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第01章――飛翔延髄編

Phase 36:結び目を作るソーニャ

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《消化嚢》Sm器官の一つ。車でいうところのガソリンタンクでありエンジンの燃焼室にあたる器官。動物の消化器官を模倣した構造であるが、ものによっては内部に別の口のような構造を備えたり、細胞レベルの大きさの器官を生産して燃料である物質を分解することで効率よくSmを稼働させるエネルギーとしたり、組織構築の材料にする製品も存在する。Smにとっては心臓部と呼べる機関である。この器官の分解能力を利用して廃棄物の処理を行っている業者も存在するが、使われたSmが投棄されたゴミの成分によって暴走するなどの事故も稀にあり、扱いには注意が必要とされる。
















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 トラックの荷台では。
 ジャーマンD7がドラム缶の縁を両手で掴み、水を浴びた犬みたいに上体を震わせた。濁った黒い水面から昇る煙を浴びつつ。黄色い眼で確認した広がるヘドロも定期的に泡を噴いている。
 再び脚を汚泥に浸けて腐食したくない、と願うアンドロイドは様々な行動パターンを検討する。

 その一:ドラム缶の上に立ってそこから荷台の縁に飛び移り、綱渡りの要領で縁を踏破し、運転席のルーフにたどり着く。
 予想される結果:トラックの予期せぬ動きによってヘドロにダイブ。もしくは車外に落とされその衝撃で機体部品が損傷。あるいはゴブリンに襲われる。
 その二:荷台の後方の留め具を外して荷台を開放し、運動の第一法則を利用して、走行を続けるトラックからヘドロを排出する。
 予想される結果:後方に近づくにつれゴブリンとの接触リスクが増大し、さらなる攻撃にさらされる。
 そして、今まさにゴブリンが排出する追加の吐瀉物がドラム缶に直撃し、ジャーマンD7は黒い水面に急いで入って、ドラム缶の中で重心の位置を低く保ち、ドラム缶が倒れるのを防ぐ。
 ゆっくりと黒い水面から黒い顔面を出すアンドロイドは計算を続けた。
 その三:ドラム缶ごと荷台に近づき、縁にぶら下がり、そしてゴブリンの攻撃の餌食に。
 その四:ドラム缶の縁に立って直接ルーフに向かって跳躍。ドラム缶の耐久力に問題あり却下。
 その五:とりあえずドラム缶ごとルーフに向かって逃げて後方の留め具はアーサーに任せる。
 決心したジャーマンD7は体を左右に揺さぶることでドラム缶を左右に傾け、胴体の捻りを加える。そうすると、ドラム缶が歩き出すように進みだし、フロントのほうへ着実に移動する。
 そこへ、老人のお言葉が届いた。

『強力な腐食能力のようだな。もしかすると、もとになったゴブリンには小器官型消化嚢が搭載されてたのかもしれん』

 ナンダソレハッ? とジャーマンD7はまだ体に残っていたヘドロをオイルでかけ流し、機械の手でこすり落とす。

小器官型消化嚢しょうきかんがたしょうかのうってのは細胞くらい小さい胃袋みたいな器官を生産する袋型の部品だ。その極小器官のプールに落ちた有機物は、微小な器官の活動と生産する消化酵素で効率よく酸化分解されてゴブリンの栄養になる」

「ソンナことして何の意味がアル」

「生ゴミはもちろん、あらゆる有機物をより効率よく分解し、組織の材料にできるんだ。なんでも見境なく栄養にできる、と銘打ってもやっぱりSmにだって効率のいい燃料とそうでないものがある。その差を埋めてさらなる効率化を図るため作ったが。分解の過程で発生した有毒ガスが消化嚢に溜まっちまう危険性が指摘されて今じゃ規制されてる。トラックとドラム缶に消化防止被膜が焼付塗装されてなかったら今頃大変だったな」

「私の機体ニモその塗装をしなければ……。そうなるとますます保安兵舎の資金を圧迫することにナル」

「それはそうと。PFOで早くこのトラックを吊り上げとくれ」

「見テなかったノカ?」

「いや落っこちたPFOじゃなくて別のPFOを……。まさか、もうないんかPFOッ?」

「走レ……」






「いやしかし流石です」

 安い巧言令色を宣う責任長は言葉を重ねる。

「本当に迅速な情報取得と対応! 恐れ入ります……。え? いえ、隠し立てしようなどとは決してそんな……。はい……ええ、はい。わかりました。感謝いたします。では、逐次ご報告させていただきます」

