いちばんになりたい

紗夏

文字の大きさ
25 / 63
第1話 夕希

25

しおりを挟む


どれくらい立ち尽くしてたのだろう。


「…さん、糸井さん」

荒々しく名前を呼ばれて、夕希は漸く声の方を振り返った。


既に何度も呼んでいたのか、琢朗が苦虫を噛み潰した顔で、立ってた。


「…今の女の人、知ってる?」

夕希は曖昧に頷く。知ってるといえば、知ってるし、知らないといえば知らない。峰麻衣香さん。淳弥に手紙を出した本人だろうとは思う。
けれど、彼女と淳弥の関係性は――この期に及んでまだ不明瞭だと言えるのだろうか。

広島から家まで来ていて、淳弥の大きな荷物ごと走り去った。事実を鑑みれば…。


「奥さん、なのかな…?」

家庭のある人だったのかな。
いっつも深夜にお弁当やらお惣菜買ってて、朝ごはんはシリアルで、部屋はとっちらかっていて、いつ行っても女の人の影なんてなくって。
なのに…?

気づかなかった夕希が悪いのか、気づかせなかった淳弥が狡猾なのか。
淳弥の行動のひとつひとつを思い浮かべながら、瞼を閉じたら、自然に涙が押し出された。

知りたくなかった、こんな形で。

涙を拭った手を降ろす前に、がしっと掴まれた。
驚いてる夕希に、琢朗は更に突拍子もない提案を持ちかけた。
「…追っかけよう」
「へ?」
夕希が琢朗の言葉の意味を咀嚼してる間に、琢朗はスマホを取り出して、なにか調べ始める。


「…住所、わかるんだよね」
「え、あ、うん。手紙、あるから」
「じゃあ、行こうよ。元々直談判するつもりだったじゃん」
「行くって何処に…」
「決まってるだろ、あいつの家だよ」
淳弥の行動に打ちひしがれる暇も与えてくれない。琢朗の変貌ぶりに、夕希は若干引き気味になってしまう。
「い、行ってどうするの…?」
行ったところで、絶対に夕希の望むような展開にはなりえない。辛い現実を目の当たりにして帰ってくるだけではないか。

それならば、ほぼ真っ黒に塗りつぶされたキャンバスの、片隅の白い部分を守りたいと考えるのは…卑怯なのだろうか。


夕希はまだ何処かで淳弥を信じてる。さっきの女性は姉か、妹だよ、って淳弥が言ってくれるのを期待してる。

淳弥の言葉が事実かどうかなんて、夕希には関係ない。


「…いいっ」
琢朗の手に掴まれたままだった右手を、ぱっと払いのけた。


「淳さんが戻ってきたら、私ひとりで聞いてみる」
早くひとりになりたかった。
ひとりで、もう一度淳弥のことを考え直したい。それでもきっと、夕希の出した結論に、変わりはないのだろうと思うけれど。
(別れたくない)


真実を知るのが、こんなに怖いことだなんて、夕希は知らなかった。


琢朗との間に距離を開け、夕希は踵を返す。


「上條くん、ありがと。もう…平気だから」
彼に背中を向けたまま、夕希は虚勢を張った。恐らく正義感に燃え、夕希への怒りに満ちてるだろう琢朗と、目を合わせる勇気は持てなかった。
(何処まで卑怯で、何処まで弱いんだろ…私)
自分で自分に呆れるけれど、どうしようもない。

一歩、また一歩と、ゆっくり琢朗から遠ざかる。
歩調を早め、琢朗から一気に距離を開けようとした刹那。
背中から抱きつかれて、夕希の足はまた止まってしまう。


「……っ」
背中に琢朗の胸板が張り付いて、肩と腰に琢朗の腕が回される。何で、どうして急にこんなこと。
「離して…」
「やだ。俺に軽蔑させないでよ、糸井さんのこと」

淳弥のことが理解出来ない。けれど、琢朗の行動も夕希には意味不明過ぎる。こんなことを言われたりされたりする関係じゃ、なかったはずだ。

(どうして男の人って…)
好きだって言えば、女は尻尾振って喜んで、何でも言うこと聞くと思っての?
足元を見られたみたいで、悔しさだけがこみ上げた。

「離して」

夕希はもう一度琢朗に言う。今度は、もうちょっと強い口調で。
琢朗は今度は言われた通りに、夕希から離れた。すっと琢朗の熱と匂いが遠ざかって、夕希を湿気混じりの重たい夜の空気が包む。

「勝手に軽蔑でも何でもすればいいじゃん。上條くんにどう思われても、私は構わないもん」

夕希が言い切ると、琢朗は悲しそうに口角だけ上げる笑顔を作った。
この間と、今日と。流石に琢朗の自分への慕情が汲み取れない夕希ではない。けれど、受け取る余裕なんてない、何処にも。

「…糸井さん」
静かに琢朗が口を開く。夕希を責め立てるのかと身構えた夕希に琢朗は意外なことを話しだした。


「うちの親父も不倫してたんだよね。高校だか中学の同級生だかの女と」

息を呑んだ夕希に気づいて、琢朗は「ごめんね、こんな話」と小さく謝る。でも、まだ琢朗の話は終わらなかった。


「家族にバレてもやめないんだから、すげーいい根性だよね、親父も相手の女も。そんな男捨てりゃいいのに、おふくろは『別れる』とは最後まで言わなかった」
「…最後?」
「3年前に死んだんだ。ばかみたいだろ? 我慢するだけしてさ。あんなしょうもない男にすがりついて…勝手な言い分だけど。俺、糸井さんにはそんな愚かしいことしてほしくない」

琢朗の話は夕希にも衝撃だった。


妻側の痛みを、苦しみを琢朗は間近で見てきてる。


しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私に告白してきたはずの先輩が、私の友人とキスをしてました。黙って退散して食事をしていたら、ハイスペックなイケメン彼氏ができちゃったのですが。

石河 翠
恋愛
飲み会の最中に席を立った主人公。化粧室に向かった彼女は、自分に告白してきた先輩と自分の友人がキスをしている現場を目撃する。 自分への告白は、何だったのか。あまりの出来事に衝撃を受けた彼女は、そのまま行きつけの喫茶店に退散する。 そこでやけ食いをする予定が、美味しいものに満足してご機嫌に。ちょっとしてネタとして先ほどのできごとを話したところ、ずっと片想いをしていた相手に押し倒されて……。 好きなひとは高嶺の花だからと諦めつつそばにいたい主人公と、アピールし過ぎているせいで冗談だと思われている愛が重たいヒーローの恋物語。 この作品は、小説家になろう及びエブリスタでも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

離婚すると夫に告げる

tartan321
恋愛
タイトル通りです

初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】

星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。 だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。 しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。 王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。 そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。 地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。 ⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。

【完結】離縁されたので実家には戻らずに自由にさせて貰います!

山葵
恋愛
「キリア、俺と離縁してくれ。ライラの御腹には俺の子が居る。産まれてくる子を庶子としたくない。お前に子供が授からなかったのも悪いのだ。慰謝料は払うから、離婚届にサインをして出て行ってくれ!」 夫のカイロは、自分の横にライラさんを座らせ、向かいに座る私に離婚届を差し出した。

可愛らしい人

はるきりょう
恋愛
「でも、ライアン様には、エレナ様がいらっしゃるのでは?」 「ああ、エレナね。よく勘違いされるんだけど、エレナとは婚約者でも何でもないんだ。ただの幼馴染み」 「それにあいつはひとりで生きていけるから」 女性ながらに剣術を学ぶエレナは可愛げがないという理由で、ほとんど婚約者同然の幼馴染から捨てられる。 けれど、 「エレナ嬢」 「なんでしょうか?」 「今日の夜会のパートナーはお決まりですか?」  その言葉でパートナー同伴の夜会に招待されていたことを思い出した。いつものとおりライアンと一緒に行くと思っていたので参加の返事を出していたのだ。 「……いいえ」  当日の欠席は著しく評価を下げる。今後、家庭教師として仕事をしていきたいと考えるのであれば、父親か兄に頼んででも行った方がいいだろう。 「よければ僕と一緒に行きませんか?」

二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました

小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」 二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。 第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。 それから二十年。 第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。 なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。 不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。 これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。 ※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。

処理中です...