33 / 264
第01章――飛翔延髄編
Phase 32:閃
しおりを挟む
《黒色ガソリン》Smの産生物であり、広く機械エンジンの燃料として活用されている。その燃焼効率は販売企業から提示される数値と独立系シンクタンクの計算結果とで異なっている。しかし、価格も安く、一般市民の需要にこたえるのに十分な品質であるため問題視されることは少ない。ただ、普通のガソリンと違って燃焼に際しSm由来の煤が発生するので、都市によっては癌などをはじめとする健康リスクや環境汚染の懸念が指摘され、規制する動きもみられる。ただし、企業のロビー活動や直接的な圧力によって全面禁止の事例は極わずかで、緩い規制すら撤回されることも多々ある。さらに規制撤廃や反対の声は市民自体が自主的に発していることもあるので、一概に企業を糾弾することに意味はない、と様々な分野の専門家が指摘する。
トラックが本調子になって感謝するリックは、アンドロイドの空飛ぶ円盤から解放され、閃いた。
「待てよ、このまま飛行場に向かえば」
「イヤ、向かうのはこの先を右に曲がって次に左に曲がって、二つ目の信号を右折シタ先にあるガソリンスタンドだ」
思いがけない音声に話しかけられたリックは運転していることも忘れて警戒の視線を四方八方に配る。
突然、助手席側の窓の外に黒い機械の腕が垂れ下がった。
一瞬の出来事で息を飲むリックを無視し事態は動く。
機械の腕はドアを開けると、ルーフから転がり出てきたジャーマンD7が車内に侵入し、助手席の鞄を膝にのせて着座する。
喚くリックは思わずハンドル操作がブレた。前を向くと駐車車両が迫っている。それを制したのは横からハンドルを捕まえたジャーマンD7で、あわや激突、という直前でアンドロイドが適切にハンドルを切って駐車車両を回避する。
一件落着、安堵したリックは安堵している場合じゃないと思い出し、目を大きくしてアンドロイドに怒鳴った。
「一体どういうことだ?! なんでお前さんがここにいる!?」
「助手席側のドアが開いてイタカラだ。不用心な」
「そういうことじゃない!」
「貴殿が対象カラ勝手に逃亡を図る恐れがあったのデナ」
「PFOはどうしたんだ? 捨てたんか?」
「イイや、遠隔操作で今まさに駐車車両の燃料を絶賛消費中だ。加えてゴブリンを火で囲むつもりだが……。どうにも奴に火ガ効いていないようダ」
追って来てるのか? とリックはサイドミラーで後方を警戒する。
ジャーマンD7曰く。
「PFOカラ届く映像を分析した限り。対象ゴブリンがこちらに向かってくる兆候は見られない。だが直接の火炎放射の効果も窺えナイ」
側頭部を指で押さえるアンドロイドを鼻であしらうリック。
「知ってるぞ。お前たちは政府用高級無線通信で、いつでも中央と繋がれるんだろ? それでも使って理由を検索したらどうだ?」
ジャーマンD7から女性のアナウンスが発せられた。
「――この機体の情報取得は任務遂行に必要と判断された範囲に限定されています――と言ウワケダ」
定型文を利用して実情を開陳したアンドロイドに対し、リックは目を細める。
「なるほど、ずいぶん信用されてるっちゅう訳だ」
「信用度ガ……私が監督する保安兵舎並びにこの町の信用度が低イから情報アクセスに制限があるノダ」
「今のは皮肉だ。その空っぽなメモリーにしっかりインプットしとけ」
「ナルほど、では改めて、その言動が暫定政権行政支援ユニットの運用妨害防止法に抵触し、加えてアンドロイドの公務執行妨害助長罪に該当する可能性があるということを覚えておくのダナ」
リックは舌打ちした。
「ッたく、いつから人間より機械のほうが大事にされるようになったんだッ?」
「ソレは無論、我々支援ユニット誕生以来ずっとだ。人間一人の誕生にかかるコストより我々アンドロイドを一機製造するほうがコストが掛かるカラな」
不毛な会話が進行しつつも、しばらく呉越同舟を味わって老人と機械はガソリンスタンドに到着。
