2 / 5
第1章 神官になった少女
国教歴史研究所(1)
しおりを挟む
神殿のすぐ隣にある中央神殿府。
これは神官たちが行政的な仕事を執り行う施設であり、地方神殿を管理する部署や、その他神殿と神官に関わる諸々の部署が存在している。
ユリアは、その中でも、さまざまな歴史書や古文書から、国教を体系的に取り纏めようと研究している部へ配属されていた。
行政府の一階。
とは言え、この辺りは総務部や財政部と言った花形の部署から外れているせいか人が少ない。石畳の廊下を歩いていても、徐々に人に会わなくなってきた。その上明かりも少ないのか、昼間だというのに暗い。
その廊下を恐る恐る歩いていると、前を行く人影が見えた。ホッとして、その人物の後ろをついて行くことに。
前を行く人と、何度か曲がり角を同じ方向に曲がって(とは言え、廊下は一本道なので、同じ方向に行くしかないのだが)、とうとうその長い廊下のどん詰まりに行き当たったようだ。
「やっと着いた……」
緊張のせいもあるのか、凄く疲労を感じながら、ユリアは息をつく。
そしてあることに思い至った。
(同じ廊下を同じ部屋までやって来たということは、彼は私と同じ部署なのかしら)
その人は突き当りの扉をノックして開けると、不意に後ろを振り返った。
今まで一度もこちらを見なかった黒縁眼鏡越しの双眸に見つめられ、ユリアはびくりとして体を硬くした。
「入らないのか?」
薄暗い廊下に響く、良く通る声。
「あ、はい。いえ、入ります!」
慌てて近寄ると、その人は無表情のまま扉を開け放って、ユリアを中に招き入れた。
「まあ、ユリア・タズハ。よく来たわね」
部屋に入るなり、ユリアは温かく柔らかい胸に抱きしめられた。
「マ、マリー様。苦しいです……」
「あらら、ごめんなさい。嬉しくて、つい」
解かれた腕の間から見上げれば、ユリアよりも頭一つ分高い所に少し皺の刻まれた顔があった。
マリー・レーヴェニヒ司教。
国教歴史研究所の所長であり、神学校では臨時講師として歴史を教えたりもしている。その為、ユリアたちとは顔なじみ。
今回の研究所配属はそれとは無関係だろうが、知っている人の下で働くことができるのは有難いことだと思う。
「ふふ。アランが迎えに行ってくれたから心配はしていなかったけれど、長い廊下だったでしょう?」
「え、迎え?」
ああ、そうか。
この時初めて、ユリアは合点が行った。
ユリアとマリー所長が話している間にもう書類を広げ始めている彼、アランは、彼女を迎えに来てくれていたのだと。
「あ、えっと、そうだったんですね。私、一緒の配属とは知らず失礼しました」
「……いや」
お辞儀するユリアの方を見ることなく、短い返事を返したアラン。
それだけのやり取りで、マリー所長はある程度のことを察したらしい。
「ふふ。彼、無愛想だけど、ほんとはいい人なのよ。ここに来て5年になるかしら。しっかりした先輩だから、分からないことがあれば教えてもらってね」
「はあ……」
無愛想というなら、これほど無愛想な人もめったにいないだろうと言うほどに、このアランという人は無愛想だった。
先ほど長い廊下を先に立って歩いていたのも、彼にとっては『案内していた』ということになるのだろうが。
(分かりにくいです。先輩)
「ここの研究所は私たち3人だけなの。仲良くやって行きましょうね」
「……3人、ですか?」
「ええ、そう、3人。アランが主に研究をしてくれているわ。私は主に渉外役。もちろん時には古文書を紐解くこともありますけどね。そしてユリア、あなたは……」
そこまで言って、マリー所長はちらりとアランを見た。
その視線に釣られたように顔を上げたアランは、秀麗な顔に乗せた黒縁眼鏡をくいっと直すと、
「俺の言った資料を図書室から借りてくる。その資料や報告書の整理。掃除に、お茶汲み、その他諸々の必要と思われることを一番に気付いてやってくれ」
と事もなげに言い放った。
「ふふ。何事もアランに聞いてやってちょうだいね」
無愛想な先輩が並べ立てた如何にもな雑用の数々を、マリー所長も容認しているのか。
抗議の隙すらユリアには与えられず。
しかし彼女には持ち前の順応性があり、それが下っ端の仕事なら仕方がないと、数分後には受け入れたようだった。
その後、アランに言われた資料をファイル綴じしながら、
(マリー様もやっぱり優しいだけの先生ってだけではなかったってことねえ)
