40年目の親父

咲都

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RREUNION REFUSAL

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土曜日午前11時45分
内海病院精神内科の外来にいた。
本当に親父なのかの確認のために資料の提出をお願いした。
出されたのは分厚いカルテ3冊。
妻は保証人の確認だけで言いと言う。

40年前の古いやつから確認した。
保証人欄には
 山下美津(母の名前)家族構成
 磯崎一雄(母の勤め先社長)
 梅宮正剛(当時の民生委員)○市○町担当
2冊目
 山下恒雄(親父の弟)
 山下一 (父の親、俺の祖父)
 田川了 (親戚の叔父さん)
3冊目
 山下恒雄
 田川了
 藤本花子(父親の姉) 

祖父と父親の弟である叔父さんとその息子である従兄に低学年のころ会ったことがある。
一度だけ家族で四国の祖父の家を訪ねたことがあった。
車窓から見える吉野川、駅からそんなに歩かなかったと思う。田畑の中にある農家。
そんなイメージの場所だったと思う。
従兄と川に浸かって遊んだ。
そんな断片的なことしか思い出さない。

妻に知った名前の説明をしながら確認をしていった。
間違いなく俺の親父だろう。
「40年前に別れた親父みたいです」
「それでは転院の手続きと手術の同意をしていただけますか?」
親父を助けるのか?
「俺は……俺はあの火事の日、パニックになった親父に首を絞められ殺されそうになったんだ!泣き叫ぶアネキとお袋。アニキが隣のおじちゃん呼んでこなかったら俺は死んでたかも知れない。親父はそのままおじちゃん達に連れられて帰って来なかった。それ以来会っていないんだぞ!」
「そうだね、ずっと辛かったよね。でもねこれも何かのご縁なんだと思うよ」
「縁?」
「今ここで、お父さんと会わなくてもいいとは思うんだ。ただ、どんな感情でも人の生き死にを私達には選べないんだよ。転院手続きと手術の承諾だけでもしてあげてもいいと思う」
そうか、会わなくても手続きはできるんだよな。
俺は書類に手を伸ばした。

 奥様の説得で了承していただけて助かりました。
 父はどういう感じなんですか?
 こちらに入所した頃は、人も何も信じられず、食事にも毒が入っていると言って全く食べず、注射や点滴にも殺させると暴れていたようです。
 そうですか
 一度、落ち着いたと診断され社会に出たのですが半年も立たない内に戻されて来られました。それからはずっとこちらで暮らしておられます。
 よく主人が息子だとわかりましたね
 たまに家族にも似たような症状が出られる方がいらっしゃるので家族構成を書いてもらっておりました。
ご主人が来院された時のカルテにお父様の名前と何処かの施設に入っていたと記録がございました。
そしてお二人のカルテを照らし合わせ、ご主人のご住所ですね。
元住んでた所ではなかったですが、同じ市内でしたし、役所に問い合わせて見たところ分籍されていませんでしたのでご連聞いた絡致しました。
 お義母さん面倒くさかったのかしら

「そうかも、分籍って何?」
書類を書き終わった俺はきいた。
「法律上は血縁者なんだけど、今後一切関わりを持ちませんっていうことかな。離婚の時にお義母さんが役所で手続きするか14歳?15歳以上だったかな?本人の意思があって保護者の認めがあれば出来たはず。成人は自分でできるよ」
「じゃあ分籍してなかったら身内と見なされた?」
「そうなるね」
お袋相変わらずだ。肝心な所がいつも抜けてる。
「多分ね、お義母さんは知らなかったと思うよ。離婚する時に担当者に訪ねるかしないと誰も教えてくれないよ。だから名字もそのままにしとるちゃない?」
あー!なんとなく想像できる。離婚届出してさっさとその場を離れるタイプだしな。面倒ごとを嫌うんだよ。
看護士さんから再度お顔を見て行かれませんかと誘われたが、まだそんな余裕が気分的になかったためお断りした。
手続きを終え俺たちは病院を出た。
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