絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 81:オイル奪ったし

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《レフト L-1925 トルネード 6》ミッキー・レフトによって開発製造されたSm順応空冷星形エンジン。製造コストの低減と馬力向上を両立させ、内部に搭載したディスポーザーによってSm細胞混入による燃焼不足を解消し、さらには燃料脂肪すらも扱えるようにした。発売から10年間、同系統エンジンの販売台数首位を飾る。最近では、人手型Smエンジンの台頭や、安定した航空Sm、それに政府主導の安価な重力機関輸送網の発達によって機械エンジンの需要が年々減少している中、未だに製造され、後継機も順調である。













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「スロウス! いったん手を止めて」

 主の命に従い、壁の切削を停止したスロウス。
 機内の後半部で、壁から発達する肉のクッションに押し出されてきた箱をソーニャが引き寄せる。

「この中身のない箱使っていい?」

 問われたロッシュがほんの一瞬逡巡し、うん、と頷く。
 了承を得たソーニャは、持っていた脂肪燃料を含む組織片を木箱に捨てていく。

「どこに捨てる? さっき破った窓から外に捨てる?」

 目的を深読みしたロッシュの切迫を感じる物言いに対し、ソーニャは首を横に振る。

「ううん、後でSmに食わせて再利用できるから。とっておこう。不法投棄は犯罪だしね。でもこんなに脂を蓄積して、一体何を食ったんだろうね」

 ベンジャミンは口が乾くのを舌で味わいながら話し出す。

「そんな特別なもんを補給したつもりはない。いつも通り、黒色ガソリンと『トウモロコシ』をベースにした経口補給燃料だ。ここまで上質な脂肪を蓄えるなんてそうそうない」

 ベンジャミンは片膝をつき、組織片に浮かぶ琥珀色の輝きに注目を注ぐ。
 ソーニャは回収の手を止めないが、疑問に満ちた目でベンジャミンを見た。

「じゃあ、どうしてこんなに上質な燃料脂肪が蓄積したの? まさか、オートファジー?」

「いいや、機体を分解したんじゃない。別の餌を食ったんだ」

「別のって?」

「航空機用ガソリンだよ」

 ソーニャの表情筋を困惑が支配し、視線が彷徨った。

「たしか、この機体って黒色ガソリンと機屍両立調整燃料を使ってるんじゃ」

 ベンジャミンも切り取られた組織片の撤去を手伝う。

「黒色ガソリンとは言ったのは半分正しいが。正確には黒色ガソリンを生成して、添加物を加えた特別な燃料だ」

「それが脂肪に蓄積されたの?」

「だが本来、航空機用ガソリンはエンジンにだけ供給されて、機体、つまりSmであるロックへとは流れない構造になってる。一方でSmの燃料は、一部分解されてエンジンへと流れるが、その経路は器官関門と機械関門を設けてるから」


「ガソリンが逆流したとも考えにくい」

 少女の洞察に首肯するベンジャミン。

「ただ、エンジンに燃料を供給するパイプラインは」

「Sm器官だったよね?」

「そうだ。管の表面はケラチン鞘コーティングされているが。もし、そこにSm組織が浸潤……接続してたら、癒合形成された導管によって中身が別のほうへ流れても不思議はない。現状を鑑みれば特にな」

「じゃあ、燃料タンクとエンジンの間で」

「エンジンが独占すべき燃料をSmが食っちまってるんだ」

 それってどういうこと、とロッシュが疑問を半分まで口にしたところでピートが盛大に割り込む。

「どういうこったよ⁉ 何が起こってるんだ?」

 ベンジャミンは残りの組織片を木箱に投棄すると振り返り、機内を見渡す。
 
「……エンジンを回す燃料の配管がSmの血管に浸食されて燃料を横取りして、その燃料をこの脂肪に詰め込んだ」

「でも、止まってないってことは……この脂肪を分解してエンジンに送っているんじゃ……。たしか、分離型消化嚢の機能で、Smの経口燃料は、機械燃料とSm燃料に分けて余剰をエンジンに供給してるって」