と、ここに来る前の同期との会話を思い出して、しみじみと思った。
(まあ、でも、仕事自体は面白そうだもの。何とかやれそうな気がするわ)
ちらりと前を見れば、真剣に資料を読み込むアランの姿。
(先輩は無愛想だけど、真面目っぽいし)
環境としてはそれほど悪くはないだろう。
「なんだ?」
「い、いえ。なんでもありません!」
「ぼけっとしないで仕事しろ」
「はいー。すいませーん」
それでも何となく波乱含み。
ついついそう思ってしまう神官第一日目だった。
これは神官たちが行政的な仕事を執り行う施設であり、地方神殿を管理する部署や、その他神殿と神官に関わる諸々の部署が存在している。
ユリアは、その中でも、さまざまな歴史書や古文書から、国教を体系的に取り纏めようと研究している部へ配属されていた。
行政府の一階。
とは言え、この辺りは総務部や財政部と言った花形の部署から外れているせいか人が少ない。石畳の廊下を歩いていても、徐々に人に会わなくなってきた。その上明かりも少ないのか、昼間だというのに暗い。
その廊下を恐る恐る歩いていると、前を行く人影が見えた。ホッとして、その人物の後ろをついて行くことに。
前を行く人と、何度か曲がり角を同じ方向に曲がって(とは言え、廊下は一本道なので、同じ方向に行くしかないのだが)、とうとうその長い廊下のどん詰まりに行き当たったようだ。
「やっと着いた……」
緊張のせいもあるのか、凄く疲労を感じながら、ユリアは息をつく。
そしてあることに思い至った。
(同じ廊下を同じ部屋までやって来たということは、彼は私と同じ部署なのかしら)
その人は突き当りの扉をノックして開けると、不意に後ろを振り返った。
今まで一度もこちらを見なかった黒縁眼鏡越しの双眸に見つめられ、ユリアはびくりとして体を硬くした。
「入らないのか?」
薄暗い廊下に響く、良く通る声。
「あ、はい。いえ、入ります!」
慌てて近寄ると、その人は無表情のまま扉を開け放って、ユリアを中に招き入れた。
「まあ、ユリア・タズハ。よく来たわね」
部屋に入るなり、ユリアは温かく柔らかい胸に抱きしめられた。
「マ、マリー様。苦しいです……」
「あらら、ごめんなさい。嬉しくて、つい」
解かれた腕の間から見上げれば、ユリアよりも頭一つ分高い所に少し皺の刻まれた顔があった。
マリー・レーヴェニヒ司教。
国教歴史研究所の所長であり、神学校では臨時講師として歴史を教えたりもしている。その為、ユリアたちとは顔なじみ。
今回の研究所配属はそれとは無関係だろうが、知っている人の下で働くことができるのは有難いことだと思う。
「ふふ。アランが迎えに行ってくれたから心配はしていなかったけれど、長い廊下だったでしょう?」
「え、迎え?」
ああ、そうか。
この時初めて、ユリアは合点が行った。
ユリアとマリー所長が話している間にもう書類を広げ始めている彼、アランは、彼女を迎えに来てくれていたのだと。
「あ、えっと、そうだったんですね。私、一緒の配属とは知らず失礼しました」
「……いや」
お辞儀するユリアの方を見ることなく、短い返事を返したアラン。
それだけのやり取りで、マリー所長はある程度のことを察したらしい。
「ふふ。彼、無愛想だけど、ほんとはいい人なのよ。ここに来て5年になるかしら。しっかりした先輩だから、分からないことがあれば教えてもらってね」
「はあ……」
無愛想というなら、これほど無愛想な人もめったにいないだろうと言うほどに、このアランという人は無愛想だった。
先ほど長い廊下を先に立って歩いていたのも、彼にとっては『案内していた』ということになるのだろうが。
(分かりにくいです。先輩)
「ここの研究所は私たち3人だけなの。仲良くやって行きましょうね」
「……3人、ですか?」
「ええ、そう、3人。アランが主に研究をしてくれているわ。私は主に渉外役。もちろん時には古文書を紐解くこともありますけどね。そしてユリア、あなたは……」
そこまで言って、マリー所長はちらりとアランを見た。
その視線に釣られたように顔を上げたアランは、秀麗な顔に乗せた黒縁眼鏡をくいっと直すと、
「俺の言った資料を図書室から借りてくる。その資料や報告書の整理。掃除に、お茶汲み、その他諸々の必要と思われることを一番に気付いてやってくれ」
と事もなげに言い放った。
「ふふ。何事もアランに聞いてやってちょうだいね」
