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18話
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梓真の制服の背中が、コンクリートに落ちるように触れた。
そのときに鳴った、ほんのわずかな布と地面の摩擦音が、かすかに耳に残る。
目を閉じた横顔は、さっきまでよりずっと穏やかだった。
昼下がりの光が髪の縁を透かし、風にふわりと流れる。
その一瞬一瞬が、まるで映画のワンシーンみたいに、ゆっくりと胸に焼きついていく。
しばらく迷ってから、僕もそっと隣に寝転んでみた。
コンクリートに背中を預けると、少しだけ冷たい感触が伝わる。
でも、顔を向けた空はどこまでも青く、白い雲がゆっくりと流れていた。
フェンスの向こうには、春の光に滲む街並み。遠くのチャイムがかすかに聞こえる。
ちらり、と横を盗み見る。
そこまで掘りは深くないけど、高い鼻梁に、薄い唇。
瞳の色だって、ただの茶色で、特別に美しいというわけでもない。
いつ開けたのか、唇には銀色のピアス。
耳には空いてないのに、唇だけなのが少し不思議だった。
つっけんどんで、1人でいる方が楽みたいな顔をしてる。
だけど、僕は梓真の隣にいたかった。
──やっぱり、好き、なのかな…
懐かしさと、憧憬とが入り混じったような感情。
そこに恋慕があるのかと言われたら、少しだけ自信がない。
だけど、眠る梓真の横顔に、あの頃の面影が、少しだけ見えた気がした。
ほんの少し眉間に皺を寄せたまま、すうすうと穏やかな呼吸が響き始める。
長いまつ毛が作る影が頬に落ち、昼の光を受けた肌は柔らかそうで。
その寝顔を見ているだけで、胸の奥が、ふわりと熱くなる。
まるで、この世界に梓真しかいないみたいだ。
風が吹くたび、フェンスがカタリと鳴った。
遠くで誰かのボールが弾む音。
それだけが、二人だけの静かな世界を満たしている。
やがて、そっと体を起こした。
引き寄せられるみたいに、梓真に少し近づく。
影になった横顔を見下ろした瞬間、胸がぎゅっと縮こまった。
あと数センチ。
唇が触れてしまいそうな距離まで近づいたとき──
カタリ、とフェンスが揺れる音がやけに大きく響いた。
ハッとして、僕は息を呑む。
見下ろす梓真のまつ毛が、ふ、と微かに震えた気がした。
「……っ」
慌てて身を引く。
その拍子に背中がコンクリートに当たり、ひんやりした冷たさが一気に広がった。
胸の高鳴りをごまかすみたいに、お弁当を抱えて立ち上がる。
「先、行くね」
そう言い残して、僕は屋上を飛び出した。
階段を降りる足音だけが、ひとりきりの胸の熱を誤魔化してくれる。
──
昼休みが終わって、梓真が何事もなかったように隣の席へ戻ってきた。
(……っ!)