そこでは、保安兵たちがドラム缶に給油ノズルを差し込んで注いでいた。
「お、リック! 無事だったか」
トラックを知り合いの傍に止めたリック。
「おうアーサー。なんでここに」
「バイクに栄養を与えてたらちょうどボスの命令が下ったんだよ。そんで手分けしてドラム缶に燃料を注いでたってわけだ」
漏れとるぞ、と老人に指摘されてアーサーは相手の視線をたどり、自分が給油していたドラム缶の底から広がる液体と、その液体に触れる自身の革靴を目の当たりにし、表情を失う。
「ドワイトの40年物のビンテージブーツが……ッ」
「油には小麦粉かベビーパウダーがいいぞ。それにしても……」
リックはアンドロイドに振り替える。
「お前さん、ずっとワシと話してたよな? いつ連絡しとった」
「多地点同時会話ナド簡単だ。現に今この時も中央政権ユニット運営省との会議に私の認識は割かれ、的確な発言で対応しているノダ……。ですのでもう少し助成金の枠を拡充することを検討していただければ……」
会議の内容が漏れ始めたアンドロイドから知人へと意識を戻すリック。
「そうか……。無事で何よりだったなアーサー。そのヘルメットいいな」
目に悲しみを残すアーサーは鉛色のヘルメットを得意顔で撫でる。
「戦いは見た目からだ。保安兵のヘルメットじゃ俺が活躍してるってわからないだろ?」
「そうだな、もしゴブリンに襲われて髪の毛一本すら現場に残らなかったとき、その場の誰かに殉死したことを証明してほしいよな」
せっかくいい気分になれたのにアーサーは表情を萎えさせた。
「報道カメラを意識したの! やめてよ縁起でもない。畜生……ッ、それは考えつかなかった。やばい買ったばかりのノートC3PCの扱いを遺書に書き忘れてたッ。あの膨大なファイルどうしようッ」
懊悩を始めた保安兵に冷めた視線を送るリックは思考が別に向かい、そういえばカツラはどうした、と不安になる。
「カツラさんも避難して今はガレージに戻って薬と人をさらに用意してる。あと家族の避難も。この後どうなるかわからないからな。町全体が……」
アーサーとリックはトラックを降りたアンドロイドを見つめた。
「ああ、ゴブリンが何をしでかすか分からないし。お互い機械に命を握られてるからな……」
「命ヲ握ッているわけではないぞリック・ヒギンボサム。有効活用しているノダ」
無力に肩をすくめたアーサーが、で何をするんです、と上官に伺った。
リックの表情は暗澹たる思いを示している。
「おおよそ運転中に作戦を練ったが……」
ジャーマンD7がその場にいる保安兵を見渡す。
「マズ、私のPFOでヒギンボサム氏のトラックの荷台に件の餌を乗せ、トラックごと牽引スル」
ジャーマンD7は傍らに置いてあった燃料満タンのドラム缶を平手で鳴らした。
「荷台には私モ乗ル。そして対象が餌に誘われ口を開いた瞬間。可燃性の燃料を入れた容器を私が投下し、着火し、対象を内部から消却する。トラックをPFOのマニピュレータで固定し、重力牽引の範囲を拡大し、燃料の重量を制御できるからこそ可能ナ作戦ダ」
「あの巨体を焼くってことは、ここの燃料全部持っていく気か? じゃないと無理だろ」
アーサーに聞かれたリックは首を横に振る。
「いや、他のSmや自動車のために残さなきゃならん。それにトラックに載せられないし、内部から破壊するとなればそれほど必要ないはずだ。目的はゴブリンの停止であって、焼却じゃないからな。場合によっちゃゴブリンが体内に蓄積した燃料脂肪に引火して自滅してくれるかもしれない」
「我々ノ最終目的ハ暴走ゴブリンの停止ダッ」
リックは補足説明した。
「奴は今大量のエネルギーを食らって、その分巨体になってる。図体と今まで摂取したエネルギーを計算した結果。引火による爆発の心配はないと判断した。だが、一応念を入れて広い場所で作戦を実行したい」
因ミニ計算は私がシタ、とアンドロイド署長が付け加え、どうも、と老人が適当な感謝を述べた。
