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三章 ご寵愛の末に
5.悪夢を払うおまじない
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アレクサンテリ陛下の生誕祭で、わたくしが皇后となることが公表された。
根回しをしていたようなので、どこからもあからさまな文句は出なかったし、国民からも歓迎されている様子だった。
どうなるかと心配だったわたくしは、この結果に胸をなでおろした。
生誕祭が終わったのは夜も更けてからで、わたくしが皇帝宮に戻ったときには疲れ切っていた。アレクサンテリ陛下にエスコートされて部屋まで行く途中、よろけてしまったわたくしをアレクサンテリ陛下は抱き留めてくれた。逞しく温かい腕に抱き留められて、わたくしは安心しつつ、靴の中で足が少し痛くて、脹脛も張っていることには気付いていた。
「おやすみなさいませ、アレクサンテリ陛下」
「おやすみ、レイシー」
アレクサンテリ陛下がわたくしの前髪を掻き上げて額に口付けを落としてくださる。睫毛を伏せてそれを受けて、わたくしは部屋に入った。
もう限界で靴を脱ぎ捨ててバスルームに入るわたくしに、侍女が入浴を手伝ってくれる。
侍女はわたくしの足が腫れているのを見て、マッサージをしてくれて、バスタブでゆっくりと浸からせてくれた。
お風呂から出ると、わたくしはパジャマに着替えて、侍女に髪を拭いてもらう。
皇帝宮に来てからわたくしの世話をしてくれる侍女は数人いたが、その中でも長時間わたくしについてくれているのは、わたくしよりも少し年上の侍女のノラだった。
ノラは男爵家の令嬢で、後継ぎでもなく、政略結婚のための資金もなかったので、皇宮に働きに来ていると聞いていた。
丁寧に髪を乾かすノラの手つきは優しい。
ノラはわたくしにとても親切にしてくれている。
他の侍女たちもだが、アレクサンテリ陛下が言い含めているのか、皇帝宮の使用人たちは全員わたくしに親切で優しかった。その全員が女性だというのも、アレクサンテリ陛下のお考えあってのことなのだろう。
「髪に香油をつけて梳きますね」
「お願いします」
毎日最高級の香油をつけて梳いてもらっている髪は艶々になっている。ディアン伯爵家でも手入れはしていたが、最高級の香油となると全く違うようだ。
髪を梳かれて気持ちよくてうとうとしそうになっているわたくしに、ノラが声をかけた。
「終わりました、妃殿下。お休みになられてください」
「ありがとうございます、おやすみなさい、ノラ」
声をかけてふらふらとベッドの方に向かうと、わたくしはベッドに倒れ込んでそのまま眠ってしまった。
夢の中でわたくしはセシルになっていた。
セシルになったわたしは、ガーネくんがお風呂に入るのを見守っている。まだ六歳児なので自分で上手に洗えないし、拭くのも下手なので、手伝いが必要なのだ。
バスタブに溜まったお湯の中に入るガーネくんの髪を丁寧に洗ってあげる。
拾ったときには髪も体も汚れて灰色に見えていたが、ガーネくんの髪はきれいに洗うときらきら光る銀髪で、体は透けるように肌が白い。
お風呂から出てきたガーネくんの髪と体を拭いてあげて、パジャマを着せてから、わたしもお風呂に入る。
手早く済ませて出てくると、ガーネくんはベッドに倒れ込んで眠りかけていた。
「ガーネくん、おやすみなさい」
「おねえちゃん、おやすみなさい」
ガーネくんのさらさらの前髪を持ち上げて額に唇を落とす。
これはわたしが小さいころに母にしてもらっていたおまじないだった。
「怖いゆめ、みない?」
「きっと大丈夫よ」
一人で眠るようになったわたしが、怖い夢を見たと泣いて両親の部屋に行くのに、母はわたしの額に唇を落としておまじないをしてくれた。
「おやすみなさい、セシル。これで怖い夢は見ないわ」
わたしは同じことをガーネくんにしてあげている。
ガーネくんは眠っているときに酷くうなされることがあるのだ。
ここに来る前にガーネくんは酷い目に遭ったのだと思う。
下着一枚で、全身傷だらけで肩には刺したような傷があったガーネくん。肩の傷は治りきらず痕になって残っている。
夜中、ガーネくんが泣きながらわたしに抱き着いてきた。
しゃくりあげるガーネくんの背中を撫でて宥めていると、ガーネくんがぽつぽつと呟く。
「みんな、しんじゃう……おねえちゃんも、おじさんも、おばさんも……みんな……」
「怖い夢を見たのね」
「みんなぼくを守ってしんじゃった……。おねえちゃん、しなないで」
柘榴の瞳からぼろぼろと大粒の涙を流すガーネくんの汗ばんだ顔を拭いてあげて、わたしは前髪を上げて額に口付けた。
「大丈夫。もう怖い夢は見ないから」
「おねえちゃん……」
「おやすみなさい、ガーネくん」
抱き締めているとガーネくんの体から少しずつ力が抜けてくる。
もう一度眠ったガーネくんは、穏やかな寝息を立てていた。
目を覚ましたとき、わたくしはセシルと感覚が重なっていた。
大丈夫と言ったのに、セシルは死んでしまった。ガーネくんを庇って、ガーネくんの目の前で。
ガーネくんはどれだけ悲しくつらかっただろう。
考えるだけで胸が痛む。
着替えをして朝食の席に行くと、わたくしはアレクサンテリ陛下に聞いていた。
「アレク様が寝る前にわたくしの額に口付けてくださるのは、セシルがしていたおまじないですか?」
「覚えているの?」
「夢で見ました。セシルは怖い夢を見ないように、ガーネくんの額に口付けていました」
「わたしもレイシーが怖い夢を見ないようにおまじないをしたつもりだったよ」
微笑むアレクサンテリ陛下だが、本当におまじないをしてほしいのはアレクサンテリ陛下本人なのではないだろうか。
目の前でセシルが死んでしまってから、アレクサンテリ陛下は何度も悪夢を見ただろう。自分を守っていた護衛が殺されて逃げてきたことでも、悪夢を見ていたようだから、大好きだったセシルの死を目のあたりにしてしまったら、心に深い傷がついたに違いない。
「わたくしも、今日からアレク様におまじないをしてさしあげます」
「本当に? 嬉しいな」
「アレク様は、セシルが死んだ後、悪夢を見たのではないですか?」
わたくしの問いかけに、アレクサンテリ陛下が目を伏せる。
「何度もセシルが死んでしまう場面を見たよ。わたしがどれだけ成長しても、夢の中では無力な六歳の子どもで、セシルを助けることはできなかった」
「アレク様……」
「わたしは今ならばレイシーを助けることができる。レイシー、わたしに守られてほしい。全ての地位と力を使って、わたしはレイシーを守るから」
「わたくしも、アレク様をお守りできるように頑張ります」
例え肉体的に守れなくても、アレクサンテリ陛下を精神的に支えることはできるだろう。
「アレク様がもう怖い夢にうなされないように、わたくしがおそばにいます」
「レイシー、ありがとう。レイシーのことを知ってから、悪夢はほとんど見なくなったんだ。レイシーと暮らすようになって、悪夢は全然見ていないよ」
「アレク様がもう悪夢を見ないように、わたくしはずっとおそばにいます。わたくし、絶対にアレク様より先に死にません。アレク様を見送ってから、アレク様を追いかけます。先に逝って待っていてくださいね」
年齢的にもわたくしの方が十歳年下であるし、男性よりも女性の方が平均寿命が長い。
順当にいけばアレクサンテリ陛下が先に亡くなって、わたくしがその後に死ぬのだろう。そうでなければ、わたくしは二度もアレクサンテリ陛下を置いて行ってしまうことになる。
「前にもそう誓ってくれたね」
「何度でも何度でも言います。アレク様のおそばに生涯いて、アレク様を見送ることを誓います」
わたくしはセシルのように死んではならない。
それを強く思った瞬間だった。
根回しをしていたようなので、どこからもあからさまな文句は出なかったし、国民からも歓迎されている様子だった。
どうなるかと心配だったわたくしは、この結果に胸をなでおろした。
生誕祭が終わったのは夜も更けてからで、わたくしが皇帝宮に戻ったときには疲れ切っていた。アレクサンテリ陛下にエスコートされて部屋まで行く途中、よろけてしまったわたくしをアレクサンテリ陛下は抱き留めてくれた。逞しく温かい腕に抱き留められて、わたくしは安心しつつ、靴の中で足が少し痛くて、脹脛も張っていることには気付いていた。
「おやすみなさいませ、アレクサンテリ陛下」
「おやすみ、レイシー」
アレクサンテリ陛下がわたくしの前髪を掻き上げて額に口付けを落としてくださる。睫毛を伏せてそれを受けて、わたくしは部屋に入った。
もう限界で靴を脱ぎ捨ててバスルームに入るわたくしに、侍女が入浴を手伝ってくれる。
侍女はわたくしの足が腫れているのを見て、マッサージをしてくれて、バスタブでゆっくりと浸からせてくれた。
お風呂から出ると、わたくしはパジャマに着替えて、侍女に髪を拭いてもらう。
皇帝宮に来てからわたくしの世話をしてくれる侍女は数人いたが、その中でも長時間わたくしについてくれているのは、わたくしよりも少し年上の侍女のノラだった。
ノラは男爵家の令嬢で、後継ぎでもなく、政略結婚のための資金もなかったので、皇宮に働きに来ていると聞いていた。
丁寧に髪を乾かすノラの手つきは優しい。
ノラはわたくしにとても親切にしてくれている。
他の侍女たちもだが、アレクサンテリ陛下が言い含めているのか、皇帝宮の使用人たちは全員わたくしに親切で優しかった。その全員が女性だというのも、アレクサンテリ陛下のお考えあってのことなのだろう。
「髪に香油をつけて梳きますね」
「お願いします」
毎日最高級の香油をつけて梳いてもらっている髪は艶々になっている。ディアン伯爵家でも手入れはしていたが、最高級の香油となると全く違うようだ。
髪を梳かれて気持ちよくてうとうとしそうになっているわたくしに、ノラが声をかけた。
「終わりました、妃殿下。お休みになられてください」
「ありがとうございます、おやすみなさい、ノラ」
声をかけてふらふらとベッドの方に向かうと、わたくしはベッドに倒れ込んでそのまま眠ってしまった。
夢の中でわたくしはセシルになっていた。
セシルになったわたしは、ガーネくんがお風呂に入るのを見守っている。まだ六歳児なので自分で上手に洗えないし、拭くのも下手なので、手伝いが必要なのだ。
バスタブに溜まったお湯の中に入るガーネくんの髪を丁寧に洗ってあげる。
拾ったときには髪も体も汚れて灰色に見えていたが、ガーネくんの髪はきれいに洗うときらきら光る銀髪で、体は透けるように肌が白い。
お風呂から出てきたガーネくんの髪と体を拭いてあげて、パジャマを着せてから、わたしもお風呂に入る。
手早く済ませて出てくると、ガーネくんはベッドに倒れ込んで眠りかけていた。
「ガーネくん、おやすみなさい」
「おねえちゃん、おやすみなさい」
ガーネくんのさらさらの前髪を持ち上げて額に唇を落とす。
これはわたしが小さいころに母にしてもらっていたおまじないだった。
「怖いゆめ、みない?」
「きっと大丈夫よ」
一人で眠るようになったわたしが、怖い夢を見たと泣いて両親の部屋に行くのに、母はわたしの額に唇を落としておまじないをしてくれた。
「おやすみなさい、セシル。これで怖い夢は見ないわ」
わたしは同じことをガーネくんにしてあげている。
ガーネくんは眠っているときに酷くうなされることがあるのだ。
ここに来る前にガーネくんは酷い目に遭ったのだと思う。
下着一枚で、全身傷だらけで肩には刺したような傷があったガーネくん。肩の傷は治りきらず痕になって残っている。
夜中、ガーネくんが泣きながらわたしに抱き着いてきた。
しゃくりあげるガーネくんの背中を撫でて宥めていると、ガーネくんがぽつぽつと呟く。
「みんな、しんじゃう……おねえちゃんも、おじさんも、おばさんも……みんな……」
「怖い夢を見たのね」
「みんなぼくを守ってしんじゃった……。おねえちゃん、しなないで」
柘榴の瞳からぼろぼろと大粒の涙を流すガーネくんの汗ばんだ顔を拭いてあげて、わたしは前髪を上げて額に口付けた。
「大丈夫。もう怖い夢は見ないから」
「おねえちゃん……」
「おやすみなさい、ガーネくん」
抱き締めているとガーネくんの体から少しずつ力が抜けてくる。
もう一度眠ったガーネくんは、穏やかな寝息を立てていた。
目を覚ましたとき、わたくしはセシルと感覚が重なっていた。
大丈夫と言ったのに、セシルは死んでしまった。ガーネくんを庇って、ガーネくんの目の前で。
ガーネくんはどれだけ悲しくつらかっただろう。
考えるだけで胸が痛む。
着替えをして朝食の席に行くと、わたくしはアレクサンテリ陛下に聞いていた。
「アレク様が寝る前にわたくしの額に口付けてくださるのは、セシルがしていたおまじないですか?」
「覚えているの?」
「夢で見ました。セシルは怖い夢を見ないように、ガーネくんの額に口付けていました」
「わたしもレイシーが怖い夢を見ないようにおまじないをしたつもりだったよ」
微笑むアレクサンテリ陛下だが、本当におまじないをしてほしいのはアレクサンテリ陛下本人なのではないだろうか。
目の前でセシルが死んでしまってから、アレクサンテリ陛下は何度も悪夢を見ただろう。自分を守っていた護衛が殺されて逃げてきたことでも、悪夢を見ていたようだから、大好きだったセシルの死を目のあたりにしてしまったら、心に深い傷がついたに違いない。
「わたくしも、今日からアレク様におまじないをしてさしあげます」
「本当に? 嬉しいな」
「アレク様は、セシルが死んだ後、悪夢を見たのではないですか?」
わたくしの問いかけに、アレクサンテリ陛下が目を伏せる。
「何度もセシルが死んでしまう場面を見たよ。わたしがどれだけ成長しても、夢の中では無力な六歳の子どもで、セシルを助けることはできなかった」
「アレク様……」
「わたしは今ならばレイシーを助けることができる。レイシー、わたしに守られてほしい。全ての地位と力を使って、わたしはレイシーを守るから」
「わたくしも、アレク様をお守りできるように頑張ります」
例え肉体的に守れなくても、アレクサンテリ陛下を精神的に支えることはできるだろう。
「アレク様がもう怖い夢にうなされないように、わたくしがおそばにいます」
「レイシー、ありがとう。レイシーのことを知ってから、悪夢はほとんど見なくなったんだ。レイシーと暮らすようになって、悪夢は全然見ていないよ」
「アレク様がもう悪夢を見ないように、わたくしはずっとおそばにいます。わたくし、絶対にアレク様より先に死にません。アレク様を見送ってから、アレク様を追いかけます。先に逝って待っていてくださいね」
年齢的にもわたくしの方が十歳年下であるし、男性よりも女性の方が平均寿命が長い。
順当にいけばアレクサンテリ陛下が先に亡くなって、わたくしがその後に死ぬのだろう。そうでなければ、わたくしは二度もアレクサンテリ陛下を置いて行ってしまうことになる。
「前にもそう誓ってくれたね」
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