「ああ。それにSmの配管の終末部には、燃料の流量を図る器官がある」

 ベンジャミンが思い起こすのはニンニクのような見た目の器官。その中では、螺旋を描く空洞の小部屋に流体が流れているはずだった。
 ソーニャが口を開く。

「それってシーフジャマーっていうんでしょ? Sm組織が燃料を横取りしたり、消費したりするのを抑制する物質を液中に放散してるって聞いたよ。そして逆にパイプに這わせた導管を通して産生したメッセンジャー物質でSm組織からの脂肪燃料の補給を促す機構があるって」

 表情を頑なにするベンジャミンはゆっくりと頷いた。
 
「よくしってるな。なんなら、そいつがエンジンへの燃料供給を知らせてくれる。ただ……」

 機体の各所から破断音が鳴り響く。
 今度は何? とソーニャは突然のことに身構えた。
 それはすべてが瓦解する警告か、あるいは窮屈な戒めから解放される歓喜にも受け取れる。
 もっとも、機内の人間にとっては骨を軋ませる振動が心身の安定性を奪い、訳も分からない破断音が絶望のカウントダウンに聞こえてしまう。

「どうなってんだベンジャミン!」

 思わずアレサンドロが叫んだ。
 ソーニャは自らの肩を抱き寄せる。死への恐怖が体内の臓腑から骨の髄までを凍えさせ、一縷いちるの希望が心臓に熱を宿らせる。どちらの反応が事態により即していたかは、すぐに知ることとなった。 
 音の発信源が機内ではなく外部だと察したソーニャ達は、窓を覗くため操縦席へ向かう。それを遮るように天井から部材が脱落する。
 物音に振り替えるアレサンドロは目を大きくして、大丈夫か! と声を張った。
 大丈夫! と答えたベンジャミンは、わが身を壁にして守った子供たちから離れる。
 胸を撫で下ろしたアレサンドロは、操縦席と貨物空間の境界を隔てる組織の垂れ幕に表情を引きつらせるが、前に向き直ろうと決心した。その途中で窓の外に釘付けとなる。
 エンジンをぶら下げていた翼が破裂を始める。
 翼の表面を覆っていた装甲が内側から盛り上がった軟組織の塊に弾き飛ばされ、空中を翻りながら落下する。
 地上にいた保安兵が、落ちてくるぞ! 車に逃げろ! と声を上げた。
 事態が収まったと高を括って野次馬に興じていた人々も、空の状況を理解して建物に撤退する。街路樹の枝が薄っぺらい装甲に寸断され、停車していた車も、落下した鋼材のギロチンによってルーフが潰されフロントガラスが砕ける。

 窓に到達したソーニャが恐ろしい想定を口走る。

「Sm組織が翼に浸潤し始めた……ッ?」

 だがベンジャミンは首を横に振った。

「いいや、そんなんじゃない。治り始めたんだ」

「治る? それって……」

「人に抑制されてた本来の姿を取り戻し始めている」
 
 驚愕に顔を支配され、視線すら奪われた整備士。彼を見上げていたソーニャは、危機を見逃さないために窓の外へと目を移す。しかし、窓枠が軋みだすとガラスに亀裂が走り、破片が飛ぶ。思わず、ベンジャミンは子供たちを連れて下がった。
 機体後方で肉の壁が立てる音に、ロッシュは振り返る。少女の手荷物が迫る肉に挟まれているのを目の当たりにして、鞄とってくる! と告げた。
 いきなりの宣言にソーニャも、待って! と追従する。
 ベンジャミンの、待て! の命令はあと一歩遅く。両者の間を狭めるように壁から肉がせり出した。ベンジャミンは完全に行く手が塞がれる前に、子供たちのもとへ駆ける。壁に圧し掛かられる犯人二人を横切ると、スロウスが体躯で支えていた空間へ子供たちを連れて逃げ込んだ。ロッシュは壁から鞄を奪い返す。目的は果たせた。しかし、そのせいで、操縦席から離れてしまった。
 機体の変化は劇的だった。装甲の剥離は機体の翼から後ろに波及し、露になったロックの体表を覆う無数の鱗は、一枚一枚めくれてささくれ立つと、先端から生じる繊細な亀裂が葉脈のように並び、色を失い柔らかい質感の羽毛へと変貌を遂げる。
 コクピットの窓ガラスの下では、装甲に代わって成長した歪曲する硬組織が上嘴うえくちばしの様相を呈し、その下では、黒い鱗に覆われた下顎が歯列を噛み締める。
 ミニッツグラウスが開口一番に放った吠え声は、何十何百という種類の異なる管楽器を一斉に吹いたような大胆で粗雑な音色を呈し、大気を震わせる。
 聞いたものの鼓膜を痛めつけ耳を塞がないと耐えられない大音量。
 地上で平然としていたジャーマンD7でさえ、茫然とした様子だった。
 ミニッツグラウスの翼だったものは、今や、扁平な腕というべき構造に変わり、先端には鳥の脚の指が並ぶ。まるでジェットエンジンを握りしめているようにも見えるが、実際にエンジンを支持していたのは刺々しい骨の容器で、乱暴にへし折った大腿骨の断面にエンジンを差し込んだ外観の窮屈な構造を軟組織が腕に結合させていた。
 体表を覆う白に近い灰色の羽毛は白い炎と見紛う。
 地上のジャーマンD7が通信する。

「ハイジャック機の真下はどうなっている」
 
『……こちら追跡班! 地上に多数の落下物が降り注ぎましたが外に怪我人はいません。しかし建物にも落下物が降って建物内の被害状況は今確認中です。それと衛生救護部隊が各地点に急行しています』

「了解シタ。今動ける機動部隊員は、できる限り上空のハイジャック機を追うように。真下に一般市民、あるいは怪我人がいた場合は早急に保護し、撤退しろ。ただし、こちらの退避命令に従わない相手はその限りではない。略奪などの不法行為を察知したなら威嚇射撃を徹底しろ。もし制圧不可能ならば人命の危険がない限りは無視し、人命保護を優先シロ」

 俺たちも行きますか? とアーサーが尋ねる。

 振り返ったジャーマンD7は。

「勿論ダ。しかし専門家の応援が到着するまではここにイル」

「それならもう来たみたいだぞ」

 リックが指さすのは、囲壁の内側を一周する環状道路を走ってきた車列。その先頭は、重々しいクレーンを背負ったトレーラーといいたいが、シャーシの上に乗る平べったい芋虫のような巨体が説明を邪魔する。
 端的に言えば腹這いでスケートボードをする芋虫がやってきたのだ。タイヤを備えたシャシーに乗っかってたくさんの足で地面を順序良く蹴ることで走行しているらしい。芋虫の背中のきれいな穴を貫く機械の台座にはクレーンが設営されており、背中全体は長い荷台が固定されている。運転席は芋虫の頭に埋め込まれていた。
 横たわる暴走ゴブリンの手前で停車した数多くの車両から一斉に人が降りてくる。
 眼鏡を直したアジア人の男性がヘルメットを外して、アンドロイドに駆け寄り、お辞儀を披露した。

五十里生命科学いそりせいめいかがくデスタルト工場から参りました。舩板ふなさかと申します。こちら名刺です」

 ジャーマンD7は、口元の装甲を下へスライドさせ、露になった横長の投入口に受け取った名刺を入れる。
 口はないんじゃなかったのか? とリックの指摘は黙殺されアンドロイドが対応する。

「挨拶は省かせてもらいマス。今状況は切迫していますノデ」

 集まってきたのは制服もヘルメットも違う集団、それと私服に近い連中。所属組織の違いが見て取れたが、ゴブリンを見上げる眼差しは皆共通して、驚きや興奮がうかがえた。
 ジャーマンD7が端的に説明する。

「皆サンには制圧したこのゴブリンの動きを封じ、この場から、指定された保管スペースに移動してもらいたい。その指揮をあちらのリック・ヒギンボサム氏に任せマス」

 ワシか? と驚いた素振りのリックは、自然な足取りで皆の前に歩み寄る。
 ジャーマンD7は空を舞う機影を指さす。

「私はアノ上空のSmの対処もしなければならない。よって保安兵の部隊を残し、私自身は、この現場を離れるつもりデス」

「上空のSmって、お前さんにできることがあるのか? 忘れたか? PFOぶっ壊れたんだぞ?」

 老人の指摘に明確な答えを出せないアンドロイドは。

「分かっているハズだ。出来るか、ではナク、やらねばならぬ、と……」

 その発言を聞いた者は、一様にして、空を舞う影を見上げた。









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