絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 37:エンジン付きの逃避

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《焼き付け式対消化塗装》かつて新しい運搬方式として、大型Smの体内格納という計画が取り沙汰された。Smの体内に空洞を作る案と、消化嚢に直接運搬物を収める案が議論に登り。そして、時を同じくして特殊な塗装技術が生まれる。二つの案の帰結するところは内容物が漏洩しないこと、また運搬物が壊れないことであり、そのため容器には高い腐食耐性と耐久性が求められた。計画は数十年たった今、Smを運搬車両の動力に使う、という形で実現し。特殊塗装はSm産出物の破棄のために今も使われている。両面に塗るのは、わずかな腐食から穴が拡大するのを防ぐためだ。














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「リック・ヒギンボサム」

 ドラム缶の凹みが内側から殴打され膨らむと、付着してたヘドロが跳ねる。

『わかってる! とりあえず今は街中をぐるぐる回ればいいんだな!』

「ソノ通りだ。ただし私が指示したブロックから出るな。もし貴殿が私が意図しない行動によって町に被害を出せば損害賠償の時、私が証言しよう。貴殿の過失ダト!」

『この野郎! ポンコツを通り越して悪魔じゃないか!』

「部下にもヨク言われるが私はその都度こう言っている。自分を顧みるのだな人間……。保安兵に通達。住民の避難誘導は引き続き一斑に任せる。それ以外の隊員は、私の指示に従いゴブリンの移動地点に先回りセヨ」

 トラックの右折によってジャーマンD7の体がドラム缶とともに必要以上に傾斜した。全身をヘドロにダイブ、となると思われたが、ジャーマンD7はドラム缶から勢いよく飛び出し、倒れる方の反対へ屈曲させた体で、上半分だけの不完全なCの形を再現する。
 トラックの右折が終わると、均衡を取り戻したドラム缶は元の垂直な姿勢に戻った。
 ジャーマンD7はトラックが突き進む直線道路を確認すると、ドラム缶の縁を掴み、両足を引き上げて逆さになり、体中の錆を確認する。

「内部のバランスセンサーは問題ナイようだな。ということは、損傷は深くとも駆動系に限らレルらしい」

『それでもここはいったん撤退して、お前さんも洗浄したほうがいいんじゃないか?』

 老人の提案を聞いたジャーマンD7は再びオイルの風呂に入る。

「ソレも悪くない。だが、その前に後ろのアレを引キ離セ」

 今まさに反転して逃げようとする保安車両をリックのトラックが横切った。
 追跡するゴブリンが突き出した前脚の車両が、発進に手間取った保安車両を弾き飛ばす。
 すると、今まで役に立っていなかったイナゴの後ろ脚が膨張し、亀裂が薄い殻を破って、内部から屈曲した人の足の構造が発露する。
 脱皮したことで生まれ変わった脚の形状は、まさしく人の脚そのもので、太ももは毛皮に覆われ脹脛から下は虫の甲殻が構築する。
 前より太くシンプルになった脚は後ろ向きに生えており、踵で地面を蹴って巨体を前へ押し出した。
 そうなるとゴブリンの前足の役目を果たしていた車両がアイデンティティーを思い出したように、地面に押し付けたタイヤを回して、ローラスケートの要領で巨体を前進させる。
 保安車両の間を突破するトラックとそれを追うゴブリンの距離は縮まり。鬼面と車の前脚が車両の関所を簡単に蹴散らした。
 早ク引キ離セ! とジャーマンD7はいうが老人の声は反論する。

『これでも精いっぱいだ。トラックが重くて、そうだ! ドラム缶を捨てろ。それにつられているんだ』

 ジャーマンD7は唯一の安全地帯であるドラム缶を見下ろし、その外に広がる強い腐食性を示すヘドロの海を眺め、無理ダ、と答えた。
 なに? リックは耳を疑う。

「ドラム缶ノ破棄ハ今すぐには無理だ。ほかの方法を考エヨ」

『ほかの方法って、じゃあ、お前が……』
  
 強引な命令に不快感を覚えたリックは、言葉の途中で前方に目を留める。
 トラックの前を走っていたバイクが速度を落として並走を始めた。
 鍋をひっくり返したようなヘルメットにゴーグルを装着していたドライバーはアーサーだった。
 リックが運転席の窓を開けると、バイクを近づけたアーサーが声を張り上げた。

「状況はどうなってる?!」

「後ろのボスに聞け」

 直後アーサーは聞きなれた冷たい声にフルネームを呼ばれ、バイクの速度を落とし、荷台に触れるが、嫌な感触に手を引っ込めた。皮手袋にへばり付くヘドロに背筋が凍るアーサーは身を震わせ、手を振って汚物を振るい落す。そして、変わった場所にいる上官に語り掛ける。

「一体何があったんですか?」

「思ワヌ攻撃に晒されたノダ」

 アーサーは荷台の外壁に汚れた手を押し付けてバイクの速度を落とし、ヘドロを擦り付け、即座に左へよける。
 最後のアクションがなければ、背後から飛んできた物体の直撃を食らっていただろう。
 振り返るアーサーは、今さっき自分を襲撃した車のタイヤを横切る。
動力のないタイヤは空気を失い、表面はほぼ溶けて、ホイールも錆が浮かび、まとわりつく黒い物質が煙を放つ。
 顔全体で悪臭を受け止めることとなったアーサーは咳込んで、それでも疑問を口にする。

「作戦は、成功したんですか?」

「貴様ノ状況判断能力は幼児以下ノようだな。それより」

 その時、ジャーマンD7はゴブリンの兆候を見逃さなかった。
 膨張する体。内圧が高まり膨れる口。


「待テ待テ待テ待テ」

『なんだって?』

「リック・ヒギンボサム! 左ニ避ケロ!」

「何?」

「右ニ避ケロ! 速ク!」

 リックはサイドミラーのゴブリンを目視し、命令に従いハンドルを切る。
 ドラム缶が再び傾くと、ジャーマンD7は迫る荷台の縁に手を伸ばし、伸展しきった腕の関節を固定することでそれ以上倒れるのを防ぐ。
 トラックと引き離されたアーサーがバイクのミラーに注目した瞬間、ゴブリンの口が開き、盛大にヘドロが噴出した。
 アーサーは急ぎ体を傾け、バイクを左へ進路変更し、汚泥の直撃を回避する。

「一体何なんだ⁈」

 叫ぶアーサーに無線でリックが言う。

『嚥下反応の一種だ。とりあえず行儀が悪くなったと理解しておけ』

「ソレよりアーサー・ヒッグス。この車両を護衛しろ。そして」

 ジャーマンD7は荷台の後方を指し示すが接近するゴブリンが喉を膨らませ今までより、少ない吐瀉物を放つ。今までと比較して少ないだけであって、それはぶつかればどんな致命的な結果を生み出すかわからない嘔吐である。回避するためにはトラックは左右に動かざるを得ない。

「オノレ……今は金具を外せんか。アーサー・ヒッグス少なくとも私が運転席の直上に移動するまでゴブリンを引き付けるノダ」

「じゃあ、早く移動して!」

 泣きごとに近い声色でアーサーは銃を構えた。






 ハイジャック機の中では、苛立つ痩せっぽちが体を無為に上下振動させ、今にもパイロットの首にあてがったナイフをスライドしそうだった。
 一方狭い中での自由を満喫していた太っちょは唾を飲み込み拳で口を押えると、木箱からアメフトヘルメットを取り出し装着した。

「なあ、まだ出られないのかよ」

 相方のぼやきに痩せっぽちは怒鳴る。

「うっせえ! 遊んでないで早くこっち来い」

 直後、機体全体を強い衝撃が襲い、揺さぶられる三人。フロントの窓ガラスには突撃の影響で亀裂が走り、いつ砕けてもおかしくない。ただ今の振動の原因は、激突ではない。

「なあ、このまま窓ガラスが割れたら発進しても」

 口を開いたアレサンドロ。彼の肩にしがみ付く痩せっぽちは声を荒げた。
 
「いいんだよ! つべこべ言うな」

 アレサンドロは後ろを気にしたが、目元にナイフの切っ先が触れて、それを避けるために正面を見ざるを得ない。
 痩せっぽちは静かに告げた。

「そうだ。前だけ見てろ」

 その時、機内に明かりが飛び込んで、戻ってきた太っちょを含め三人とも目が眩む。
 外からの強い光の直視を避けるため、窓をのぞき込のは躊躇われるが、天井を照らしているのでひとまず、目を傷める心配はない。だが、煩わしい。

「ったく何なんだ」

 俺吐きそう、と申告した太っちょに対し、痩せっぽちは呑み込めと冷たく言い放つ。
 犯人たちは苛立ちや辛さを隠せない。そんな時、アレサンドロだけは頭の中で外からの光の明滅を文字に変換していた。そして、太ももの間に挟めていたヘッドフォンのマイクをさりげなく、わずかな膝の動きで上に向ける。

――信号ガ分カッタラ……カワウソ……ニ……会イタイ……トイエ。



 管制塔では管制官がそれぞれ通信に呼び掛けている。

「こちらデスタルト空港。現在空港は緊急時により閉鎖している。立ち寄る計画の便は引き返すように。繰り返す……」

 同僚が通常業務の一環を務めている隣では年配の管制官が受話機から聞こえる保安兵の言葉に耳を傾けていた。

『通信しています。これで……』

『畜生……カワウソに……カワウソに会いたかった』

 管制室の一同がスピーカーの声にくぎ付けになる。
 皆がパイロットの声だと確信した後、スピーカーは管制官の手で切られ、耳の空いている管制官のヘッドフォンに発信が切り替わり、別の声が言葉を紡ぐ。

『は? 何言ってんだ?』

『か、カワウソだカワウソ!』

『頭おかしくなったのか』

『うえ』

『吐くなよ? 吐いたらぶっ殺すぞ』

 嘔吐寸前な男の声が、ゴミ袋あるか、と尋ねる。

『俺の座席の下の収納に袋が……それを』

 格納庫では保安兵が操作するライトのレバーを上げ下げして、ライトの全面のブラインドを開け閉めしている。
 その時、無線機のスピーカーが、パンッ、という何かが炸裂したとしか思えない音を発した。
 通信にくぎ付けになっていた全員、白目をむき硬直する。
 作業台に据え置かれた無線機の前に集まっていた整備士も少女一行も身構えた。
 しかしマーカスが冷静に、きっと紙袋を膨らませた音だ、というと。緊張が少し和らぎ、直後、聞きたくもない嘔吐を催す呻きが無線から発せられ皆顔をしかめた。

『ったく』

『袋は口を閉じてゴミ箱に入れてくれ。そこにあるから』

 会話によってパイロットの存命を確認して胸をなでおろす。

 ハイジャック機では太っちょが副操縦席に座り、操縦機材の下に置いてあったゴミ箱のフットレバーを踏んで蓋を開け、膨らんだ袋を中に押し込んだ。
 舌打ちした痩せっぽちは、すっきりしたならナイフを握ってくれ、と告げた。
 わかってるって、と太っちょは重々しく立ち上がり、片手にナイフもう一方の手に未使用の紙袋を握る。
 アレサンドロは懇願した。

「なあ、もうナイフを突きつけないでくれ。さっきから何度か首が切られて痛いんだ。暴れたりしないし。言われたとおりにするから」

『黙ってろ! 舌切り落とすぞ』



「なるほど、人質はナイフを常に向けられてるってわけだ」

 レントンの考察に納得する整備士は頭を抱える。

「こりゃ、まいったな。下手なことして犯人を刺激したら」

「人質が死ぬ……」

 ソーニャの総括に皆が息を飲む。
 だが、ルイスは冷静に述べた。

「ナイフで脅しているということは常に人質に密着して制御していなければ成立しない。となると、人質から犯人を引き離して突入、というのは難しそうだな……。しかも二人いるから、かならずどちらかが人質に刃を向けていると考えられる。そうなったら、見張りを交代することで、集中力も持続する」

 緊迫した事態に接して整備士の一人が考えを口にした。
 
「ここは保安兵が犯人を説得して……」

 ルイスは頷く。

「犯人は脱出しようとしているわけだから、こちらが車両を用意する、といえば飛行機の脱出を考え直す公算は高い」

 責任長も口をはさむ。

「それとパイロットに連絡して死後の賠償請求をしないよう説得できないだろうか?」

 責任長に厳しい視線が集中するが良識を持った人たちは、ばかげた発言に関心を寄せるのを止め現状について話を進める。

「というか保安兵の応援はまだ来ないの? こっちからもずっと前に通報したし、そっちも連絡したんだよね?」

 整備士の質問に保安兵が首肯する。
 
「それはもうした。ただ。町の事件で大勢が駆り出されているし。こっちに来ても現状できるのは無謀な突撃くらいだ」

 事情を聴いた整備士たちの頷きは肯定よりも諦念に近い。

「保安兵が来たところで交渉に失敗したら。突撃するか人質もろとも機体をぶっ壊すか選ぶことになる」

 ベンジャミンの指摘は同僚たちの顔色に直接作用し、その場の空気を重たくする。
 








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