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25.和解、そして「どちらさまで!?」
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風化する灰色の山を背に、アスターはあぐらをかいて訊ねる。
「なんであの時、俺を庇ったんだ? ホラ、お前が怪我した時だよ」
「……ああ、うん」
クロエは生返事だった。巨竜の死体に目が行っていて、反応が少し遅れたのだ。
「俺を殺すのに自分の手を汚したくなかったんなら、あのデカブツに任せりゃ一発だったのに……なんでまだ生かしてるんだ?」
返答に困る質問を投げかけられ、クロエは眉をひそめる。
「アスターってさ、死にたがりなの?」
「そんなワケねーだろ! 生きたいよ! もっと生きていたいよ! けどな、こんな世界に来ちまった以上、そんなの贅沢でしかねーんだ。ロクに戦いもできない俺みたいな奴はな、助けてくれる人がいたら別だったかもしんねーけど、いないんなら諦めなきゃいけねーんだよ。
実際、人間はこんな俺一人。お前らがその気になれば、いつでも殺せる。すごく簡単なんだろ? だから、あえて先延ばししてきたんだろ?」
──クソッ、やっぱ言えねえ──
「俺はな、今日かもしれない、明日かもしれないって思いながら過ごしてた。そんな時にあんなデカい竜なんてのが現れたから、とうとう来たかって覚悟した。遺書は書いてねーけどな。けど、死ぬのが怖くないって奴はそうそういないだろ。俺も……だから結局は、逃げるか突っ立ってるぐらいしかできなかった」
クロエは二度頷いた。
「それで良かったと思うよ。アスターが変に行動起こしてそれで死んじゃったら、こっちが後味悪かったかも」
「……なんだ、俺を殺すのはやっぱりお前らか」
アスターが竜に踏み殺されて、それは自分の役目だと文句を言うクロエの姿が、アスターの頭上に浮かんだ。
──出てくるのは、こんなことばっかりだ──
クロエが首を横に振ると、怒りが込み上がってきた。
「だったら! 俺はいつまで苦しまなきゃなんないんだ!? あれだけチャンスはあったのに、なんで逆に俺を助けたりするんだよ!? ……もういい。誰でも構わないから、さっさと殺してくれよ、今すぐ!!」
クロエはしゃがんで、アスターの左頬をパシッと叩く。
その痛みは、胸にまで届いたかのような感じがした。
「そっちこそ、頭冷やしてみたら?」
わざと背を向けて立った少女を、アスターは睨む。
──言っちまった──
匿ってくれたこと、食糧の調達、アスターのために地下牢を改装、その材料集めにつき合わされたこと。全てがクロエたちの作戦だと思っていた。
しかしどの段階でも、死とは無縁の道を用意され、その上を歩いてこれた。
魔族は人間を平気で殺すもの。数千年にわたり続いてきたことだった。勇者として活躍した兄・アズールとは違う。だからこの世界で何度救われようと、死を恐れることを忘れはしなかった。
一つの戦いが終わった今だからこそ、アスターは恐怖していた。
本当は望んでなんかいないのに。姿だけは人間と違わぬ化け物がそこにいるから。下手に命乞いなどしても、行き着く先は同じだろうから。
だから彼は、自ら命を差し出そうとしていた。
クロエは、汗ばむ頬に貼りついた髪を後ろにやる。もちろん、アスターを手にかけるつもりは毛頭なかった。彼の歪んだ心を、どうにかしたかった。
「自分の願望と真逆のことを言うのはやめなよ。そんなことしたって、私たちは動かないよ」
やや下を向くクロエ。言葉はアスターに向けているのだが、地面と会話をしているように見える。
「ここは魔界だろ? ましてや元の世界には戻れないんだぞ? 俺は冒険者とは違って、ロクに戦うことなんてできやしねえ。普通ならとっくに御陀仏なんだろうな。なのに……なんで俺は生きてるんだよ……?」
「偶然か、運命じみた誰かのイタズラか、それは誰にもわからない。けど……もしも、来てしまったのがココとは違う世界だったらって、考えたことある?」
アスターはぶっきらぼうに否定した。
「たまたまこの世界で、この時代で、私たちがいて、それも昔とは違う考えを持ってて。いくつもの条件が重なった結果なのよね」
クロエが言った中で一つでも欠けていたら、アスターという存在は既に消滅していただろう。
「違う考え……」
「そう。でなきゃ、アスターみたいな平凡な人間なんて、本当、とっくにあの世に行ってるわね」
「…………」
違いない、と心の中で同意するアスター。彼もまた俯いたままでいる。
「なんか……スゲーな。偶然にしてはできすぎてる。特に、お前らの心変わりがな。昔は人をバンバン殺してた奴が、今度はあんな風に迎え入れてくれて……俺でなくても驚くわな」
「私も、なんでなのかよくわかんない。けど、アスターを一目見て、助けてあげたくなっちゃったんだ。……あー」
クロエは一旦空を仰いでから、続けて言った。
「うん、アレはね、やっぱりアスターだったから……なのかもしれない」
「俺だから?」
クロエは体の向きを変え、しかしアスターとはまだ向かい合わせにはならない。
「ちょっと考えてた時期があったの。人間界への門が消えたと聞いてから、ずっと退屈だったんだけどね。もしこの先、人間がこの世界に来ることがあったら、殺し合いに待ったをかけてもいいかなって。皆やる気なくしてるし、私だけ張り切ってもしょうがないって……そう思った時点で、私にもうつっちゃったのかも」
口元を緩めるも、少女は落ち着いていた。
「マゼンタから聞いたんだけど、人間って、『仲間』とか『友達』ってのと一緒になって、この世界に乗り込んできてたんだってね」
「そういうのがいた方が、心強いからな」
しかし、クロエはその単語の意味がよくわかっていなかったらしい。アスターは驚きながらも説明した。
同じ目的を持った者たちが集まり、助け合い、時には衝突もあるけれど、数々の苦難を一緒に乗り越え、目的を達成したら喜び合う。それが仲間。
遊んだり、くだらない話をしたり、とにかく一緒にいて楽しいと思える。何でも相談できる。喧嘩をしてもすぐに仲直りできる。その人と何かをしている時、この関係を壊したくないと思えるようになる。それが友達。
「うまく言えないけど、まぁ、こんなところか」
「そっか。本に書いてあったのと大体同じだ」
「……俺を試したのかよ」
アスターはモリ君のことを思い出し、彼は違うのかと訊ねたところ、曖昧な答えしか返ってこなかった。
確かに仲は良いかもしれない。けれど何かが違う。モリ君はコウモリで、巨大化はできるが人間の姿に変身することはできない。じゃれ合っていても違和感を感じることがあるのは、そのせいかもしれない。クロエは顎に手をやって、そう考えた。
「やっぱりね、姿形が似ている人間じゃないと、面白くないかな。かといって、誰でもいいってワケじゃないよ。選ぶ権利くらいは欲しいからね。そんな時に、人間が来たって聞いて……」
アスターは、モリ君の誘いで魔王城に足跡をつけたことを思い出した。
「来てくれたのがアスターでよかったよ。弱そうとか、そんなんじゃないよ。なんとなく、話しやすそうな気がしたの。私の周りには大人しかいなくて。マゼンタは色々教えてくれたり、相談にも乗ってくれたりしてるけど……所詮、王女とメイドっていう関係でしかないかなー」
マゼンタが密かに涙を流している。
「私は『友』ではないのですね。ううっ……」
「だから、ちゃんとした友達ってのが欲しくなったのよね、初めて会った時から」
「それで俺を城に住まわせたのか? 百歩譲って嘘じゃないとして……なんでまた、らしくもねーことを?
……なんか、思ってたのと違うな。魔界って聞いて、もっと怖い奴らがうじゃうじゃいるのかと思いきや、お前らみたいなのが出てくるし、こうして話も通じるし。人間じみた生活してるし、何より……人間と仲良くなりたがってるし。
怖くなくなったワケじゃねーけど、なんか……変な感じだ、いい意味でな。なんで、俺なんかにここまでしてくれるんだよ?」
「人間と魔族はずっと敵同士だったもんね。そりゃ変だと思って当然だよ。私も、こんなこと考える自分を不思議に思うことがあったよ。けどね──」
クロエはようやくアスターの方を向き、右手を差し伸べて言った。
「たまには、こんな時代があってもいいんじゃないかな……って」
「…………」
アスターは気恥ずかしくて、目を合わせられなかった。
少し離れた所で、マゼンタが二人を見守っていた。あえて口を挟むことはなく、会話が終わるまで静かに待っているつもりだった。
三分は経過しただろうか。アスターは重い腰を上げ、
「悪かったよ、今まで散々言ってきて。……怖かったんだ、裏切られるのが。例え誰であってもな。魔族でも人間でも、本当は関係ないんだ。最初に助けてもらった時から言うべきだったんだ。けど、どうしても『壁』ってのができちまって……お前らを貶すことしかできなかった。
俺も、出会えたのがお前らでよかったよ。俺のことをちゃんと見てくれて、何度も助けてくれて、美味いもの食わせてくれて。えっと……だから……」
──ええい、早く言わねーか、俺──!
クロエは待ってくれている。今なら信じられる。クロエたちはアスターの敵などでは断じてないことを。
思っていることを口に出していいはず。だがアスターは赤面し、滝のような汗を流し、相手を焦らしている。
「まずは…………ごめん」
懸命に絞り出した一言に、クロエは、気にしなくていいよという意味で首を振った。
これまでの非礼を詫びた彼には、もうひとつだけ言わねばならない言葉があった。何度も言うべき場面はあったが、断固として拒否してきた。
──よし、あともうひとつ──
「それと……」
簡単な言葉だった。両親、学校の先生、友人に、何気なく言っていた。人間の言葉の中で、最も素晴らしいであろう、あの一言。
アスターは、死ぬことしか考えられなかったこの世界で、生きて経験したことを、静止画として脳裏に浮かばせる。それらはやはり、クロエたちがいるからこそできた、貴重な経験。
「…………」
アスターの両手は、汗で湿っていた。それだけに留まらず、目頭までも熱くなってきた。
女子の前で涙を見せるのは恥ずかしいことだと、彼は思っている。だからそれがうっかり流れ出ないように、早く言わねばならなかった。実行するには、先程以上に勇気を出すしかなかった。
「…………ありがとう」
──言えた──
クロエは言葉が届いたしるしに、「うん」と頷いた。
アスターが最初にクロエに言いたかったのは、非難でも中傷でもない。お礼の言葉だった。彼が魔界に来てから、実に一週間越しの、何よりも言うべきだったこの言葉。
のしかかっていた肩の荷が、ようやく下りた。
「帰ろうか」
「そうだな、竜の野郎はやっつけたし」
魔王城の正面玄関。そこから見て右側の壁は、竜が復活した際に崩された。そこを修繕することが、三人の次の課題だった。
「かなりやられましたから、時間はそれなりにかかるかと……」
キイッという金属音。扉は外からではなく、中から開けられた。
アスターが会ったことのない三人が、ゾロゾロと現れた。
「いったい何の騒ぎだ?」
一人目は、眼鏡をかけた赤髪の青年。黒い燕尾服を着ている。
「あらあら、何かあったの?」
二人目は、クロエよりは薄い緑色の髪の(見た目は)妙齢の女性。
「まったく、人が気持ちよく寝ている時に。む、よく見たら貴様、人間ではないか」
三人目は、灰色の髪を持つ黒ずくめの男性。
新たな魔族の登場に、アスターは石化してしまった。
彼らも人間を見るのは五年ぶり。どうしてくれようかと、ちょっとした会議が始まるも、マゼンタがそれを強制的に打ち切らせてくれた。
「はーいはいはい、この方は大切なお客人ですから、手出し無用ですよー」
アスターが名も知らぬ三人が、なんだなんだと口を揃えるも、城内への道は開けてくれた。
「アスターさん、もう大丈夫ですよ」
「ねー、アスターってば」
クロエが何度か小突いても、彼はなかなか戻らない。
──神様、ほんのわずかでも、この世界で平穏を望んではいけませんか──?
「なんであの時、俺を庇ったんだ? ホラ、お前が怪我した時だよ」
「……ああ、うん」
クロエは生返事だった。巨竜の死体に目が行っていて、反応が少し遅れたのだ。
「俺を殺すのに自分の手を汚したくなかったんなら、あのデカブツに任せりゃ一発だったのに……なんでまだ生かしてるんだ?」
返答に困る質問を投げかけられ、クロエは眉をひそめる。
「アスターってさ、死にたがりなの?」
「そんなワケねーだろ! 生きたいよ! もっと生きていたいよ! けどな、こんな世界に来ちまった以上、そんなの贅沢でしかねーんだ。ロクに戦いもできない俺みたいな奴はな、助けてくれる人がいたら別だったかもしんねーけど、いないんなら諦めなきゃいけねーんだよ。
実際、人間はこんな俺一人。お前らがその気になれば、いつでも殺せる。すごく簡単なんだろ? だから、あえて先延ばししてきたんだろ?」
──クソッ、やっぱ言えねえ──
「俺はな、今日かもしれない、明日かもしれないって思いながら過ごしてた。そんな時にあんなデカい竜なんてのが現れたから、とうとう来たかって覚悟した。遺書は書いてねーけどな。けど、死ぬのが怖くないって奴はそうそういないだろ。俺も……だから結局は、逃げるか突っ立ってるぐらいしかできなかった」
クロエは二度頷いた。
「それで良かったと思うよ。アスターが変に行動起こしてそれで死んじゃったら、こっちが後味悪かったかも」
「……なんだ、俺を殺すのはやっぱりお前らか」
アスターが竜に踏み殺されて、それは自分の役目だと文句を言うクロエの姿が、アスターの頭上に浮かんだ。
──出てくるのは、こんなことばっかりだ──
クロエが首を横に振ると、怒りが込み上がってきた。
「だったら! 俺はいつまで苦しまなきゃなんないんだ!? あれだけチャンスはあったのに、なんで逆に俺を助けたりするんだよ!? ……もういい。誰でも構わないから、さっさと殺してくれよ、今すぐ!!」
クロエはしゃがんで、アスターの左頬をパシッと叩く。
その痛みは、胸にまで届いたかのような感じがした。
「そっちこそ、頭冷やしてみたら?」
わざと背を向けて立った少女を、アスターは睨む。
──言っちまった──
匿ってくれたこと、食糧の調達、アスターのために地下牢を改装、その材料集めにつき合わされたこと。全てがクロエたちの作戦だと思っていた。
しかしどの段階でも、死とは無縁の道を用意され、その上を歩いてこれた。
魔族は人間を平気で殺すもの。数千年にわたり続いてきたことだった。勇者として活躍した兄・アズールとは違う。だからこの世界で何度救われようと、死を恐れることを忘れはしなかった。
一つの戦いが終わった今だからこそ、アスターは恐怖していた。
本当は望んでなんかいないのに。姿だけは人間と違わぬ化け物がそこにいるから。下手に命乞いなどしても、行き着く先は同じだろうから。
だから彼は、自ら命を差し出そうとしていた。
クロエは、汗ばむ頬に貼りついた髪を後ろにやる。もちろん、アスターを手にかけるつもりは毛頭なかった。彼の歪んだ心を、どうにかしたかった。
「自分の願望と真逆のことを言うのはやめなよ。そんなことしたって、私たちは動かないよ」
やや下を向くクロエ。言葉はアスターに向けているのだが、地面と会話をしているように見える。
「ここは魔界だろ? ましてや元の世界には戻れないんだぞ? 俺は冒険者とは違って、ロクに戦うことなんてできやしねえ。普通ならとっくに御陀仏なんだろうな。なのに……なんで俺は生きてるんだよ……?」
「偶然か、運命じみた誰かのイタズラか、それは誰にもわからない。けど……もしも、来てしまったのがココとは違う世界だったらって、考えたことある?」
アスターはぶっきらぼうに否定した。
「たまたまこの世界で、この時代で、私たちがいて、それも昔とは違う考えを持ってて。いくつもの条件が重なった結果なのよね」
クロエが言った中で一つでも欠けていたら、アスターという存在は既に消滅していただろう。
「違う考え……」
「そう。でなきゃ、アスターみたいな平凡な人間なんて、本当、とっくにあの世に行ってるわね」
「…………」
違いない、と心の中で同意するアスター。彼もまた俯いたままでいる。
「なんか……スゲーな。偶然にしてはできすぎてる。特に、お前らの心変わりがな。昔は人をバンバン殺してた奴が、今度はあんな風に迎え入れてくれて……俺でなくても驚くわな」
「私も、なんでなのかよくわかんない。けど、アスターを一目見て、助けてあげたくなっちゃったんだ。……あー」
クロエは一旦空を仰いでから、続けて言った。
「うん、アレはね、やっぱりアスターだったから……なのかもしれない」
「俺だから?」
クロエは体の向きを変え、しかしアスターとはまだ向かい合わせにはならない。
「ちょっと考えてた時期があったの。人間界への門が消えたと聞いてから、ずっと退屈だったんだけどね。もしこの先、人間がこの世界に来ることがあったら、殺し合いに待ったをかけてもいいかなって。皆やる気なくしてるし、私だけ張り切ってもしょうがないって……そう思った時点で、私にもうつっちゃったのかも」
口元を緩めるも、少女は落ち着いていた。
「マゼンタから聞いたんだけど、人間って、『仲間』とか『友達』ってのと一緒になって、この世界に乗り込んできてたんだってね」
「そういうのがいた方が、心強いからな」
しかし、クロエはその単語の意味がよくわかっていなかったらしい。アスターは驚きながらも説明した。
同じ目的を持った者たちが集まり、助け合い、時には衝突もあるけれど、数々の苦難を一緒に乗り越え、目的を達成したら喜び合う。それが仲間。
遊んだり、くだらない話をしたり、とにかく一緒にいて楽しいと思える。何でも相談できる。喧嘩をしてもすぐに仲直りできる。その人と何かをしている時、この関係を壊したくないと思えるようになる。それが友達。
「うまく言えないけど、まぁ、こんなところか」
「そっか。本に書いてあったのと大体同じだ」
「……俺を試したのかよ」
アスターはモリ君のことを思い出し、彼は違うのかと訊ねたところ、曖昧な答えしか返ってこなかった。
確かに仲は良いかもしれない。けれど何かが違う。モリ君はコウモリで、巨大化はできるが人間の姿に変身することはできない。じゃれ合っていても違和感を感じることがあるのは、そのせいかもしれない。クロエは顎に手をやって、そう考えた。
「やっぱりね、姿形が似ている人間じゃないと、面白くないかな。かといって、誰でもいいってワケじゃないよ。選ぶ権利くらいは欲しいからね。そんな時に、人間が来たって聞いて……」
アスターは、モリ君の誘いで魔王城に足跡をつけたことを思い出した。
「来てくれたのがアスターでよかったよ。弱そうとか、そんなんじゃないよ。なんとなく、話しやすそうな気がしたの。私の周りには大人しかいなくて。マゼンタは色々教えてくれたり、相談にも乗ってくれたりしてるけど……所詮、王女とメイドっていう関係でしかないかなー」
マゼンタが密かに涙を流している。
「私は『友』ではないのですね。ううっ……」
「だから、ちゃんとした友達ってのが欲しくなったのよね、初めて会った時から」
「それで俺を城に住まわせたのか? 百歩譲って嘘じゃないとして……なんでまた、らしくもねーことを?
……なんか、思ってたのと違うな。魔界って聞いて、もっと怖い奴らがうじゃうじゃいるのかと思いきや、お前らみたいなのが出てくるし、こうして話も通じるし。人間じみた生活してるし、何より……人間と仲良くなりたがってるし。
怖くなくなったワケじゃねーけど、なんか……変な感じだ、いい意味でな。なんで、俺なんかにここまでしてくれるんだよ?」
「人間と魔族はずっと敵同士だったもんね。そりゃ変だと思って当然だよ。私も、こんなこと考える自分を不思議に思うことがあったよ。けどね──」
クロエはようやくアスターの方を向き、右手を差し伸べて言った。
「たまには、こんな時代があってもいいんじゃないかな……って」
「…………」
アスターは気恥ずかしくて、目を合わせられなかった。
少し離れた所で、マゼンタが二人を見守っていた。あえて口を挟むことはなく、会話が終わるまで静かに待っているつもりだった。
三分は経過しただろうか。アスターは重い腰を上げ、
「悪かったよ、今まで散々言ってきて。……怖かったんだ、裏切られるのが。例え誰であってもな。魔族でも人間でも、本当は関係ないんだ。最初に助けてもらった時から言うべきだったんだ。けど、どうしても『壁』ってのができちまって……お前らを貶すことしかできなかった。
俺も、出会えたのがお前らでよかったよ。俺のことをちゃんと見てくれて、何度も助けてくれて、美味いもの食わせてくれて。えっと……だから……」
──ええい、早く言わねーか、俺──!
クロエは待ってくれている。今なら信じられる。クロエたちはアスターの敵などでは断じてないことを。
思っていることを口に出していいはず。だがアスターは赤面し、滝のような汗を流し、相手を焦らしている。
「まずは…………ごめん」
懸命に絞り出した一言に、クロエは、気にしなくていいよという意味で首を振った。
これまでの非礼を詫びた彼には、もうひとつだけ言わねばならない言葉があった。何度も言うべき場面はあったが、断固として拒否してきた。
──よし、あともうひとつ──
「それと……」
簡単な言葉だった。両親、学校の先生、友人に、何気なく言っていた。人間の言葉の中で、最も素晴らしいであろう、あの一言。
アスターは、死ぬことしか考えられなかったこの世界で、生きて経験したことを、静止画として脳裏に浮かばせる。それらはやはり、クロエたちがいるからこそできた、貴重な経験。
「…………」
アスターの両手は、汗で湿っていた。それだけに留まらず、目頭までも熱くなってきた。
女子の前で涙を見せるのは恥ずかしいことだと、彼は思っている。だからそれがうっかり流れ出ないように、早く言わねばならなかった。実行するには、先程以上に勇気を出すしかなかった。
「…………ありがとう」
──言えた──
クロエは言葉が届いたしるしに、「うん」と頷いた。
アスターが最初にクロエに言いたかったのは、非難でも中傷でもない。お礼の言葉だった。彼が魔界に来てから、実に一週間越しの、何よりも言うべきだったこの言葉。
のしかかっていた肩の荷が、ようやく下りた。
「帰ろうか」
「そうだな、竜の野郎はやっつけたし」
魔王城の正面玄関。そこから見て右側の壁は、竜が復活した際に崩された。そこを修繕することが、三人の次の課題だった。
「かなりやられましたから、時間はそれなりにかかるかと……」
キイッという金属音。扉は外からではなく、中から開けられた。
アスターが会ったことのない三人が、ゾロゾロと現れた。
「いったい何の騒ぎだ?」
一人目は、眼鏡をかけた赤髪の青年。黒い燕尾服を着ている。
「あらあら、何かあったの?」
二人目は、クロエよりは薄い緑色の髪の(見た目は)妙齢の女性。
「まったく、人が気持ちよく寝ている時に。む、よく見たら貴様、人間ではないか」
三人目は、灰色の髪を持つ黒ずくめの男性。
新たな魔族の登場に、アスターは石化してしまった。
彼らも人間を見るのは五年ぶり。どうしてくれようかと、ちょっとした会議が始まるも、マゼンタがそれを強制的に打ち切らせてくれた。
「はーいはいはい、この方は大切なお客人ですから、手出し無用ですよー」
アスターが名も知らぬ三人が、なんだなんだと口を揃えるも、城内への道は開けてくれた。
「アスターさん、もう大丈夫ですよ」
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クロエが何度か小突いても、彼はなかなか戻らない。
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