【完結】Reste, mon étoile. −君にもう一度会いたくて−

豊川夢久

文字の大きさ
24 / 46

23話

しおりを挟む
炎が夜空を赤く染め、パチパチと薪が弾ける音が響いていた。
夜の空気は少し冷たくて、でも炎のぬくもりが頬を温める。
輪になって歌うクラスメイトたちの声も、遠くで打ち上がる花火の音も、全部が文化祭の終わりを告げる合図みたいだった。

僕は梓真の隣で、目を細めながら炎を見つめた。
横顔が、炎の光でやわらかく照らされている。
お化け屋敷で笑っていたときよりも静かで、けれど確かに楽しんでいるような表情。
──こんな顔、去年は見られなかったんだろうな。

去年は参加しなかったって言ってたけど、何かあったのかな。
用事だったのか、それとも……。
善人の話では、生徒は基本みんな参加するらしいし、ちょっと気になったけど──

……まあ、今はどうでもいい。

今こうして、一緒に見ていられるんだから。

そっと、隣にある梓真の指先に自分の指を重ねる。
ひくり、と反応した指先。
でも、離れようとはしなかった。
──それだけで、胸の奥が少し熱くなる。

「アズサ」
名前を呼ぶと、梓真がわずかに顔を向ける。
炎の赤が、瞳に映っていた。

「……ナンデモナイ」
ロロは首を振り、口元だけがほんの少し緩んだ。
その笑みが、炎の揺らめきよりも眩しく見えた。

──その瞬間。
火が弾けたのに驚いた生徒たちが、ワッと下がってくるのに押されるように、暗がりで見えなかった木の根に足を取られ、僕はよろけてしまう。

「……っ!」

とっさに支えたのは当然のことながら梓真だった。
腕を掴まれた衝撃よりも、すぐに「歩けるか?」と低く聞かれたことの方が、僕の胸を熱くする。

「ダイジョ……あっ、イタイ」
軽く笑ってごまかそうとしたものの、右足を着くと痛みが走る。

「……そろそろ終わりだろ。寮まで送る」
そう言って、梓真は自然に僕の腕を肩に回した。
肩幅の広い背中に支えられながら歩くうち、僕の視線は何度も東雲の横顔に向いていた。

(……コレ、ウレシイ)
火の粉が遠くで舞っていた。
夜の風は少し冷たかったけれど、隣の体温はやけに近くて、足の痛みさえ忘れそうになっていた。

「Ça va… ça ne fait presque pas mal.」
(平気、ほとんど痛くないよ)

本当は少し痛むのに、そう言ってしまう。

でも「気にすんな」と言うのに、素直に従ったのは、ただこうして触れていたかったから。


学校の外に出ると、梓真が目の前でしゃがみ込んで、背中を向けた。

「乗れよ。……階段もあるだろ」

ためらいながらも腕を回すと、がっしりとした肩に支えられる。
想像よりずっと広くて、温かい。

「ちゃんと捕まってろよ。落ちたら困るだろ」

胸の前に腕をまわさせるように促されて、僕はそっと首に腕を回した。
──広くて、温かい。
柔軟剤とシャンプーの匂い、首筋の体温、汗の匂い。
息をするたびに胸が熱くなる。

「……ごめんね」
思わずこぼれた声は、かすかに震えていた。
背中越しに伝わる心音まで聞こえそうで、怖いくらい。

「俺のが悪い。ちゃんと支えてやれなかったから。」
耳もとに落ちる低い声に、ロロの心臓が跳ねた。

──やっぱり、梓真が好きだ。


寮に着き、ベッドに下ろしてもらった瞬間、梓真のシャツはしっとり汗で濡れていた。

「……アセ、たくさん……ごめん」
「いい。……慣れてる」

立ち上がろうとした梓真の服に、僕の指が引っかかった。
慌てて手を離そうとしたけれど、胸の奥がざわつく。

──このまま、行かないで。

「あ、あの……よかったら……お茶でも飲んでく? アツい、でしょ」

言った瞬間、心臓がどくんと跳ねた。
変なことを言ったかも──そう思ったそのとき。

「…………なら、ちょっとだけ」

梓真は動きを止め、そのままベッド脇に腰を下ろした。
濡れたシャツの裾を軽く引っ張り、額の汗をぬぐう。

──帰らないんだ。

それだけで胸が熱くなる。
すぐそこにある梓真の気配が、怖いくらい近い。

水を入れた紙コップを手にして、僕は身を乗り出した。
その瞬間、力の入らない足がふらりと崩れる。

「──っ!」

支えてくれた腕に抱き留められる。
目の前に、梓真の顔。

心臓が止まりそうになる。
キスできる距離で、視線が絡まった。

数秒だけ、梓真は目をそらさなかった。
そして、ふいっと顔を背ける。

「……気をつけろよな」

耳の先が、ほんのり赤い。

「……Je suis désolé」
(……ごめんね)

