絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 55:襟元への逃避

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《TEP》Smにおいては、Sm組織と異物構造を癒着させる機能を有した接着性代謝物を指している。Smの組織は異物に対して排他的組織構築と呼ばれる組織の成長と整列作用を引き起こし、たとえ異物自体が組織奥深くに入っていたとしても、機体外に除去されることが多い。ところが、このテップが異物を包み込み、異物の位置を維持し、周辺組織の排他的活動を抑制することで、Sm組織と異物が定位置で癒着し、それぞれの機能を果たすことを助ける。テップ自体には単純な接着剤としての役割しかない場合もあるが、組織の道標としての作用を持っていることもあり、その役割は機種はおろか、機体ごとに違う。
















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 ハイジャック機ミニッツグラウスの表皮の下にもぐりこんだソーニャは、ゴム手袋をはめた手で簡単に断ち切れる組織を掴んで引っ張る。続いて等間隔で並ぶ歪曲した梁、つまりミニッツグラウスの肋骨を四肢で押さえつけ、関節を伸ばした。
 自分から近づいた骨格を拒絶する行動は、背中に触れる皮を押して空間の拡張を促す。
 一息ついて、道具入れに刃物類をしまうとTフックを取り出し、顔を上げる。
 いま現在、少女が居るのは機体の背中と横腹の境、というどっちつかずの地点だ。
 皮と組織の接点による緩い坂を登り、各所に薬剤を散布して組織の再生を食い止める少女。
 スロウスと共同で作った入り口から顔を出すと、骨を張り合わせた大きな手からメスを奪い、相手の首から鞄を回収して、手招きした。

『こちら管制塔。飛行機が直線に突入した。まもなく離陸する』

 ギャレットの報告を受けたソーニャは機体の背中から、その行く末を見た。
 飛行場の直線を前にして、外にいる人間は息を飲み。機内の犯人二人は興奮に目を血走らせる。
 ミニッツグラウスは、前輪を挟んでいたチキンレッグピストンを全力で稼働し、一輪車を回転させる要領でタイヤを回す。後ろのチキンレッグピストンは関節を曲げ、車輪を支える梁を折り曲げ破断させると、鳥の脚の如く、走る動きを披露する。
 シャッターを突破した頭突きが生み出す衝撃とは違う、また別の振動が機体を縦に揺さぶる。
 ベンジャミンは、熱い、とぼやく。柔軟な内臓に寝そべる彼は、衝撃に無頓着でいられた。そして、近くの管を引き寄せて首に押し付け、冷めてぇ、と息苦しい中にも居心地の良さを追求する。
 離陸を目前にして、ソーニャは作った空間に潜り込もうと、閉じた皮を持ち上げる。が、脱力し、目を瞬かせて掴む表皮の端を凝視した。今度は両手で表皮を引っ張る。せっかく作った侵入口である切り口は、少女を拒絶するように開かない。用意したはずの皮下シェルターに入れない。
 いつ機体が地面を離れるかわからないソーニャは青ざめる。機体は振動を強め、上下の運動が飛翔を予感させる。
 ソーニャは自分が起こす震えにめまいを覚えた。

「スロウス!」



 ミニッツグラウスの両翼に備わるエンジンのプロペラが、高速回転で風を巻き込むと推進力が生み出された。それは翼に揚力を与える契機となる。ミニッツグラウスの後ろ脚がタイヤの足で地面を蹴って、機体はついに空へと昇る。

『今、ミニッツグラウスが離陸した!』

 全身に負荷を感じたソーニャは、ほんのひと時、胸を締め付ける重みを耐え抜くと、落ち着くために深呼吸する。
 二人とも無事か、とギャレットが無線で問いただす。
 真っ先にベンジャミンが、無事だ、と端的に応答した。
 どんどん空へと向かって地上から離れていく機体を、格納庫から出てきたエロディが見送った。
 それはきっと、短いフライトになるだろう。だが再開できるか確信を持てない旅立ちだった。



 機内のマクシムはコクピットの窓から地上に向かって、あばよ、と告げ。

「さて、靴はどうしようか……」

 などと考えを巡らせた。




『もし、中に乗り込むつもりなら早急にするんだ。ソーニャ……。犯人はもしかするとさらに上昇をするつもりかもしれないからな』

 わかった、と一声発したソーニャはスロウスの襟から頭を出した。
 暑苦しい暗闇の中から、一転、駆け抜ける暴風が熱を奪う。スロウスが表皮をしっかりと掴んで体を固定していたので、地上に落ちることはない、と信じたい。
 出たいけど出たくない、の心境の間でソーニャが逡巡していると。ベンジャミンも話に加わる。

『おいおい、まずは外に出すのが目標だろ? 中に入るのは、最終手段だろ?』

「もちろん。出ますよ。ええ、出ますとも……。でも、中に入りたい。ソーニャだもの」

 個人的な問答を含めて独り言を呟くソーニャは、地平の彼方を目の端に留め、風による体感温度とは関係ない寒気を覚える。しかし、深呼吸を一回して、覚悟を決めた。

「スロウスもう一度、手伝って……」

 慎重に、コートから出たソーニャは直ぐにミニッツグラウスの表皮の切り口に飛びつく。風圧をものともしないスロウスも、主の命令を履行し、切り口を引っ張り上げて無理やり組織を乖離させる。
 再び開いた表皮の下に潜るソーニャは、スロウスから回収したメスを使って、伸びきった組織の繊維を手早く刈り取っていく。空間の拡張作業は先ほどよりも早く終わり、奥へ入ると霧吹きで色を失った組織は、完全に沈黙していた。

「スロウス! 足から慎重に入ってきて、ゆっくり降りるために、この肋骨をつかんで。少し指が食い込む分には問題ないから」

 スロウスは言われた通り、浮き出た梁、もといミニッツグラウスの肋骨を掴み、表皮の内側に侵入する。
 巨躯が足を降すだけで皮の下が押しやられ、空間が広げられる。皮が破けないかと気を揉むソーニャは、果敢に奥へ入って、押し込んだ鞄を跨ぐ。狭い中、振り返りると、ヘッドライトが照らす場所にスロウスが滑り込んだ。わずかな坂を迅速に下った巨大なブーツは皮を踏みしめ、今いる空間の可塑性を証明した。
 しかしそれは死が隣に控えていることを如実に表してもいる。
 頭の中の想像上の皮が破れたソーニャは心臓を膨らませ息が止まる。現実に立ち返り、周りに異変がないか、と目を配る。だが、変化は空間の広がりだけで、少なくとも少女にとって嫌厭けんえんすべき事態は微塵も伺えない。
 皮にきずはないし、気になる機内の犯人の動きも、いなくなったと錯覚するほど伝わってこない。
 ソーニャは声を落としスロウスを睨んで、ゆっくり慎重に行動して、と訴えた。
 せっかく作った空間はスロウスに埋め尽くされているが、その分巨躯と重みで皮が引っ張られてソーニャの活動を援護する余裕が創生される。
 ソーニャは噴霧器とメスを併用して更なる空間作りに励む。

『気をつけろよソーニャ。内分泌系に触れないようにしろ。今どんな変質が起こってるかわかったもんじゃないからな』

「わかってる。断定できない毒性が怖いんでしょ。でも毒性に関して言えば皮膚のほうより、そっちのほうが危険度は高いはずだよ」

『毒性だけが怖いんじゃないが、わかっているなら信じよう。それと、こっちは問題ない。内臓のベッドは最高の寝心地だ。破かなければな』

「寝ちゃだめだよ。二度と起きれなくなるかもしれないから」

『……承知しましたお嬢様』

 ソーニャはふと顔を上げてライトを消してみる。闇が一瞬で空間を占領した。次にヘッドライトが点灯されると、ソーニャの険しい表情が明るみになった。
 彼女が今いるのは、機体を輪切りにして、侵入口を90度の角度としたら、45度に至る地点で、着実に下へと進んでいる。それでも侵入口からわずかなりと光が入る、はず。なのに実際にはその侵入口すら見当たらない。
 少女は無線機に語り掛ける。

「ベンジャミン。聞こえてる?」

『ああ、どうした?』

「ほんの数分、それこそ10分前くらいにスロウスが入れるくらい大きく切開した傷口が、すでに塞がったみたい」

『……まて、傷口を塞ぐ処置をしたのか?』

 ううんまったく、と切迫した顔でソーニャは首を横に振る。
 ベンジャミンの声も暗くなる。

「それが本当ならとんでもない回復速度だ。直接見てないから正確じゃないが、おそらく通常の投薬と栄養点滴を受けたSmの回復速度の三倍以上速い』

「うん……切り口が滑らかだったから断面が触れてたことで急速な接合がなされたってこともありうるけど。
 それに緩い結合かもしれないから安易に完治したとは決めつけられないし……」

 今、縮こまっているスロウスが立ち上がり、頭上の表皮を押せば、癒着した部位が千切れ、また出入り口が開き、外が見えるようになる、かもしれないが、安易に命令する気になれないソーニャ。

「そうだ、少し皮膚をくり抜いたら、正確な回復速度がわかるかも」

『やめろよソーニャ。お前の今の状況を想像しただけで俺は肝が冷えるんだ。もし下手なことして……。これ以上言わなくてもわかるよな?』

 簡単な発令を逡巡したくせに恐ろしい発想を口にしたソーニャは、わが身を振り返り、苦い唾を飲み込む。
 不必要な想像はしなかったが、体感する可能性のある恐怖は、少女の体を凍えさせた。
 慎重に、の言葉を繰り返したソーニャは命じる。

「スロウス! もっと広がって、ええっと、ソーニャは狭いのが嫌なの!」

 こんな感じになって、とソーニャはさっき自分が空間を押し広げるためにとった拒絶の姿を再現し、それを見たスロウスが真似をする。少女をはるかに超える巨躯が創出した空間は広大であり、組織が乖離する音も明瞭だ。空間の端々では組織同士を繋ぐ筋が、のべつ幕無しに途切れていった。
 侵入口へ目を向ければ、少し光が伺える。
 やはり完治とはいかないか、とソーニャは憶測を確信に変えた。
 すると、火が導火線を焼くような音が聞こえ、ソーニャは背筋を撫でる不快感に突き動かされると皮膚組織と肋骨の接合部にヘッドライトを向ける。
 筋を引いて分断されてきた皮と肋骨の接合部、本で例えるならページの喉側といえる狭隘きょうあいから血の色の物質が溢れる。それは枝のように広げた突起を成長させ、樹木が土に張り巡らせる根を彷彿とさせる素振りで組織の表面に広がっていく。
 ソーニャは手を伸ばし、メスの先端で生えたばかりの組織を受け止め、絡めて寸断する。
 メスの刃に張り付いた組織は微妙に伸縮を繰り返し、ゴム手袋越しに触れてみると、接着剤のような粘性と吸着性を示す筋が糸を引いた。

『大丈夫かソーニャ? 急に静かになったが何があった?』

「大丈夫だよ。ただ、組織の回復というか。細胞が元気すぎてせっかく広げた空間が狭まっただけ。それより、今再生しようとして伸びた組織を採取したらTEPだと思う物質がいっぱい分泌されてた」

 通信を聞いてたエロディが、テップとは? と尋ねる。

「確か、接着剤みたいな物質って説明されたことが」

 マーカスが大雑把に答えると、エヴァンが細く説明した。

「正確に言うと、Smが生み出す粘着性代謝副産物で。光透過性細胞外ポリマーっていう海のプランクトンとかが分泌する物質の略称が名前のもとになってる。本物のTEPとSmの分泌物は本質的には違うみたいだけど。中には性質が似てるものもあって。それを便宜上テップと呼んだのが一般化したらしい。お父さんも知ってるでしょ。Sm用瞬間接着剤。あれの原材料がテップだよ」

「そうか……。俺はSm接着剤のほうがいいと思うぞ。わかりやすいから」
 
 ベンジャミン曰く。

『それは癒着反応の名残かもしれない。機械や構造物とSm組織を密着させるためのな』

 ソーニャはゴム手袋についた組織を振り払おうとするが、使い道のない組織は、指にくっついて離れないテープのごとく煩わせる。仕方がないのでスロウスのコートに擦り付けた。
 その間にも着実に赤い組織は成長し、ソーニャは噴霧器の薬剤で応戦する。だが、確かに薬剤を浴びた組織は色あせていくが、後から飛び出してくる赤い組織が、暗闇を探る指のように先端を左右に揺すり、色を失った組織を乗り越え発達する。

「テップが保護膜の役目をはたしてヘルジーボの効力が弱いみたい」

 スロウスを見ると、その手足に組織の根が絡まっていた。ソーニャは大急ぎで組織の根を切断するが、赤い組織に絡みつかれたメスが切れ味を奪われる。

「どうしよう! 組織切ったメスがテップ組織に包まれて使い物にならない!」

『そういう時は……。スロウスに食わせろ』

「でも……薬の影響が」

『なるほど、薬剤を散布した組織があるか。いや、ミニッツグラウス自体が薬剤で変異してたな』

「そう……。ヘルジーボの作用で内臓を壊したくないし。犯人の薬の影響は……まあ、スロウスは自己完結型だしな。弱ったなぁ」

『ヘルジーボで萎えた組織は捨て置いて。新手の組織は食わせてもいいんじゃないのか?。自己完結型だったら変異の影響も少ないと思うし。まあ、判断はお前に任せる』

 ソーニャは懊悩する。眉間に老成した皺をよせ、口をへの字に曲げる。それでも頷き、スロウスの口元にメスを差し出し、あ~ん、と口を開けることを要求した。
 主の声と口から求められた行動を類推するスロウス。離乳食を親に食べさせてもらう赤子のようにメスを咥えて白骨化した下顎を閉じる。引き抜かれたメスからは、だいたい組織がなくなっていた。

「よし、解決した! あ!」

 足元を見ると、根っこが彼女の足に絡みついていた。
 ソーニャの足がぁああ! と現状をありのまま叫びで表現したソーニャは慌てる。
 不意に、頭の片隅でリックが振り返る光景が想起された。
 これが走馬灯か、と少女が小首を傾げれば。幻想のリックは語る。

 ――慌てるのは、冷静になってからでも遅くねぇさ。 

 彼はソーニャの脳裏にしかいないリックだ。その証拠に普段ならそうそうしないであろうサムズアップに加えて、絶対にしないウインクまで披露し、眩しい笑顔で毎日ちゃんと磨いた歯を光らせる。
 ソーニャは頷いた。

「スロウス! ソーニャの足元にある組織この赤いヤツね、これを千切って後ろに投げ捨てて、そしてちょっと食べて減らして!」

 御意のままにスロウスは周りで発生する組織を千切っては投げ、千切っては食べる。
 手に握りしめた組織の塊をむき出しの歯列が高速で寸断し、細かく砕かれたものは、隠された暗い穴へさようなら。歯が断ち切る音は機械工作を思わせる。
 ソーニャは慌てて、もっと静かに食べて! と怒鳴る。
 スロウスは一旦停止し、再起動して、ゆっくりと組織を噛んだ。









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