絶命必死なポリフェニズム ――Welcome to Xanaduca――

屑歯九十九

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第02章――帰着脳幹編

Phase 128: 女児に欺かれる益荒男

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《ピペンジャー》小型ガンスプレーの一種。初期型はピペットと注射器に空気圧縮装置を組み合わせて完成され、ガンスプレーが誕生して間もなく市販に流通した。その取り回しのしやすさと、人にも使えるということで、ひな型となったガンスプレーの評判も追い風となり、続々と売り出されたが、その後、人体への使用による被害が報告され、販売中止が相次いだ。ところが、その後小型Smの市場が拡大するにつれて、再び需要が盛り返し、少量で威力を発揮するSm用薬剤の登場も重なって、各社それぞれ売れ行きは伸びている。













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 スロウスと正面からぶつかり合うサッカーフィストは、いまだに健在だった。しかし、その操縦者であるアンドリューは巨体の目を通して懊悩おうのうする。
 一番の脅威となりえる巨躯スロウスが歯向かうのを無視してサッカーフィストの腹部に取りつく子供に気を回すべきか否か。
 その刹那せつなの迷いは、サッカーフィストの腹部の隙間に手を入れる少女ソーニャに活路を与える。
 ゴム手袋越しに人差し指と中指が器官の形をなぞる。ほかの指は円筒形の器具を握る。
 そして、九十九折つづらおりになった管の脇で震える臓器を探り当てた。器具を押し当てる形で臓器を五指によってまさぐって位置関係を確認し、そこから根のように伸ばす管を指でなぞって、指先で軽く押した個所に狙いを定めると、指で持ち替えた器具に生える針を突き刺す。側面に備わる二つの金輪に薬指と中指をねじ込んで親指で器具の後ろにある引き金を押した。
 シリンジの内部では空気によって仕切りが移動し、臓器に薬剤を投与する。
 指先から伝わる、カチンッ、という反応にソーニャはにんまり笑って、サッカーフィストの体内から手をひっこめ撤退する。

「ヒプノイシンの投薬完了! 逃げろ逃げろぉ! フッフゥーッ!」

 やり遂げたソーニャは興奮によって幻の翼を授けられる。
 サッカーフィストは強引に後ろに引き下がりスロウスを抑え込みつつ、少し一歩離れた。
 アンドリューはボニーに訴える。

「何か!いや、ヒプノイシンを打たれた! 間違いないか!?」

 ボニーは高速でキーボードを叩き、モニターに踊る複数のバイタルサインと横に並ぶ数値を見比べる。

「今、試験紙臓器の薬物解析反応を診てる! ヒプノイシンだったら、分量が少なくても効力が出る! どれくらい注入されたか分かる?」

『ああ……器具は見なかった! フィストの中に遺棄しやがったのか?』

「くう、局所的な破損ならともかく薬剤を注入するなんてッ。影響は全体に波及しちゃう。しかもヒプノイシン……。もう……ッ、他人の機体だからって強いやつ打ちやがって!」

『バイタルは? 内臓に直で撃たれたから、もしかすると腸腔とか胃の中とかにぶちまけられたら、まだ大丈夫だと思うが……』

「残念、ソーニャが注射した箇所は腸官の表面にある導管の流れの一本さ!」

 絶対にボニーとアンドリューの会話は聞いていなかったはずなのに、的確な横やりと悪党めいた口ぶりをするソーニャ。
 一瞬たじろいだアンドリューはスロウスの拘束を今一度強め、反論する。

『直接見たわけじゃないのにそんなピンポイント注射できるはずないだろ!』

「できるよ! ちなみに、そちらの機体が搭載してる胃嚢いのうがクサリク-8の42番眷属のイーストエンド型だってことも分かってる!」

 なぜそれを! アンドリューはいよいよおののくのを隠せない。
 ソーニャはゴム手袋に包んだ指先をムカデが脚を動かすようにくねらせ、あくどい笑みを見せつけた。

「大きな四分割型胃嚢の脇を消化補助管が通っていたのが触診で分かったよ」

 彼女の脳内に浮かぶのは、密着しあう四つの有機的な袋のうち一番小さい袋から延びる管が、それぞれの袋の表面に潜り込んで、最後は、真下で九十九折りをなしながら螺旋らせんを描く管へ絡み合う形状だ。

「湿潤環境を維持する膜組織がなかった。ということは乾燥環境でも存続できる臓器が使われているのは明白。あとは、手探りで分かった凹凸と機体の比率からちょうどいい形をした臓器を記憶の中からピックアップすれば、断定できるのさ。あと、イーストエンド型は燃費より馬力に主眼を置いているから、その機体にもってこい!」

