後宮小説家、佐野伝達

秋月真鳥

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第一部

14.黄色い絵の具

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 千里様の部屋に訪れた皇帝陛下に、今日も私はボーイズラブの小説を渡す。バシレオスには強気の発言をしていたが、性行為のない小説で皇帝陛下が満足してくださるか、私は心配だった。

 熱心に隅から隅まで小説を読んで、皇帝陛下はシャムス様に手渡す。シャムス様もじっくりとその内容を読んでいる。

「今回は、エッチな描写はないのですね」
「シャムス、私は気付いたのだ」
「なんでしょう、皇帝陛下?」
「エッチな描写とは登場人物と登場人物が心を通い合わせた後にもたらされる、ボーナスステージ。以前の私ならば、エッチな描写はあればあるほどよいと思っていたかもしれない。それを変えたのは伝達の二作品目の物語だ」
「イフサーン殿とイフラース殿の?」
「あれはエッチな描写はなかったが、二人の心が通い合うまでの課程が、二人の視点で書かれていてとても尊かった」
「あれは本当に素晴らしかったです」
「シャムス、エッチとはボーナスステージなのだ。あればよいが、なくてもまた趣深い!」

 趣深いとか言われてしまった。
 皇帝陛下とその乳姉妹の騎士のシャムス様がボーイズラブ小説について毎晩熱く語っているのもとても不思議な光景だが、それが正室である千里様のお部屋というのも奇妙な状態だ。

「千里様、いつも私の物語のせいで申し訳ありません」
「伝達、私は感謝しているのだよ。皇帝陛下はまた私の元に通って来てくれるようになった。それは全て、伝達のおかげだ」

 ボーイズラブ小説で皇帝陛下のお心を掴んでいるという奇妙な状態に、千里様は納得されている。これでいいのかと思いつつも、私は皇帝陛下にお伝えせねばならないことがあった。

「デメトリオはやはり、男性で思うものがおりました」
「そうなのか? 誰であった?」
「イフラース様です」
「イフラースか。さすがにあのものをデメトリオに下げ渡すことはできぬが、傍にいさせてやりたいものだなぁ」

 すっかりと同性愛の理解者になっている皇帝陛下に、シャムス様がそれを止める。

「皇帝陛下、デメトリオは精神が安定している状態ではありません。今後宮に戻すのは危険です」
「そうであったな。すまぬ、シャムス」

 今のところデメトリオから聞いた情報は、真偽も定かではないので皇帝陛下のお耳には入れずにおくことが、私とシャムス様の間で取り決められていた。
 私は素早く話題を変えることにした。

「イフサーン様とイフラース様の物語、性行為の描写ができなかったことを私は悔やんでいるのです」
「いいのだ、伝達。えっちな描写はサービスシーンでしかない。本当に読むべきはそこに至るまでの課程なのだ!」
「それなら、いりませんか?」
「いや、あったならあったで嬉しいものだ。それがサービスシーンというものであろう?」

 無理に書くことはないが、私が書きたいと言えば書いて欲しい。皇帝陛下はそうお思いのようだった。

「では、もう一度イフサーン様とイフラース様の取材をせねばなりませんね」
「大事な取材だな。許すぞ。あの二人が何と言っても、私の命令だと言ってよい」

 皇帝陛下からはこうして許可をもらうことができた。
 私は安堵して部屋に帰った。

 部屋に帰るとバシレオスが私の部屋で待っていた。
 バシレオスは皇帝陛下のために箔押しの道具や上質の紙とペンを与えられて、毎日私のために小説を書く準備をしてくれている。小説の相談にも乗ってくれるし、私が語る小説を書き留めてくれるのもバシレオスだ。

「伝達様にお伝えしていなかったことがありまして」
「なんだ?」
「箔押しに使っている絵具なのですが、間違って口にすると体調を崩すものがあります。色をお教えしておこうかと思いまして」
「そうなのか。教えてもらえるか?」

 絵具で体調を崩すというのは聞いたことがなかった。
 私はバシレオスに色を聞く。
 バシレオスは赤や緑などの絵具を指差した後に、黄色の絵具を持ち出して重ねて言った。

「これは毒性は強くないのですが、サフランと色が似ています。サフランと炊き込んだ黄色い米に混ぜてしまえば、見た目は分かりません」
「そんな危険なものを、後宮で使っていいのか?」
「その代わり、これには匂いが付けられています。この匂いを覚えていてください」

 絵具の瓶を開けて匂いを嗅ぐと独特の玉ねぎの腐ったような匂いがする。
 危険がないように間違えて口にしないために、わざと酷い匂いを付けているのだとバシレオスは教えてくれた。

「ありがとう、助かる」
「いえ、伝達様も後宮では妬まれる立場にいます。重々お気を付け下さい」

 私のことを心から心配してくれるバシレオスに私は感謝した。

 翌日になって私はやって来たシャムス様に確認していた。

「イフラース様が椀ごと投げ捨てたのは、米と野菜を炒めたものだと仰っていましたよね」
「本来なら、そこに鶏肉が添えられることが多い」
「私が昨日食べたものと同じようなものですね」
「そうだな」

 それならば、そこにサフランが使われていてもおかしくはない。

「昨日の夜、バシレオスが私の部屋に来ました。箔押しの絵具の中には口にすると危険なものもあると教えてくれたのです。その中に黄色の絵具がありました」
「毒性のある花から抽出した色素を使っているものだな」
「その絵具がイフラース様の椀に入っていたのならば……」

 どれだけ食べ物が溢れていたとしても、食べ物を椀ごと床に投げ捨てるなんてことは、私には信じられなかった。後宮で贅沢に暮らしていても、月の帝国の実家で甘やかされて育っていても、イフラース様は食べ物を床に投げ捨てるだろうか。

「イフサーン殿がイフラース殿を暗殺しようとしたと伝達殿は考えているのか?」
「暗殺とまではいきませんが、体調を崩したらいいくらいは思っていたのではないかと考えています」

 双子同士の確執があって、悪戯で毒性のある絵具を食事に混ぜた。匂いでそれに気付いたイフラース様は、危険を察知してそれを床に投げ捨てた。
 あり得ない話ではない。

「それで、イフラース殿は毒見役を探していたのか」

 兄に厭われて体調を崩すように毒性のあるものを食事に混ぜられたと知ったイフラース様はどのような気分だったのだろう。

 想像しているだけでは先に進めないと、私はシャムス様と一緒にイフラース様の部屋にまず行ってみた。
 イフラース様は水煙草をふかしながら、床の絨毯の上にゆったりと座って、服も軽装で、髪だけ布で隠している。

「また取材かな? ご苦労なことだね、伝達殿」

 明るく笑って私を出迎えてくれたイフラース様の出してくださった蜂蜜水は飲まずに、私は単刀直入に問いかけた。

「イフサーン様が悪戯で肉を紛れ込ませた米には、毒物が混入していたのですね?」
「あぁ、バレちゃったんだぁ。僕も双子の兄のことだから、できれば内密にしておきたかったんだけど、イフサーンは昔からそうなんだ。僕のことをよく思ってないみたい」

 双子でそっくりであるとどうしても比べられてしまう。
 イフサーン様は、比べられる対象であるイフラース様を快く思っていないのだとイフラース様は答えてくれた。

「イフラース様は、毒物を取り寄せたことがありますか?」
「それもバレちゃってるんだ。あるよ。イフサーンが、いざというときに、自害できるようにいつでも毒を持っているなんて言ってて、僕も面白がって取り寄せたけど、怖くて化粧台の奥にしまい込んで見てもないよ」

 あっさりと白状するイフラース様に私は違和感を覚えていた。
 自殺未遂事件の犯人と疑われてもおかしくない状況なのに、イフラース様は自分が毒物を持っていることも、その毒物が化粧台の引き出しの奥に入っていることも、教えてしまっている。

「それを見せてもらってもいいですか?」
「いいよ。こっちだよ」

 自分では触りたくないのか、イフラース様は化粧台に私を連れて来た。シャムス様も一緒に来て、大きな磨かれた鏡のある化粧台の一番下の引き出しを引っ張ったイフラース様が、奥の小瓶を指差す。

「これ。使う気はないし、いらないから、持って行っちゃっていいよ」
「失礼する」

 手に布を持ったシャムス様が、直に手に触れないようにして布で小瓶を包んで取り出した。小瓶の中身はたっぷりと入っていて、使った気配はない。

「デメトリオが毒見役でもいいので傍に置いて欲しいと言ったのは本当ですか?」
「え? 毒見役? なにそれ。僕、ひとをそんな風に扱ったりしない。危ないじゃないか」

 毒見役の件も、イフラース様は初めて聞いた様子だった。

「もしかして……」

 私の頭を過ったことがある。

「イフラース様、この毒を手に入れた商人を紹介してくださいますか?」

 私の申し出は皇帝陛下の申し出。
 イフラース様は頷いて立ち上がり、毒物を取引した商人の名前を調べ始めた。
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