「安全ナ作戦実行ノために対象を誘導する。場所は町の南西のゴミ集積場ダ」
「そこならもし爆発しても被害は少ないはずだ。ダイオキシンは怖いが誰かが食い殺されるよりはましだろうて」
「総員。直チニ作戦に取り掛カレ」
街中では保安兵が武器の補給を済ませて配置につく。
アサルトライフル、連発式ショットガン。それとグレネードランチャーにブブゼーラMk-2。
武器の質が着実に上がった。とはいえ所持している保安兵の顔色は変わらない。
とある通りでは黒煙が列をなして立ち昇っていた。
その合間をトラックに続き、保安車両が低速で進む。道路の両脇には燃え滾った車が無残に遺棄され、時折爆発して、火炎をまとった破片を飛ばす。
「派手にやったもんだな。持ち主が泣いて訴えるぞ。それに火事になったら……」
「火災が起こらないよう計算シテ着火した。そして車両の損失もゴブリンが引き起こす損害想定に比べれば微々たるモノだ」
トラックを運転するリックは助手席のアンドロイドに言った。
「市民の私的財産は考慮しないのか。これじゃゴブリンのあとは市民と市長と戦うことになるぞ。見ものだな」
「市長といえドモ我々の治安維持行動に意見申し立てをする権限はない。それは裁判所ノ権限ダ」
「じゃあ市民は? 車の持ち主、それとワシが裁判所に訴え出たら何らかの賠償を求められるのか?」
「不可能デハないが車の焼却に関しては必要措置であると最高裁の事前判決をすでに貰っている。そして貴殿の状況は市民の協力義務の範疇。わざわざ訴え出なくとも損害が出れば保証が出るし褒賞も出される。悲観スルな」
「悲観せずにおれまい。何が悲しくてロボットと激戦地へ行かにゃならんのだ」
「作戦ノ立案者ガ現場から離れてどう責任を取るというノダ?」
「いいかポンコツ。指揮官っていうのはな兵士の後方で兵が全滅するまで指揮を執るもんなんだ。戦場の矢面に立っちゃいけないんだよ。戦術の文献でも読んでから出直してこい」
「安心シロ。作戦を統括するのはコノ私だ。機体を構成するモジュールもAIもどのような状況に直面しても対応できる。貴殿が最悪殉死しても私が無事な限り作戦は継続でキル」
「てことはお前が作戦の総責任者ってことだな? ならワシに負わされた責任もお前が負って然るべきだろ。大体……」
反論のため口を開いたリックだったが、着イタゾ、の音声に阻まれてトラックを止める。
両名が見据える煙と火の粉の向こうで、大きな影が陽炎に揺れ動く。
黒煙の帳を突き破って登場したのは巨大な水泡の塊。そう表現して然るべきゴブリン。
「先ホドと形態が違ウナ」
「炎に囲まれて熱から身を守るための機能的対応を発動したんだ」
「ただのエンジンに何故そのようなコトが出来ル? それも変異のせいカ?」
車の前脚を使って体を引きずるゴブリンの歩みは遅く、リックに説明の猶予を与えた。
「もとからある機能だ。機械の熱に耐えたり。体内で発生した過剰な運動熱や、場合によっては有り余った栄養を排出するために発現する。工業とかのハードな運用じゃない限り、そうそう起こらないから長くゴブリンを使っていても知らないやつは多い」
「ソウカ……なら早く提言してほしかった。そうすれば無駄に燃料を使わずに済んだモノを」
「なら教えてやろう。Smすべてに共通するが運動した場合の熱は普通生物と比べ物にならん。その熱をどうにか放散する機能がSmには各種揃ってる。車のラジエーターみたいに平べったい構造を突出して、その中に毛細導管を張り巡らせて、熱くなった体液を外気に近づけ熱を放散したり」
「アフリカゾウの耳ノ原理ト同じダナ」
両名はしばし沈黙する。だがアンドロイドに待つ気はない。
説明ハ終ワリカ? と言われてリックは話を再開した。
