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第01章――飛翔延髄編
Phase 82:警告
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《サンクタムコード》人搭乗搭載型SmのSmNAに記述するプロトコルの一種。発現工学的に組織構築を強固に抑制する機能を付与し、万が一にも搭乗者がいる空間を組織形成制圧しないようにする。搭乗型Smの初期モデルは、急激な異常発生を引き起こす場合があり、視界不良や機器の破壊、操縦の阻害による事故なども頻発した。これを回避する試みとして、特定のリガンドを利用したSmNA阻害機序を確立するに至る。この研究成果の応用は多岐に及び、今のSm産業の根幹を支えている。
Now Loading……
揺れが収まったミニッツグラウスの中ではソーニャが呼びかけていた。
「みんな、大丈夫?」
「ああ問題ない。それよりも……」
ベンジャミンの言葉は再び機内に響いた騒音で遮られる。
ミニッツグラウスの絶叫だ。下顎を開き、喉を晒して、痛々しいほど喚く。
意識ある者の反応は大差ない。耳を塞ぎ、歯を食い縛り、やり過ごす。
再開した激しい振動は機体が分裂しそうな勢いで、機内の壁を覆う組織は膨張を続ける。
ベンジャミンは子供たちを引き寄せ守るが、狭まる空間においては、残りわずかだった互いの距離をなくしただけに過ぎず、防御効果は希薄だった。
スロウスは手足を広げ、壁を押し広げるが可塑性のある軟組織に手足が飲まれる。
機体の叫びが止むと、軟組織の狭間から、アレサンドロが
「ロッシュ! ベンジャミン!」
と呼びかけ、遅れてヘッドフォンを外す。
「アレサンドロ! 無事か?!」
とベンジャミンが応答できたのはスロウスが伸ばす手足が、空間維持に貢献したからだ。
「ヘッドフォンのおかげで大丈夫だ! そっちは平気か!? 怪我はしてないか!?」
機体の叫びだけを懸念するアレサンドロに対し、空間も心配なベンジャミンは、一旦齟齬を飲み下して、ああ平気だ! と答える。
大丈夫だよー! とロッシュが元気に言う。
ソーニャは自身のカバンを確保して、一応ね! と付け加えてから。ありがとうロッシュ、と感謝する。
役に立てたことで気力が戻る少年。その頭を掴んだベンジャミンは、けど次は無茶すんなよ、と言い含める。
年長者に指摘され目が合う子供二人は。はい、と素直に応じた。
すると。
「助けてくれえ!」
喚くピートは膨らむ肉に押さえつけられ、床で身動きが取れず泣いていた。
前のほうに移動させて良かったね、とソーニャは機体後方を占領する肉の山に振り返る。
むしろ後ろに突っ込めばよかった、と毒づくベンジャミンは、巨漢を床に押さえつけ、なおかつ、操縦室への道を閉ざす肉壁の狭間に光と活路を見出す。
「アレサンドロ! そっちは空間があるのか!」
ヘッドフォンを片方浮かせていたアレサンドロはぎこちなく頷き、操縦席を見渡す。
「ああ! あるぞ! こっちに戻れるか?」
ベンジャミンは子供たちと目を合わせ、行けるか? と問いただす。
ソーニャは。
「大丈夫……スロウス。ソーニャたちを守って。壁を押し広げながらついてきて」
三者の後ろにいたスロウスが低く短くそれでいて腹に響く唸りを放ち、より一層の力で迫る肉組織を押し返す。
ベンジャミンは子供たちの背中を支えて前進し、スロウスに負けるが、太い腕を壁に押し付け、圧迫に抗い、子供を庇う。
スロウスとベンジャミンが左右を支え、少し道が開けると、子供たちはピートとマクシムに出くわした。
「た、助けてくれぇえ」
意図せず横たわるピートは左右から迫る壁に体を挟まれていた。
「とっとと前に行きやがれ!」
ベンジャミンは荒い口調で命令し、ソーニャは提案する。
「それか立ち上がるか座るように縮こまって」
「あ、足が、痛くて動かせねえんだよ!」
ピートの情けないが仕方のない物言いに不満を露にするベンジャミンは、巨漢が向ける足裏の穴から目を背けるも、自分の責任と相手の責任が入り混じった複雑な現状に、舌打ちを抑えられない。
しかし子供たちの潤んだ瞳に見上げられ、返答を求められたベンジャミンは決心した。
「まずはお前たちが行け」
「それって」
ロッシュは緊張した面持ちになる。ソーニャも渋い表情になるが頷く。
「つまりそういうことだよね」
先頭を行っていたソーニャは鞄を持ち上げ、ごめんなさい! と謝罪する。
「おい! あッ!」
ピートの立派な腹が、少女によって踏み台にされた。
強制的に腹式呼吸をさせられるピートは、痛ぇよ! と訴えるが。
我慢して! と返される。
ソーニャがピートを超えると、そこも空間が狭まっており。意識のないマクシムが壁に圧迫されて体育座りの状態になっていた。
大丈夫か? とベンジャミンが問いただすので。大丈夫、とソーニャが返す。
「よし、次はロッシュだ」
名指しされた少年の目の前で、泣き顔のピートは横を向いた。おい! とベンジャミンが文句を言おうとするが。目を真っ赤にしたピートが逆に怒鳴る。
「うるせえ! 文句があるなら俺の縄を解け! じゃなきゃ助けろ!」
「うっせえ! 危険人物を助ける暇も余裕もない! 黙ってないと頭をドリルでこじ開けて直接真心と気遣いを注入すんぞ!」
狭い空間、相手は巨体で、しかも凶悪犯だ。つまり。ピートの結束帯を切れば、限られた範囲で重量のある危険物と対峙することになる。ここは、戒めも含めて足場になってもらう。そう判断を下したベンジャミン。
おじさん、とロッシュが不安そうに年長者を見上げる。
ベンジャミンは、大丈夫だいけ! と告げる。その一方で、背中と片足で両脇の壁を押し返し、片腕で小さな背中を支えた。
ロッシュは先で待ってる少女と目が合い。意を決して一歩を踏み出す。最初に足を置いたのはピートの腰。人間は平均台とは訳が違い、動くし起伏もある。少しの均衡の崩れが命取りだ。
だから、耐えかねたピートが体を捩った瞬間、ロッシュが転倒したのは無理はないし、その拍子にピートの腹に尻餅をついた上、伸びた足が顎を蹴りつけたのも偶然の不幸だった。
その証拠にロッシュは青ざめる。
クソガキ! と怒鳴るピート。
わざとじゃないよ! と弁明する少年。
ロッシュはベンジャミンに抱え上げてもらい、ソーニャの手を取って、やっと小うるさい峠を超えた。
一息つくピートは、左頬でベンジャミンの足を受け止めた。
「あ、ごめん」
これもわざとではないのだろう。ベンジャミンはできる限り足を広げて踏まないように努めていた。だが、足一つ分足りなかった。踏みつけにするのは忍びないと思ったベンジャミンは一旦引き下がり、迫る肉の壁を足で押し退けて強引に床を踏もうとする。が
「うおっと!」
逆に足を取られてしまい声を上げる始末。たまらずソーニャは言った。
「無理しないで。スロウス! 手を伸ばしてベンジャミンが転びそうになったら、支えて」
スロウスはぶっきらぼうに手を伸ばす。壁を支える役目を考慮すれば、十分神対応か。
ベンジャミンは、こりゃどうも、と言って骨を張り付けた指を掴み、軽く跳躍。