 責任長が格納庫の片隅でセマフォに語り掛けている間、ソーニャは髭の整備士と話していた。

「コロコッタで組織を破壊した、けど再生が追い付かないってことは。機体の破壊によって停止させるには、まずは投薬で再生プロセスを停止させる必要がある。けど、それにはロックが停止していないと安全に投薬作業ができない。ならまずは機体の動きを止めるためにイシスタミン、いや単純に眠らせるだけならヒプノイシンかケリュケホルム。もっと強力なヘルメスロパンを使うべきだけど。筋弛緩に特化したドローニウムも併用するか。ここにそういった鎮静麻酔関連の薬はある?」

 ベンジャミンは顔に戸惑いの色を出すも、言った。

「ああもちろんだ。だけど」

「イシスタミンやケリュケホルムは即効性が高いから、最初はそれを使って。そのあとヘルメスロパンで長期間眠らせて、ドローニウムとかの筋弛緩特化薬で筋肉組織の動きにとどめを刺す。そして最後に、かわいそうだけど物理的に足を動かなくする」

 待ってくれ、とベンジャミンが口を開く。しかし、駆け寄ってきた責任長が身を乗り出して発言を奪った。

「つべこべ言ってないで! 打てる手立ては全部試せ! さもないと減給の上に始末書も書かせるぞ! 最悪懲戒免職も覚悟してもらう」

 整備士たちの顔に嫌悪に似た感情が現れる。すると責任長の背後でソーニャが拳を突き上げて言い放った。

「逆にこれで止められたら、みんなにボーナスと有給休暇を与えるぞ‼」

「そうだ! わかったらさっさと働け! え?」

 少女の勝手な宣言に乗せられた責任長。
 職員はざわつき、責任長に迫る。

「もし、止めるのに成功したらボーナスと有給休暇をくれるって!?」

 整備士たちの迫力に責任長は気圧される。先刻までと立場は変わらないが、その熱意と勢いと圧力に関しては逆転した。
 ソーニャはスロウスの体をよじ登り、外耳道に言葉を吹きかけ、指差しで遠くを示す。
 起動する巨躯のことも知らず責任長は狼狽しながら言った。

「と、特別給与については後で交渉に応じる。それに有給休暇も業務に支障がない程度まで保証しよう。だから」

 一人の整備士がセマフォの音声を再生し、確かに責任長の言葉が録音されたことを確認した。

「よっしゃ! やるぞみんな! ミニッツグラウスを止めるんだ!」

 ミニッツグラウスのために人質の命のために! と少女が声を張り上げれば一層の掛け声が沸く。
 若い同僚たちの勢いにベンジャミンは冷めた視線を向ける。

「だがどうするつもりだッ? 機体が動いてるんじゃ安全な投薬なんてそもそも無理なんだろ?」

 一度はやる気に満ちた人々は、真顔になって拳を下げた。
 レントンはしみじみ言う。

「相手を眠らせるために安全に薬を投与したいが、まず動かなくなってほしい。けど、動かなくするには薬を投与しなきゃならん。あるいは盛大に破壊するか。でもそうなると犯人が黙ってない。だから隠密に動きを止めたい」

「ビゾフニルとレーヴァテイン」

 呟くエヴァンに対し、親しい人間もあまり興味を示さず本人も口を閉ざす。しかし、少年がじっと見つめていた少女は格納庫の奥を指をさす。

「あれを使います!」

 注目を集めたソーニャが指示した方角からスロウスがやってきた。
 しかし、皆の視線を奪うのはヒト型Sm自体ではなく、その腕いっぱいに抱えていた赤味の強い肌色のロープであった。

「このロープであのSmをとりあえず拘束する!」

「そのロープ、アレスティングワイヤーか?」

 レントンの言葉にソーニャは目を瞬かせ、なにそれ、と質問を質問で返した。

「航空機を牽引するための綱だよ」

「そうなんだ。けどこの綱はただの綱じゃない。これもれっきとしたSm……その名も《モンゴリアンライフワーム!》見た目はただの綱だけどほら見てここに口がついてるの!」

