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第5部 天然女子高生のための真そーかつ

第126話 トレーサビリティ制度

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 東京都千代田区にある私立マルクス高等学校は(後略)


「本当はガスコンロを使いたい所ですが……おっと、できました。今からそちらにお持ちしますので野掘さんはお茶とお箸の用意をお願いします」
「こっちもおにぎり作れたわよ。1人2つでよかったかしら?」
「お二人ともお疲れ様です。美味しそうな香りですね」

 ある日の放課後、私は家庭科室で同じクラスの国靖くにやすまひるさんがジンギスカンを作り、2年生で書道部員の金原かねはら真希まき先輩が塩むすびを作るのを見学していた。

 この高校では家庭科室をはじめとしてどの教室も申請すれば個人で利用できることになっていて、今日の私はとある事情からジンギスカンを作ることになった北海道出身の国靖さんに誘われてここまで来ていた。

 IHクッキングヒーターで調理されたジンギスカンと1人2つの塩むすびが3枚のお皿にそれぞれ盛り付けられ、私は3人分の割り箸と自販機で買ったペットボトルのお茶を座席に用意した。

「それでは金原先輩、どうぞ召し上がってみてください。食べやすいようラムの肉を取り寄せたのですよ」
「分かったわ。それじゃ勇気を出して……うぇぐうっ!!」

 金原先輩は国靖さんに促されてジンギスカンを恐る恐る口に運んだが、飲み込んだ瞬間むせかえって苦しみ始めた。

「無理、もう無理! 私羊のお肉ってどうしても無理なの!! いくら宇都木うつぎ君のためでもこれは無理!!」
「まあまあ、そう仰らずに。食わず嫌い……ではありませんけど羊肉も慣れれば美味しいのですよ?」
「私は普通に好きだけどなー。牛肉と豚肉のいいとこ取りって感じですごく美味しい」

 金原先輩がむせながら泣いているのは決して国靖さんの料理が下手だったからではなく、彼女は以前からジンギスカンなど羊肉を使った料理を受け付けない体質なのだった。

 先輩は同じ予備校に通っている他校の男子に恋をしており、その男子も北海道出身だと先日聞いたことから羊肉嫌いを克服しようと国靖さんにジンギスカンの調理を頼んだという経緯だった。

「こんなんじゃ宇都木君とお付き合いなんてとてもできないわ。でも実は今度ジンギスカン弁当を作ってあげるって約束しちゃったの……」
「流石にそれは早計でしたね……」

 金原先輩のお皿にあるジンギスカンは国靖さんと分けて食べることにしたが、元々料理が得意な訳でもない先輩が全く食べられないものを好きな男子に作ってあげられるかはかなり微妙だと思った。

「せめてこれが牛肉のジンギスカンだったら……そうよ、国靖さんって確かパソコンに詳しかったわよね? トレーサビリティ制度って知ってる?」
「牛肉のトレーサビリティ制度ですか? 名前は存じ上げていますが……」

 先輩は何かを思いつくと国靖さんにIT関連の依頼を持ちかけ始め、私は今回も事態がややこしくなりそうだと思いながら3人分のお皿を洗剤で洗った。


 その翌月。私は飼っているハムスターの餌を買いにデパートに行った帰り道、金原先輩が他校の男子と公園でデートしている姿を見かけた。

「宇都木君、今日は宇都木君が好きなジンギスカンのお弁当を作ってきたの。私ももちろんお揃いのお弁当よ」
「そうなの? 女友達がお弁当を作ってくれるなんて、ぼかぁ幸せだなぁ」

 朴訥ぼくとつな雰囲気の優しそうな男子は例の宇都木さんらしく、同じジンギスカン弁当ということは先輩も苦手を克服できたのかと思いつつ私はこっそり様子を見ていた。

「あれぇ? 美味しそうなジンギスカンだけど、これは牛肉じゃないのかい?」

 お弁当の蓋を開けてすぐにそう尋ねた宇都木さんに、金原先輩は不敵な笑みを浮かべるとバッグからA4コピー紙の文書を取り出した。

「宇都木君、それは紛れもなく羊のラム肉だから大丈夫よ! ほら見て、これは羊肉トレーサビリティ制度の証明書で、この文書にそのお肉の元となった羊の飼育開始から解体・出荷・流通まで全ての記録が残されているのよ! これで心配ないでしょう?」
「そうなんだなぁ、確かにこういう味の羊肉もあるかもしれないんだなぁ。僕ぁ幸せだなぁ~」

 深く考えずお弁当のジンギスカンを食べ続ける宇都木さんの横で美味しそうにジンギスカンを食べている金原先輩を見て、私は羊肉にトレーサビリティ制度ってあったっけと思った。


 (続く)
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