絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第01章――飛翔延髄編

Phase 107:鳥を調理する少女

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《ママ》エロディ曰く、やばい。













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 名を呼ばれたスロウスは主を見下ろすが、逆に澄んだ瞳に真っ直ぐ見据えられる。

「出番だぞ……ッ」

 数分も経たずして、きめ細かい濃密な青い泡によって塗り固められた羽毛の群落に、スロウスが振り下ろす鉈が深々と食い込んだ。
 アレサンドロはその様子を輸送機の窓から見つめ、始まったか、と囁く。彼は力なく窓に背を向け座面に腰を落とすと、握り締めた十字架に額を押し付ける。

「ソーニャ……こんな事件をしでかして、君に頼むのは恥ずかしいと分かってる。でも、どうか、ミニッツグラウスを人殺しにしないでくれ……ッ」

 隣に座るロッシュも父に倣い祈った。

 一方現場では、ベンジャミンに呼ばれたソーニャが。

「わかってる! 投薬の効果があるうちにスロウスで脊柱を暴く。けど……思った以上に表皮が固い」
 
 飛行するナスは入れ代わり立ち代わり、投薬を執行する。
 スロウスが振るう厚い刃は肉に突き刺さる度に、金属が削れるような音を響かせ、切り裂かれた組織から溢れ出す赤紫の液体がむしり取られた羽毛を染める。
 メイが通達した。

『羽毛はもちろん! 肉組織も決して落とすな! 汚染を広げてはならない!』

 ナスは切り取られた肉片や泡でまとまる羽毛を持ってきた黒い袋に入れる。
 ミニッツグラウスは吠え猛る。
 ソーニャもベンジャミンも耳を塞がざるを得ない。しかし、スロウスは黙々と鉈を振り下ろし続けた。
 それはミニッツグラウスの咆哮が弱く短かったから、とかは関係なさそうだ。
 併行へいこうする12機の航空機では整備士たちがそれぞれのセマフォで連絡を取り合う。

「始まった。みんな準備はいいな? 何か不備や懸念があっても、引き返せないからな! けど今ならギリ間に合うかもしれないぞ!?」

 どっちだよ、の指摘は聞き流され、ワームの端を覆う金属の覆いにネジの要領で平べったい金具が差し込まれ、結果、雄ネジと雌ネジが重なって表れたより小さいネジ穴にも、小さなボルトが捻じ込まれ、固定される。
 2機で一組となる航空機たちは、一方の機体が近づき、お互いの翼がぶつからない距離を保つ。搭乗口から差し出された水色の体色を示すモンゴリアンライフワ-ムをナスが横並びで抱えて別の航空機の搭乗口に待機していたコロコッタに咥えさせた。空港の敷地警備や市内の巡回から駆り出された12匹のコロコッタは搭乗口の縁に前足を押し付け、ワームを噛み締め口腔内の発声器で操縦者である保安兵の言葉を届ける。

『追加の機体はそれぞれ、関節炎や亜脱臼、それに組織変性症から回復したばかりなので、観察よろしく頼みます』

 了解、と整備士は犬の体躯を強く撫でる。
 搭乗口から離れた場所では、通話を終えて憔悴しょうすいしきった風体のエロディがいた。力ない亡者のように近づいてくる女性に整備士は、お疲れさんでした、と労う。

