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魔女(男)とこねこ(虎)たん 3
99.燕の紳士の燕尾服
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細い金のネックレスは国王陛下にとっては大した金額でもないのだろうが、元平民のヘルミーナにとってはとても高額に感じられているはずだ。金の瀟洒にデザインされた鎖だけのネックレスなので受け取ってもらえると国王陛下は思ったようだがヘルミーナはそれを躊躇っていた。
「受け取ったら気持ちも受け取らなければいけないような気になっているのでしょう? 気持ちを受け取れる日が来たら、身につけるってことで、預かっておけばいいんじゃない?」
「それでよろしいのでしょうか?」
「その間に、国王陛下には話があるけどね!」
ダーシャの言葉にヘルミーナは金のネックレスを身につけはしないが受け取ることを決めたようだった。
国王陛下にダーシャが詰め寄っていく。
「あなた、亡き妻を一生想い、再婚することはないと誓ったわよね」
「あのときは本当にそういう気持ちだったのです」
「今はどうなの? 正直に答えなさい」
国王陛下に対してでもダーシャの態度は普段と変わらない。ダーシャに詰め寄られて国王陛下は凛と顔を上げた。
「ヘルミーナ殿を愛している。フベルトくんも大事に思っている」
「それなら分かったわ。策を練りましょう。国王が妃を亡くして苦しみ、悲しんでいるときに支えとなってくれる相手が現れる。そんな劇をオルシャーク領の歌劇団とククラ領の歌劇団に公演させるのよ」
国民の感情を動かすにはまずは下地から作っていかなければいけない。ダーシャの説明に国王陛下がこくこくと頷いている。
「その間に、元宰相がどれだけあなたを苦しめて、子ども時代を奪い、お妃様が亡くなったらすぐに再婚を勧めるなど、酷いことをしてきて、あなたが苦しんだかを国民に知らせるの」
「それから……?」
「あともう一押し欲しいところだけど、今できるのはそれだけね」
ダーシャに言われたことを国王陛下は実行するつもりのようだった。
ダーシャの話が終わると国王陛下からアデーラとダーシャに相談がされた。
「ルカーシュのために気象学者を探したのですが、とても気難しい相手で、王立高等学校に務めると了承してくれません」
「どのような方なのですか?」
「燕尾服を着た立派な紳士です」
服装を言われてアデーラはすぐに燕尾服のイメージがわいた。これはアデーラには解決できることなのではないだろうか。
「その方を私の店に連れて来てもらえますか?」
「アデーラ殿、助けてくださいますか?」
「ルカーシュのためですからね」
国王陛下のためではない。他ならぬ可愛い息子のルカーシュのためならば、アデーラも一肌脱ぐ覚悟くらいはあった。
数日後アデーラの店に現れたのは小柄な燕の獣人の紳士だった。まだ三十代くらいで若い印象を受ける。ぴっしりと燕尾服を着た燕の獣人の紳士に、アデーラは名乗った。
「私はアデーラ・カサロヴァー。第一皇子のルカーシュの母親代わりの魔女です」
「男性が母親代わりとは珍しいが、あり得ないことではないでしょう。魔女に男性がいるというのも初めて知りました。とても興味深い」
「私は間違って生まれて来ただけで、魔女は他は全員女性です」
「それならば、ますます興味深いですね」
アデーラの方に興味を持たせるつもりはなかったのだが、燕の獣人の紳士は黒い羽と尾羽を動かしてじっとアデーラを見詰めて来る。
「僕はダミアーン・ロウチュカ。見ての通り燕の獣人です」
「失礼ですがその燕尾服、身体に合っていないのでは?」
アデーラが問いかけると、ダミアーンの表情が変わる。身を乗り出して来たダミアーンは両手で顔を覆って嘆いている。
