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1.瑠璃の章
1.帝国と反帝国同盟(2)
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北の大陸は周りを海に囲まれた、緑あふれる大地だった。
そこを支配する帝国は大地の恩恵にあずかる豊かな国だった。そして帝国の長い歴史を彩る平和。
そして何よりの大きな武器は、発達した科学。
北の大陸よりも豊かさで劣る南の大陸の国々は、その強国に対し、叛意を抱いて手を出すことなど考えたこともなかった。
北からの物資の援助を受けていられれば、それで良かったのだ。
しかしその平和に二年程前綻びができた。
それは、突如南の大陸に建国されたガルーダという国の宣戦布告による。
ガルーダの武力兵力は、帝国と同等かそれ以上。
そして南の国々はガルーダを選んだ。
その新興国と周辺の国によって、ダンドラーク包囲網が作られたのだ。
しかしどれだけ強力な包囲網ができようと帝国の牙城を崩すことは容易ではなく、南北の戦争は長期化の様相を呈していた。
それでもじりじりと同盟軍側が押してきており、前線では激しい戦闘が繰り返されているという。
無駄とも思える戦いの中で、犠牲者ばかりが増えていく。
帝国は徐々に疲弊してきていた。
***
南部沿岸域の前線の様子は随時報告がもたらされていた。
芳しくはなかった。
ガルーダは帝国の元軍人によって創られた国だった。
そのため帝国の内情、特に軍事面の機密にも精通している。
帝国を根底から揺るがす恐ろしい存在だった。
なぜ、軍人たちは帝国を出たのか。
今もって詳しいことはわかっていない。
現皇帝の治世に反発して、というのが一般的な見方だが、しかしそれだけでは説明が足りないのだ。
ここ数年ダンドラークの中枢は非常に頭の痛い思いをしていた。
皇帝ジュラークⅠ世は執務室に一人、報告書に目を通していた。
文を追うごとに表情が険しくなっていく。
そして深い溜息と共に、その報告書を放り出した。
「なんとしたものか……」
憂いの深い声。
その憂いと苦悩のために、実年齢よりも老成して見えるジュラークⅠ世。
長らく続いた平和があった。
それを自分の代で壊された。
望んで始めた戦いではない。
しかし、この国のために、民のために、戦うことを決意しなくてはならなかったのだ。
彼が十代の終わりに即位してすぐのことだった。
軍でも精鋭として名高かった部隊。
その一個小隊が、ある夜突然姿を消した。
当初その事実は政治の中枢の僅かな者にしか知らされず、当然武器弾薬が持ち出されたことも最高機密として伏された。
その二年後、ガルーダの建国宣言がなされる。
元首は総統。
そして、その名を聞いたとき、国の大部分の者が驚愕した。
そうだ。
確かに突然彼は国を捨てた。
彼の部下と共に。
目的も行方もわからず、完全に姿をくらませた。
しかし、なぜ彼なのだ?
帝国と真っ向から敵対する姿勢を見せるガルーダの総統が、なぜ彼でなくてはならないのか?
「シド・フォーン」
皇帝はかつての親友の名を呼んだ。
帝国元帥カイル・アルファラと共に、青春を悪友として過ごしたシド。
誰よりも理解し合い、理想を共有していた彼が。
「なにゆえ、お前でなくてはならない、シドよ……」
何度となく繰り返してきた、答えの返らない問いを口にする。
彫りの深い整った顔を僅かに歪めて、彼は椅子から立ち上がり呼び鈴を鳴らした。
すぐに近習の小姓が入って来る。
いまだあどけなさの残る少年に、ジュラークⅠ世は指示を与える。
緊張した面持ちの小姓は、聞き終えると深々と頭を下げ出て行った。
「考えねばならないことは、まだある」
自分に自覚させるようにそう言って、ジュラークⅠ世は執務室をあとにした。
***
カッカッと軍靴を鳴らして、人目を引く美しい容姿の男が城の回廊を歩いていた。元帥カイル・アルファラだ。
城の中庭をぐるりと囲むそれは、城の表と奥を分ける役目も負っていた。
回廊の北側、そこにある大きな木の扉の向こうには、皇族及び特別な許可を得た上級貴族しか入ることは許されない。
そこは厳重な警備の元にあり、蟻の子一匹、その警備をすり抜けることはまず無理であった。
扉に辿り着くまで回廊を随分歩かなければならず、決まってそこには美しいカイルの姿を一目見ようと待ち構える貴族の娘たちの姿があった。
彼が目の前を通り過ぎるたびに、黄色い声がそこここで上がる。しかし彼のほうはまったく関心がないのか、表情ひとつ崩すことなく、歩調を変えることもなく、淡々と目指す場所に向かって歩いて行く。
日に一度、朝か夕に行われる皇帝へのご機嫌伺い。
それは現皇帝が即位し、彼が元帥に任ぜられた時から変わることなく続けられてきた日課だった。
なんのことはない。
かつて親友だった者達が立場が変わり、時間を共有できなくなってしまったために編み出した苦肉の策だったのだ。
一瞬でもいい。深い苦慮の中にあるお互いの精神を正常に保つためにも、この日に一回の逢瀬は必要なことだった。
他の者たちはただ、元帥が皇帝を訪ね戦況云々を報告しているに過ぎないと思っている。
それでいい。
彼らの胸のうちは、彼らだけが知っていればいいのだ。
カイルが扉に近付くと、警備の者がさっと敬礼し、一人が重い扉をゆっくりと開けた。
「ご苦労」と短く言って、カイルは扉の向こうの闇に姿を消した。
またゆっくりと扉が閉められる。
すると切ない溜息が聞こえてきた。
カイルの消えた先を切なげに見つめる娘たち。
美しい元帥閣下に会うために、また一日待たなければならない
貴族の娘たちはひとしきり会話に花を咲かせ、自らの仕事(行儀見習いのお針子がほとんどだ)に戻って行った。
***
扉近くの闇を抜けるアーチをくぐると、そこは広い庭園の脇を通るテラス。
昼の日が燦燦と降り注ぐ庭には、季節の花々が咲き乱れている。
しかしそのような景色にも目をやることなく、カイルはテラスに面して造られている扉を押し開けた。
そこからが本当の『奥向き』となる。
入ってすぐにある壁に据え付けられた螺旋階段を上っていった先の二階部分が、皇帝や皇子皇女達の生活スペースだった。
二階といっても、そこはそれ、とてつもない広さがあり、また廊下や階段が複雑に入り乱れ、一種迷路のようになっているのだ。
だから通常、皇族同士が接触することはない。
現在皇后はおらず、皇帝の兄弟は妹のみ。
よって、この広い敷地をたった2人の兄妹が使用していることになる。
ここで働く使用人は、無駄に多いのだが……。
皇帝が日常を過ごす区画にようやく辿り着き、皇帝の居室に通じる扉をノックするとすぐに開けられた。
そこには皇帝その人が立っていた。
いつもそうだ。
カイルの来るときには、侍女も近習の小姓も遠ざけられるのだ。
「少し遅かったな」
責めるように言うジュラークⅠ世に、カイルは軽く苦笑した。
「報告書はお読みになりましたか?」
皇帝の苛立ちを受け流して、カイルは穏やかにそう言った。
「いつもの通り、代わり映えのない、な」
拗ねているようにも聞こえる。
「あなたがそれを言っては……」
カイルは呆れたように小さく呟いて、いつもの決まった椅子に腰掛けた。
「望んで始めた戦争ではない」
着座することなく言い放つ皇帝を、カイルは静かに見返した。
そして、すっと視線を外し、「異世界からの客人にお会いにならないのですか?」とまったく違う話題を始めたのだ。
「戦争談義をしても詮無い事ということか?」
「この戦いには何らの意味もありません。われわれの役目は、犠牲者を極力最小限に抑えること」
皇帝は傍の椅子に腰掛けた。
「それは、そうだ。だが、戦況が長引けば長引くほど、犠牲者は増えていく」
「はい」
「なんとしても早急に和平協定を結べぶべきだ」
「陛下はずっと、そう主張しておられますね」
「そうだ、この戦争の一因は私にあるのだ。私の至らなさがこの戦を引き起こした」
「……」
「だからこそ、私にはこの戦争を終結させる義務がある」
「そして、われわれに不利な条件で協定を結ぶのですか?」
「なに?!」
「ガルーダの総統は……、シド・フォーンは、通り一辺倒のやり方では聞かない男です。それは陛下も良くご存知でしょう?だからこそ、この国を出たのち、あれほどまでの国を創り上げることができたのです」
「……………」
そこを支配する帝国は大地の恩恵にあずかる豊かな国だった。そして帝国の長い歴史を彩る平和。
そして何よりの大きな武器は、発達した科学。
北の大陸よりも豊かさで劣る南の大陸の国々は、その強国に対し、叛意を抱いて手を出すことなど考えたこともなかった。
北からの物資の援助を受けていられれば、それで良かったのだ。
しかしその平和に二年程前綻びができた。
それは、突如南の大陸に建国されたガルーダという国の宣戦布告による。
ガルーダの武力兵力は、帝国と同等かそれ以上。
そして南の国々はガルーダを選んだ。
その新興国と周辺の国によって、ダンドラーク包囲網が作られたのだ。
しかしどれだけ強力な包囲網ができようと帝国の牙城を崩すことは容易ではなく、南北の戦争は長期化の様相を呈していた。
それでもじりじりと同盟軍側が押してきており、前線では激しい戦闘が繰り返されているという。
無駄とも思える戦いの中で、犠牲者ばかりが増えていく。
帝国は徐々に疲弊してきていた。
***
南部沿岸域の前線の様子は随時報告がもたらされていた。
芳しくはなかった。
ガルーダは帝国の元軍人によって創られた国だった。
そのため帝国の内情、特に軍事面の機密にも精通している。
帝国を根底から揺るがす恐ろしい存在だった。
なぜ、軍人たちは帝国を出たのか。
今もって詳しいことはわかっていない。
現皇帝の治世に反発して、というのが一般的な見方だが、しかしそれだけでは説明が足りないのだ。
ここ数年ダンドラークの中枢は非常に頭の痛い思いをしていた。
皇帝ジュラークⅠ世は執務室に一人、報告書に目を通していた。
文を追うごとに表情が険しくなっていく。
そして深い溜息と共に、その報告書を放り出した。
「なんとしたものか……」
憂いの深い声。
その憂いと苦悩のために、実年齢よりも老成して見えるジュラークⅠ世。
長らく続いた平和があった。
それを自分の代で壊された。
望んで始めた戦いではない。
しかし、この国のために、民のために、戦うことを決意しなくてはならなかったのだ。
彼が十代の終わりに即位してすぐのことだった。
軍でも精鋭として名高かった部隊。
その一個小隊が、ある夜突然姿を消した。
当初その事実は政治の中枢の僅かな者にしか知らされず、当然武器弾薬が持ち出されたことも最高機密として伏された。
その二年後、ガルーダの建国宣言がなされる。
元首は総統。
そして、その名を聞いたとき、国の大部分の者が驚愕した。
そうだ。
確かに突然彼は国を捨てた。
彼の部下と共に。
目的も行方もわからず、完全に姿をくらませた。
しかし、なぜ彼なのだ?
帝国と真っ向から敵対する姿勢を見せるガルーダの総統が、なぜ彼でなくてはならないのか?
「シド・フォーン」
皇帝はかつての親友の名を呼んだ。
帝国元帥カイル・アルファラと共に、青春を悪友として過ごしたシド。
誰よりも理解し合い、理想を共有していた彼が。
「なにゆえ、お前でなくてはならない、シドよ……」
何度となく繰り返してきた、答えの返らない問いを口にする。
彫りの深い整った顔を僅かに歪めて、彼は椅子から立ち上がり呼び鈴を鳴らした。
すぐに近習の小姓が入って来る。
いまだあどけなさの残る少年に、ジュラークⅠ世は指示を与える。
緊張した面持ちの小姓は、聞き終えると深々と頭を下げ出て行った。
「考えねばならないことは、まだある」
自分に自覚させるようにそう言って、ジュラークⅠ世は執務室をあとにした。
***
カッカッと軍靴を鳴らして、人目を引く美しい容姿の男が城の回廊を歩いていた。元帥カイル・アルファラだ。
城の中庭をぐるりと囲むそれは、城の表と奥を分ける役目も負っていた。