そっと体を離しながらつぶやくと、梓真は小さくこめかみをかいた。

「……いい、気にすんな」

そう言いながら、くしゃりと髪を撫でられる。

その手の温もりも、水を飲む姿も、
ここにいる梓真のすべてが愛しくて。
遠いと思っていた彼が、今はこんなに近い。

「Je peux toucher ta main ?」
(手、触っていい?)

ずっと、ずっと触りたかった。
あの時も、本当は触ってみたかったんだ。

そっと差し出された手に、緊張に震えながらも触れる。

僕の手よりも、一回り大きくて長い指先。
男の人らしく、皮が分厚くて、弾力のある感触。
昔は手だけ大きい気がしたけど、今は身長に見合った大きさに思えた。

この指が、あの音を奏でていたんだ──。

“世界で1番簡単で、1番難しい楽器”
そう評されるのは、本当だと思った。
あの時、アズサが弾いてくれたピアノの音が、いちばん胸に届いた。
いろんな人の曲も、CDを出すようなすごい人のだって聴いた。

──上手だなって思ったけど、それだけだった。

そして、こんな大きな手に似合わない、小さなハート型のアザ。
親指の付け根あたりにあるそれは、忘れようと思っても、忘れられなかった。

初めて会った人の手を見るようになった。
絶対に違うと思う人でも、そっと手を盗み見てしまうのは、ずっと探していたからだ。

あれから、二度と会えなかった彼を──
もしかしたら、あの広場にまた来るかも。
この道を通るかも。

そう思って、帰り道に通ってみたり、休みの日に行ってみたりもした。
だけど、僕はアズサに会えなかった。

「C’est de naissance, cette tache ?」
(これは、生まれつき?)

僕がずっと探していたハート型のアザに、指先でそっと触れる。
盛り上がったりするようなものじゃなく、シミのようにそこだけ色が違っている痕。

ん、と短く声が漏れ、頷く気配──

やっぱり、あの時のアズサは君だったんだ。

そう思う気持ちが、溢れ出しそうになる。
きっと僕が日本に来て、君に会えたのは、運命だった。
1人で勝手に舞い上がってしまった。

だから、僕は──きっと受け入れられると思って。

距離感を、完全に間違えてしまったんだ。



「ねぇ、梓真は……フランスでピアノ弾いてたこと…あるよね…?」

その瞬間──空気がきしむように重くなった気がした。
耳の奥で自分の鼓動だけがやけに大きく響く。
わずかな距離しか離れていないはずなのに、梓真が遠くへ引き離されたように感じられる。

驚きに目を見開いた梓真の視線が、まっすぐこちらに突き刺さる。
肩がびくりと跳ね、息が浅くなる。
それまで穏やかに流れていた時間が、ぴたりと止まったようだった。

どうして──そんな顔をするの。
何がいけなかったの。
僕、変なこと言ってないよね。
胸の奥で、ぐらぐらと不安が揺れる。
さっきまで笑ってくれていたのに、どうして急にこんな冷たい目になるのか、理解できない。

窓の外で鳴く虫の声まで、やけに鮮明に聞こえる。
蛍光灯の白い光が、梓真の横顔に冷たく落ちていた。
さっきまでそこにあった体温まで、ひゅうっと消えてしまったみたいだ。

さっきまで柔らかく笑っていた瞳から、ふっと光が抜け落ちる。
表情が、すっと無音で閉ざされていく。
胸の奥に冷たいものが落ち、そこから広がる重さに、思わず指先が震えた。

