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第三章 結婚に向けて

16.大切な場面で大失態

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 専門的な教科になれば、領主の御屋敷での経験も活かせて、イサギは授業を楽に感じるようになっていた。算術は難しくないわけではないが、薬草を加工するときに実際に使っていた方法を考えれば、公式も覚えやすい。一番困ったのは古代語だったが、そちらはどうしても分からない場合にはエドヴァルドに教えてもらっていた。
 小さな頃からテンロウ領の領主の御屋敷で、たくさんの書物に囲まれて育ったエドヴァルドは、文字に関する知識が非常に高い。冬場はテンロウ領は雪に閉ざされるので、本くらいしか暇つぶしがなかったとクリスティアンも言っていた。

「イサギくんは貴族だから、学費免除の対象にならないけど……成績優秀者に入ってるわよ」
「ほんまか!?」

 夏休み前の試験を終えて、学費免除が続けて申し込めるか問い合わせに行ったマユリは、成績優秀者の中にイサギの名前を見つけたと報告してくれた。努力が実っているようで、イサギはこのことを早くエドヴァルドに伝えたくてたまらなかった。
 立派な薬草学者になれば、堂々と胸を張ってエドヴァルドと結婚することができる。知識に加えて、薬草畑と保管庫で経験を積んだエドヴァルドと、仕事でも家庭でもパートナーでいられるのは、イサギの夢だった。

「俺も無事に学費免除の対象やったとよ。イサギくんとマユリのおかげやね」
「俺は、試験の合格点が取れただけでも、嬉しいわ。夏休みが来るでー!」

 昨年は、夏休み前の試験で大失敗をして、一週間の補講授業を受けたヨータは、今回は苦手な算術も古代語も、ぎりぎりで合格点を出していた。ヨータの家はそこそこ裕福な商家だが、進級できなければ学費が払えなくなる可能性もある。生活費は居酒屋のアルバイトで稼いでいるが、夏休みの稼ぎ時には他のアルバイトも入れて、実家からの仕送りが減らせるようにと考えているようだった。

「うちは妹と弟がおるからなぁ。あいつらも、魔術の才能があるなら学校に通わせてやりたいんや」
「夏休みはヨータはバイトか」
「私は実家に帰って、近くにできた薬草畑でアルバイトできないか掛け合ってみるつもりよ」
「俺は、工房で少し休みがもらえるけん、コウエン領の姉のところに行くかなぁ」

 それぞれに夏休みが無事過ごせるようにと言い合って、イサギは夏休み中の課題を受け取って、エドヴァルドの待つ家に帰った。仕事を休みにして、エドヴァルドは仕立て上がった水着を取りに行って、もう家に戻っているはずだ。

「エドさーん、帰って来たでー!」
「お帰りなさい、イサギさん。テンロウ領から、返事が来ましたよ」

 夏休みの間にご挨拶に伺いたいと領主夫婦宛てに書いた手紙の返事が来なくて、歓迎されていないことをひしひしと感じていたが、今日、ようやく返事が届いたとエドヴァルドが手渡してくれた。
 落ち着いて読もうと、お茶を淹れて、ソファに腰かけた。
 テンロウ領の狼の横顔の紋章の入った封書を開けて、震える手で折りたたまれた紙を広げる。クリーム色の便箋に、青いインクで丁寧に文字が書かれていた。

『イサギ様
 この度は、テンロウ領への訪問をお望みということで、領主として精一杯の歓迎をさせていただきます。
 幼年学校を出てから9年に渡って、私的には戻ってこなかったクリスティアン、また、エドヴァルドの二人の息子も揃うと聞いて、妻も喜んでおります。
 エドヴァルドとイサギ様が婚約をされたことは、ローズ女王陛下より聞き及んでおります。その件については、直に顔を合わせてお話したく思っております』

 拍子抜けするほど丁重な返事に、困惑してエドヴァルドを見れば、青い目を細めて苦笑している。

「返事が遅かったのは、何を書けばいいのか迷っていたのだと思います」
「そうやろな……ずっと結婚を拒んでた息子が、男となんて、受け入れられんやろうし」
「父は……薄々、私が女性を愛せないのに気付いていたのではないかと」

 どうしても結婚できない理由が、エドヴァルドにはあった。
 この国では結婚とは男女がするものであって、テンロウ領の領主の息子ともなれば、子どもを望まれる。子どもができないような結婚は、男女であっても歓迎されない。古く凝り固まった因習が、この国には根強く残っていた。
 それを今、ダリアを主導に女王たちが変えようとしている。

「訪問は歓迎されるんや、まずは良い出だしやないか」
「そうですね、一緒に行きましょうね」

 数日間は泊まるつもりで、荷物を用意して、イサギはエドヴァルドとお揃いの生地のスーツも揃えて、出発の日を待った。サナにはエドヴァルドの実家への挨拶で数日間薬草畑の管理を休むことは伝えてある。
 革のトランクに荷物を詰めたエドヴァルドの移転の魔術で、イサギはテンロウ領の領主の御屋敷に行った。冬場も雪が積もるのは数日で、湿気が多く温暖なため木造建築が多く、漆喰の壁が目立つセイリュウ領とは対照的に、テンロウ領の町並みは煉瓦や石造りで重厚で、冬場の積雪に耐えうる設計になっていた。
 狼の横顔の紋章の付いた石のアーチの門を潜れば、煉瓦造りの堅牢なお屋敷が見える広い庭に入る。

「いらっしゃい、イサギ、兄さん!」
「クリスさん、よろしくな」
「僕も久しぶりに長逗留するから、退屈しないようにイサギがいてくれて嬉しいよ」
「クリスティアン、良い報告があるのですって?」
「そう、それも聞いて欲しくて」

 クリスティアンに案内されて通された客間では、使用人がお茶を淹れてくれる。領主が言い聞かせているのか、王都の別邸の使用人のように、冷たい視線を向けられることも、陰口を叩かれることもなかった。
 拍子抜けしながら荷物を置いて、お茶を飲んで一息付いて、リビングに出ていくと、クリスティアンとよく似た雰囲気の髪の長い痩せた長身の女性と、エドヴァルドによく似た雰囲気のエドヴァルドが言っていた通りに前髪が後退し始めている男性が待っていてくれた。

「初めまして、テンロウ領の領主様、奥様。俺が、エドさんの婚約者のイサギです」
「……本当に、男の子なのね」

 女性の唇からため息が聞こえて、委縮しそうになる気持ちをイサギは必死に奮い立たせる。

「こ、これ、お土産です。俺が育てた、蕪マンドラゴラで……ぴゃー!? 逃げたらあかんやろ! 今、一番大事な場面やでー!?」

 袋に入った蕪マンドラゴラを手渡そうとしたイサギに、一斉に袋の中で蕪マンドラゴラたちが暴れ出して、取り落とした袋から逃げ出して、エドヴァルドの母親の足元を掠めて逃げ、エドヴァルドの父親の脚にしがみ付き、クリスティアンの肩によじ登る。

「クリスさん、エドさん、挟み撃ちや!」
「私も手伝おう、何をすればいい?」
「お義父さん、そっちから追い込んでや!」
「あらあら、この子、私が好きみたいだわ」

 協力して何匹か捕まえた大混乱の中で、エドヴァルドの母親の膝の上に陣取って、一匹の蕪マンドラゴラが丸い身体をすりすりとエドヴァルドの母親の頬に擦り付ける。

「こんな活きのいいマンドラゴラは見たことがない」
「イサギさんは、ローズ女王とリュリュさんもお気に入りの人参マンドラゴラも育てた、凄いひとなのですよ」
「まぁ……あの有名な、ムチムチの人参マンドラゴラを」

 エドヴァルドの母親の膝の上にいる一匹以外は袋に戻して、大失態をやらかしてしまったと頭を抱えるイサギを他所に、エドヴァルドの母親と父親の態度は軟化していた。

「可愛いわねぇ、エドヴァルドの小さな頃を思い出すわ」
「確かに、白くて丸くて、エドヴァルドみたいだ」
「私はそんなにコロコロしてましたか?」
「赤ちゃんはムチムチなのが健康の証なのよ」

 愛おしげに蕪マンドラゴラを撫でながら、エドヴァルドの母親が目を細める。

「イサギさんは、クリスティアンの離乳食に毒を入れた相手も突き止めました。それが、イサギさんのお母さんだったのは残念なことですが、イサギさんはお母さんの呪縛を逃れて、モウコ領の次期領主の夫となった素晴らしいお父さんに育てられています」
「クリスティアンの……? 本当に?」
「俺の母が、すみません」
「あなたが産まれる前のことですもの。それより、真相を解明してくれたのね」

 嗚呼と声を上げて、エドヴァルドの母親は蕪マンドラゴラを抱き締める。

「私がいけなかったのよ……ずっとそう思っていたの。エドヴァルドは乳母に預けるように母に言われて……本当は私の手で育てたかった。でも、それができなくて。クリスティアンは私の手で育てなかったから、あんな事件が起きてしまったのだと……」
「国をひっくり返そうとしたような悪女やったんや。お義母さんの責任やない」
「そうね……ずっとこの19年間、誰かにそう言って欲しかった」

 悲しくもすれ違ってしまった母親と息子たちだが、イサギと違って、エドヴァルドとクリスティアンはやり直しができそうな気配がしていた。

「お前には、幸せになって欲しかった。お前が男性を好きなんじゃないかと疑ったこともあったが、一時期の気の迷いだとか、思春期によくある憧れだとか、そうやって自分を誤魔化していた。だが、お前が幸せになれる結婚で、それが女王のお墨付きであるなら、私には反対する理由がない」
「会ってもらえないと、思っていたの。良い母親じゃなかったでしょう? 世界中がクリスティアンを殺そうとしている気がして、怖くて……」

 会えて嬉しいとエドヴァルドの父親と蕪マンドラゴラを抱いて涙ぐんだ母親に順番に手を握られて、イサギは泣き出しそうになってしまった。涙目でエドヴァルドに抱き付くと、優しく抱き返してくれる。

「俺は、認められたんか?」
「それ以上のことをしてくださいましたよ」

 固く閉ざされた冬の雪が溶けるように、ゆっくりとエドヴァルドとクリスティアンの両親の心が解けていくのが分かる。
 男同士の結婚をよく思わない相手は今後どれだけでも出会うだろうが、エドヴァルドは両親に祝福されている。それを感じて、イサギは滞在中に誰に陰口を叩かれても頑張れそうな気がしていた。
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