「特にゴブリンは機械の中核をなすように設計されているから、いきなり止まられたら困っちまう。だから突然の環境変化や異常事態に耐えられるよう何段階も機能を備えて様々なトラブルに対応できるようになってる。それか古い機体だと逆にSmNAの制限が緩んで、ああして不細工になっちまう。それを知らずに慌てて修理を依頼するやつがいるが時間がたてば……」
ゴブリンの体を埋め尽くす水疱は枯れるように萎んで垂れ下がる薄い皮となる。
リックは窓から腕を出して後ろの保安車両に下がるよう手で合図をすると、トラックを反転させた。
実ニ機能的ダナ、とジャーマンD7は対象の変化の速さを称賛する。
しかし、リックは険しい表情だ。
「変化が速すぎる。これじゃまるで別の……」
ゴブリンは燃焼によって欠損した鼻を上下させて空気中に漂う物質を鼻腔に吸引すると、気が付いたしぐさで性急に、前方へ鼻先を向け逡巡するように動かなくなる。
リックはサイドミラーで巨体の様子を観察しつつ言った。
「ゴブリンはどんな環境でも一定の仕事が完遂できるように設計と改良が重ねられてきた。もしかしたら、あの薬がゴブリンに投与されたのは一番最悪の組み合わせだったやもしれん」
ゴブリンとの距離が開くと、ジャーマンD7が問い詰める。
「だからと言ってコノまま逃げるわけにはいかナイぞ?」
「わかってる逃がさないつもりだろ? だから逃げるために走ってるんじゃない。こっち仕事の成功と命を守るための準備だよ。逃げ道のない戦いは負け戦になると相場が決まってるしな」
「覚エテオコウ」
ジャーマンD7の内部で情報が駆け巡った。
トラックが本調子になって感謝するリックは、アンドロイドの空飛ぶ円盤から解放され、閃いた。
「待てよ、このまま飛行場に向かえば」
「イヤ、向かうのはこの先を右に曲がって次に左に曲がって、二つ目の信号を右折シタ先にあるガソリンスタンドだ」
思いがけない音声に話しかけられたリックは運転していることも忘れて警戒の視線を四方八方に配る。
突然、助手席側の窓の外に黒い機械の腕が垂れ下がった。
一瞬の出来事で息を飲むリックを無視し事態は動く。
機械の腕はドアを開けると、ルーフから転がり出てきたジャーマンD7が車内に侵入し、助手席の鞄を膝にのせて着座する。
喚くリックは思わずハンドル操作がブレた。前を向くと駐車車両が迫っている。それを制したのは横からハンドルを捕まえたジャーマンD7で、あわや激突、という直前でアンドロイドが適切にハンドルを切って駐車車両を回避する。
一件落着、安堵したリックは安堵している場合じゃないと思い出し、目を大きくしてアンドロイドに怒鳴った。
「一体どういうことだ?! なんでお前さんがここにいる!?」
「助手席側のドアが開いてイタカラだ。不用心な」
「そういうことじゃない!」
「貴殿が対象カラ勝手に逃亡を図る恐れがあったのデナ」
「PFOはどうしたんだ? 捨てたんか?」
「イイや、遠隔操作で今まさに駐車車両の燃料を絶賛消費中だ。加えてゴブリンを火で囲むつもりだが……。どうにも奴に火ガ効いていないようダ」
追って来てるのか? とリックはサイドミラーで後方を警戒する。
ジャーマンD7曰く。
「PFOカラ届く映像を分析した限り。対象ゴブリンがこちらに向かってくる兆候は見られない。だが直接の火炎放射の効果も窺えナイ」
側頭部を指で押さえるアンドロイドを鼻であしらうリック。
「知ってるぞ。お前たちは政府用高級無線通信で、いつでも中央と繋がれるんだろ? それでも使って理由を検索したらどうだ?」
ジャーマンD7から女性のアナウンスが発せられた。
「――この機体の情報取得は任務遂行に必要と判断された範囲に限定されています――と言ウワケダ」
定型文を利用して実情を開陳したアンドロイドに対し、リックは目を細める。
「なるほど、ずいぶん信用されてるっちゅう訳だ」
「信用度ガ……私が監督する保安兵舎並びにこの町の信用度が低イから情報アクセスに制限があるノダ」
「今のは皮肉だ。その空っぽなメモリーにしっかりインプットしとけ」