ほんの少し袖が触れただけで、心臓が跳ねる。
さっき屋上で起きたことは──いや、正確には「起きなかったこと」だけど──
まだ胸の奥で燻っていた。
(どうしてあんなこと、しようとしたんだろう。)
僕、梓真のこと好きなのかな──。
でも、考えても考えても、答えは出そうになかった。
午後の授業を終え、帰りのホームルームも終わったあと。
教室を出た僕は、あの屋上へ向かおうと階段を降りていた。
あの屋上へは特別な階段を使わないといけないから。
というのも、ポケットに入れていた寮の部屋の鍵がどこかに行ってしまったからだった。
悪いことをしているという自覚と、焦っているのもあったのかもしれない。
窓からの西日が射して、階段の段差がやけに見えづらい。
不意に背後から声がした。
「……ロロ? そんなに急いでどうしたんだよ?」
驚きで足が空を踏み、体がふわっと前へ傾く。
視界がぐらりと揺れ、床が迫った──その瞬間。
ガシッ、と腕を掴まれた。
強い力で引き戻され、背中がしっかりと支えられる。
すぐそこに、梓真の顔。
息が触れるほどの距離。
制服の胸元から、淡い柔軟剤の香りがふわりと鼻先をくすぐった。
「……危ねぇだろ」
低く、少し苛立った声。
けれどその手は、信じられないくらい確かに僕を支えてくれていた。
胸が、ひゅっと縮む。
息をするたび、心臓がばくばくと騒ぎ立てる。
目を逸らせば、もう二度とこの距離には戻れない気がして──
だから、視線を逸らせなかった。
「あ……ありがとう……」
やっとの思いで声を絞り出すと、梓真はふっと視線を外した。
「……気をつけろよ」
そう言って手を離す。
ほんの数秒の出来事なのに、僕の足は階段の途中で固まってしまった。
触れられていた場所が、熱を持ったみたいにじんじんする。
────
自分のすぐ後ろを歩いていたはずの東雲が、いつの間にか俺の前に飛び出していた。
次の瞬間、足を踏み外したロロの腕を掴み、ぐっと引き戻す。
その一部始終を、俺は呆然と見ていた。
ほんの数秒だったのに、やけに長く感じた。
二人の距離の近さも、ロロの顔に浮かんだ動揺も、全部見えてしまって──胸の奥で何かが静かに沈む音がした。
何──今までとは、まるで違う気配。
そう、人が恋に落ちた瞬間を、初めて見た気がした。
今までロロが抱えていたのは、憧れや親しみだと思っていた。
でも、今のこれは──はっきりとした境界線を越えている。
一拍遅れて、慌てて声をかける。
「ご、ごめんな! 俺が変に声かけたからだよな!?」
俺が近くに行ったのを合図にするみたいに、東雲はロロの無事を確認すると、すっと手を離し、そのまま階段を降りていってしまう。
ロロは小さく首を振ったが、視線は東雲の背中から離れない。
まるで、目を逸らしたら消えてしまうかのように。
俺は、そんなロロを横目で見ながら、苦笑いするしかなかった。
気づかないふりをしてきたけど──やっぱり、そういうことなんだな。
「…Et au Japon, qu’est-ce que tu fais si tu aimes quelqu’un ?」
(…日本だと、好きになったらどうするの?)
そのときに鳴った、ほんのわずかな布と地面の摩擦音が、かすかに耳に残る。
目を閉じた横顔は、さっきまでよりずっと穏やかだった。
昼下がりの光が髪の縁を透かし、風にふわりと流れる。
その一瞬一瞬が、まるで映画のワンシーンみたいに、ゆっくりと胸に焼きついていく。
しばらく迷ってから、僕もそっと隣に寝転んでみた。
コンクリートに背中を預けると、少しだけ冷たい感触が伝わる。
でも、顔を向けた空はどこまでも青く、白い雲がゆっくりと流れていた。
フェンスの向こうには、春の光に滲む街並み。遠くのチャイムがかすかに聞こえる。
ちらり、と横を盗み見る。
そこまで掘りは深くないけど、高い鼻梁に、薄い唇。
瞳の色だって、ただの茶色で、特別に美しいというわけでもない。
いつ開けたのか、唇には銀色のピアス。
耳には空いてないのに、唇だけなのが少し不思議だった。
つっけんどんで、1人でいる方が楽みたいな顔をしてる。
だけど、僕は梓真の隣にいたかった。
──やっぱり、好き、なのかな…
懐かしさと、憧憬とが入り混じったような感情。
そこに恋慕があるのかと言われたら、少しだけ自信がない。
だけど、眠る梓真の横顔に、あの頃の面影が、少しだけ見えた気がした。
ほんの少し眉間に皺を寄せたまま、すうすうと穏やかな呼吸が響き始める。
長いまつ毛が作る影が頬に落ち、昼の光を受けた肌は柔らかそうで。
その寝顔を見ているだけで、胸の奥が、ふわりと熱くなる。
まるで、この世界に梓真しかいないみたいだ。
風が吹くたび、フェンスがカタリと鳴った。
遠くで誰かのボールが弾む音。
それだけが、二人だけの静かな世界を満たしている。
やがて、そっと体を起こした。
引き寄せられるみたいに、梓真に少し近づく。
影になった横顔を見下ろした瞬間、胸がぎゅっと縮こまった。
あと数センチ。
唇が触れてしまいそうな距離まで近づいたとき──
カタリ、とフェンスが揺れる音がやけに大きく響いた。
ハッとして、僕は息を呑む。
見下ろす梓真のまつ毛が、ふ、と微かに震えた気がした。
「……っ」
慌てて身を引く。
その拍子に背中がコンクリートに当たり、ひんやりした冷たさが一気に広がった。
胸の高鳴りをごまかすみたいに、お弁当を抱えて立ち上がる。
「先、行くね」
そう言い残して、僕は屋上を飛び出した。
階段を降りる足音だけが、ひとりきりの胸の熱を誤魔化してくれる。
──
昼休みが終わって、梓真が何事もなかったように隣の席へ戻ってきた。
(……っ!)