回廊の北側、そこにある大きな木の扉の向こうには、皇族及び特別な許可を得た上級貴族しか入ることは許されない。
そこは厳重な警備の元にあり、蟻の子一匹、その警備をすり抜けることはまず無理であった。
扉に辿り着くまで回廊を随分歩かなければならず、決まってそこには美しいカイルの姿を一目見ようと待ち構える貴族の娘たちの姿があった。
彼が目の前を通り過ぎるたびに、黄色い声がそこここで上がる。しかし彼のほうはまったく関心がないのか、表情ひとつ崩すことなく、歩調を変えることもなく、淡々と目指す場所に向かって歩いて行く。
日に一度、朝か夕に行われる皇帝へのご機嫌伺い。
それは現皇帝が即位し、彼が元帥に任ぜられた時から変わることなく続けられてきた日課だった。
なんのことはない。
かつて親友だった者達が立場が変わり、時間を共有できなくなってしまったために編み出した苦肉の策だったのだ。
一瞬でもいい。深い苦慮の中にあるお互いの精神を正常に保つためにも、この日に一回の逢瀬は必要なことだった。
他の者たちはただ、元帥が皇帝を訪ね戦況云々を報告しているに過ぎないと思っている。
それでいい。
彼らの胸のうちは、彼らだけが知っていればいいのだ。
カイルが扉に近付くと、警備の者がさっと敬礼し、一人が重い扉をゆっくりと開けた。
「ご苦労」と短く言って、カイルは扉の向こうの闇に姿を消した。
またゆっくりと扉が閉められる。
すると切ない溜息が聞こえてきた。
カイルの消えた先を切なげに見つめる娘たち。
美しい元帥閣下に会うために、また一日待たなければならない
貴族の娘たちはひとしきり会話に花を咲かせ、自らの仕事(行儀見習いのお針子がほとんどだ)に戻って行った。
***
扉近くの闇を抜けるアーチをくぐると、そこは広い庭園の脇を通るテラス。
昼の日が燦燦と降り注ぐ庭には、季節の花々が咲き乱れている。
しかしそのような景色にも目をやることなく、カイルはテラスに面して造られている扉を押し開けた。
そこからが本当の『奥向き』となる。
入ってすぐにある壁に据え付けられた螺旋階段を上っていった先の二階部分が、皇帝や皇子皇女達の生活スペースだった。
二階といっても、そこはそれ、とてつもない広さがあり、また廊下や階段が複雑に入り乱れ、一種迷路のようになっているのだ。
だから通常、皇族同士が接触することはない。
現在皇后はおらず、皇帝の兄弟は妹のみ。
よって、この広い敷地をたった2人の兄妹が使用していることになる。
ここで働く使用人は、無駄に多いのだが……。
皇帝が日常を過ごす区画にようやく辿り着き、皇帝の居室に通じる扉をノックするとすぐに開けられた。
そこには皇帝その人が立っていた。
いつもそうだ。
カイルの来るときには、侍女も近習の小姓も遠ざけられるのだ。
「少し遅かったな」
責めるように言うジュラークⅠ世に、カイルは軽く苦笑した。
「報告書はお読みになりましたか?」
皇帝の苛立ちを受け流して、カイルは穏やかにそう言った。
「いつもの通り、代わり映えのない、な」
拗ねているようにも聞こえる。
「あなたがそれを言っては……」
カイルは呆れたように小さく呟いて、いつもの決まった椅子に腰掛けた。
「望んで始めた戦争ではない」
着座することなく言い放つ皇帝を、カイルは静かに見返した。
そして、すっと視線を外し、「異世界からの客人にお会いにならないのですか?」とまったく違う話題を始めたのだ。
「戦争談義をしても詮無い事ということか?」
「この戦いには何らの意味もありません。われわれの役目は、犠牲者を極力最小限に抑えること」
皇帝は傍の椅子に腰掛けた。
「それは、そうだ。だが、戦況が長引けば長引くほど、犠牲者は増えていく」
「はい」
「なんとしても早急に和平協定を結べぶべきだ」
「陛下はずっと、そう主張しておられますね」
「そうだ、この戦争の一因は私にあるのだ。私の至らなさがこの戦を引き起こした」
「……」
「だからこそ、私にはこの戦争を終結させる義務がある」
「そして、われわれに不利な条件で協定を結ぶのですか?」
「なに?!」
「ガルーダの総統は……、シド・フォーンは、通り一辺倒のやり方では聞かない男です。それは陛下も良くご存知でしょう?だからこそ、この国を出たのち、あれほどまでの国を創り上げることができたのです」
「……………」
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