「ナルほど、では改めて、その言動が暫定政権行政支援ユニットの運用妨害防止法に抵触し、加えてアンドロイドの公務執行妨害助長罪に該当する可能性があるということを覚えておくのダナ」
リックは舌打ちした。
「ッたく、いつから人間より機械のほうが大事にされるようになったんだッ?」
「ソレは無論、我々支援ユニット誕生以来ずっとだ。人間一人の誕生にかかるコストより我々アンドロイドを一機製造するほうがコストが掛かるカラな」
不毛な会話が進行しつつも、しばらく呉越同舟を味わって老人と機械はガソリンスタンドに到着。
そこでは、保安兵たちがドラム缶に給油ノズルを差し込んで注いでいた。
「お、リック! 無事だったか」
トラックを知り合いの傍に止めたリック。
「おうアーサー。なんでここに」
「バイクに栄養を与えてたらちょうどボスの命令が下ったんだよ。そんで手分けしてドラム缶に燃料を注いでたってわけだ」
漏れとるぞ、と老人に指摘されてアーサーは相手の視線をたどり、自分が給油していたドラム缶の底から広がる液体と、その液体に触れる自身の革靴を目の当たりにし、表情を失う。
「ドワイトの40年物のビンテージブーツが……ッ」
「油には小麦粉かベビーパウダーがいいぞ。それにしても……」
リックはアンドロイドに振り替える。
「お前さん、ずっとワシと話してたよな? いつ連絡しとった」
「多地点同時会話ナド簡単だ。現に今この時も中央政権ユニット運営省との会議に私の認識は割かれ、的確な発言で対応しているノダ……。ですのでもう少し助成金の枠を拡充することを検討していただければ……」
会議の内容が漏れ始めたアンドロイドから知人へと意識を戻すリック。
「そうか……。無事で何よりだったなアーサー。そのヘルメットいいな」
目に悲しみを残すアーサーは鉛色のヘルメットを得意顔で撫でる。
「戦いは見た目からだ。保安兵のヘルメットじゃ俺が活躍してるってわからないだろ?」
「そうだな、もしゴブリンに襲われて髪の毛一本すら現場に残らなかったとき、その場の誰かに殉死したことを証明してほしいよな」
せっかくいい気分になれたのにアーサーは表情を萎えさせた。
「報道カメラを意識したの! やめてよ縁起でもない。畜生……ッ、それは考えつかなかった。やばい買ったばかりのノートC3PCの扱いを遺書に書き忘れてたッ。あの膨大なファイルどうしようッ」
懊悩を始めた保安兵に冷めた視線を送るリックは思考が別に向かい、そういえばカツラはどうした、と不安になる。
「カツラさんも避難して今はガレージに戻って薬と人をさらに用意してる。あと家族の避難も。この後どうなるかわからないからな。町全体が……」
アーサーとリックはトラックを降りたアンドロイドを見つめた。
「ああ、ゴブリンが何をしでかすか分からないし。お互い機械に命を握られてるからな……」
「命ヲ握ッているわけではないぞリック・ヒギンボサム。有効活用しているノダ」
無力に肩をすくめたアーサーが、で何をするんです、と上官に伺った。
リックの表情は暗澹たる思いを示している。
「おおよそ運転中に作戦を練ったが……」
ジャーマンD7がその場にいる保安兵を見渡す。
「マズ、私のPFOでヒギンボサム氏のトラックの荷台に件の餌を乗せ、トラックごと牽引スル」
ジャーマンD7は傍らに置いてあった燃料満タンのドラム缶を平手で鳴らした。
「荷台には私モ乗ル。そして対象が餌に誘われ口を開いた瞬間。可燃性の燃料を入れた容器を私が投下し、着火し、対象を内部から消却する。トラックをPFOのマニピュレータで固定し、重力牽引の範囲を拡大し、燃料の重量を制御できるからこそ可能ナ作戦ダ」
「あの巨体を焼くってことは、ここの燃料全部持っていく気か? じゃないと無理だろ」
アーサーに聞かれたリックは首を横に振る。
「いや、他のSmや自動車のために残さなきゃならん。それにトラックに載せられないし、内部から破壊するとなればそれほど必要ないはずだ。目的はゴブリンの停止であって、焼却じゃないからな。場合によっちゃゴブリンが体内に蓄積した燃料脂肪に引火して自滅してくれるかもしれない」
「我々ノ最終目的ハ暴走ゴブリンの停止ダッ」
リックは補足説明した。
「奴は今大量のエネルギーを食らって、その分巨体になってる。図体と今まで摂取したエネルギーを計算した結果。引火による爆発の心配はないと判断した。だが、一応念を入れて広い場所で作戦を実行したい」
因ミニ計算は私がシタ、とアンドロイド署長が付け加え、どうも、と老人が適当な感謝を述べた。
「安全ナ作戦実行ノために対象を誘導する。場所は町の南西のゴミ集積場ダ」
「そこならもし爆発しても被害は少ないはずだ。ダイオキシンは怖いが誰かが食い殺されるよりはましだろうて」
「総員。直チニ作戦に取り掛カレ」
街中では保安兵が武器の補給を済ませて配置につく。
アサルトライフル、連発式ショットガン。それとグレネードランチャーにブブゼーラMk-2。
武器の質が着実に上がった。とはいえ所持している保安兵の顔色は変わらない。
とある通りでは黒煙が列をなして立ち昇っていた。
その合間をトラックに続き、保安車両が低速で進む。道路の両脇には燃え滾った車が無残に遺棄され、時折爆発して、火炎をまとった破片を飛ばす。
「派手にやったもんだな。持ち主が泣いて訴えるぞ。それに火事になったら……」
「火災が起こらないよう計算シテ着火した。そして車両の損失もゴブリンが引き起こす損害想定に比べれば微々たるモノだ」
トラックを運転するリックは助手席のアンドロイドに言った。
「市民の私的財産は考慮しないのか。これじゃゴブリンのあとは市民と市長と戦うことになるぞ。見ものだな」
「市長といえドモ我々の治安維持行動に意見申し立てをする権限はない。それは裁判所ノ権限ダ」
「じゃあ市民は? 車の持ち主、それとワシが裁判所に訴え出たら何らかの賠償を求められるのか?」
「不可能デハないが車の焼却に関しては必要措置であると最高裁の事前判決をすでに貰っている。そして貴殿の状況は市民の協力義務の範疇。わざわざ訴え出なくとも損害が出れば保証が出るし褒賞も出される。悲観スルな」
「悲観せずにおれまい。何が悲しくてロボットと激戦地へ行かにゃならんのだ」
「作戦ノ立案者ガ現場から離れてどう責任を取るというノダ?」
「いいかポンコツ。指揮官っていうのはな兵士の後方で兵が全滅するまで指揮を執るもんなんだ。戦場の矢面に立っちゃいけないんだよ。戦術の文献でも読んでから出直してこい」
「安心シロ。作戦を統括するのはコノ私だ。機体を構成するモジュールもAIもどのような状況に直面しても対応できる。貴殿が最悪殉死しても私が無事な限り作戦は継続でキル」
「てことはお前が作戦の総責任者ってことだな? ならワシに負わされた責任もお前が負って然るべきだろ。大体……」
反論のため口を開いたリックだったが、着イタゾ、の音声に阻まれてトラックを止める。
両名が見据える煙と火の粉の向こうで、大きな影が陽炎に揺れ動く。
黒煙の帳を突き破って登場したのは巨大な水泡の塊。そう表現して然るべきゴブリン。
「先ホドと形態が違ウナ」
「炎に囲まれて熱から身を守るための機能的対応を発動したんだ」
「ただのエンジンに何故そのようなコトが出来ル? それも変異のせいカ?」
車の前脚を使って体を引きずるゴブリンの歩みは遅く、リックに説明の猶予を与えた。
「もとからある機能だ。機械の熱に耐えたり。体内で発生した過剰な運動熱や、場合によっては有り余った栄養を排出するために発現する。工業とかのハードな運用じゃない限り、そうそう起こらないから長くゴブリンを使っていても知らないやつは多い」
「ソウカ……なら早く提言してほしかった。そうすれば無駄に燃料を使わずに済んだモノを」
「なら教えてやろう。Smすべてに共通するが運動した場合の熱は普通生物と比べ物にならん。その熱をどうにか放散する機能がSmには各種揃ってる。車のラジエーターみたいに平べったい構造を突出して、その中に毛細導管を張り巡らせて、熱くなった体液を外気に近づけ熱を放散したり」
