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異世界へ

#10 秘密の会談

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 エリシャが家に戻って沐浴をしている頃、ドラ司令の天幕ではエーロ司祭長が慌ただしく衛兵を押し退けながら現れた。ここまで走って来たのか長袖のローブを捲り上げ、肩で息をしている。手に持つ教典に汗が滲み、紙がふやけ始めていた。
 ドラ司令は強面の大男だった。歴戦を共にしてきた甲冑に身を包み、四方に配置したそれぞれ一万の部隊の位置とダンジョンまでの距離を縮尺図で再現し、参謀と共にこれからのことを話している。
 騒がしい物音に気が付いたドラ司令はエーロ司祭長に向き直った。何事かと問うドラ司令に、エーロ司祭長は上がった息を整えながら息も切れ切れに答えた。

「……大変です! はっ、はっ、エリシャ様が……! エリシャ様がお帰りになられました!」

「……何!? アルクドルクの小娘が!?」

「……はっ、はあっ、左様にございます。はてさてどうやって生き残ったのか……本人はロボットとかいう魔族に助けてもらった言っていましたが、そいつは唯の喋るスライムにしか見えず、エリシャ様の後にくっ付いています」

「――ううむ! 暗殺は失敗したということか! あれ程完璧な計画がどうして狂う!?」

 興奮したドラ司令はエーロ司祭長の言うことなど聞いてはいない。暗殺に失敗したということだけに囚われて、顔がどんどん茹蛸の様になっていく。ドラ司令は縮尺図の広げられた大きな机を拳で殴りつけた。縮尺図上に展開された兵士たちが宙に浮いて倒れる。

「そ、それが、今言いました喋るスライムのせいなのです。あのおぞましい魔族がエリシャ様を助けたのだそうです」

「魔族が人を助ける? ふん! 何を世迷言を言っている。エーロ司祭長らしくもないぞ」

「私も驚きました。知能などあってないようなスライムが人を助けるなど、普通はあり得ません。しかし、あのスライムはロボットとかいう種族の魔族だそうです。色も初めて見る個体で……恐らくスライムの亜種、若しくは突然変異種なのでしょう」

「ううむ……それならあり得るかもな。魔族の生態は良くわからんし、変わり種なのだとしたら人間を助けた説明もつく。ではそのロボットとかいうスライムを魔法陣で拘束し、殺してからゆっくりアルクドルクの小娘を殺す計画を練り直そうではないか」

「私もその様にした方が賢明だと思います。間もなくエリシャ様が参られると思われますので、くれぐれも逸らずにお願いします」

「俺を馬鹿にしているのか? いくらデュラン教の司祭とはいえこのドラ、容赦はせんぞ!」

「存じておりますとも。今の言葉は我の失言でした。お詫び申し上げます。我が申したかったのは、優しく接してあげることでスライムの油断させ、その隙に捕えてしまいましょう、ということです」

「それくらい言われずともわかっておるわ!」

 ドラ司令が面倒臭いそうに手を振り、それ以上は言うなとエーロ司祭長にジェスチャーを送った。
 本当にわかっているのだろうか? エーロ司祭長は天幕の自室へ帰るドラを見送りながら苦虫を噛み潰した様な顔になった。
 ドラは良くも悪くも武人である。敵を徹底的に叩きのめすことは得意でも、搦手からめてで油断させその裏をかくということは好まない。であるからして、エーロ司祭長はエリシャがこの場にやって来た時に、ドラがあのスライムを問答無用で捕えて殺してしまうことを危惧していた。
 スライムという魔族は数いる魔族の中でも弱い部類に入る。中には凶暴な種類もいるが、その殆どは大人しく、群れで水辺に暮らしている。通常ならば恐れるに足らない存在だ。しかし、エーロ司祭長が見たあのロボットとかいう種族の魔族は、見た目こそスライムだが、本来ならば死んでいるエリシャの傷を治せるほどの魔力を持っている。その様な魔族を簡単に捕らえられるとは思っていなかった。
 だからこその忠告もドラは片手でいなし、本当に聞いているのかどうかもわからない。エーロ司祭長は嘆息し、机の上で倒れたままのミニチュアのピンを立てて直していく。全部立て終わったところへタイミングよくドラが戻ってきた。

「そういえばエーロ司祭長、アルクドルク伯爵の方はどうなっている? 噂によると何やら賭けを吹っ掛けたと聞いたぞ」

「はい、デュラン教会配下の者どもと第三盟主の協力の下、アルクドルク第二盟主の弱体化に向けて策を講じております」

「第三盟主殿だけではあるまい。第二盟主は残る第一、第四盟主のどれもから嫌われているから、どうせ他の盟主殿たちもちょっかいを掛けるであろうよ。ふん! そんなことをせずとも乗り込んでいって一気に滅ぼせばいいものを。回りくどい奴らだ」

「御尤もです。本来ならばそうしたいところを、面目を立てなければなりませんから仕方なくこの様な回りくどいことをしているのです。司令も焦土を領地には加えたくないでしょう?」

「それもそうだな。色々と後処理が面倒だ。だが、そんなのは住民にやらせればいいのではないか? 元々自分たちの住んでいた場所だろう。適当に口実を作ればやるだろうよ」

「それは我々も考えましたが、結果却下されました。何より、その後に残るのは連合国への反発心です。ロールスト連合国は沢山の領主が集まって作り上げた連合国家。領主への信頼がそのまま国への信頼に繋がります故、あまり手荒なことをすると逃散ちょうさんしてしまい、本当に荒れ地になってしまいます」

 ドラの頭は常に相手をどう倒すか、ということで一杯になっている。その後始末のことは一切考慮されていない。ドラはその浅はかさから、一度軍の降格処分を受けており、一言で言ってあまり頭は良くなかった。司令官の地位に就けたのはひとえに卓越した武力と、その背景にある家柄によるものだった。

「大体、何故第二盟主はあのようなことを口走ったのだ? 黒の一族を開放するなど、議会の賛成を得られるわけがなかろうに」

「黒の一族は絶対悪故根絶を目指すべきです。あのような髪の毛が黒くて悍ましい異教徒どもが我々と同じ人間だなんて神様もお人が悪い」

「デュラン教会はそうであったな。俺も一応は信徒だが、礼拝など十歳の頃から行ってないがな」

「それを司祭長である我の前で言いますか……まあいいでしょう。今重要なのは我々ロール人の天下を揺るがす悪逆がいるということです。その悪を滅ぼした後で礼拝には顔をお出しくだされば結構です」

「俺としては黒の一族は戦力として助けになるから、根絶といかなくても少しは残ってくれておいた方がいいがな」

「それだから、第二盟主のような悪逆者が出てくるのですよ。ドラ司令はお忘れになったのですか? 三十年前の大戦争を――」

「俺の親父が戦死したあの戦争か――」

「あの戦争により数万ものロール人の無辜な命が奪われました。故にそれを引き起こした黒の一族は滅ぼさねばならないのです!」

 エーロ司祭長は力強く言い放った。彼は、というかデュラン教会の人間はこの手の話題になるといやに熱くなる傾向がある。過剰に黒の一族を排除しようとし、ロール人至上主義を掲げて、度々街でも演説を行っている。
 一応、ロールスト連合国もこのデュラン教を国教と定めている以上、黒の一族を排除することを是としているので、その演説を止めることはしない。
 しかし、黒の一族は異教徒や敵国ということを抜きにしてもロール人を惹き付ける魅力があった。卓越した身体能力。漆黒の髪の毛と瞳。何より貴族の目を引いたのがその美貌だ。男女問わず彼らは美形しかいない。
 力のある貴族は教会の弱味を握ると、それを楯に黒の一族の奴隷化の許可を取り付け、大金を積んで幾人もの黒の一族を囲った。こうして生まれたのが愛玩品としての黒の一族だ。

「もう戦争は俺たちの勝利で終わったし、黒の一族は奴隷に身分を落とされたんだからそれでいいだろうが」

 何をそこまで根絶に執着する、と言いたくなる気持ちを抑えてドラは懐にある葉巻を取り出し、それに火を付けた。
 紫煙が天幕の上層に溜まり、薄い雲のように棚引いた。
 ドラは教会の人間を信用していない。今回は第二盟主がやり過ぎたからその粛清のために協力しているが、本当は関わりたくもないと思っていた。
 元々第二盟主はドラと少々確執があったので、第二盟主がどうなろうとドラの知ったことではない。その為にアルクドルクの一人娘を暗殺するのも厭わない。寧ろ第二盟主の悲しみに暮れる顔を見てみたいものだ。
 ドラの顔が醜く歪んでいく。
 エーロの顔は憤怒に歪んでいった。
 そして、天幕に見張りの兵が入ってきた。

「エリシャ・アルクドルク様と……す、スライムが謁見をお求めです」

「うむ、通せ」

 ドラは天幕でも参謀たちと作戦会議をする会議室、上方の席にどっかりと腰掛けた。その後に続いてエリシャとスライムが着席する。

「ヴェン・アルクドルク伯爵が娘、エリシャ・アルクドルク、ただ今参上しました」

 漆塗りの髪飾りが揺れた。
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