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第01章――飛翔延髄編

Phase 18:欄干からの眺望

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《ディリジェントビーバーガレージ》リック・ヒギンボサムが経営するSm整備工場。主な仕事はSmのレストアであり、難しい依頼を短期間でこなしてくれると評判である。建屋はもともとは倉庫であり、今でも十分仕事にも生活にも使えているが店主は改装を計画中だという。


























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 デスタルトシティーに朝がやってきた。
 ベッドの中で目覚めるソーニャ。

「うん……よく、眠れたッ」

 その証拠にベッドから飛び起きる彼女ははつらつとしていた。
 カーテンを開けると朝日がまぶしい。
 窓辺の器の肉の塊は主に撫でられて、より激しく身を震わせる。
 ソーニャは、よしよし、と囁きかけ、肉塊が開く捻じれた口へ炭酸飲料を注ぎ、ビンから取り出したペレットを放り込む。

「しばらく会えないけど死ぬんじゃないぞアイザック」

 部屋を出て吹き曝しの廊下を走りだすが、一歩引き返して通り過ぎたドアを開けた。

「よう、おはようさん」

 目が合うよりも前にリックがあいさつをした。
ソーニャが入ったのはキッチンで、今まさにリックがフライパンに卵を落としている。

「おはようリック。帰ってきてたんだ。スロウスは?」

「下を見な」

 ソーニャはキッチンを出て直ぐ、廊下の欄干らんかんから頭を出し、下階の作業スペースに立ち尽くしていた巨躯に目に留めた。

「スロウス! なんでいるの?」

「あの野郎、整備があと少しで完了するってところで勝手に歩き出してよ。先回りしてシャッターを開けなきゃ、きっと壊されてたな」

「そんな。整備は?」

「もちろん万全だ。特別な異変も見つからなかったから。今すぐ戦いに出ても問題ない。それと予防接種もしておいた。寄生性Smはバカにできんからな。お前もスロウスのコンディションに気をつけろよ」

「わかった」

「それとソーニャ。お前、大事な道具一式持って帰り忘れただろ?」

「うぐッ」

 ソーニャの脳裏にぬいぐるみのようなバッグと各種アイテムが蘇る。
 リックは呆れた。

「職人が道具を忘れるな。それと昨日トミーと連絡をして、トラックで迎えに来てくれることになった。あと2時間くらいかな。それまでに身支度を終わらせて下にある道具も荷物に入れておけ」

「リョーカイ」

 リックはコンロの火を止めてフライパンに蓋を乗せた。電子レンジが鳴ったので扉を開け、取り出した湯気立つガラスボールを熱がりながらテーブルに置く。
 ソーニャはとりあえず、自分にできることがないか見渡す。しかし、席に着くことしか思いつかなかった。
 早速、フォークでベーコンを口に運ぶが、視線に気が付く。
 目が合ったリックは険しい顔で、お祈り、と一言告げた。
 ソーニャはフォークを置き、合唱する。

「神様、飯をベリーサンキュー頂きます」

 そう言ってカリカリベーコンを噛み締め味わう。リックは不満そうに唸る。

「まったく。これから守ってくれる相手への祈りだっていうのに。ぞんざいにして何も思わんのか」

 ソーニャはボールに入っていたブロッコリーを手づかみで口に運び、熱がりながら咀嚼して飲み込むと、言った。

「本当に危なくなったら信用できるのは武力と金と逃げ足だけだよ。神に祈るのは弱い心を前進させるため。ソーニャはもう進む覚悟はできてるから」

「マイラめ、余計なこと教えやがって。今度ワシもそのセリフ使おう」

 急いで食べるソーニャは牛乳を飲み、喉に詰まったものを流し込む。

「リックも祈る前に自分で行動するタイプだよね。さすがマイラのお爺ちゃん」

 ソーニャは猫っぽい悪い笑みになる。
 リックは持ってきたフライパンを傾け、ソーニャのベーコンの上に目玉焼きを乗せた。

「自己の向上心に祈りも加えれば百人力と思わんのかねぇ」

「どうせリックがソーニャとマイラの分も祈ってくれるでしょ。なら大丈夫」

「祈りか……ワシは、どうやら神様に愛されすぎてその分試練が多くてな。いつも通りに祈りまくったら、また神様が愛情表現の裏返しに新たな試練として大変なことが起こるような気がするんだ。だから、祈りはほどほどにするつもりだよ。よって今週は教会のミサに出ない」

「また神父様が車いすから立ち上がって追いかけてくるよ?」

「その時はモスクかシナゴーグに逃げるとしよう」

「そんなこと言って……。どうせミサに行くんでしょ?」

「うん……。けどなソーニャ。祈りと後悔は場所を選ばん。覚えておけ」

 リックはフライパンをコンロに戻し、前もってマグカップに注いでいたコーヒーを飲む。
 ソーニャはトーストにジャムの瓶を傾けた。

「食べないの?」

「ああ、後で食べる」

 ソーニャはこぼれる程ジャムを乗せたトーストにかじりつき半分飲み込むと話し出す。

「昨日は眠れたの?」

「お前こそ眠れた……いや、帰ってきてから全く起きる気配がなかったな。シャッター開けるときも気を揉んだっていうのに」

 食事に集中するソーニャは、熟睡した、の一言で済ませる。

「だろうな。昨日一日で一週間分あわてふためいたもんな。疲れたんだろ。持っていくものは整理したか? ほかに忘れたことはないか? パスポートは?」

「この後顔を洗って歯を磨けばノープロブレム。歯磨きセットも準備したし着替えも用意したし。あ、それとリックの部屋に入って、大きなカバン借りたけど」

「何でも持っていけばいい。だが歯磨きセットって……。旅行に行くんじゃないんだぞ?」

「わかってるよ。けど、もしかしたらなにかの役に立つかも」

「歯磨きセットなんて歯磨き以外で何に使うんだ。着替えも、ほどほどの分量にしろ」

「わかってまーす。そうだリックこそ薬飲んだ?」

 ああ飲んだよ、とリックは答えた。
 ならよかった、とソーニャは食事に専念した。
 コーヒーで喉を潤したリックはコップを置き、オーバーオールの前ポケットから取り出したものをテーブルに置く。
 これは、とソーニャは、リックが出した茶封筒を持ち上げ重さを確認し、中に詰まった束を取り出す。彼女が目にしたのは、髑髏の肖像画が描かれた紙幣であった。

「これって……」

「3783ザルが入ってる」

「そんな大金」
 
 ソーニャは慌てて札束を茶封筒にしまいテーブルに置いた。
 リックは頭を掻いて目をそらした。

「一世一代の危険な旅路には、ちと心もとないかもしれんが何かの役に立つだろう。持っていけ」

「で、でもこれって五年分の稼ぎだよね?」

「おい、もう少し稼いどるぞ」

「でもこれって設備投資のために用意してきたお金なんじゃないの? それにリックの薬代も」

「安心しろ俺もバカじゃない。薬代と生活費、それともしもの時に備えた分は差し引いたさ。だから持っていけ」

「でも、何に使うの? ああそうだ。レントンへの支払い?」

「それはもう断られた。だから必要になったら存分に使えばいい。そして……。まあ、使い道はお前に任せる」

 ソーニャはうなずいた後、しばし黙って茶封筒を見つめた。やがて皿のものを一気に頬張る。限界まで詰めて無理やり咀嚼し、また喉を詰まらせると牛乳を飲んで気道を確保し、呼吸の再開と同時に言い放つ。