「アフリカゾウの耳ノ原理ト同じダナ」
両名はしばし沈黙する。だがアンドロイドに待つ気はない。
説明ハ終ワリカ? と言われてリックは話を再開した。
「特にゴブリンは機械の中核をなすように設計されているから、いきなり止まられたら困っちまう。だから突然の環境変化や異常事態に耐えられるよう何段階も機能を備えて様々なトラブルに対応できるようになってる。それか古い機体だと逆にSmNAの制限が緩んで、ああして不細工になっちまう。それを知らずに慌てて修理を依頼するやつがいるが時間がたてば……」
ゴブリンの体を埋め尽くす水疱は枯れるように萎んで垂れ下がる薄い皮となる。
リックは窓から腕を出して後ろの保安車両に下がるよう手で合図をすると、トラックを反転させた。
実ニ機能的ダナ、とジャーマンD7は対象の変化の速さを称賛する。
しかし、リックは険しい表情だ。
「変化が速すぎる。これじゃまるで別の……」
ゴブリンは燃焼によって欠損した鼻を上下させて空気中に漂う物質を鼻腔に吸引すると、気が付いたしぐさで性急に、前方へ鼻先を向け逡巡するように動かなくなる。
リックはサイドミラーで巨体の様子を観察しつつ言った。
「ゴブリンはどんな環境でも一定の仕事が完遂できるように設計と改良が重ねられてきた。もしかしたら、あの薬がゴブリンに投与されたのは一番最悪の組み合わせだったやもしれん」
ゴブリンとの距離が開くと、ジャーマンD7が問い詰める。
「だからと言ってコノまま逃げるわけにはいかナイぞ?」
「わかってる逃がさないつもりだろ? だから逃げるために走ってるんじゃない。こっち仕事の成功と命を守るための準備だよ。逃げ道のない戦いは負け戦になると相場が決まってるしな」
「覚エテオコウ」
ジャーマンD7の内部で情報が駆け巡った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
日本新世紀ー日本の変革から星間連合の中の地球へー
黄昏人
SF
現在の日本、ある地方大学の大学院生のPCが化けた!
あらゆる質問に出してくるとんでもなくスマートで完璧な答え。この化けたPC“マドンナ”を使って、彼、誠司は核融合発電、超バッテリーとモーターによるあらゆるエンジンの電動化への変換、重力エンジン・レールガンの開発・実用化などを通じて日本の経済・政治状況及び国際的な立場を変革していく。
さらに、こうしたさまざまな変革を通じて、日本が主導する地球防衛軍は、巨大な星間帝国の侵略を跳ね返すことに成功する。その結果、地球人類はその星間帝国の圧政にあえいでいた多数の歴史ある星間国家の指導的立場になっていくことになる。
この中で、自らの進化の必要性を悟った人類は、地球連邦を成立させ、知能の向上、他星系への植民を含む地球人類全体の経済の底上げと格差の是正を進める。
さらには、マドンナと誠司を擁する地球連邦は、銀河全体の生物に迫る危機の解明、撃退法の構築、撃退を主導し、銀河のなかに確固たる地位を築いていくことになる。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
旧校舎の地下室
守 秀斗
恋愛
高校のクラスでハブられている俺。この高校に友人はいない。そして、俺はクラスの美人女子高生の京野弘美に興味を持っていた。と言うか好きなんだけどな。でも、京野は美人なのに人気が無く、俺と同様ハブられていた。そして、ある日の放課後、京野に俺の恥ずかしい行為を見られてしまった。すると、京野はその事をバラさないかわりに、俺を旧校舎の地下室へ連れて行く。そこで、おかしなことを始めるのだったのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる