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第1話 夕希
⑥
しおりを挟む異性とこんな風に話すのも久しぶりだ。大学3年の時に郷里に帰って就職することが決まってる彼氏と別れた。それ以来かもしれない。勿論会えば、法律の話か、皮肉を言い合う上条は除く。こういう甘ったるい靄に包まれたような、互いの気持ちを探るような会話が、だ。
(こういう時って、どう答えればいいんだっけ…)
好意を軽く流してしまうのは勿体無い。夕希も気にはなっていた相手だ。けれど、がっつり食いついてしまうのもどうなんだろう。
相手の気持ちと自分の気持ち。見定める恋愛温度計が長年仕舞いこんでいたために劣化して、使い物にならなくなってる。
夕希は無言になってしまい、無機質なグレーの図書館の建物に沿う道をゆっくりと歩いた。ここは、少し傾斜がついていて、側溝の雨水が流れ落ちて行く。坂を降り切ったところで、右に行くと夕希のアパート、左に行くとさっきの話が本当ならば、淳弥の家だ。どちらも
わざわざ夕希のために迂回させるのは申し訳ない。
(ここまででいい、って言お…)
夕希が切り出しそうとした時だった。淳弥は意外なことを切り出した。
「夕希ちゃんさあ、毎朝8時頃この坂自転車で走ってるよね」
「え?」
淳弥の言う通りだった。パン屋のアルバイトに行くために、この坂を疾走してる。でも、どうして。
「俺も毎朝、8時ちょっと前に家出て、15分の電車に乗るんだ。だから、結構よく見かけるの。俺を凄い勢いで追い越してく君の自転車」
「そ、そうなんですか…」
は、恥ずかしい。しかも、全く気が付かなかった。朝はいつも起きるのがぎりぎりのため、自転車は爆走モード。ぶつかりそうな障害物以外には目を向けてる余裕もない。
「駅前のスーパーの深夜のレジの子だあ、って気がついたの1ヶ月くらい前かな? あんな夜遅くまで働いて、朝はまたこんな時間に出て行くんだね、タフだよね」
「いや、そんな…」
淳弥の話に、夕希はますます肩を縮こまらせた。うー、恥ずかしい…。
「俺、会社の移動でこの街に来て半年くらいになるんだけど。未だに同じアパートの人とも、ろくに顔あわさないし、他につながりもないし。だから、毎朝毎晩夕希ちゃん見ると、頑張ってるんだなあ…って、感心して。そんで、俺も頑張ろう、って勝手に思ってたんだ」
「……」
(私をそんな風に見ててくれた人がいるなんて…)
司法試験まではあと1年を切っていて。同級生はとっくに働いてるのに、未だに仕送りをしてくれてる地元の両親への気兼ね。寝る間も惜しんで勉強とバイトに明け暮れても、全て徒労に終わるのではないかという不安、プレッシャー
出口の見えない迷路を歩いていた夕希には、淳弥の言葉は自分のこれまでの頑張りが報われたように思えた。
「あ、ありがとうございますっ」
「え?」
夕希がぺこりと頭を下げると、今度は淳弥がきょとんとした顔になる。
「…ストーカーちっくでごめんな。うん、なんか勝手に見て、元気貰ってただけだから…
って、それがキモい? キモいよな。俺も、高校生かっ、って何度も思ったし」
「と、とんでもないです。なんか、びっくりしたのと、恥ずかしいので…どう反応していいかわかんなくって」
しどろもどろになりながら、夕希は両手を胸の前で振って否定する。
事実、悪い気はしていない。それは即ち、夕希自身が淳弥に好印象を持っていたからだろう。
「可愛いね、夕希ちゃん」
「いや、あの」
夕希のアパートが見えてきた。ほっとしたような、懐かしいような、夕希は相反する感情に襲われる。
「ありがとうございます」
アパートの外階段の下で、夕希は再び律儀に頭を下げた。
「…うん、またね」
「はい」
「身体、壊さないようにね」
「頑丈なんで」
ふふっと笑い合ってから、「じゃ」と淳弥は踵を返す。
雨の中また来た道を戻ってく淳弥の背中を見送って、夕希は家に入って、真っ暗の部屋の灯りをつけた。好きだなんて言われていない。付きあおうなんて誘いがあったわけでもない。
けれど、今ついたこのLEDの灯りのように、確実に夕希の心にあたたかな火が灯った。
(峰淳弥さんか…)
面白いなあ、名刺までくれて。よく見ると書いてあるケータイ番号やメアドは淳弥個人のものではないのだろうか。
い、いいのかな、貰っちゃって。大事に保管しておかないと。個人情報保護法が…。
夕希はそっとその小さな白い紙を引き出しの奥に仕舞った。
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