夜、子猫泣く

oruka

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5 私

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 夜の帳が下りた。夜はとても、とても静かだ。少し静かすぎるんじゃないかな。こんなに静かだとまたあの事を考えてしまう。他のことを考えようとしても、無理だよ。

「このままじゃダメだよね、私……」

 疲れきった声は暗闇へと消えていった。私は慣れた道を歩いていた。暗闇から人が急に出てくることは良くあることも知っていた。だから初老の男が現れたときも驚きはしなかった。驚く元気はもうない。散歩にこの道順を選ぶ人は珍しくはない。黙って横を通りすぎようとしたけれど、声をかけられた。

「おや、珍しいねえ。若い子がこんな時間にここを通るとは」

「……」

 おじいさんは愛想良く笑った。私もそれに答える。きちんと人と話せる顔をしてるだろうか。けど暗いから大丈夫かもしれない。とにかく今はまだ、人と話したいとは思わなかった。

「ごめんなさい、私急いでいるので……」

「そうかね、それは悪いことをしたね」

 おじいさんは決まりが悪そうに謝った。別に謝らなくてもいい。だから私も「こちらこそごめんなさい」と返した。それから歩き出そうとするところをまたおじいさんにとめられた。

「ああ、そうだそうだ。お嬢さんも気を付けるんだよ。最近このあたりで事故があったからね」

「……は、はい」

 それだけを言い残しおじいさんは暗闇の中へと消えていった。

 最近あった事故……。いきなり飛び出してきた青年をトラックが引き殺した事故。彼が子猫を守ろうとして、飛び出して、死んだ。今日でちょうど一週間が経つ。けれどその瞬間的な映像が何度も何度も頭のなかを駆けめぐる。そのたびに私は胸を引き裂かれそうな思いになった。

「あっ」

 ふと気付けば私は公園にいた。小さいブランコに、シーソー。それにベンチ……。暗闇のなかにはっきりと浮かんでいた。

 ここには来たくなかったのに……

 あの日この道を通らなかったら、と何回も何回も考えた。でも、だけど、いくら考えても彼は帰ってこない。そんなことは分かっている。

 私はベンチに腰を下ろした。空いている隣にはもう誰もいない。胸の辺りが締め付けられる思いだ。もしかしたらっていつも期待してしまう。私のわがままを君は不服そうに、でも結局何でもきいてくれた。君は優しかった。

「私って最悪……」

 彼の気持ちには気づいていた。彼は隠してるつもりだったかもしれないけどバレバレだった。だから私は彼に甘えていた。彼の、その気持ちに銃口を突き付けて。

 私は鞄の中から手帳を取り出した。深緑のカバーの手帳。トラックに引かれた彼は手帳の中は見ずに焼いてしまって欲しいと私に頼んだ。何度もそうしようとした。だけど出来なかった。出来るわけがない。彼の字が、言葉が、気持ちがこの手帳には遺されている。それを私は手放したくない。だけどそれがわがままなのは分かっている。私のわがまま。彼がいなくなっても私は彼に甘えているのだ。

「でも……」

 手帳と一緒に取り出したライターを力強く握りしめる。彼は燃やして欲しいって言ったのだ。それが最後の彼の願いで、私に出来る唯一のお礼かもしれない。ライターの蓋をあけると、小さくて今にも消えそうな赤い炎が灯った。

「私は……」
 
 大丈夫、彼はここにいる。いつも、いつまでも私の心に居続けるのだから。手帳の一つぐらい、彼の頼みを一つぐらい聞くべきだ。

 ゆっくりと火を近づける。あと少し、あと少しで。ある距離まで近づいたとき、火は簡単に手帳へと移った。だんだんと手帳を焼いていく。彼の字を、言葉を焼いていっている。

「ッ……」

 目を背けたい。見たくない。けど見なきゃいけない。見届けなきゃ。火は徐々に、どんどん進んでいく。視界がぼやけ始める。私、泣いてる? 泣いてるんだ。どうして? わからない。彼が向こうに行ってしまうような感覚が心を支配する。苦しい。寂しい。手帳と一緒に私の心も焼かれるように……。

「熱ッ……」

 手に火がさわり、思わず手帳を放り投げてしまった。手帳はまだ燃え続けている。

「だ、だめっ!」

 私は飛び出した。それで訳も分からず火を消した。どうやって消したかもわからない。火は、でもやっと消えて、私は地面に崩れ落ちた。手帳はすべて焼けてはいなかった。でもほとんど燃えてしまっていた

「なんで、どうして私、こんなこと……」

 大切に私は手帳を拾った。もう涙は流れていなかった。だけど、きっと今の顔は人には見せられないだろう。もちろん彼にも。


 


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