「ういーすお疲れ……で、犬ちゃんの出番ってことは……」

「そう、始まった」

「聞きそびれたけど、なんでわざわざ犬ちゃんにワイヤーを噛ませるの? 直接飛行機にミミズちゃんを繋げられないの?」

 整備士たちは同僚同士目を見合い、一人が答える。

「直接機体に結んだら……何かあったとき。牽引索、つまりミミズちゃんを即座に離せず、お互いの機体が壊れちまう可能性があるので」

「最悪墜落だ。それよりも、誰も指摘しなかったけど。なんでおじょうはここに居んの? 嬉しいけど」

 エロディは腰に手を当て、胸を張り。

「そりゃあ、ソーニャは勿論、皆の応援のため……そして」

 エロディは遠い目を地上へ向ける。

「今、地上に居たら……怒り狂ったママがやってきて、あたしのなけなしの人生が消し飛ばされかねないからさぁ……」

 あはは、と乾いた笑いに終始する女性に対し、苦笑いも旨くいかない整備士たちは、事情を察してそれ以上の追及は辞めた。 
 一方、コロコッタの頭の上に身を乗り出して、ずっと外を見守っていた整備士が確認したのは、ミニッツグラウスの後方の下。その周囲で高度を保つナスは、両手をミニッツグラウスの進行方向に振り下ろす。
 整備士はセマフォで、前に進め、と指示を飛ばす。
 了解、と答えたのは作戦に参与した航空機のパイロットたちで、整備士を信頼し機体を操作した。
 ワームの中心で作られた結び目の輪がミニッツグラウスの発達した猛禽もうきんの足と縦軸で重なる。
 ナスが左右に手を振るうと整備士は。

『結び目がポイントに到達した。みんな掴まれ!』

 航空機が引き上げるワームの結び目をそれぞれ2機一組のナスが担ぐ。
 ミニッツグラウスの前後では、それぞれ1機のナスが身振り手振りで、結び目の位置を航空機に伝える。

『一番と二番。ミニッツグラウスへ1メートル接近せよ』

 と整備士が言えば、同じワームを担ぐ2機の航空機が間を狭めた。
 ゆったりたわむワームの結び目をナスたちが引っ張り、少し拡張する。
 爪が邪魔です! とナスが通信する。

『これ以上ワームのために飛行機を寄せたら、触れ合うな……。しゃあない。なら、切るっきゃないな』

 さらに結び目を拡張するには、航空機双方が近づいてワームにゆとりを与える必要があるが、双方の間には暴れる巨体があった。だから、結び目をかける対象を小さくすることにした。
 3機のナスが新たに接近する。1機がチェーンソーを手早く起動させ、ミニッツグラウスの足に生えた鉤爪を狙う。
 メイが告げた。

『ソーニャ! 下の方でこの機の爪を切断する』

「了解! やるんだったら早くしたほうがいいよ!」

 そうだな、とベンジャミンの了承も早く。ソーニャとの作業も早かった。彼らはスロウスが切り飛ばす肉や軟組織をナスに受け渡し、袋に詰めて運んでもらう。
 ソーニャはスロウスの振り下ろす鉈の直下に飛び出す。
 その瞬間をナスとベンジャミンが目の当たりにし、凍り付く。
 鉈の先端がソーニャのうなじく、ことはないが、切っ先は産毛に触れそうな位置で止まった。
 平然とするソーニャは。

「だいぶ切ったけど、筋肉組織が交差するように発達してる」

 などと両手の指を組み合わせて説明するが、メイとベンジャミンの怒声が重なる。

「ソーニャ!」

 猛烈な声で名を呼ばれた少女は顔を上げ硬直した。
 すでに鉈を引っ込めていたスロウスは、ゆっくり首を回し、主を名指しした者を視認する。
 ベンジャミンは暗い視線に生唾を飲むも、少女に言い募った。
 
「安全確認もせずにSmの振り下ろす刃に飛び込むんじゃない」

「う、うん。ごめん」

 メイの操るナスもにじり寄る。

「よほどスロウスを信頼してるのだろうが。気を付けてくれねばこちらの心臓が持たない」

「うっす、気いつけます。ただしソーニャはスロウスを信頼してませんがねッ」

 ソーニャはきつい剣幕で視線を逸らす。
 嘆息するベンジャミンは、それよか筋肉がなんだって、と少女に近づく。
 これ見て、とソーニャが指さすものは彼女が組み合わせた指のように交差して広がる繊維組織だった。
 格子状を呈した組織は、一見すると前鋸筋を思い起こさせるが、組紐、とも形容できそうな絡み合った構造だ。

『この組織は普通にありうるものか? それとも……』

 メイの質問にベンジャミンは。

「BFWの小型機体のうち。翼で飛翔するタイプの機体にこんな構造を見たことがある。翼を支えるための器官だ」

「これ切っても大丈夫?」

 少女の言葉にベンジャミンは機体の翼を眺める。

「もし翼を支えてるんだとしたら、こいつを断つことで翼やプロペラの向きと位置が変わるかもしれん」

 危険ではないのか? とメイが尋ねる。
 
「位置が位置だ。脊柱を断ち切るっていうなら、やるしかない」

 ベンジャミンの回答に同意するソーニャが、手本を見せるようにメスで筋肉組織を撫でていく。その刃の軌跡をスロウスの鉈がなぞる。途中、ソーニャがスロウスの手首を掴んで引き上げ、刃の深さを調節。繊維の束と束の間を厚い刃が切り開く。
 その間に機体の反応を見るが、まだ怒っていない様子だ。
 次にベンジャミンとソーニャは、先端が鉤爪のように屈曲した鉗子かんしをナスから受け取り、曲がった先端を巨体の切り口に引っ掛けた。
 鉗子の持ち手を構成する歪曲する円環に取り付けたカラビナはベルトによって引っ張られる。ソーニャとベンジャミンはベルトの反対にあるカラビナをナスに手渡す。ナスは受け取ったベルトの端をミニッツグラウスの横腹に押し当てた。
 楔を打ちます、と通信するナスは。了解、とメイの了承を取り付ける。そして、カラビナの内径にインパクトドライバーのような工具で斜め上に向かって楔を打ち込み、ミニッツグラウスの腹に留めつけた。
 ベルトの途上に組み込まれた巻取り機は、コの字型のレバーを上下させられ、回転する軸に巻き取られたベルトが丈を詰められ、切り口をより引っ張る。
 レバーを任されたソーニャだったが、早くから力が足らず途中でナスと役目を交代するとスロウスのもとにはせ参じた。そして

「見えたよ脊柱!」

 組織の塊をナスに預けたベンジャミンも、開かれる裂け目の奥に、赤紫に濡れた白い構造物を見出す。それは確かに脊柱といえるもので、脊椎の間に挟まる半透明の素材が燐光の明滅を繰り返す。
 ソーニャが振り返ったその時、スロウスが体を伸ばし、両手で迫るクラウドウェーブを受け止めた。実際は、足場が持ち上がったゆえの結果だが、彼らにはそう感じられる。下から突き上げる感覚よりも視覚情報が優先し、認識を歪められた。
 衝撃に振り回される人間をナスが支える。
 無事みたいだな、とメイの言葉に人間二人は頷き巨躯の柱に不安の目を向ける。
 役割を思い出したソーニャはベンジャミンに問う。

「壁に一番近づく直前に断ち切るんだよね」

「ああ、そうだできるか?」

「やってみる……」

 ソーニャはスロウスを仰ぎ見るとクラウドとグラウスが離れていく。
 別口の通信を受けていたメイは、了解した、と無線に答えてから、ソーニャたちに語る。

「下でも準備が整ったようだ」

 ナスがチェーンソーで切断したミニッツグラウスの爪を、飛び回っていたナスがもぎ取る。
 ワームの結び目の輪は、なんの弊害もなく、鳥の足首に引っ掛けられた。
 それは一つにとどまらない。結び目は両足にそれぞれ2つ嵌められ、総勢8機が上から見ると斜めの対角線上を維持して飛行し、友軍との接触を位置と高度で回避する。そして、残る4機でまっすぐに渡した縄で機体の下っ腹を支えた。
 エロディはコロコッタが噛み締めるワームを観察し、食い千切らないよね? と同乗していた整備士に伺う。

「もちろん、牽引用のファングビットに交換したので」

 コロコッタの顎と牙は、今は洗濯鋏のように角度が緩やかな波が刻まれたものに置き換わって、ワームの端を覆う平べったい金具を噛みしめる。
 エロディはSmの背後から扉の外を覗き呟く。

「ソーニャ……」

 整備士が、通信するか? と聞くがエロディは首を横に振る。

「信じて祈る。それで十分……。そうだよねソーニャ。帰ったら二人で、見送りに来なかったリックを全力で怒ろうね……あるいは二人して怒られるのか? そしてあたしはママにも怒られて……」

 純粋な祈りは最終的に不安と恐怖に変じた。
 ミニッツグラウスの背では、ベンジャミンが問いただす。

「スロウスに切断させるのか?」

「爆弾で木っ端微塵にする?」

「あいにく俺は火薬の用意がなくてな」

 などと、うそぶくベンジャミンの横からメイが。

『今のところ、上空での爆発の許可をもらえていない。もう一度掛け合うか?』

 一瞬間を置いてから。

「ならここは……」

「手作業だな」

 目くばせする少女とおっさんに、メイが告げた。

『なら、ちょうどいい道具があるぞ』










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