爵令嬢カルルは、ある夜会で王太子ジェラールから婚約破棄を言い渡される。しかし、カルルは泣くどころか、これまで立て替えていた経費や労働対価の「莫大な請求書」をその場で叩きつけた。
勘当された悪役令嬢は平民になって幸せに暮らしていたのになぜか人生をやり直しさせられる
千環
恋愛
第三王子の婚約者であった侯爵令嬢アドリアーナだが、第三王子が想いを寄せる男爵令嬢を害した罪で婚約破棄を言い渡されたことによりスタングロム侯爵家から勘当され、平民アニーとして生きることとなった。
なんとか日々を過ごす内に12年の歳月が流れ、ある時出会った10歳年上の平民アレクと結ばれて、可愛い娘チェルシーを授かり、とても幸せに暮らしていたのだが……道に飛び出して馬車に轢かれそうになった娘を助けようとしたアニーは気付けば6歳のアドリアーナに戻っていた。
【完結】私が誰だか、分かってますか?
美麗
恋愛
アスターテ皇国
時の皇太子は、皇太子妃とその侍女を妾妃とし他の妃を娶ることはなかった
出産時の出血により一時病床にあったもののゆっくり回復した。
皇太子は皇帝となり、皇太子妃は皇后となった。
そして、皇后との間に産まれた男児を皇太子とした。
以降の子は妾妃との娘のみであった。
表向きは皇帝と皇后の仲は睦まじく、皇后は妾妃を受け入れていた。
ただ、皇帝と皇后より、皇后と妾妃の仲はより睦まじくあったとの話もあるようだ。
残念ながら、この妾妃は産まれも育ちも定かではなかった。
また、後ろ盾も何もないために何故皇后の侍女となったかも不明であった。
そして、この妾妃の娘マリアーナははたしてどのような娘なのか…
17話完結予定です。
完結まで書き終わっております。
よろしくお願いいたします。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる