俺の思っていた魔界と違う

霜月りの

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1.兄貴は勇者で俺は凡人で

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 人間世界の征服を企てた魔王が、無数の手下を放ち、多くの人々を恐怖の底に落としいれた。
 しかし、悪あるところに正義あり。一人の勇者が立ち上がり、仲間と共に邪悪の棲む世界──魔界へと乗り込み、激闘の末、親玉である魔王を討伐することに成功した。それにより、混沌としていた人間世界に平和が訪れた。

 どこの世界においても、必ずと言って良いほど誰かが作っていそうな物語。だが、少年・アスターの住む世界では、それが作り話のみに留まらず、現実にあったのだ。
 作り話の結末の、その後の様子というのは、想像に任せるしかない。何百年、何千年と穏やかだったかもしれないし、そうではなかったかもしれない。

 アスターの世界で、魔族と呼ばれる異業種による最初の侵攻があったのは、もう三千年以上前。そのような大昔にも、勇者は存在した。その者が取り戻した平和は、しかし長続きしなかった。数十年後に再び魔族が人間界に乗り込み、破壊活動を開始。人の手が施されていない自然から、長い年月をかけて築き上げてきた街並みまでを、数え切れないほどの化け物が無に帰してしまった。

 そこへ現れたのが、新世代の勇者。圧倒的な力をもって、悪を成敗した。それでも、人間と魔族の関係に終止符を打ったわけではなく、また新たな脅威が数十年後にやって来て──
 何度も何度も、同じような事を繰り返して、現在にまで至る。
 ちなみに現在は──平和である。

 アスター少年が十代前半だった頃、彼の周囲はまだ穏やかさが保たれていた。世界全体を見渡せば、どこかで何かが動いている。誰かが泣いている。魔族に震える人々が大勢いる。そのような状況さえも、つい他人事と思ってしまいそうな日常が、そこにあった。

 この世界で二番目に大きな大陸の南東にある、木々に囲まれた小さな村。面積のおよそ半分を占める畑、ベージュ色の壁と赤みがかったオレンジ色の屋根の家、奥にある最も大きな建物は学校。人々は農作業で生計を立てており、アスターの家も多数に漏れなかった。

 朝、どこかのニワトリの声で起床し、母親の用意した食事をとり、学校にも行かせてもらっている。同年代の子供たちと学び、遊び、夕刻には家に帰る。シャワーを浴び、家族と夕食をとり、あたたかい空間でくつろぎ、一日の終わりをゆっくりと感じつつベッドに入る。この繰り返しで、月日を消化していった。

 ただ──
 せっかく両親がいるというのに、アスターは時々、孤独を感じることがあった。

 彼には四歳上の、アズールという名の兄がいた。たった一人の兄弟で、幼少期にはよく遊び相手にもなってくれた。最後に言葉を交わしたのは、アスターが十一歳の時だった。

 家の玄関先でのこと。地味ではない、しかし派手すぎでもない装飾が施された、銀色鎧を纏ったアズールの近くには、仲間と思われる者が三人。うち、動きづらそうな頑丈な鋼鉄製の鎧に身を包んだ茶色系の髪の男性の戦士が二人。もう一人は、丈が足首まである白っぽいローブを着た、藤色の髪の魔法使いらしき風貌の女性である。
    三人は静かに、兄弟のやり取りを見ていた。

「必ず帰ってくるから、いい子にしてるんだぞ。父さんと母さんをよろしくな」

 兄はそう言って、弟の頭を撫でた。
 今度はどこへ行くのかたずねても、この時は具体的に教えてくれなかった。いつもならもう少し何か話してくれるのに。ただ、これまでより長い旅になる、という曖昧な返答しか得られなかった。

「うん……」

 アスターは不満そうな表情で頷き、兄とその仲間たちの姿を目に焼き付き始めた。

 平穏なのは、あくまでも村の中にいればの話。外に出れば、世界はモンスターにいつ襲われてもおかしくない危険地帯と化す。人々の安全な暮らしを守るため、モンスターを退治しながら各地を旅する、冒険者──それが兄の肩書きだった。

 勇敢なアスターの兄は、村の周辺だけでは物足りなくなり、もう少し足を伸ばしてみようという気持ちで、遠くへ、さらに遠くへと足を運んだ。多くの経験を積み、辿り着いた目標が、全ての元凶を断つことだった。

 自分たちは知らないけれど、いつかはそうであったのだろう、世界そのものが本当に平和だった時代。それを取り戻すには、誰かが動き出さなければならない──にしても、どうして自分の兄なのか。問いたかった。けれど言葉が出なかった。戦うことにひいで、いつしか『勇者』と呼ばれるようになっていた、兄の大きな手の平が頭の上に置かれると、つい安心してしまい、その隙に負の感情が逃げていったからだ。

「あ……」

 兄が数歩離れて、ようやく声が出た。強がりの時間が終了した弟の気持ちを察したのか、兄は振り向いてくれた。

「どうした?」
「ううん、何でもない。気をつけてね」
「……他に何か言いたいことがあるのなら、今のうちだぞ」

 表情は嘘をつかない。質問はいくつもあるというのに、肝心な時に声が詰まってしまうアスター。

「だって……だって兄ちゃん……」

 アスターは両手の拳をギュッと握りしめる。言葉と同時に涙腺が緩み始めた。

「何も言わねーんだもん! なんで今日は何も教えてくれないんだよ! 時々怖い顔もしてるし! さっきも、仲間の人たちと何話してたの?」
「何って……これからのことだよ。俺たちには大事な使命があるんだ。ある場所で、それを成し遂げなければならない。それも一ヶ月二ヶ月の話じゃないんだ。目的を果たすのにどれくらいかかるかは、正直俺もわからない。生きて帰って来れるかすらもな。お前に心配をかけさせたくないから、あまり言わないでおいたんだ」

 ──そうじゃない。そうじゃないんだ。その『使命』の話をしていた時の皆は、今にも死んでしまいそうな顔をしていた。どれだけ深刻な話なのだろう? 何を計画していたのだろうか。俺は『使命の中身』を、知りたいんだ──

 兄はチラリと仲間たちを見た。正直に話をしていいものか、目だけで問うた。

 ──やめておいた方がいいんじゃない──?

 ──言ったら全力で引き止められるかもしれないぜ──

 返ってきたのは、反対を意味する素振そぶりだった。

「ゴメ……」
「そうだ!」

  兄の口から出かけた謝罪の言葉を、アスターの声変わり前の高い声が打ち消した。

「ん? な、なんだ?」

 これには皆が驚いた。

「俺も行く! そうすればいつでも兄ちゃんと一緒にいられるじゃん。ね、俺も連れてってよ!」

 突拍子のない提案に、外の者たちは同時に目を丸くした。

「いや、ダメダメ、絶対ダメだ。いいかアスター、俺たちはな、お前が思っているよりずっと危険な所に行って、お前が思っているよりずっとずっと辛い戦いをするんだ。死人が出でもおかしくない。そんな中に、お前のような何もわからない子供を連れて行くわけにはいかないんだ。だいたい、お前魔物と戦ったことないだろ?」

 ──死……? この中から? 誰かが……? 確定……はしていない。が、可能性がある、と──?

「……ゴメンな。アスターにはここで静かに暮らしてもらいたいから、このミッションはここにいる冒険者同士の秘密にしなければならないんだ。俺は冒険者……というより『勇者』としての仕事をしに、遠い所に行く。さっきは生きて帰れるかわからないと言ったけど、必ずこの村に、この家に帰ってくる。約束するよ」

 兄は弟の目を見て、ここまで言ってくれた。
 アスターは、答えこそ得られなくて、心の底に引っかかっているものが取れなかったものの、兄の言葉を信じて待つことに決めた。これまで何度も帰ってきたのだから。

「……わかったよ。兄ちゃんはただの冒険者じゃなくて、勇者なんだもんね。他の人にはできないことができるんだもんね!」
「ハハハ……。まあな。そういうことだ」
「だったらしょうがないや。気をつけてね。みんなも……ちゃんと帰ってきてね!」
「ああ。それじゃあ俺はそろそろ行くよ。じゃあな」

 小さく手を振り、青いマントを翻し、アズールは仲間と一緒に行き先不明の旅に出た。

 およそ一年が過ぎ──
 アスターはこれまで通りの普通の生活を、彼なりに楽しんでいた。

 学校では、本人曰く真面目に勉学に励んでいる。数人の友達と戦いごっこをして、はずみで転倒し、足を痛めた時、近くにいた同年代の女子が回復魔法をかけてくれた。その様子を見ていた別の男子が何か言いたげな態度をとると、血を見るのが苦手だから、見ずに済むよう速やかに対処しただけなので、くれぐれも勘違いしないでと、やや強めの口調で言い放ち、去って行った。
 アスターたちは再び、剣に見立てた木の棒を打ち合った。

 才能に恵まれていた兄は、結果的に『家族をよく心配させる人』になってしまったが、凡人オーラ全開のアスターは、やんちゃな一面もあるとはいえ、両親のもとにいてくれていたため、両親からの愛情を独占していた。
    年頃の少年らしく、冒険への憧れというものは常に彼の心の中にあった。しかし、自分まで家を出てしまったら、両親は、家は、畑は──

 ──きっと大丈夫! なんだかんだでこの村は、その営みを崩された過去など持ってはいない。親だって、まだ子供に心配されるような年齢には達していない。余計なお世話だと一蹴されるかもしれない。考えすぎだろう──

 親への気遣いらしき思いは、あっさり吹き飛んだ。
 では、肝心の自分自身はどうか。

    アスターは、冒険者たちからしてみれば、その立ち位置はいわゆる『村人A』に過ぎない。倉庫に眠っている予備の剣を持って行ったとしても、戦うための訓練など受けたことがないので、場合によっては村外をうろつくモンスターにコテンパンにやられてしまうかもしれない。そんな情けない展開は、想像は容易だが望むわけがない。

 何か特別な事情があるならまだしも、兄を見送ってから季節が一巡りした今でも、村の平和を掻き乱す要因は現れていない。アスター自身も、何かに目覚めたなどということはない。彼の知らない所で、親切な誰かがモンスターを一定の領域から退けてくれているらしく、その報告が時折入る。村の者がわざわざ危険を冒す必要は、ないのだ。

 ある日のこと。降っていた雨が完全にやみ、どこかで葉っぱの上にしがみついていた雨粒が、重力に負けて地面に落ちた頃、吉報が入った。
 国王の使いで馬を走らせやってきた甲冑姿の壮年の兵士は、嬉々として声を上げた。
 勇者が魔王を倒した──と。
 茶色い毛並みの馬から降りた兵士の周りを、人々が囲む。その中に、アスターの姿もあった。

「誰が倒したんだい?」
「どうやってやっつけたんだ?」
「若い人かい?」

 質問が飛び交っている間に、アスターが先頭の並びに進み出た。

「まあまあ皆さん、落ち着いて。今からお話し致しますね」

 兵士は、ざわめきがんでから話を始めた。
 魔王を倒したのは、この村の出身である、今や世界の勇者といってもいい冒険者・アズール。魔界と呼ばれる、こことは別の世界が存在し、そこへと繋がる『門』を発見、進撃し、仲間と共に悪の王を討った。証拠に持ち帰った魔王の角は、この国の王が保管しているそうだ。
 数人の「おおーっ!」という歓喜の声が重なる中、話を聞いたアスターは、気分が最骨頂に達した。

「やったー! 兄ちゃんバンザーイ! 勇者バンザーイ! 俺の兄ちゃんは世界一だ、 ヒャッホー!!」

    全身を使って喜び、人集ひとだかりの後方にいる両親にこの事実を伝えようと、踵を返す。父母と顔を合わせるのに、三秒もあれば充分だった。

「いやー、こりゃめでたいな」
「凄いじゃないか、アンタらンとこの息子さん」
「これでみんな安心して暮らせるんだねぇ。よかったよ本当に」
「おう、アスター。お兄さん凄い人だったんだなぁ。魔王といったら、千年以上前から人間の世界にちょっかい出してたっていうからな。大きな町なんか特に狙われやすかったらしいから、そういう意味ではここが辺鄙へんぴな村でよかったのかもな。まぁ、これからはどこに行くにも安心だろ」
「奥さん、アズールが帰ってきたら、うんとご馳走つくんなきゃね!」

 村人たちからの祝福の声に、勇者アズールの家族は、

「や、本当たいした奴で。な?」
「ええ。ああ、でもまさかウチのアズールが……なんだかまだ実感が湧かないというか……どうしましょ、こんなこんな大切なお話なら、ちゃんとお化粧してくるんだったわ」
「そんなモン、関係ないだろうが」
「なによ」

 話が脱線しそうなとところを、

「まあまあまあ、奥さん落ち着いて。こんなめでたい席で……あ、席はないか。まぁいいや、ハハハッ」

 そばにいた者がたしなめた。

「ねえ、それで、兄ちゃんはいつ帰ってくるの?」

 アスターの、それはとても重要な質問だった。
 兄・アズールは、勇者としてやるべきことはやった。諸悪の根源が世を去った今、彼は帰るべき場所へと歩を進めているはずだ。そうしたら、村人全員で派手に出迎えてやろうではないか。
 ところが、兵士からの返答はこうだった。

「ああ、それがね……。あれからまた旅に出ちゃったんだ。魔王本人がいなくなっても、その部下とか……残党がね、まだこっちの世界にいるかもしれないから、そういうのを1匹残らずやっつけ終わったら、故郷に帰るつもりだって言ってたな。だから……もうしばらくの辛抱だ。ごめんな」
「えー……」
「それ、本当なんですか?」

 アスターの母親が訊ねた。

「ええ。申し訳ありません奥さん。いやこっちとしても、もういいんじゃないかとは言ったんですけどね、本人の意志が固いモンで、止めるに止められなかったんですよ」
「そうですか……。仕方ないわねアスター、また3人で、お兄ちゃんのこと待ちましょう」

 兵士はペコリと一礼してから馬に跨り、別の地で同じ報告をすべく、村をあとにした。

「なんだよ、必ず帰るって言ってたのに……嘘つき。あーあ、つまんねーの」
「そんなこと言わないの。お母さんだって、早く帰ってきてほしいと思ってるわよ。残りの魔物なんて他の人に退治させればいいのにって……。けど、それも勇者のお仕事なのかしらね。あの子、正義感が強いから……」

 兄・アズールは、いつしかただの冒険者から、勇者へと昇格した。
そこから、彼の『冒険の仕方』というものが変化した。村の周辺から始まったのが、国境を越え、海を渡り、やがて異界にまで辿り着き、数百年あるいはそれ以上前から続いていた、人間と魔族の争いに、敵の総大将を討つことで終止符を打ってくれた。
    世界に平和が訪れたのだ。

 この日の夜、村の者たちは広場に集まって酒を飲み、女性陣が振る舞った料理を食べ、酔いに任せて踊り、功労者不在の宴として、村の歴史の1ページに刻まれた。
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