「そうなのです。僕の羽と尾羽は特徴的だから、僕に合う燕尾服を作ってくれる仕立て職人がどこにも存在しないのです。燕尾服とは燕から名前を取った服。僕こそが世界で一番燕尾服を着こなせる存在のはずなのに!」
熱を込めて発せられるダミアーンの言葉に、アデーラはやりがいを感じる。ルカーシュとのことは関係なくても、自分にぴったりの燕尾服が見付からないなどという悩みを持った客を、アデーラは放っておけなかった。
ダミアーンを試着室に招いて採寸をする。確かに燕の羽と尾羽は特徴的で、燕尾服を作るのは難しく思えた。
「背中の中央のスリットを大きく取りましょう。羽はゆっくりと出せるように、肩の部分と背中の部分はボタンで留める構造にしましょう」
「僕にぴったりの燕尾服が作れますか?」
「できる限り努力します」
ダミアーンが帰った後にアデーラは燕尾服の布を断って縫い始めた。艶のあるダークグレーの燕尾服は、白いシャツに赤いハンカチーフと共に、丁寧に縫い上げた。
燕尾服を取りに来たダミアーンは最初はアデーラの腕を信じていなかった。
「どうせ、僕の羽が窮屈だったり、尾羽が飛び出て見えるんでしょう。分かっているのです」
「着てみてください」
「あぁ、僕はいつになったら理想の燕尾服に会えるのでしょう」
嘆いているダミアーンを試着室に押し込むと、中から感嘆の声が漏れて来る。
「羽が窮屈ではない……裾もきっちりと尾羽を避けて作られている……これは、アデーラ様! これは!」
思わず試着室から飛び出して来たダミアーンにアデーラはにっこりと微笑む。アデーラの作った燕尾服はダミアーンの身体にぴったりと合っていた。
「ありがとうございます。この燕尾服と出会いたかったのです」
「私の息子、ルカーシュの指導をしてくださるなら、私があなたの燕尾服を作り続けますが」
「それは……」
難色を示すダミアーンにアデーラはルカーシュが6歳のときから続けている雨量の研究や雪の結晶の記録、太陽の記録を持ち出してくる。ヘルミーナにあらかじめ借りておいたものだ。
受け取ったダミアーンはそれに目を通して、アデーラを見た。
「ルカーシュ殿下はおいくつですか?」
「今度12歳になります。それは6歳のときから続けている、六年分の記録です」
「これは素晴らしい……持ち帰ってじっくりと見てもいいですか? 教え甲斐のありそうな生徒です。国立高等学校行きを検討しましょう」
きっかけはアデーラの燕尾服だったかもしれないが、最終的にはルカーシュは自分の研究でチャンスを掴み取った。
ルカーシュのお誕生日には例年通り祭典が開かれた。祭典にはダミアーンも出席していた。
「ルカーシュ殿下、ダミアーン・ロウチュカと申します。初めまして。ルカーシュ殿下のこれまでの研究を見させていただきました。6歳から研究を始められたとは思えないほど素晴らしいものでした。どうか、私にルカーシュ殿下の気象学をもっと高める手助けをさせてください」
国王陛下が何度使者を送って頼んだとしても動かすことのできなかった、国の高名な気象学者が動いた。そのことは周囲をざわつかせた。
「ルカーシュ殿下の家庭教師は余程力量があるのですね」
「あのロウチュカ様を動かしてしまった」
「ルカーシュ殿下の賢さは比類なきもののようです」
これで王家は安泰だと笑う貴族たちに嫌味はなさそうだ。アデーラもレオシュもじっと見つめていたが、特に嫌な感じはしていない。
「オルシャーク領の公演を見ましたか? 妻を失って悲劇に落とされた国王がそばに仕える侍女に心溶かされていく様子」
「ククラ領の方を見ました。あれは素晴らしいロマンスだった!」
ダーシャの企みも見事に進んでいるようだ。
それを確認して、アデーラは離れの棟にダーシャとレオシュとルカーシュと一緒に戻った。