無愛想な先輩が並べ立てた如何にもな雑用の数々を、マリー所長も容認しているのか。
抗議の隙すらユリアには与えられず。
しかし彼女には持ち前の順応性があり、それが下っ端の仕事なら仕方がないと、数分後には受け入れたようだった。
その後、アランに言われた資料をファイル綴じしながら、
(マリー様もやっぱり優しいだけの先生ってだけではなかったってことねえ)
と、ここに来る前の同期との会話を思い出して、しみじみと思った。
(まあ、でも、仕事自体は面白そうだもの。何とかやれそうな気がするわ)
ちらりと前を見れば、真剣に資料を読み込むアランの姿。
(先輩は無愛想だけど、真面目っぽいし)
環境としてはそれほど悪くはないだろう。
「なんだ?」
「い、いえ。なんでもありません!」
「ぼけっとしないで仕事しろ」
「はいー。すいませーん」
それでも何となく波乱含み。
ついついそう思ってしまう神官第一日目だった。
0
あなたにおすすめの小説
魔王を倒した勇者を迫害した人間様方の末路はなかなか悲惨なようです。
カモミール
ファンタジー
勇者ロキは長い冒険の末魔王を討伐する。
だが、人間の王エスカダルはそんな英雄であるロキをなぜか認めず、
ロキに身の覚えのない罪をなすりつけて投獄してしまう。
国民たちもその罪を信じ勇者を迫害した。
そして、処刑場される間際、勇者は驚きの発言をするのだった。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
処刑された王女、時間を巻き戻して復讐を誓う
yukataka
ファンタジー
断頭台で首を刎ねられた王女セリーヌは、女神の加護により処刑の一年前へと時間を巻き戻された。信じていた者たちに裏切られ、民衆に石を投げられた記憶を胸に、彼女は証拠を集め、法を武器に、陰謀の網を逆手に取る。復讐か、赦しか——その選択が、リオネール王国の未来を決める。
これは、王弟の陰謀で処刑された王女が、一年前へと時間を巻き戻され、証拠と同盟と知略で玉座と尊厳を奪還する復讐と再生の物語です。彼女は二度と誰も失わないために、正義を手続きとして示し、赦すか裁くかの決断を自らの手で下します。舞台は剣と魔法の王国リオネール。法と証拠、裁判と契約が逆転の核となり、感情と理性の葛藤を経て、王女は新たな国の夜明けへと歩を進めます。
二度目の勇者は救わない
銀猫
ファンタジー
異世界に呼び出された勇者星谷瞬は死闘の果てに世界を救い、召喚した王国に裏切られ殺された。
しかし、殺されたはずの殺されたはずの星谷瞬は、何故か元の世界の自室で目が覚める。
それから一年。人を信じられなくなり、クラスから浮いていた瞬はクラスメイトごと異世界に飛ばされる。飛ばされた先は、かつて瞬が救った200年後の世界だった。
復讐相手もいない世界で思わぬ二度目を得た瞬は、この世界で何を見て何を成すのか?
昔なろうで投稿していたものになります。
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑 ネトロア
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
- - - - - - - - - - - - -
ただいま後日談の加筆を計画中です。
2025/06/22
俺の伯爵家大掃除
satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。
弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると…
というお話です。
勇者パーティーを追放されました。国から莫大な契約違反金を請求されると思いますが、払えますよね?
猿喰 森繁
ファンタジー
「パーティーを抜けてほしい」
「え?なんて?」
私がパーティーメンバーにいることが国の条件のはず。
彼らは、そんなことも忘れてしまったようだ。
私が聖女であることが、どれほど重要なことか。
聖女という存在が、どれほど多くの国にとって貴重なものか。
―まぁ、賠償金を支払う羽目になっても、私には関係ないんだけど…。
前の話はテンポが悪かったので、全文書き直しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる