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第二章 魔術学校とそれぞれの恋

16.エドヴァルドの嫉妬

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 秋祭りが終わると、年末に向けて魔術学校も俄かに忙しくなる。冬季休暇前に、今年の成績を決める試験が行われるのだ。この試験に合格すれば、春の進級は確実になる。落ちても冬季休暇後にもう一度ある試験に合格すれば、進級することができる。
 冬季休暇後をゆっくり過ごしたい生徒は、年末の試験に必死になるし、年末が仕事で忙しくて勉強が間に合わなかった生徒にも、救済措置が設けられているのだ。
 特待生として奨学金をもらう条件としては、年末の試験で良い成績を修めることだったので、マユリが必死になっていて、ジュドーもできれば学費の免除を狙っていたので、マユリ、ジュドーにつられて、イサギも猛勉強することになった。ヨータはどちらの試験でも必死にならないと、どっちも不合格だったら留年になるので、マユリとジュドーとイサギに教えてもらいながらも、必死に勉強している。
 図書館の勉強室は上級生が占領してしまうので、2年生のマユリ、ジュドー、イサギ、ヨータは中庭でベンチに座って、冬の兆しを見せ始めた冷たい風に震えながら勉強していた。

「これ、なんや意味が分からんわ。元の文献、図書館にあったやろか……ちょっと見に行ってくるわ」
「気ぃつけてな、イサギ。図書館は上級生が目を血走らせてるで」
「俺も行こうか?」
「いややぁージュドー、行かんといてー! ジュドーがおらな、計算式が解けんー!」
「ヨータ、公式覚えなさいよね」

 同行しようとジュドーが申し出てくれたが、教えている途中で席を外すと、ヨータはまた最初からやり直しになるので、ありがたく思いつつも断って、イサギは足早に図書館に歩いて行った。冷たさで指先がかじかんで、鼻の頭は赤くなっている。
 室内だったら風がないので、暖房を入れるまでもない時期で、図書館は集うひとの熱気でむっとする暑さがあった。どこも空いていないぎっしりと座った机と椅子をすり抜けて、文献の並ぶ棚の間に入ると、座れなかったのだろう上級生の髪の長い三人の女性が、そこで座り込んで教科書やノートを床に広げていた。
 床にだらしなく座っている彼女たちの短いスカートから下着が見えそうで、イサギは「ぴゃ!?」と飛び上がって目をそらした。ジャケットは着ているが、シャツにリボンタイは付けておらず、ボタンも際どく開いている。女性の下着や肌に興味はないが、みだりに見てはいけないものだとツムギからもサナからも教え込まれていた。

「うちのパンツ見たのん?」
「あれ、この子、サナ様の従弟やない?」
「結構可愛い顔しとるやん」

 立ち上がった彼女たちは、イサギよりも背が低いが、胸が大きくて威圧感がある。歩み寄られて逃げようとすると、一人がイサギの背中側に回り込んで、通路を塞いだ。

「この本、取りに来ただけやから、お邪魔しましたっ!」
「真っ赤になって、慌てて、かぁわいい」
「領主の従弟なんやろ。落としたら、玉の輿やない?」
「お、俺、婚約者がおるし!」

 じりじりと迫られて、胸を押し付けられそうになって、エドヴァルドと全く違う甘ったるい香りに、イサギは吐き気がしてきた。

「婚約者がおっても、お貴族様は遊ぶもんやろ。うちのおっぱい、触りたない?」
「あんさんら、遊ばれるだけの存在で、構わへんのか? 俺は、そんなん、嫌や。好きなひとしか、結ばれたくないし、触りたない! どうするんかは、知らんけど」

 聞き捨てならないことを言われて、自分は遊びで誰かと付き合いたくないし、エドヴァルドにもそういうことはされたくないと、震えながらでも声が出た。
 方法は知らないが、イサギの心はエドヴァルドにしか向かないし、エドヴァルド以外を対象に考えたことがないので、豊かな胸を押し付けられそうになっても、彼女たちが綺麗な顔をしていても、興味がない。望まない距離に詰め寄られる嫌悪感があるだけだった。
 触れられないが息のかかりそうな距離で、ジリジリと逃げていると、助けが来てくれる。

「先輩たち、イサギくんの婚約者は、物凄くカッコよくて素敵なひとで、身分の高いお方なんですよ? イサギくんが嫌がってるのに、何かして、それがバレたら、危ういのは先輩たちの身じゃないですか? 成績もそれほど良くないみたいだし、学校から追い出されちゃうかも」
「ま、マユリぃ!」
「本は見つかったんでしょ、行こう、イサギくん」

 一人で行ったイサギを気にかけて、マユリが追いかけてきてくれたのだ。上級生の女性三人を言い負かしてイサギを救い出して連れ出してくれるマユリに、イサギは心の底から感謝した。

「ありがとうな、マユリ。ほんまに助かった」
「私、ツムギ先輩に憧れてて、イサギくんのことも好きかもしれないって思ってたけど、秋祭りでエドヴァルドさんを見て、イサギとエドヴァルドさんの関係が凄く萌え……じゃない、素敵だと思ったのよ。こういうことがあったら、助けるから、教えてね」
「マユリ……あんさん、めっちゃいい奴やったんやな」

 ずっとイサギの前では不機嫌で、イサギは彼女の気に入らないことばかりしていると萎縮していたが、マユリはイサギに好意を持っていてくれたようだった。それが恋愛的なものではなく、劇団でツムギがファンから受けるような憧れだと理解して、イサギはホッとする。
 中庭に戻ってくると、ジュドーやヨータにもマユリがさっきのことを話してくれて、イサギを気を付けてくれるように頼む。

「綺麗なお姉さまに囲まれるとか羨ましい……いや、三人もとか、相手するの無理や! 無理無理! 怖かったなぁ、イサギ」
「マユリが間に合ったけん良かったけど、イサギくんを単独行動させたらいかんね」
「どうすれば良いんやろか」

 困り切ったイサギに、マユリは妙案があるようだった。
 その日、一緒にエドヴァルドの仕事している畑まで連れて行ってくれとマユリに頼まれて、何をするのか分からないまま、イサギはエドヴァルドにマユリを会わせる。

「そういうことがあったんですね……マユリさん、教えてくださって、ありがとうございます」
「エドヴァルド様なら、きっと上手に対処してくださると思って」

 説明を終えて帰ったマユリを屋敷の門まで送って行って戻ると、エドヴァルドがイサギに告げた。

「試験の最終日、仕事が休みなので、お迎えに行きますね」
「魔術学校からやったら、近いし、わざわざ迎えに来てもらうのは申し訳ないなぁ」
「学期末だから持ち帰るものもあるでしょうし、帰りにヨータさんのお店で、ジュドーさん、マユリさんも一緒に試験のお疲れ様会をしましょう」
「それはみんな喜ぶやろ」

 来てもらうのは申し訳ないが、たまの外食には心が浮かれる。しかもヨータの働く店でジュドーとマユリも一緒だ。
 次の日に魔術学校でそのことをジュドーとマユリとヨータに伝えると、なぜか非常に暖かな微笑みを向けられた。
 筆記試験は、ヨータが苦しんでいた他は、ジュドーもマユリもイサギも、問題なく終わる。最終日には、実習演習の攻撃と防御の魔術の実技試験があった。
 授業でヨータと組んで、怖い目に遭ったイサギは、今回はジュドーと組ませてもらう。ヨータはマユリと攻撃で一勝、防御で一敗の試合をしていた。勝ち負けよりも、編み上げた術式で合否は判断されるので、二人とも合格が告げられて、見ていたイサギもホッとする。
 続いてイサギもジュドーとの試合に臨む。

「ジュドーさん、堪忍やー!」
「遅かよ」
「ぎょえー!?」

 必死に編み上げた攻撃の魔術は、躊躇いがあったので発動が遅くなって、先に編み上げたジュドーの防御の魔術に弾かれてしまう。

「俺も行かせてもらうけんね」
「ぎゃー! こあいー!」

 叫び声をあげて編み上げた防御の術式は、ジュドーの攻撃の術式をどうにか弾くことができた。攻撃魔術の得意でないジュドーだから弾けたのであって、得意なヨータならば無理だったかもしれないと震えていると、教授から声をかけられる。

「術式は高等なんだけど、イサギくんは、発動までに躊躇いがあるね。多分、練習じゃなくて、本当の殺し合いになったら、もっと力を発揮できるだろうけど、そんなことにならないのが一番なんだろうね」
「俺、戦いに向いてないってことですよね?」
「そっち方面に進みたいなら止めないけど、そうじゃないなら、無理に鍛えることはないと思うよ」

 それよりも薬学の試験の成績が素晴らしかったと褒められて、イサギは照れ臭く試験を終えた。全ての試験を終えて、帰り支度をしていると、荷物を置いていた教室に、先日の上級生の女性三人が来ている。

「この前は邪魔されたけど、今日は逃がさへんよ」
「サナ様の畑を任されてるんだって? 薬草、持ち出し放題やない」
「イケないお薬、作ってるんとちゃう? うちらにも分けてよ」
「そんなん、持ち出したら……」

 薬草保管庫の薬草の量は正確に記録してあるし、勝手に持ち出せばサナが許さないことをイサギは身をもって知っている。震えて動けないイサギが周囲を見回すが、ジュドーもヨータもマユリもいない。みんな、実技授業の後で着替えで体育館の更衣室にいて、イサギだけが教室に置いてきた荷物を取りにきたのだ。

「俺は、エドさん以外……」

 教室の端に追い詰められて、半泣きの声で言うイサギの目に、上級生の女性たち越しに、大きな影が見えた。三つ揃いのスーツに鍛え上げられた体を包み込んだ、長身でスキンヘッドの穏やかな青い瞳の男性、エドヴァルドだ。

「え、エドさん……」
「私の婚約者に何か御用ですか? 試験お疲れ様でしたね、イサギさん。ヨータさんのお店に行きましょうか」
「こ、婚約者!?」
「男やん!?」
「ローズ女王とダリア女王の従兄で、テンロウ領のエドヴァルドといいます。今後、嫌がるイサギさんに近付くようなら、学校に報告させていただきますので」

 「王族!?」「女王様の従兄!?」と恐れをなして逃げていく上級生の女性たちに、安堵してイサギは半泣きでエドヴァルドに抱き着いた。

「助けてくれてありがとう」
「私……嫉妬深かったみたいです」
「嫉妬?」
「マユリさんやヨータさんやジュドーさん……イサギさんのご友人にそんなことはないので安心してくださいね」

 あれは嫉妬だったのかと理解すると、ふわふわと足元が浮つくような気分になって、マユリとジュドーとヨータと合流したお疲れ様会でイサギは何を食べたのかも分からなかった。
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