「うん! 大事に使う。そして絶対マイラと一緒に戻ってくる。そんでもって……。使った分はソーニャが大きくなったら返す」

 リックは目を丸くしたが笑みがこぼれた。

「――そうか」

「だからリックもソーニャたちが帰ってくるまで絶対に無茶しちゃだめだよ」

「ああ」

「ちゃんと歯を磨いて顔洗ってエロディの忠告を聞いてね。それとお薬もちゃんと飲んで」

「わかってる。俺は子供か」

「それと、ソーニャの部屋の渦巻きちゃんにご飯をあげてほしい」

「わかったよ」

 リックは微笑み、フライパンのふたを開けた。

「ベーコンと目玉やき、お代わりするか?」

「うん!」

 ソーニャは新しいトーストにケチャップをトッピングした。

「それと、ソーニャ。武器は持っていくんだろ?」

 口にトーストを運ぼうとしていたソーニャは手が止まり表情を暗くする。

「……うん」

 リックは横を向く。

「なら、あるものなんでも持っていけ」

「それって……商品も?」

「ああ、そうだ。といっても、うちはSm携行用の火器はない。あるのは刃物と消防斧と、それにSm携行工具くらいか……。だが、特別なもんも用意している」

「特別なもの?」

「そういえば鉈もあったな。行く前に車のガレージに行け。カギは用意しとくから」

「うん……」

 ソーニャは思い出しつつトーストを齧った。






 ビーバーガレージの前に四輪トラックが到着する。
運転席にはトミー。荷台にはレントンがいた。彼らを出迎えたのはなぜかエロディ。
彼女はスリップにパーカー、サンダルの出で立ちで、人によって寒気を覚えるか熱を感じるのだろう。欠伸をかくあたり起きてすぐ来たことが察せられた。
 トラックの運転席からトミーが尋ねる。

「エロディちゃん。おはよう。ソーニャはまだか?」

「おはようトミー。ソーニャは着替え中」

 レントンが話に加わる。

「あんたは」

「あたしはエロディ。娼婦兼ストリッパー」

「俺はレントン・ゲッコー。パイロットだ。もしかしてあんたもソーニャの家族か?」

「ううん。ただの友達」

「ほぅ……。友達かぁ。あの爺さんもスミに置けないな」

「リックは家族ラブな人だよ。ウチの店に来くるのもSmの整備の時だけ。けどリックって女の子たちに人気なんだよねえ。あれかなぁ、硬派で職人気質だからかなぁ」

「あんたもリック目当てなのか?」

「うん、リックのガレージに来たらタダでご飯御馳走してもらえるからね」

 ガレージのシャッターが開く。

「お、主役のご登場です」

 振り返ったエロディは言葉を失う。
 シャッターをくぐって出てきたソーニャは、ワッフルに蜂蜜を塗ったような図柄のスカート。イチゴやクリームの飾りが目立つ髪留め。ワインレットのパンプスに身を包んでいた。フリルをアクセントにした甘い装い。それに負けず劣らず目についたのは背負っていた鞄で、形状はドクターバッグに背負うためのベルトを二つ付けた構造、大きさは身の幅を超え、背負う少女の頭を突破する高さだ。
 どんな表情をしていいかわからないトミーは尋ねた。

「舞踏会に殴り込みに行くつもりか?」

「ふふ、最高の装備でしょ?」

 エロディは関心する風にうなずく。

「女の子が命かけるんだから気張らなくちゃね」

「そういうもんかねぇ」
 
 懐疑的なレントンは、続いてガレージから出てきたスロウスにも圧倒された。
 エロディは思わず。

「はあ、立派になって」

 スロウスは今まで来ていた服の上に、コートを羽織っていた。科学製品のような光沢を放つコートは、まずもって雨に濡れないのがわかるし、行動を妨げる気配もない。
 トミーは、コートの左腰のあたりにあるマークを見た。それは歯車の中心にある目の意匠を絡み合うツタが一周するデザインで、歯車の円環には文字が綴られていた。

「そりゃ軍の部隊章かなにかか?」

 ソーニャがうなずく。

「よくわかったね。たしか、リックの知り合いが所属していた政権軍のSmに装備されてたものだって」

 エロディはうなずく。

「準備万端だね。じゃあ行く?」

「いいや。これからまだ準備がありますじゃ」

 そういってソーニャは隣のシャッターの鍵を開け中に入ると、追従していたスロウスに中に入って布の包みを持ち出すよう指示した。その後、ソーニャはシャッターの戸締りを確認。それからトラックに乗ろうとする。だが、レントンが待ったをかけた。