 なんて奴だ、と口走るアンドリューは、少女が侮れない相手と確信した。
 スロウスは主に呼ばれ、敵の左手から右手を引き抜くと、膨満した横っ腹から鉈を回収して撤退する。
 待て! とアンドリューが怒鳴る。サッカーフィストは一歩踏み出すが、横から襲う擲弾てきだんを片手で防ぎ、広がる爆炎に視界が塗り潰される。
 両手を挙げてきびすを返したソーニャは呼び寄せたスロウスの前を走ると、尻から持ち上げられた。ある程度巨体から距離を稼いだところでソーニャは、止まって振り返って、などとスロウスに命じ踵を返してもらい、自身の成果を静観する。
 そこへやってきたシャロン。年甲斐もなく黄色い声音でソーニャを呼び、同じくらいの勢いで少女に名前を呼び返され、手を伸ばして抱き締め合う。
 こわかったぁああ! と心情を盛大に吐露するソーニャの頭を撫でたシャロンは、よしよしよくやったえらい! と称賛する。そして、動きを確かめるような素振りの巨体を改めて観察し、ささやきかける。

「あいつは今どうなってるんだい? 攻撃する意思が見えないが、さりとて完全に停止したとも思えない」

 サッカーフィストは、直前に襲った爆発が生み出す煙を手で払い、自身の巨体を見渡す。
 シャロンの肩にあごを乗せたソーニャは涙も鼻水も出しつつ、悪い笑みを作り、どこからともなく薬瓶を取り出した。

「実はね、タナトシアスっていうSm用の麻酔薬の一種を投与してやったんだよ。しかも、希釈前の未調整原液を内臓に直接ね……」

 そんなものどこで、とシャロンは少女をいったん地面に降ろし、直前まで一緒にいたビクーニャ・フロントを思い出す。

「ああ、あの場所で拾ってきたってわけかい?」

 薬瓶を揺すったソーニャは内部のタールめいた液体を一瞥いちべつする。

「因みに使用期限が切れているから、正直どう作用するかもわからないけど。それと代金は後で払うよ」

「必要ない。さっきの活躍で帳消し、どころか、こっちが金一封を贈呈したいよ」

 笑顔を交わした二人は、巨体へと振り向く。
 薬瓶を背負っていた盾の裏にしまうソーニャは指先に残る臓器の感触から確信を深め、記憶を反芻はんすうする。そして、内臓の横にあった、小さな心臓のような器官を想像した。

「あとは、薬剤が全身に廻れば、タヂカラオも今まで通り動けなくなる……」

「なるほど、てことは反撃開始だな?」

 ブブゼーラの引き金に戦闘員の指がかかる。だが、サッカーフィストが面を上げ、右手の砲身を突き出す。実際の砲撃はないが、それでも火花を恐れて自警軍の面々は距離を置く。
 ソーニャは声を上げた。

「まだ薬が効くまで時間がかかる! 少しだけ待って!」

 どれくらい待てばいい? とシャロンが少女に耳打ちした。

「……わかりません。でも」

 ソーニャは顔の上半分をかげひたし、微笑む。

「肉体とグレーボックス双方に通用する薬だからね。分量だって、数日は機体のバイタルに異常が出るくらい投与したし。最悪。再覚醒を何十回と繰り返すことになるかもね……ふっふっふ」

 子供に似つかわしくない悪い笑みを低くとどろかせた少女に、シャロンは快活に笑って、そいつはいい、とのたまう。
 
 一方ボニーは。

「今グレーボックスと神経網のデータを注目してる。けど、これだけだとデミミトコンドリアの活動の低下は分からないから。とりあえずメディエーターから拮抗薬を噴出して、それから副肝臓を起動して様子を見る。いったん機体を戻して……」

『逃げるなんて出来るか! やられた分は返す!』

 サッカーフィストは腹を殴打して隙間を強引に塞ぐと、天に向かって口を開け、喉奥から咆哮ほうこうほとばしらせた。
 それを見届ける誰もが表情を失う中、シャロンが冷静に尋ねた。

「ソーニャちゃんやい。あたしにはあのデブが元気になったように見えるんだが本当にあれが止まってくれるのかい?」

 サッカーフィストは走り出し、手始めに近くに放置されていた車両にタックルをかまして、隠れていた隊員を暴き出す。
 ソーニャは真顔で。

「薬を投与したのは間違いない。なら、あとは天を運に任せて、そしてあいつに運動させまくる!」

 スロウスGO! の掛け声で飛び出す巨躯きょくは敵の背後を目指す。
 
 ボニーは怒鳴る。

『待って! 動けば動くほど心臓が活動する! そうなれば』

「わかってる! その前にここを完全に制圧してやる。そしてあのSmを……」

 アンドリューの意識が背後に向かうとサッカーフィストも踵を返し、突き出されたなたを鋼の右手で退ける。それから自慢の腕を振るって殴打の連撃を繰り出すが、スロウスは紙一重、どころか難なく回避し、鉈を振るう。蛇のように迫る肉厚の刃に仰け反るサッカーフィストは一歩踏み出し、頬と鎖骨付近の距離をゼロにして、密着する皮膚の間に鉈を挟める。スロウスは得物なたをとっさに手放し、相手の張り手をかわして太い足に突進をかまし、脹脛ふくらはぎにしがみ付く。
 サッカーフィストも一気にひざを屈し、ひじをスロウスの背中へ突き下ろすが、スロウスは急ぎ引き下がり、肘鉄は空振りに終わる。
 サッカーフィストも距離を取り、頬と鎖骨で挟んだ刃に手を伸ばす。
 スロウスはすかさず肉薄する。
 分かってるんだよ! とアンドリューは豪語し。サッカーフィストは鉈を握ろうとした左手で蹴りを防いだ。そして、右手を差し出し、砲口から火花を噴出し、頬と鎖骨の間から解放された鉈が重力に引っ張られる。 
 スロウスは防がれた蹴り足をく引き寄せると、一回転しながらいずるほど身を低くして、火花を避けつつ、転がる鉈に手を伸ばす。しかし、下を向いた炎熱の濁流が地面に広がって、元の持ち主の手から鉈を隠す。
 火花の噴出からスロウスが逃れる合間に、発熱し陽炎かげろうを立ち昇らせる鉈をサッカーフィストが手にする。

『あまりマンデリンを多用しないで! その分砲撃用の燃料生産にリソースが使われるんだから!』

 使わなきゃもったいないだろ! とアンドリューに抗議されたボニーは。

「使ったせいで動けなくなったらどうするの!? いたずらに消費されれば、代謝機能に回すリソースも足りなくなって、解毒もうまくいかない。今は安静にしててよ!」

「そんなことしてリスナーが満足すると思ってるのか?!」

「その結果、最悪、内臓が再覚醒に強制移行するかもしれない。そうなったらサッカーフィストはその場で停止! リスナーの満足どころじゃなくなるよ!」

「普通のことしてたら生きていけないんだよこの世界は!」

 前のめりになるアンドリューの動きとサッカーフィストの動きが重なる。操縦者の思いを背負った巨体は海中を猛進するホホジロザメほど苛烈な勢いで敵へと向かう。収奪しゅうだつした鉈を豪快に振るい、時に神速の刺突を織り交ぜた新たな攻撃を繰り出す。
 リーチが伸びたことで、スロウスは応戦に苦慮くりょした様子だ。巨体の攻撃は一見粗雑だが、回数が増えれば攻撃の有効個所は、点から線に、そして面となり、無数の刃の残像が空間を掻き乱す。
 防戦一方のスロウスの回避は軽快だが、はたから見ているソーニャの表情は深刻の度合いを増す。何か出来ることはないかと、焦燥によって体を上下させる少女は、やがて落ち着きを取り戻し始めた。
 なぜなら、明らかに巨体の動きが悪くなったから。
 アンドリューにも、それは分かった。

「そんな! どうして……。まだ」

 ついに攻撃の手が止まった巨体へ、スロウスが反撃に出ようと跳躍する。しかし、防御する余力は残っていたのか、サッカーフィストは腕を傘にして、スロウスの突き出す手を防ぎ、剛腕でもって外見の大きさだけは見劣りする巨躯を退けた。
 地面を滑走するスロウスは踏み留まり、突撃のため一歩を踏み出すが、ソーニャに呼ばれ、立ち止まる。
 一体どうしてまだ猶予はあったはずッ? と困惑するアンドリューの言葉に誠実に答えるのはソーニャ。

「どうやら、うまく副心臓に投与できたみたいだね」

『何? 副心臓……?』

「そう。導管の流れの一本、って言ったでしょ? 嘘は言ってないよ?」

『だが……なぜ……?』

「場所が分かったかって? まず、それだけの巨体を効率よく動かすためには、たくさんの酸素と燃料を機体に満遍まんべんなく送る必要がある。そのためには生半可なポンプじゃ運搬役の工業血液を内蔵の組織全体に効率よく届けられない。そう考えると、分散型心臓駆動を採用していることは容易に、というより、当然想定されるべきこと。まあ、その分、小型心臓を体内の各所に配置して、接続する臓器との兼ね合いも考える必要があるし、部品点数とメンテナンスの煩雑さ、それとパーツ構成と、それぞれが受容する薬剤の検討も必要になるし、情報の伝達齟齬そごに配慮した神経接続を要求される。けど、大型心臓一つだけと違って負担を分散できるから、一度稼働がうまくいけば安定した機体運用が可能になる。それらを踏まえて設置個所を想像して見事探り当てたってわけ。もしかしたら、その機体だと多機能骨格筋を搭載し、動くことでポンプの代わりにしてるかもしれないけど。きっと表皮で守られてて、ソーニャじゃ外部から投与は出来ないし、硬い表皮だから皮下の柔軟性がないので多機能の筋肉も効果的に使えない。なら、戦闘に特化する意味も含めて運動性を重視した筋肉を搭載する、おっと、この話は必要ないか……」

 最後に自戒じかいした少女の目には、サッカーフィストの内部、臓器の合間に点在する紡錘形を無理にねじって一塊にした臓器が拍動する様子が分かったし、その他の部位も、想像を糧に透視出来た。
 そして、自分の手を見る。

「さっきちらっと触って分かったよ。使われている副心臓は、アジダハーカ眷属の改良品種だね。破断を感知すると、大動脈を塞ぐ機能がついてる。本当にいいパーツをそろえてるよ。でもおかげで、形状が分かりやすかったから見なくても注射ができた。そう考えると、なんでも使えるってのも考え物だね」

 ソーニャは不敵な笑みを浮かべ、相手を見据えた。









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