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第1話 夕希
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しおりを挟む「行こうよ、広島。夜行バスならまだ間に合う」
まるで野球観戦でもするみたいな言い方で、琢朗は夕希を誘う。
「俺も行くから」
琢朗の両手が、優しく夕希の両手を握る。
また夕希は泣いていた。涙でぐちゃぐちゃの顔を隠すことも出来ずに、夕希は往生際悪く、首を横に振る。
もう、ここまで来ちゃったら、どんなにみっともないとこ見られても、どうでも良かった。
会いたい、会いたくない。
自分でもどうするべきかわからない。
「…行こうよ」
駄々っ子みたいな夕希をあやすように、琢朗はもう一度同じ誘いを繰り返す。
琢朗に引っ張られるままに、夕希はもう一度駅に戻るって、東京駅から出る夜行バスに乗り込んだ。
「コーヒー飲む?」
これから車内で眠りにつこうって言うのに、何故か琢朗はバスターミナルの脇のコンビニで買ってきたコーヒーを夕希に渡す。
「……」
夕希は微妙な顔をしながら、紙コップを受け取った。欲しかったわけじゃない。両手に紙コップはバスに乗るのに、不便だろうと思ったからだ。
何もかもが不思議でしょうがない。どうして、こんなことになったんだろう。少なくとも、夕希は一度も「行く」とは言ってないはずなのに、気が付くと琢朗と共にこんなところにいた。
長距離用の車高の高い大きなバスに乗り込む。
当たり前だけど、琢朗とは並びの席で、夕希は窓側に座った。暗い窓に自分のひどい顔が映り込んだ。
(こんな顔で、淳さんに会いに行くの?)
「どうせ眠れないでしょ? 飲みなよ」
自分の分に口をつけて「にがっ」とぼやいてから、琢朗は夕希に促した。
「…ありがと」
夕希が口をつけると、琢朗も安心したように、自分の分に口をつける。
「にがっ」
夜の底みたいな色の飲み物を、初めて口にしたような感想を琢朗は言う。
「…嫌いなの?」
「嫌いじゃないよ? 缶コーヒーとドリンクバーのカフェオレは飲める」
言い張る琢朗が可笑しくて、夕希はぷっと吹き出した。
「それ、違うじゃん」
「おんなじだよ。ミルクの含有率が違うだけだろ?」
「そうだけど…これ、あげるよ」
と、夕希は自分の分のミルクと砂糖も琢朗に渡す。「いいよ」と一旦は遠慮しながらも、琢朗は結局夕希の分も、コーヒーに投入していた。
バスは静かに夜の街を走り出す。最初の頃はきらきらしてたネオンや、前を走る車のテールランプや対向車のライトが眩しいくらいに光っていたが、次第に建物も車も少なくなり、車窓は夜の闇に塗りつぶされる。
淳弥の車はもう、広島に着いたのだろうか。
そんなことを考えながら、窓の外を見ているうちにいつしか眠ってしまっていたらしい。
「糸井さん」
琢朗に起こされるまで、夕希は全く無意識だった。はっとなって上体を起こすと、肩に毛布まで掛けられてる。これも、琢朗がやってくれたのだろうか…。
(彼氏でもない人に、寝顔見られた)
広島の駅で電車に乗り換えて、呉の街に向かう。初めて降りた街は海の香りに鉄と油の匂いが混ざった風が吹いていた。
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