「まずは鞄を運んでやるよ」

 背中を向けた少女から軽い気持ちで鞄を受け取ったレントンは、重みに耐えかねて取りこぼしそうになる。
 ソーニャは背中が軽くなったと思いきや再びの荷重に驚いた。

「スロウス! 鞄を持って!」

 Smが命令を実行すると、手から荷重がなくなったレントンが問いただす。 

「何入れたんだ? Smか?」

「違う。計器類に薬品に工具。それと医療セットと着替えと……枕と」

 聞いたことを若干後悔したレントンは、荷台からいったん降りて、少女の命令で荷台に乗るスロウスを眺めた。 
 エロディはガレージの中を見る。

「あれ、リックは?」

 ソーニャはスロウスに膝を抱えて縮こまることを命じ、包みを大事にしろよ、と言ってから友人の疑問に答えた。

「リックは朝ご飯を食べて仕事を始める前にいったん寝るって」

「え、見送りは? しないつもり?」

 信じられない、という顔になるエロディに対しソーニャは微笑んだ。

「ソーニャはもう子供じゃないよ。いちいち送ってもらわなくたってダイジョーブ」

 エロディは釈然としないが、そう、とだけ呟き、開きっぱなしのシャッターを覗き込んだ。
 トミーが口を開く。
 
「エロディも一緒に飛行場に行くか?」

「あ、うーん。いや、飛行機もすぐ出発しないんでしょ? だったら飛行場で合流しよう」

「それならガレージの鍵をリックに渡して」

 イエスアイマム、とエロディは答え、少女の願いを快く引き受けた。
 トミーは運転席の天井をたたき、出発するぞ、と告げる。

「OK よろしく頼むぜー‼」

 ソーニャの軽快な声に合わせて車が発進する。
 エロディは、またあとで、と声を投げかけトラックを見送りシャッターをくぐった。

「いいの?」

 シャッターの脇の壁に背中を預けていたリックは不機嫌な顔で、なにが、と応答した。

「ソーニャを見送らなくて」

 リックは鼻を鳴らすと、ガレージの奥へ向かう。

「言ってただろ。あいつも子供じゃないんだ。送り迎えなんて必要ないし。ワシは昨日からロクに寝てないんだ。仮眠をとらんと、これからの仕事に支障が出る」

「と言いつつ、なんで今工具を持ってるの」

「……やり残した仕事をだな」

「腰痛いのに仕事して大丈夫なの? それが心配でソーニャは行くのを止めたんだよ?」

「ちゃんと薬は飲んだ」

「頭回ってないのに作業できる?」

「うるさい。だったら寝る!」

 友人の小言から逃げたリックは工具を作業台に乱暴に置く。
 エロディが笑みをこぼす。

「職人が道具をぞんざいにしちゃダメなんじゃない?」

 うるさい、と言ってリックは階段を上り始めた。
 エロディは。

「出発は午前9時だって。ちょっと仮眠してからでも間に合うよね!」

「お節介は客にでもしてろ!」

 エロディは目を細め、シャッターを下ろすと内鍵をひねった。

「戸締りはしてったほうがいい?」

 寝室のドアノブに手をかけたリックはうんざりしつつ、振り返った。

「なら、いつもの鍵を使え」

 はーい、とエロディは作業台に向かい、台と密着する立て板に打たれた釘に預かった鍵をひっかけ、残りの釘を指で数えて眉をひそめる。

「あれ、玄関の鍵……ない。あ! もしかしてあたしまだ返してなかった?」

 上階の廊下の欄干からリックは身を乗り出し、どうした、と尋ねた。

「ごめん! 鍵この前使って、そのまま店に持って帰ったかも」

「ならワシが鍵をかけるから、とっととソーニャのところへ行ってこい」

 エロディは笑った。しかし、すぐにまじめな顔になる。

「後悔は先に立たないってママが言ってたよ。だから思いついたら直ぐに行動しろってさ」

「ワシはちゃんと考えてから行動する頭脳派だ。お前んところのクソババと一緒にするな」

 エロディは微笑む。

「考える時間は十分あったんじゃない?」

 リックはいよいよ渋面を強める。
 相手の顔色を気にもとめないエロディは優雅に踵を返し、それじゃあねぇ、と言って出て行った。
 リックは、ふん、とあからさまに鼻を鳴らし、反転して欄干に背中を預ける。しかし、思った以上に背中を強くぶつけたのか、顔を歪め、腰を摩った。
 広いガレージでたった一人は静かすぎて老人のうめき声もよく響く。
 リックは下階の端のソファーを見下ろした。
玄関の前、テーブルをはさんで並ぶ二つのソファーは、一度に四人が座れる。
 そんな席によく座っていた少女とお節介焼きの女性の面影は鮮明で、自分に一番近しい面影は、ひどく恋しく感じた。

「なんで、どいつもこいつも、居なくなろうとするんだ……」







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