いちばんになりたい

紗夏

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第2話 淳弥

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「お前のせいじゃないよ。前々からやめるやめる言ってたのを、俺も何度も引き止めたからさ」
と伊藤は淳弥をかばって、励ますように肩を叩かれた。
 
その後、社内で東京支社への転勤の募集があり、淳弥は迷わず応募した。仕事への意欲というより、麻衣香から逃げ出したかったに他ならない。
 
「東京? 何、それ私、聞いてない」

正式な辞令が出てから、麻衣香に告げると、案の定麻衣香は声を荒げた。近頃、喃語が人の言葉になりつつある結衣が「ま…」と言ったまま、怯えたように固まった。
結衣を安心させるように膝の上に、淳弥は抱き上げる。

「再来月には、私、仕事復帰する予定なのよ?」
「わかってる。君の仕事の邪魔をするつもりはないよ。単身赴任者や独身の人のために会社が借り上げてるアパートがいくつかあるから、そこに住むつもりだ」
「そんな…」
「――その方がいいだろ?」
 
珍しく、強引に淳弥は話を結論づける。俺にとっても、君にとっても、離れた方がいい。
 
 
『別れよう』
 
そんな言葉も胸には渦巻いていたが、結局膝の上の我が子の重みを考えたら切り出せなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
~★~☆~★~☆~
 
 
「峰」

伊藤に名を呼ばれて、淳弥ははっと我に返った。森崎佳苗の名が出たことで、随分長いこと黙りこんでしまっていたらしい。

「あ、ああ…すみません」

額を掻いて、それからもう一度先ほど伊藤が放った台詞を咀嚼そしゃくした。
 
 
佳苗の結婚。
 
 
「…あの子なら、きっといい奥さんになるでしょうね」
「だろうな」

そう、良かった。本当に良かった。心からそう思う。

「お前のとこにも来なかったか? ハガキ」
「…あー」

淳弥は佳苗に東京の住所は知らせていない。これまでの経緯から、麻衣香の気持ちを必要以上に刺激することを恐れて、佳苗が遠慮したか、麻衣香が握りつぶしたかどちらかだろう。
一度、怒りに火をつけてしまったら、麻衣香は何をするかわからない。
自らを納得させるように、淳弥は言う。

「俺のとこには来なかったっすね。けど、いいです」
 
幸せになったのならそれで。
 紛れも無い本心だった。



そして、それは糸井夕希に対しても、同じ思いだった。


麻衣香に知られたら、絶対に麻衣香は夕希を追い詰める。巻き込みたくはない。自分で引きずりこんでおきながら、淳哉は身勝手なことを願う。犯してしまった罪の大きさ。ふたりの女性に対しての自分の不誠実な態度。今更悔いても、やってしまった事実は覆らない。
ならばせめて――夕希には、自分とは関係のないところで幸せになって欲しいのだ。他に淳哉が夕希に対して出来ることなんて、何も残っていない。
 
 
 夢は終わってしまった。だから――あと、淳哉に出来るのは、麻衣香から夕希を守ることと、この嘘まみれの恋を、嘘のまま終わらせることだった。
 
 
「こんな処まで…ルール違反だよ、夕希ちゃん」
「だったら…淳さんだって、ずるいです。私に本当のこと、教えてくれなかった…。奥さんも子どももいたなんて」
「聞かなかったじゃん」
 
悪いのは自分なのに、夕希に責を被せるように言う。
 
 

「…麻衣は妻としては申し分ないけれど…。女性として愛せるか、って言ったら、ちょっと違うんだ。それに単身赴任で寂しかったから、かな? 夕希ちゃんといる時はこっちの家族のことなんて忘れてた。パラレルワールドみたいに、東京と広島。ふたり俺がいればいいのに…って、何度も何度も思ったよ」
 
自分でもあきれるくらい、身勝手な意見を並べると、夕希の顔は絶望に満ちたものになる。そうじゃなくて、彼女に対する謝罪とか、奥さんに対する良心の呵責とか。最後、夕希が淳弥に求めているものは、そういう誠実な対応だとわかっていて、わざと逸らした。
 
そもそも誠実な人間だったら、最初から不倫なんかしないし、夕希にも最初に打ち明けている。
 
 
(最後だけ誠実になったってそんなの…結局自己満足でしかない)

徹頭徹尾、淳弥はサイテーな男だったのだ。この恋は間違いで、夕希は騙されただけの被害者。そう、夕希に信じこませたかった。


「…日本の法律は妻以外に恋人を持つことは禁じてます。生涯、奥さんを愛して守っていくのが、いい男の人だと私も思います」
「俺はずるくて弱い。サイテーの人間だね。…けど、夕希ちゃんのこと、本気で好きだったよ」
 
最後にひとかけだけ真実を織り込むと、夕希の瞳に漣が立つ。静かに瞼を伏せて、涙を押し流すと、夕希は言った。
 
 
「…さようなら…」
 
 
夕希と別れ、家に戻ってきたあとのことは、よく憶えていない。
 
 
麻衣香があれこれ聞きたげだったが、夜通しのドライブで疲れたから…と言って、仮眠を取るふりをして、ベッドに潜り込んだ。
 
 
 
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