翌日にはルカーシュは魔女の森に行って、エリシュカとブランカにお誕生日を祝われた。
例年通りにアイスクリームケーキを頬張るルカーシュは、少し大人びた顔をしていた。
「受け取ったら気持ちも受け取らなければいけないような気になっているのでしょう? 気持ちを受け取れる日が来たら、身につけるってことで、預かっておけばいいんじゃない?」
「それでよろしいのでしょうか?」
「その間に、国王陛下には話があるけどね!」
ダーシャの言葉にヘルミーナは金のネックレスを身につけはしないが受け取ることを決めたようだった。
国王陛下にダーシャが詰め寄っていく。
「あなた、亡き妻を一生想い、再婚することはないと誓ったわよね」
「あのときは本当にそういう気持ちだったのです」
「今はどうなの? 正直に答えなさい」
国王陛下に対してでもダーシャの態度は普段と変わらない。ダーシャに詰め寄られて国王陛下は凛と顔を上げた。
「ヘルミーナ殿を愛している。フベルトくんも大事に思っている」
「それなら分かったわ。策を練りましょう。国王が妃を亡くして苦しみ、悲しんでいるときに支えとなってくれる相手が現れる。そんな劇をオルシャーク領の歌劇団とククラ領の歌劇団に公演させるのよ」
国民の感情を動かすにはまずは下地から作っていかなければいけない。ダーシャの説明に国王陛下がこくこくと頷いている。
「その間に、元宰相がどれだけあなたを苦しめて、子ども時代を奪い、お妃様が亡くなったらすぐに再婚を勧めるなど、酷いことをしてきて、あなたが苦しんだかを国民に知らせるの」
「それから……?」
「あともう一押し欲しいところだけど、今できるのはそれだけね」
ダーシャに言われたことを国王陛下は実行するつもりのようだった。
ダーシャの話が終わると国王陛下からアデーラとダーシャに相談がされた。
「ルカーシュのために気象学者を探したのですが、とても気難しい相手で、王立高等学校に務めると了承してくれません」
「どのような方なのですか?」
「燕尾服を着た立派な紳士です」
服装を言われてアデーラはすぐに燕尾服のイメージがわいた。これはアデーラには解決できることなのではないだろうか。
「その方を私の店に連れて来てもらえますか?」
「アデーラ殿、助けてくださいますか?」
「ルカーシュのためですからね」
国王陛下のためではない。他ならぬ可愛い息子のルカーシュのためならば、アデーラも一肌脱ぐ覚悟くらいはあった。
数日後アデーラの店に現れたのは小柄な燕の獣人の紳士だった。まだ三十代くらいで若い印象を受ける。ぴっしりと燕尾服を着た燕の獣人の紳士に、アデーラは名乗った。
「私はアデーラ・カサロヴァー。第一皇子のルカーシュの母親代わりの魔女です」
「男性が母親代わりとは珍しいが、あり得ないことではないでしょう。魔女に男性がいるというのも初めて知りました。とても興味深い」
「私は間違って生まれて来ただけで、魔女は他は全員女性です」
「それならば、ますます興味深いですね」
アデーラの方に興味を持たせるつもりはなかったのだが、燕の獣人の紳士は黒い羽と尾羽を動かしてじっとアデーラを見詰めて来る。
「僕はダミアーン・ロウチュカ。見ての通り燕の獣人です」
「失礼ですがその燕尾服、身体に合っていないのでは?」
アデーラが問いかけると、ダミアーンの表情が変わる。身を乗り出して来たダミアーンは両手で顔を覆って嘆いている。
「そうなのです。僕の羽と尾羽は特徴的だから、僕に合う燕尾服を作ってくれる仕立て職人がどこにも存在しないのです。燕尾服とは燕から名前を取った服。僕こそが世界で一番燕尾服を着こなせる存在のはずなのに!」
