後宮小説家、佐野伝達

秋月真鳥

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第一部

6.佐野伝達、大浴場に行く

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 次の日、迎えに来てくれたシャムス様を私は部屋の中に招き入れた。
 後宮を歩くとはいえ、シャムス様に会うので髪は布を巻いて隠している。布の巻き方も少しは上手になったのではないかと思っている。

「今日は大浴場に行ってみようかと思いますが、アズハル様の予約は入っていないですよね?」
「大浴場ならば、私は同行できないが、どうすればいい?」
「大浴場に行った後にイフサーン様とイフラース様のところに行くので、部屋で待っていていただくことは可能ですか?」
「それは可能だが……一人で大丈夫か?」

 皇帝陛下の命で動いているとはいえ、私を好ましく思わないものは後宮に大勢いる。特に私は皇帝陛下の寵愛を受けている千里様と同郷で、千里様を主と仰いでいる身なのだ。皇帝陛下が直属の吟遊詩人として私を認めたとしても、陰湿ないじめが起きないわけではない。

「そのためにも、シャムス様には部屋に待機していて欲しいのです」
「どういうことだ?」
「私は一刻以内に帰って参ります。それ以上時間がかかっていれば、千里様にそのことを伝えて、大浴場を見てきてもらうようにお願いできますか?」

 最初から千里様にお願いするのは図々しいと分かっているが、私に何か起きたときに、女性であるシャムス様が入れない場所にいたとすれば、それは千里様に頼るしかない。
 千里様も何のために私が動いているか知っているので、協力は惜しまないだろう。

「分かった。必ずそのように動こう。伝達殿、どうかお気を付けて」

 手を握られて、武芸など全くしたことのない私の手よりも武骨で大きなシャムス様の手にときめいてしまう。この世界では男女は体格差がなく、どちらかと言えば女性の方が大きく逞しいことが多いので、シャムス様も私よりもずっと逞しく背も高かった。
 豪奢な金髪を一つに纏めたシャムス様は美しくも強い。
 こんな女性と一緒になれればいいのにと夢を見てしまうほどだ。

 しかし、私は後宮に入った身。
 皇帝陛下直属の吟遊詩人となったが、後宮に入ったということは数多いる皇帝陛下の夫の一人になったということだ。
 どれだけ皇帝陛下に相手にされないとしても、結婚している身で、夢を見ることなど許されない。

「もしかすると……」

 ふと頭を過ったことがあった。
 皇帝陛下に嫁いできたものは、後宮からは基本的に出ることは許されない。後宮から出るとすれば、皇帝陛下が特別に手柄を立てた臣下に男性をお下げ渡しになったときか、その男性が問題を起こして追い出されたときくらいだ。

 後宮に来る前に好きな相手がいた男性もいなかったわけではないだろう。
 そういう男性が後宮から出ようとしたことはないのだろうか。
 後宮で問題を起こせば処刑される可能性もあるのだから、追い出されるくらいで済むかどうかも分からない。

 可能性として、それは胸に留めて、私は大浴場に向かった。
 大浴場は半地下にあった。
 入口で大浴場の管理人に自分の名前を告げて、腰布とサンダルを受け取って、脱衣所に向かう。
 日の国の浴場は裸で入るのだが、月の帝国の浴場は腰布とサンダルを身に着けていなければいけないのだ。

 基本的に月の帝国の大浴場は蒸し風呂で、浴槽から立ち上る蒸気で汗を出し、あかすりやマッサージ、剃毛をしてもらう。
 男性はできるだけ体毛が薄い方がよいとされていて、髭は必ず剃るし、腕の毛や脛の毛も剃っているものが多い。

 夜の大浴場にはよくない精霊が現れるとして、日が出ている時間しか大浴場は開いていない。

 大浴場の中に入ると、大理石のベンチが置いてある。そこに座れば、私を遠巻きに見ていた男性たちが近寄って来た。

「日の国の佐野伝達殿ですか?」
「皇帝陛下が夢中になる物語を書いていると聞きました」
「私たちにも語ってくれませんか?」

 興味深そうに寄ってくるのは、私の正体を知りたい男性たちだった。小説の内容を知って、あわよくば皇帝陛下に取り入ろうという気持ちもあるのだろう。
 それが悪いことだとは私は思わない。後宮で生きるというのはそういうことなのだ。

 一度でも皇帝陛下と褥を共にすれば、いい部屋に移れる。地位の低い妾達にしてみれば、私の言葉一つでも聞き逃さないことが、出世に繋がるかもしれないのだ。
 何より、側室の五名ですら皇帝陛下と褥を共にしたことがないのだ。一度でも褥を共にすれば、側室にまで上がれるチャンスがあるのだ。

「私が書いているのは大したことのない物語ですよ」
「恋愛ものですか? それとも謎解きをするのですか?」
「皇帝陛下は恋愛ものがお好きですね」
「どんなロマンスを書いているのですか?」

 これだけ作品に興味を持たれると悪い気はしない。しかし、私には目的があった。

「浴場で、話題になっていることは何ですか?」

 私が問いかける番になると、男性たちの一部は離れていく。離れた男性の容貌を覚えつつ、私は答えに耳を傾ける。

「美容のことが多いですね」
「蜜の国から取り寄せた石鹸が話題になったことがあります。あれは肌がすべすべになります」
「薔薇水も話題になりましたね。香水を作る過程でできる水なのですが、薔薇の香りがして、体に振りかけると嫌味でないくらいほんのりと香ります」
「薔薇水は大河の国から取り寄せたものが有名ですね」

 口々に話してくれるが、確かに美容のことばかりだった。

「日の国の方は特別な下着をはいていると聞きます」
「皇帝陛下が渡って来たときのために、セクシーな下着は欠かせないのです」
「下着のこともよく話題になります」
「伝達殿は千里様と同じ下着をはいておられるのですか?」

 話題が下着の話になって私は慌てた。
 そうなのだ。私はふんどしを身に着けている。
 前世の記憶が蘇ってから、こんなものを身に着けるのかと抵抗がなかったわけではないが、日の国の下着はそうなのだから仕方がない。
 ふんどしには色んなはき方があって、そのために下の毛を処理するのが普通になっている。下の毛がふんどしからはみ出ているのは非常に無粋とされていた。下の毛は刃物で切ると刺さるので、石を使って摩擦で焼き切るのだ。

 そういう話をしていると、いつの間にか大浴場で私は男性陣に囲まれていた。

「ふんどしか」
「私も身につけることができるでしょうか?」
「伝達殿、教えていただけませんか?」

 大浴場は社交場だと聞いていたが、私にも友人ができそうな気配がしていた。

 約束通り一刻以内に大浴場から戻ると、シャムス様が安堵した様子で私を迎えてくれた。
 薔薇水を分けてもらって少しだけ体につけてきたので、いい香りがしているはずだ。
 浴槽に浸かることはできなかったが、大浴場でたくさん汗をかいて、その汗を流して来たので体もすっきりしていた。

「伝達殿、いい香りがする。大浴場を楽しまれたようだな」
「はい。お待たせしてしまいました。お腹が空きましたね。食事を摂ってからイフサーン様とイフラース様の元に行きましょう」

 入口の兵士に声をかけると、シャムス様の分の食事も持って来てくれる。後宮では私とシャムス様が一緒に行動するのは浸透しているようだ。

 ひよこ豆のペーストをパンにつける料理と、砕いた小麦と羊肉のミンチと玉ねぎを合わせて揚げた、前世の世界のコロッケのようなものが今日の昼食だった。月の帝国のパンは平たく、ペーストを付けて食べたり、スープに浸して食べたり、羊肉を挟んで食べたりするのが普通だ。

「クッベが食べられるとは。後宮の料理は豪華だな」
「この料理はクッベというのですか?」
「そうだ。羊肉を食べるときには羊を殺さねばならないから、気軽には食べられないのだよ」

 今私が普通に食べているコロッケのようなものも、月の帝国では豪華な料理だったようだ。日の国では家畜の肉は基本的に食べない。猪の肉や兎の肉、鹿の肉は食べることがあるが、それも頻繁には手に入らない。
 魚を食べることが多い日の国だが、月の帝国は羊肉や鶏肉や海老がよく食べられた。魚料理は非常に貴重でなかなか食べることができなかった。

 クッベを食べ、ひよこ豆のペーストをパンにつけて食べてから、私はシャムス様のためにお茶を入れた。烏龍茶に近い発酵具合になっているお茶を飲んでシャムス様は満足そうにしていた。
 その上着の胸元にひよこ豆のペーストが飛んでいる。

「シャムス様、上着を脱いでください。染みになります」
「あ、またやってしまったか。すまない」

 手早く濡れた手拭いで拭いて、叩いて染みを抜くと、シャムス様が私の背中に寄り添うように立っていた。振り返ったシャムス様の目を見詰めると、宝石のように美しい緑の目をしている。

「伝達殿が私の夫ならばよかったのに」
「え?」
「いや、忘れてくれ。皇帝陛下の直属の吟遊詩人にそんなことを」

 私も、と言いたかった。
 私もシャムス様が妻ならばいいのにと思っていることを。

 しかし、そんなことは口にできない。

「染みにならなかったようです」

 上着を返すとシャムス様は「ありがとう」と礼を言って袖を通した。
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