私はビブリオテカ ―― 終わりなき博物誌編纂の動機。あるいは少年の理想に対する現実からの返答。

屑歯九十九

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第零章 ―― 哀縁奇淵 ――

第003話 ―― デ会いは偶ゼン 

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【前回のあらすじ――。羊飼いのヒースと別れたノックは、ヒースの息子で友人のラーフを追いかけ、博物誌完成の夢を応援した。そして、音もなく近づく老人と出会い、金色の瞳を宿す右目に恐れを抱いた】










 隻眼せきがんの老人はゆっくりと両手を下げて、老成した低く広がる声で語る。

「声をかけようと思ったのですが……そちらの少年があまりにも集中している様子だったので邪魔にならぬよう控えさせてもらった。しかし、賢い従者には、この老骨の浅慮せんりょはお見通しだったようですな」

 老人は別に平身低頭しているわけではないのに、そんな姿が思い起こされるほどの心遣こころづいが声と面持おももちにあふれて、逆に若者2人に恐縮と純粋な恐れを抱かせる。

「あ、はぁ……」

 戸惑う2人を前に、老人は胸に手を当てて軽くこうべを垂れた。

「自己紹介が遅れた。私はヘイミル。しがない旅人で普段は用心棒や行商の護衛を生業なりわいとしております」

 全身を隠す黒い外套がいとうでも隠せない、真っ直ぐな背筋と精悍せいかんたたずまいの理由が分かった気がした少年2人は互いに顔を見合わせた。

「ぼ、僕の名前はラーフ、です」

「俺はノック」

 当たり障りもないどころか、つまらなさに罪が問われれば拘束間違いなしの自己紹介にも、ヘイミルは満足気にうなずいてくれた。
そして、その曇りなき眼差しを遠くに向ける。
 少年2人はわざわざ振り返らなくても老人が見るものが分かった。あの巨鳥である。しかし、いざ目を向けると、すでに影も形もなくなって空を見ても厚い雲しか見当たらない。
 ラーフの知見が正しければ、より強い風を掴むため、どこかに向かったのかもしれない。あるいは、下がり過ぎて、風に見放されて、森のほうへ降りたのか。餌を見つけたか。そのまま追っても翼で滑空する相手に追いつけるか分からない。

「すまない。貴重な観察の機会を奪ってしまった……」

 聞いているほうが申し訳なくなるヘイミルの謝罪に、ラーフは慌てて手を振った。

「いいえ、そんな気にしないで。生きているなら、その場からいなくなるのは当然ですし、きっと、また出会える。それに、どこかで死肉を見つけて降りた可能性もあるから。今すぐ追っていけば間近で観察できるかも……。そうすれば、もっと詳しい生態をこの目で。それに食事の細かな方法とか。好みとか」

 老人に対する気遣いのつもりで話していたはずが、ラーフはいつの間にか自分勝手な予想と期待と興奮に没頭する。
 それを察してノックが、おい……、と友人の二の腕をひじ小突こづく。
 ラーフの意識は目の前の客人に戻って、恥ずかしそうに苦笑いを作った。
 老人もまた若者のささやかな失敗に笑みがこぼれる。

「ラーフ殿は博学はくがくであられるようだ。あのおおとりはここでよく見かけるので?」

「いいえ、あまり見かけません。確か、古くは海の果てのイツァムニア、蛇の大陸を故郷にしているそうですが……。いつからか、こちらの大陸に渡ってきた、ということらしいです。おそらくは、精霊の加護をその身に宿した個体が風を受けながら海を渡って来たか……、古い時代に従者とするためか、あるいは呪術の材料とするために誰かが持ち込んだ個体が野生化したんだと思います」

 少年が披露した知識に老人はもちろん幼馴染も感嘆かんたんする。
 ヘイミルは。

「ラーフ殿は、どこかの貴人きじん子弟していなのですか?」

 今まで落ち着かなかったラーフはいよいよ心に秘めていた動揺を身振りであらわにする。

「いえいえいえ! とんでもないです。僕は牧童の息子です!」

「こいつの身分は牧童で、今仕事をさぼってるんだよな」

 幼馴染のはばからない言葉はラーフを赤面させる。
 初対面の相手に自分の過失が知られて本能的に羞恥心が爆発し、言わないでよぉ……、と口をついて本音を発揮しノックの肩を掴んで揺さぶる。
 しかし、ノックはそんな揺さぶりも気にせず言葉を続ける。

「本当の事だろ? ヒースさんも1人で自分の羊と預かった分を含めて数百頭の世話をして大変なんだぞ? それなのに勝手に飛び出して、牧羊犬まで連れて行って。あ~あ、おじさんが可哀想だなぁ。人手が減って牧羊犬の目も減って、これで何か不手際があったら羊を預かってるヒースさんの責任になって。きっと羊の持ち主にこっぴどく怒られるんだろうなぁ。場合によっては自分の羊を差し出すことに……」

 そんなぁ……、とラーフは青ざめる。
 決まったわけでもないが起こりえる未来を並べ立てる友人に対して、出せる言葉など思い当たらず、あとは涙目になり自分の罪業を思い知り、胸まで罪悪感に埋没する。
 そんな若者のやり取りに対し、ついに耐えられなくなったヘイミルは、笑い出してしまった。
 大仰おおぎょうな笑いではなかったが、遮蔽物しゃへいぶつのない丘には、快活な声はよく響く。
 まるで背の高い同年代を相手にしている気持ちになった少年2人も、互いに目が合い、られて笑った。
 シャフルもそのころには警戒心を眼差まなざしにとどめるのみで、座り込むと、しまいには後ろ足でうなじくに至る。

 最初の不安と緊張に満ちた空気は、暖かい陽気に溶けて消えてしまっていた。

 ほんの数十秒ほどの笑いは3人にとっては数分にも感じられるもので、その間に近づいてきた気配に狼と老人が気づく。
 遅れて察知した少年は老人の後方からやってくる人物の姿に注目した。しかし、もはや警戒はない。
 シャフルも立ち上がるが、老人に向けた時の殺気はなく、家族同然の羊を出迎えるような雰囲気である。
 特別な反応もなかったヘイミルも、新たな人物に歩み寄った。
 先に口を開いたのは新しく来た人物である。

「そちらの方々は?」

 ことの張り詰めた弦を爪弾つまびいたような繊細にして厳正な少女の声が静かに響いた。

 松の木陰から身を乗り出したその人は、麻袋に等しいありきたりな外套の頭巾を陶磁器とうじき見紛みまごなめらかな手で取り払らうと、水晶のようなつやたたえたかみが露わになった。
 少年2人は粗雑な人形のように動けなくなる。
 それは魔法でも呪いのせいでもない。純粋な驚きと人間の根源的な情動に根差した感動によるものだ。
 今まで出くわしたことのない静謐せいひつで清らかな雰囲気をまとう少女が2人の少年を見据える。
 少年2人は彼女の本質に宿る気品に触れた心地になり、どう反応していいか思考以上に体のほうが困っている。 
 一目で感じさせられた怜悧れいりな人間性をかもし出すのは、おそらく端正な顔立ちが由縁ゆえんだろうが、もし口元を隠されていても、したたかな猫を彷彿ほうふつとさせる目だけで、少女に秘められた理知的な面を如実にょじつに表すだろう。

 ノックは不意に友人を見た。
 ラーフは忘我ぼうがしていた。目も口も無力に開いて、彼から知性も魂もなくなってしまったと物語っていた。
 表情を失うノックは、視線を下げる。
 ヘイミルが口を開いた。

「紹介しましょう。我が自慢の孫娘メリアです」

 ノックは少女に向きなおり、彼女の眼が振る舞う真っ直ぐ貫く視線に、心臓が背中に引き下がった気分を味わう。
 少女は祖父とは違い、顔に感情を出さず、高貴な身分と揺るがぬ矜持きょうじを誇示するようで、かたくなさを堅持し、粛々と礼節を尊ぶ振る舞いを披露した。

「初めまして。メリアと申します。以後お見知りおきを……」

 育ちの良さは旋毛つむじにまで影響を与えるのか、とノックは、お辞儀じぎする少女の本当にとるに足らない一点に着目し、見当違いと分かっている感想を自分の内面にだけ言ってみる。
 しかし、老人との出会いの時とは正逆の落ち着いた空間に叩き込まれ、少女のおごそかな態度に少し圧倒され、口が乾き、苦みを含んだ生唾を飲み込む。
 それでも田舎の若造だからと言って礼節を忘れたつもりはない。威儀を正した少年は胸を張ったつもりで、ノックだ……、と名乗る。
 さて次は友人の番、だと思うが、ちょうどいい沈黙を置いた後も聞き慣れた名前が出ない。
 老人は少年の気持ちをみ取り、そろえた指を失礼のないように相手に向けて語る。

「こちらの若者はラーフ殿。実に碩学けんがく吾人ごじんで異邦の地理についても熟知していらっしゃる」

 ヘイミルはまるで自慢の孫を紹介するような誇らしい口調で他人を紹介した。
 一方のラーフは耳だけは実に働いていた。
 いつぞや彼に聞いた話では死にひんした人間は最後まで聴覚を維持していると言っていたが、見当違いでもないらしい。現にそれまで心ここに在らず、といった様子で少女を見ていたラーフは、過分な紹介に突き出した手を大いに振るって否定を開始した。

「ちちち、違います! あ、ヘイミルさんが間違っているということではなくて。ぼ、僕は聞きかじった程度の知識を不遜ふそんにも、恥ずかしげもなく、まるで見てきたように語っただけで。恥ずかしい限りですごめんなさい!」

 ヘイミルは微笑んだ。

「そのような謙遜けんそんはいりませんぞ。例え実際に見聞きしなくとも重要なのは集めた知識をかてにするこころざしであり。それこそが知性の本質。あなたにはそれが十分に備わっていると感じます」

 なぜかメリアも頷いた。

「そうです。たしかにに見聞きすることで得られるものもありましょう。ですが、それだけが正しいわけではない。もし知識の習得の是非が教条的に決まって、実体験が必須ならば、どうして人が安心してモノを口に運ぶ、という行動を起こせるのか。まだ一口もものを食べたことがない赤子に乳を与えることが許されるのか、その後食事を与えられるというのか……。大事なのは理解する意思と熟慮じゅくりょです。物事を知ろうとする姿勢が最初にあるからこそ、初めて見る食材の長所短所を見極めることを可能にし、よりおいしく味わう方法の発見につながる。そして、食材をよく知る人物や書籍から十分に情報を引き出し、毒の有無や、よりおいしい食べ方を覚え、いかなる食材にも手を付けられるようになり、ひいては、安全と豊かさにつながり、より次元の高い美味びみへといたれる」

 ヘイミルは孫娘の実感がこもった例え話に首肯しゅこうし、付け加える。

「生き物に対峙たいじする場合も、無暗に近づけば双方が思いもしない事故を起こしかねない。例えば、あの巨鳥の場合、もし何も知らず接近したら逃げられるか、近づけたとしても襲われる危険もある。けっして実体験だけが全てではありません。真に大切なのは知る意思と体験したものに向き合う姿勢です。それがともなわなければ、思慮しりょに至らず、体験の前に失敗を繰り返し、何の蓄積にもならず、直接、見て触れて体感しても、本質に辿たどり着けず、一方的な解釈かいしゃくに終わりその後の糧にならない。ですので、ラーフ殿の知識を求める姿勢と今ある知識も、心がけ一つで偉大な発見へのきざはしとなる宝なのです。けっしてあなどる者の嘲笑ちょうしょうに耳をかたむけず、自身の謙遜けんそんかたよりすぎず、これからも広い視野とさとい耳で研鑽けんさんを続けてください」

 思いやりにあふれた旅人に、うるんだ眼を向けるラーフは、体の震えをおさえるように持っていた蝋板ろうばんを胸に引き寄せ、一気に頭を下げた。

「ありがとうございます!」

 出会ったばかりの相手からの激励げきれいに対して、これ以上ない感謝が返礼として渡される。
 微笑む祖父と目が合うメリアは、次にラーフの手に注目した。

「……時に、ラーフ殿の手に宿るそれは……“紋章”と存じますが」









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