熱を込めて発せられるダミアーンの言葉に、アデーラはやりがいを感じる。ルカーシュとのことは関係なくても、自分にぴったりの燕尾服が見付からないなどという悩みを持った客を、アデーラは放っておけなかった。
ダミアーンを試着室に招いて採寸をする。確かに燕の羽と尾羽は特徴的で、燕尾服を作るのは難しく思えた。
「背中の中央のスリットを大きく取りましょう。羽はゆっくりと出せるように、肩の部分と背中の部分はボタンで留める構造にしましょう」
「僕にぴったりの燕尾服が作れますか?」
「できる限り努力します」
ダミアーンが帰った後にアデーラは燕尾服の布を断って縫い始めた。艶のあるダークグレーの燕尾服は、白いシャツに赤いハンカチーフと共に、丁寧に縫い上げた。
燕尾服を取りに来たダミアーンは最初はアデーラの腕を信じていなかった。
「どうせ、僕の羽が窮屈だったり、尾羽が飛び出て見えるんでしょう。分かっているのです」
「着てみてください」
「あぁ、僕はいつになったら理想の燕尾服に会えるのでしょう」
嘆いているダミアーンを試着室に押し込むと、中から感嘆の声が漏れて来る。
「羽が窮屈ではない……裾もきっちりと尾羽を避けて作られている……これは、アデーラ様! これは!」
思わず試着室から飛び出して来たダミアーンにアデーラはにっこりと微笑む。アデーラの作った燕尾服はダミアーンの身体にぴったりと合っていた。
「ありがとうございます。この燕尾服と出会いたかったのです」
「私の息子、ルカーシュの指導をしてくださるなら、私があなたの燕尾服を作り続けますが」
「それは……」
難色を示すダミアーンにアデーラはルカーシュが6歳のときから続けている雨量の研究や雪の結晶の記録、太陽の記録を持ち出してくる。ヘルミーナにあらかじめ借りておいたものだ。
受け取ったダミアーンはそれに目を通して、アデーラを見た。
「ルカーシュ殿下はおいくつですか?」
「今度12歳になります。それは6歳のときから続けている、六年分の記録です」
「これは素晴らしい……持ち帰ってじっくりと見てもいいですか? 教え甲斐のありそうな生徒です。国立高等学校行きを検討しましょう」
きっかけはアデーラの燕尾服だったかもしれないが、最終的にはルカーシュは自分の研究でチャンスを掴み取った。
ルカーシュのお誕生日には例年通り祭典が開かれた。祭典にはダミアーンも出席していた。
「ルカーシュ殿下、ダミアーン・ロウチュカと申します。初めまして。ルカーシュ殿下のこれまでの研究を見させていただきました。6歳から研究を始められたとは思えないほど素晴らしいものでした。どうか、私にルカーシュ殿下の気象学をもっと高める手助けをさせてください」
国王陛下が何度使者を送って頼んだとしても動かすことのできなかった、国の高名な気象学者が動いた。そのことは周囲をざわつかせた。
「ルカーシュ殿下の家庭教師は余程力量があるのですね」
「あのロウチュカ様を動かしてしまった」
「ルカーシュ殿下の賢さは比類なきもののようです」
これで王家は安泰だと笑う貴族たちに嫌味はなさそうだ。アデーラもレオシュもじっと見つめていたが、特に嫌な感じはしていない。
「オルシャーク領の公演を見ましたか? 妻を失って悲劇に落とされた国王がそばに仕える侍女に心溶かされていく様子」
「ククラ領の方を見ました。あれは素晴らしいロマンスだった!」
ダーシャの企みも見事に進んでいるようだ。
それを確認して、アデーラは離れの棟にダーシャとレオシュとルカーシュと一緒に戻った。
翌日にはルカーシュは魔女の森に行って、エリシュカとブランカにお誕生日を祝われた。
例年通りにアイスクリームケーキを頬張るルカーシュは、少し大人びた顔をしていた。
応援ありがとうございます!
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