涙が止まらぬピートは首を仰け反らせる。いてぇよぉ、と無節操に泣いていたら、その眼前に男の足が着地した。危険を察知し目を見開くピート。あと一歩位置が違っていたら、再びあの苦々しいソールを味わう結果となっただろう。それを理解して怒りが収まらず、おい! と文句をぶつけようと仰け反る。だが頬をかすめた金属の冷たさに言葉を失う。それがスロウスの足を拘束する枷だと気づいた時にはスロウスの大股の一歩が生み出す振動で、腹の底が揺さ振られた。
自身をはるかに超えるであろう質量がもし自分の頭を踏んでいたら、という悪夢の想像を手助けするのは味わったばかりのベンジャミンの靴の味。うつ伏せの状態から上目遣いに視線を上げると、前へと踏み込んでいたスロウスの暗い眼窩と目が合った。
ソーニャは振り返り、スロウスはそこで待機、と命ずるので前進の姿勢で静止するスロウス。
跨られる形のピートは、おい待て! と抗議した。
振り返るソーニャは。
「スロウスがいなくなったら壁に挟まれて窒息すると思うけど。それでもいいなら連れて行くよ」
左右から圧迫する壁は密着して、その内部で蠢く何かが、痙攣めいた振動をピートに与え、焦燥感を掻き立てる。何もできず無様な泣きっ面を披露したピートは、静かに床へ顔を下した。
一行の最後尾であるベンジャミンが、その先は壁に潰されてないみたいだな と緊張の面持ちで見通す。
ソーニャは、大丈夫、と念を押し、大股でマクシムを跨ぐ。年長者が、気をつけろ、と忠告するが。後ろ手に縛られている男は左右の壁に押し込まれて膝を抱えるような姿勢で小さくたたまれており、なおかつ服が顔に触れても、起き上がる気配がない。よって子供でも強引に突破することが可能で、ピートの比ではないくらい容易な関門だった。
「ロッシュ!」
「お父さん」
親子が再会の抱擁を交わす。
ベンジャミンは操縦室を見渡す。
「アレサンドロ、ここは変化がないか? 今のところ空間は守られてるみたいだが」
アレサンドロはロッシュを健全な腕で抱き寄せながら首を傾げる。
「多分聖域システム、だと思う。遺伝作用に関してはそれ以上はわからない。むしろ俺の方こそ、どうなってるのか教えてほしい。飛行機操縦の知識と経験なら俺でも、あんたに勝るかもしれないが、機体の知識はあんたに負けるからな」
ロッシュは、セイイキ、と呟くのでソーニャが回答する。
「聖域システムとは、人搭載Smの内部において、SmNAのプロトコルや組織構造、ソフトとハードの両面で強力に組織発達が抑制された場所のことなのです!」
ベンジャミンが頷く。
「端的に言えばそうだ。といっても機体全体の組織変質を抑制する技術が確立した今となっては有名無実の機能、だったが……」
改めて守られた空間を見上げたベンジャミンの目には、緊張の中にも、感慨深い思いが現れる。
ソーニャはいう。
「今のSmの場合。聖域システムとほかの抑制システムとの差がほとんどなくなったらしいけど」
アレサンドロは、機内の奥を参照して苦笑いだ。
「古いフレームだったのが幸いしたのかな。わざわざ機能を外さなくてよかったよ」
ソーニャも高ぶる気持ちを抑えた面持ちだ。
「コクピットは、いわば人命と操縦の要が詰まった場所だからね。それを支えるSm組織の頭蓋骨格は、一種の自立した機関として存在して物質関門も選択能力が高いから、形状が保たれたんだろうね!」
アレサンドロは。
「ただ、今さっき管制塔からの報告でこの真下に顎みたいな構造ができたらしい。そいつは聖域システムの欠陥じゃないのか? もしそうならいずれここも……」
考え出す技術者二人。最初に口を開いたのはベンジャミンだ。
「こんな形態になったロックは初めて見た。開発元のBFWの奴らも、ごく一部しか知らない形態だろう」
ソーニャも頷く。
「こういう搭乗型Smの完結形態は企業秘密である場合が多いからね。本来は適当な投薬と施術では完全再現できない。ということは、今の姿は、もしかしたら新しい形態かもしれない」
少女の言葉にアレサンドロは機知の整備士に目配せするが、帰ってきた返答は無言の首肯。
ソーニャは窓ガラスに張り付き、ミニッツグラウスの体を嘗め回すように観察した。
Now Loading……
揺れが収まったミニッツグラウスの中ではソーニャが呼びかけていた。
「みんな、大丈夫?」
「ああ問題ない。それよりも……」
ベンジャミンの言葉は再び機内に響いた騒音で遮られる。
ミニッツグラウスの絶叫だ。下顎を開き、喉を晒して、痛々しいほど喚く。
意識ある者の反応は大差ない。耳を塞ぎ、歯を食い縛り、やり過ごす。
再開した激しい振動は機体が分裂しそうな勢いで、機内の壁を覆う組織は膨張を続ける。
ベンジャミンは子供たちを引き寄せ守るが、狭まる空間においては、残りわずかだった互いの距離をなくしただけに過ぎず、防御効果は希薄だった。
スロウスは手足を広げ、壁を押し広げるが可塑性のある軟組織に手足が飲まれる。
機体の叫びが止むと、軟組織の狭間から、アレサンドロが
「ロッシュ! ベンジャミン!」
と呼びかけ、遅れてヘッドフォンを外す。
「アレサンドロ! 無事か?!」
とベンジャミンが応答できたのはスロウスが伸ばす手足が、空間維持に貢献したからだ。
「ヘッドフォンのおかげで大丈夫だ! そっちは平気か!? 怪我はしてないか!?」
機体の叫びだけを懸念するアレサンドロに対し、空間も心配なベンジャミンは、一旦齟齬を飲み下して、ああ平気だ! と答える。
大丈夫だよー! とロッシュが元気に言う。
ソーニャは自身のカバンを確保して、一応ね! と付け加えてから。ありがとうロッシュ、と感謝する。
役に立てたことで気力が戻る少年。その頭を掴んだベンジャミンは、けど次は無茶すんなよ、と言い含める。
年長者に指摘され目が合う子供二人は。はい、と素直に応じた。
すると。
「助けてくれえ!」
喚くピートは膨らむ肉に押さえつけられ、床で身動きが取れず泣いていた。
前のほうに移動させて良かったね、とソーニャは機体後方を占領する肉の山に振り返る。
むしろ後ろに突っ込めばよかった、と毒づくベンジャミンは、巨漢を床に押さえつけ、なおかつ、操縦室への道を閉ざす肉壁の狭間に光と活路を見出す。
「アレサンドロ! そっちは空間があるのか!」
ヘッドフォンを片方浮かせていたアレサンドロはぎこちなく頷き、操縦席を見渡す。
「ああ! あるぞ! こっちに戻れるか?」
ベンジャミンは子供たちと目を合わせ、行けるか? と問いただす。
ソーニャは。
「大丈夫……スロウス。ソーニャたちを守って。壁を押し広げながらついてきて」
三者の後ろにいたスロウスが低く短くそれでいて腹に響く唸りを放ち、より一層の力で迫る肉組織を押し返す。
ベンジャミンは子供たちの背中を支えて前進し、スロウスに負けるが、太い腕を壁に押し付け、圧迫に抗い、子供を庇う。
スロウスとベンジャミンが左右を支え、少し道が開けると、子供たちはピートとマクシムに出くわした。
「た、助けてくれぇえ」
意図せず横たわるピートは左右から迫る壁に体を挟まれていた。
「とっとと前に行きやがれ!」
ベンジャミンは荒い口調で命令し、ソーニャは提案する。
「それか立ち上がるか座るように縮こまって」
「あ、足が、痛くて動かせねえんだよ!」
ピートの情けないが仕方のない物言いに不満を露にするベンジャミンは、巨漢が向ける足裏の穴から目を背けるも、自分の責任と相手の責任が入り混じった複雑な現状に、舌打ちを抑えられない。
しかし子供たちの潤んだ瞳に見上げられ、返答を求められたベンジャミンは決心した。
「まずはお前たちが行け」
「それって」
ロッシュは緊張した面持ちになる。ソーニャも渋い表情になるが頷く。
「つまりそういうことだよね」
先頭を行っていたソーニャは鞄を持ち上げ、ごめんなさい! と謝罪する。
「おい! あッ!」
ピートの立派な腹が、少女によって踏み台にされた。
強制的に腹式呼吸をさせられるピートは、痛ぇよ! と訴えるが。
我慢して! と返される。
ソーニャがピートを超えると、そこも空間が狭まっており。意識のないマクシムが壁に圧迫されて体育座りの状態になっていた。
大丈夫か? とベンジャミンが問いただすので。大丈夫、とソーニャが返す。
「よし、次はロッシュだ」
名指しされた少年の目の前で、泣き顔のピートは横を向いた。おい! とベンジャミンが文句を言おうとするが。目を真っ赤にしたピートが逆に怒鳴る。
「うるせえ! 文句があるなら俺の縄を解け! じゃなきゃ助けろ!」
「うっせえ! 危険人物を助ける暇も余裕もない! 黙ってないと頭をドリルでこじ開けて直接真心と気遣いを注入すんぞ!」
狭い空間、相手は巨体で、しかも凶悪犯だ。つまり。ピートの結束帯を切れば、限られた範囲で重量のある危険物と対峙することになる。ここは、戒めも含めて足場になってもらう。そう判断を下したベンジャミン。
おじさん、とロッシュが不安そうに年長者を見上げる。
ベンジャミンは、大丈夫だいけ! と告げる。その一方で、背中と片足で両脇の壁を押し返し、片腕で小さな背中を支えた。
ロッシュは先で待ってる少女と目が合い。意を決して一歩を踏み出す。最初に足を置いたのはピートの腰。人間は平均台とは訳が違い、動くし起伏もある。少しの均衡の崩れが命取りだ。
だから、耐えかねたピートが体を捩った瞬間、ロッシュが転倒したのは無理はないし、その拍子にピートの腹に尻餅をついた上、伸びた足が顎を蹴りつけたのも偶然の不幸だった。
その証拠にロッシュは青ざめる。
クソガキ! と怒鳴るピート。
わざとじゃないよ! と弁明する少年。
ロッシュはベンジャミンに抱え上げてもらい、ソーニャの手を取って、やっと小うるさい峠を超えた。
一息つくピートは、左頬でベンジャミンの足を受け止めた。
「あ、ごめん」
これもわざとではないのだろう。ベンジャミンはできる限り足を広げて踏まないように努めていた。だが、足一つ分足りなかった。踏みつけにするのは忍びないと思ったベンジャミンは一旦引き下がり、迫る肉の壁を足で押し退けて強引に床を踏もうとする。が
「うおっと!」
逆に足を取られてしまい声を上げる始末。たまらずソーニャは言った。
「無理しないで。スロウス! 手を伸ばしてベンジャミンが転びそうになったら、支えて」
スロウスはぶっきらぼうに手を伸ばす。壁を支える役目を考慮すれば、十分神対応か。
ベンジャミンは、こりゃどうも、と言って骨を張り付けた指を掴み、軽く跳躍。
涙が止まらぬピートは首を仰け反らせる。いてぇよぉ、と無節操に泣いていたら、その眼前に男の足が着地した。危険を察知し目を見開くピート。あと一歩位置が違っていたら、再びあの苦々しいソールを味わう結果となっただろう。それを理解して怒りが収まらず、おい! と文句をぶつけようと仰け反る。だが頬をかすめた金属の冷たさに言葉を失う。それがスロウスの足を拘束する枷だと気づいた時にはスロウスの大股の一歩が生み出す振動で、腹の底が揺さ振られた。
自身をはるかに超えるであろう質量がもし自分の頭を踏んでいたら、という悪夢の想像を手助けするのは味わったばかりのベンジャミンの靴の味。うつ伏せの状態から上目遣いに視線を上げると、前へと踏み込んでいたスロウスの暗い眼窩と目が合った。
ソーニャは振り返り、スロウスはそこで待機、と命ずるので前進の姿勢で静止するスロウス。
跨られる形のピートは、おい待て! と抗議した。
振り返るソーニャは。
「スロウスがいなくなったら壁に挟まれて窒息すると思うけど。それでもいいなら連れて行くよ」
左右から圧迫する壁は密着して、その内部で蠢く何かが、痙攣めいた振動をピートに与え、焦燥感を掻き立てる。何もできず無様な泣きっ面を披露したピートは、静かに床へ顔を下した。
一行の最後尾であるベンジャミンが、その先は壁に潰されてないみたいだな と緊張の面持ちで見通す。
ソーニャは、大丈夫、と念を押し、大股でマクシムを跨ぐ。年長者が、気をつけろ、と忠告するが。後ろ手に縛られている男は左右の壁に押し込まれて膝を抱えるような姿勢で小さくたたまれており、なおかつ服が顔に触れても、起き上がる気配がない。よって子供でも強引に突破することが可能で、ピートの比ではないくらい容易な関門だった。
「ロッシュ!」
「お父さん」
親子が再会の抱擁を交わす。
ベンジャミンは操縦室を見渡す。
「アレサンドロ、ここは変化がないか? 今のところ空間は守られてるみたいだが」
アレサンドロはロッシュを健全な腕で抱き寄せながら首を傾げる。
「多分聖域システム、だと思う。遺伝作用に関してはそれ以上はわからない。むしろ俺の方こそ、どうなってるのか教えてほしい。飛行機操縦の知識と経験なら俺でも、あんたに勝るかもしれないが、機体の知識はあんたに負けるからな」
ロッシュは、セイイキ、と呟くのでソーニャが回答する。
「聖域システムとは、人搭載Smの内部において、SmNAのプロトコルや組織構造、ソフトとハードの両面で強力に組織発達が抑制された場所のことなのです!」
ベンジャミンが頷く。
「端的に言えばそうだ。といっても機体全体の組織変質を抑制する技術が確立した今となっては有名無実の機能、だったが……」
改めて守られた空間を見上げたベンジャミンの目には、緊張の中にも、感慨深い思いが現れる。
ソーニャはいう。
「今のSmの場合。聖域システムとほかの抑制システムとの差がほとんどなくなったらしいけど」
アレサンドロは、機内の奥を参照して苦笑いだ。
「古いフレームだったのが幸いしたのかな。わざわざ機能を外さなくてよかったよ」
ソーニャも高ぶる気持ちを抑えた面持ちだ。
「コクピットは、いわば人命と操縦の要が詰まった場所だからね。それを支えるSm組織の頭蓋骨格は、一種の自立した機関として存在して物質関門も選択能力が高いから、形状が保たれたんだろうね!」
アレサンドロは。
「ただ、今さっき管制塔からの報告でこの真下に顎みたいな構造ができたらしい。そいつは聖域システムの欠陥じゃないのか? もしそうならいずれここも……」
考え出す技術者二人。最初に口を開いたのはベンジャミンだ。
「こんな形態になったロックは初めて見た。開発元のBFWの奴らも、ごく一部しか知らない形態だろう」
ソーニャも頷く。
「こういう搭乗型Smの完結形態は企業秘密である場合が多いからね。本来は適当な投薬と施術では完全再現できない。ということは、今の姿は、もしかしたら新しい形態かもしれない」
少女の言葉にアレサンドロは機知の整備士に目配せするが、帰ってきた返答は無言の首肯。
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