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育つ子犬と魔王オメガ

12.初めての諍い

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 運動会でリコスはかけっこで一番になった。誇らしげにそれを伝える様子に、ルヴィニも微笑んでしまう。見に来てくれた母も叔父も祖父母もいるのに、真っすぐに一番にルヴィニのところへ来てくれるのが可愛くてならない。
 お弁当のサンドイッチを家族とルヴィニと食べて、午後の部もリコスは元気に参加していた。
 運動会が終わって、季節が巡って、またタンポポの咲く頃がやってくる。飛ばした綿毛は、踏まれないように庭の散歩道の端に並んで芽を出し、成長していた。

「もう直ぐ咲くかな?」
「こっちは蕾になっているね」

 少し舌ったらずの甘い高い声が、ほんの少しだけ低くなってきた気がする。ルヴィニがリコスの成長を感じたのは、それだけではなかった。
 同じベッドで寝て、胸を吸うことがあったのに、最近は自分の部屋で寝ることが多くなった。お風呂も一緒だったのに、一人で入れると言われてしまう。

「リコスは私に飽きたのだろうか……」

 獣人と子どもが集まった小国の国王となったルヴィニには、雑多な書類仕事も割り振られてきていた。ほとんどを宰相に任せて、出来る限りルヴィニは以前通りの自由な魔王業を続けたいのだが、宰相がそれを許してくれない。仕事を減らすためにスカウトした宰相なのに、仕事を増やすのは責任感などないルヴィニには不満だった。
 嫌々ながら書類を眺めつつ呟けば、呆れた表情で宰相が額に手をやる。

「リコス様の方が確りなさっている」
「リコスと話したのか?」
「話があると仰って、呼び出されましたよ」

 11歳の誕生日が近付くに連れて、リコスの方も気になることができたようだ。特に、叔父のアツァリが触手のエリャと恋人同士になってから、ルヴィニとの関係について考え始めたらしい。

「王様の番は、何をすれば良いもの?」

 婚約指輪を外していないリコスが、ルヴィニから心変わりをしたとは考えられなかったが、宰相に聞いた内容がそれだと分かって、ルヴィニは胸を撫で下ろした。それに対して、宰相は真面目に答えた。

「王とは国の権力者のように思えますが、逆で、国のために働く者のことを言います」

 勘違いした輩が国民を搾取しているが、そうではないのだと宰相はリコスに教えた。

「国民が豊かになるように働き、その対価として、王は豊かな暮らしが与えられます」
「それなら、王の番は何すればいいの?」
「王が力を持てば持つほど、国は豊かになるかもしれませんが、王が間違ったときに声を上げることが難しくなります」
「そういうときに、おれがルヴィニ様にお伝えすればいいんだね」
「そうです。そのためにも、判断力を磨き、民の声に耳を傾けてください」

 ルヴィニの番になるということは、この国の王の番になるということだ。それをリコスは10歳なりに一生懸命考えて、何を学べばいいのかを宰相に習っていたのだ。

「私に聞いてくれればいいものを」
「残念ながら、あなた様に答えられる類の質問ではないかと思われます」
「酷い。私が常識がないようなことを言って」

 成り行きで国を治めるようになったが、ルヴィニには足りないものがたくさんある。それを宰相が補ってはくれているが、オメガのフェロモンで他国の権力者を誑かして言うことを聞かせた方が早いと、つい今までの経験で頭を過ぎる瞬間がなくもない。
 可愛い尖った灰色の耳とふさふさの尻尾の琥珀色の瞳のリコスを思い出して、他のアルファには指一本触れさせまいと誓うのだが、触手のエリャも恋人ができてしまったし、ルヴィニは体を慰める術が全くなくなってしまった。
 もうすぐ11歳になるとはいえ、リコスはまだ幼すぎる。
 魔力を絞り取るために快感を覚え込ませたルヴィニの体は、欲望に満ち溢れている。
 ベッドで自分で触れても、自慰をするくらいなら適当なアルファを捕まえて搾り取ったり、触手を召喚してきたりしたルヴィニは、自分の指程度で達せるはずがなかった。前に触れても、オメガのルヴィニが求めている刺激は、後孔を貫き、内壁を擦り上げるものであって、中心から白濁を吐き出すこともできない。
 苦しくて、新しい触手を召喚しようとすると、いつの間にか寝室に入り込んできているエリャから止められる。エリャのような触手が増えてもリコスとの仲を邪魔されるだけだから諦めるのだが、ルヴィニは明らかにオメガの体を持て余していた。
 そんな時期にアツァリから相談をされて、魔力がエリャを通じてルヴィニの元まで来ていないので、行為はしていないのだろうが、触手であれ恋人とそういうことが出来るアツァリが羨ましくて、ルヴィニは若干態度が悪かったかもしれない。
 話を聞こうとしていない様子に、後ろからエリャに触手で叩かれる。

「そいつと結婚したいとかそういう話なら、勝手にすればいい」
「け、結婚!? 違うよ。リコスのことなんだ」
「リコスの?」

 真面目に聞いていなかったので、全然頭に入ってきていなかったが、アツァリはリコスの学校の担任として、ルヴィニに相談に来たというのだ。

「あの子、アルファで優秀だろう? 俺も教師として勉強したわけじゃないし、魔術も使えない。正直なところ、今の学校の体制では、あの子にこれ以上の教育を施すことができないんだ」

 人々が集まって国となり、魔術で街を作り、人が住めるようにはしたが、この国は出来てからの時間が短すぎて、教育体制も整っていない。獣人のほとんどは祖国で教育をまともに受けられないままに幼いうちから奴隷のように働かされてきたものばかりで、教師役になれるのがアツァリと数名しか見つからなかった。そのアツァリですら、11歳になるリコスにもう教えることがないという。

「魔術を教えるときが来たのかもしれない」
「でも、あんたはこの国の王だろう?」
「私は魔王だよ。王をやりながら、愛するリコスに魔術を教えるくらいのことは……宰相もいるし、多分、きっと、大丈夫だ」

 始まりは二人だった。
 リコスとルヴィニ、二人で向かい合って座って、文字を教えた。そのうちに人が増えて、魔女の森に国ができて、ルヴィニが忙しくなって、リコスは街の学校に行くようになった。
 一人でベッドで眠るようになって、お風呂も別になったリコスが、ルヴィニの元に戻ってくる。また二人の時間を持てる。期待に胸を膨らませて、ルヴィニはリコスの部屋を訪ねた。
 ルヴィニを育てた魔女が残してくれた本を何冊か借りて、リコスは自分で読んで勉強を進めているようだった。

「リコス、私が魔術を教えてあげよう」
「そのことなんだけど……」

 喜んでリコスは答えてくれるとルヴィニは、そのときまで少しも疑っていなかった。リコスはルヴィニとの時間が増えると喜んで、魔術を習うだろう。
 しかし、リコスの答えは全く違うものだった。

「母さんと二人で、おれを留学させて欲しいんだ」

 魔術学校のある国への留学。獣人のリコスは受け入れられないかもしれないが、魔王の国からの留学生としてならば、表面上はどの国でも受け入れるだろう。ルヴィニのいない場所で、リコスが獣人であることを理由に、迫害を受けたり、冷遇されたりするかもしれない。

「ダメだ。リコスを他国にやるなんて、危険すぎる」
「ルヴィニ様、お願い! おれにいっぱい魔術をかけて。おれ、ルヴィニ様に相応しい男になりたいんだ!」

 琥珀色の目が、燃えるように輝いている。必死さは伝わってくるし、ルヴィニに並ぼうとするその姿勢は嬉しいのだが、ルヴィニはどうしてもリコスを手放すことができない。

「毎日抱きしめられなくなる」
「お休みの日には帰ってくるの」
「食事も別々になってしまう」
「おれも頑張って好き嫌いせずに食べるから、ルヴィニ様も食べてね?」
「嫌だ!」

 子どものように駄々を捏ねるルヴィニを、リコスが説得しようとするが、ルヴィニはそれ以上言葉を紡がせないために、リコスの唇を塞いでしまった。口付けて、口の中に舌を滑り込ませると、驚きで琥珀色の目が丸くなるのが分かる。
 リコスの選択を尊重してやりたい気持ちよりも、手放したくない気持ちが強すぎて、ルヴィニはどうしても快い返事ができなかった。
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