 スロウスが手にしたロープの先端には確かにヤツメウナギのように牙が円状に並ぶ口が備わり、奥へと続く口腔の壁が蠕動運動を繰り返していた。

「生体炭素繊維と蜘蛛の糸由来のたんぱく質によって網目状の内骨格を形成し表面をケラチンの被膜で覆うことで強度を実現した特化型Sm界の器用貧乏人宝! と評価されてるSmだよ!」

「それって評価なのか?」

 レントンの疑問は脇に置かれ、モンゴリアンライフワームに近づいたベンジャミンは光沢と張りを持った細長い体に触れた。

「成長しすぎて手ごろな長さに切ろうと思ってたヤツだが……」

「このモンゴリアンライフワームをミニッツグラウスのタイヤの軸とチキンレッグに引っ掛けて、Smを総動員して引っ張れば、割と安全に綱引きができて……」

 エロディは指を鳴らした。

「なるほど、引っ張り合って力が拮抗したら機体の位置が動かなくなる。その間にお注射か! あたしもたまに店でやるよ!」

 どんな店だよ、と誰かが指摘する。その解答はなく、少女の背中が次の問題を整備士たちに提示した。

「自由に動く機体を相手にするよりもハードルは低くなる。でも中にいる人質の問題は変わらない……」

 責任長は一旦集団から離れて、セマフォで連絡を始める。
 ソーニャの言葉にルイスが告げる。

「機体の背後から忍びよれば気づかれないはずだ。そして情報によると今人質はパイロットだけだ。私たちが包囲すれば犯人だって自分の命綱でもある人質に対して、簡単に危害を加えないだろう」

 意気込みの伺える保安兵と目が合ったソーニャは、思わぬ期待に目を丸くした。しかし整備士たちからは、保安兵の応援も待ったほうが、という声もする。さらには。そもそも作戦が安直すぎる、と失笑が漏れる。
 それを覆すのは指揮官のルイスだった。

「だが早くしたほうがいいのでしょう? 時間がたつほどにあの機体の行動は制御を離れる。そうですよね?」

 ベンジャミンは考え込むのをいったん中断し、保安兵を見て、ああ、と頷く。

「ではあの機体が外に出てしまったら。今度は町中の大勢が危険にさらされる」

 俯く少女の葛藤と感情を察知した指揮官は彼女の前に片膝をつく。

「お嬢さん。私の名前はルイス。保安兵の空港警備課の主任で指揮官だ。もしよろしければ君のあのSmを借りられないか?」

 ソーニャは指揮官が指し示すスロウスを一瞥した。そこへマーカスが事情を挟む。

「あのSmは彼女、その少女ソーニャの命令しか受け付けない」

「そして、委任命令でも動作しないの」

 男性と少女に言われてルイスは困惑する。
 ソーニャは不安そうだった顔を上げる。

「でももし作戦を実行するなら手伝うよ。ミニッツグラウスを引っ張るなら力がいるだろうし。それこそ猫の手も借りたいでしょ……それに」

「作戦の立案者はソーニャだもんね」

 とエロディが言った。
 誰も言うまいとしたことをあっさり告げてしまう女性に何人かは厳しい目を向ける。
 ソーニャは目をつむり、顔を下げる。幼い表情に苦悶が浮かぶ。すると即座に手をつかまれた。まぶたを開けると目の前にエロディがいた。

「あんたの気持ちはわかるし、思い切りも評価する。だから、あんたが決めな。やるのか、やらないのか。たとえどちらを選んでも、あたしがついてる。何もできないけど、もしあんたが責任を問われたら、そんでもし保安兵に捕まったら。毎日面会に行ってあげるよ」

 そんなことはしない、とルイスは苦笑いだ。
 今一度、逡巡のそぶりを見せたソーニャは表情を引き締め、やる、と明言した。
 首肯したルイスも誓約する。

「手伝ってくれるなら君の勇気を絶対に無駄にしない。必ずパイロットは我々が助ける」

 ルイスは機体に視線を送る。

「そのために一つ試すつもりだ」

 ソーニャは瞬きを繰り返し、何か妙案を匂わせる保安兵を見上げた。









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