ほんの少し袖が触れただけで、心臓が跳ねる。
さっき屋上で起きたことは──いや、正確には「起きなかったこと」だけど──
まだ胸の奥で燻っていた。
(どうしてあんなこと、しようとしたんだろう。)
僕、梓真のこと好きなのかな──。
でも、考えても考えても、答えは出そうになかった。
午後の授業を終え、帰りのホームルームも終わったあと。
教室を出た僕は、あの屋上へ向かおうと階段を降りていた。
あの屋上へは特別な階段を使わないといけないから。
というのも、ポケットに入れていた寮の部屋の鍵がどこかに行ってしまったからだった。
悪いことをしているという自覚と、焦っているのもあったのかもしれない。
窓からの西日が射して、階段の段差がやけに見えづらい。
不意に背後から声がした。
「……ロロ? そんなに急いでどうしたんだよ?」
驚きで足が空を踏み、体がふわっと前へ傾く。
視界がぐらりと揺れ、床が迫った──その瞬間。
ガシッ、と腕を掴まれた。
強い力で引き戻され、背中がしっかりと支えられる。
すぐそこに、梓真の顔。
息が触れるほどの距離。
制服の胸元から、淡い柔軟剤の香りがふわりと鼻先をくすぐった。
「……危ねぇだろ」
低く、少し苛立った声。
けれどその手は、信じられないくらい確かに僕を支えてくれていた。
胸が、ひゅっと縮む。
息をするたび、心臓がばくばくと騒ぎ立てる。
目を逸らせば、もう二度とこの距離には戻れない気がして──
だから、視線を逸らせなかった。
「あ……ありがとう……」
やっとの思いで声を絞り出すと、梓真はふっと視線を外した。
「……気をつけろよ」
そう言って手を離す。
ほんの数秒の出来事なのに、僕の足は階段の途中で固まってしまった。
触れられていた場所が、熱を持ったみたいにじんじんする。
────
自分のすぐ後ろを歩いていたはずの東雲が、いつの間にか俺の前に飛び出していた。
次の瞬間、足を踏み外したロロの腕を掴み、ぐっと引き戻す。
その一部始終を、俺は呆然と見ていた。
ほんの数秒だったのに、やけに長く感じた。
二人の距離の近さも、ロロの顔に浮かんだ動揺も、全部見えてしまって──胸の奥で何かが静かに沈む音がした。
何──今までとは、まるで違う気配。
そう、人が恋に落ちた瞬間を、初めて見た気がした。
今までロロが抱えていたのは、憧れや親しみだと思っていた。
でも、今のこれは──はっきりとした境界線を越えている。
一拍遅れて、慌てて声をかける。
「ご、ごめんな! 俺が変に声かけたからだよな!?」
俺が近くに行ったのを合図にするみたいに、東雲はロロの無事を確認すると、すっと手を離し、そのまま階段を降りていってしまう。
ロロは小さく首を振ったが、視線は東雲の背中から離れない。
まるで、目を逸らしたら消えてしまうかのように。
俺は、そんなロロを横目で見ながら、苦笑いするしかなかった。
気づかないふりをしてきたけど──やっぱり、そういうことなんだな。
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