「…………」

返事はない。
けれど、その沈黙が答えのように思えてしまう。
まるで目の前で、重い鉄のシャッターが音もなく降りていくのを見ているみたいだった。

「……お前の勘違いだろ」

短く切り捨てられる声。
立ち上がる梓真の背中が、さっきまでよりずっと遠く感じられる。

「え……でも、僕、アズサに会ったことが──」
「……ない」

静かに、けれど確かに拒絶するように。
喉の奥で言葉が固まり、どうしてもそれ以上続けられない。

「水、ありがとな。……おやすみ」

そのまま背を向け、歩き出す。
伸ばしかけた指先は、宙を掻くように力なく落ちた。

引き止める言葉なんて出てこなかった。
目の奥が熱くなるのに、声はもう出ない。
どんな言葉を掛けても、梓真には届かない──そう思ってしまったから。

扉が静かに閉まる音だけが、部屋に残る。

梓真がいなくなって、僕は絶望に襲われていた。

──僕は、完全に間違えてしまったんだ。

(何がいけなかったのかは分からない。けれど、怒らせてしまったのは本当だ。明日、何て言って謝ろう。許してくれるかな。また、いつもみたいに笑ってくれるかな……)

胸の奥がざわつき、息が落ち着かない。
失敗した場面ばかりが、何度も何度も頭の中で巻き戻される。
考えれば考えるほど、背中を押すどころか、足元をすくわれるような不安が膨らんでいった。

そんなソワソワした状態で、眠りは一向に訪れてくれそうになかった。
ベッドに横たわり、暗い天井を見つめる。

「……Pardon, Azusa……」
(……ごめんね、梓真……)

小さくつぶやいた声は、自分の耳にしか届かない。
静まり返った部屋に、寮の外の虫の音だけが響いていた。

──昨日の言葉は、忘れてよ。

そう願っても、眠気は訪れなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました

水凪しおん
BL
BL小説『銀の瞳の聖者』の悪役令息ルシアンに転生してしまった俺。 原作通りなら、主人公ノエルをいじめ抜き、最後は断罪されて野垂れ死ぬ運命だ。 「そんなの絶対にお断りだ! 俺は平和に長生きしたい!」 破滅フラグを回避するため、俺は決意した。 主人公ノエルを徹底的に避け、関わらず、空気のように生きることを。 しかし、俺の「無視」や「無関心」は、なぜかノエルにポジティブに変換されていく。 「他の人のように欲望の目で見ないなんて、なんて高潔な方なんだ……!」 いじめっ子を視線だけで追い払えば「影から守ってくれた」、雨の日に「臭いから近寄るな」と上着を投げつければ「不器用な優しさ」!? 全力で嫌われようとすればするほど、主人公からの好感度が爆上がりして、聖人認定されてしまう勘違いラブコメディ! 小心者の悪役令息×健気なポジティブ主人公の、すれ違い溺愛ファンタジー、ここに開幕!

【完結】男の後輩に告白されたオレと、様子のおかしくなった幼なじみの話

須宮りんこ
BL
【あらすじ】 高校三年生の椿叶太には女子からモテまくりの幼なじみ・五十嵐青がいる。 二人は顔を合わせば絡む仲ではあるものの、叶太にとって青は生意気な幼なじみでしかない。 そんなある日、叶太は北村という一つ下の後輩・北村から告白される。 青いわく友達目線で見ても北村はいい奴らしい。しかも青とは違い、素直で礼儀正しい北村に叶太は好感を持つ。北村の希望もあって、まずは普通の先輩後輩として付き合いをはじめることに。 けれど叶太が北村に告白されたことを知った青の様子が、その日からおかしくなって――? ※本編完結済み。後日談連載中。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

【完結】言えない言葉

未希かずは(Miki)
BL
 双子の弟・水瀬碧依は、明るい兄・翼と比べられ、自信がない引っ込み思案な大学生。  同じゼミの気さくで眩しい如月大和に密かに恋するが、話しかける勇気はない。  ある日、碧依は兄になりすまし、本屋のバイトで大和に近づく大胆な計画を立てる。  兄の笑顔で大和と心を通わせる碧依だが、嘘の自分に葛藤し……。  すれ違いを経て本当の想いを伝える、切なく甘い青春BLストーリー。 第1回青春BLカップ参加作品です。 1章 「出会い」が長くなってしまったので、前後編に分けました。 2章、3章も長くなってしまって、分けました。碧依の恋心を丁寧に書き直しました。(2025/9/2 18:40)

無愛想な氷の貴公子は臆病な僕だけを逃さない~十年の片想いが溶かされるまで~

たら昆布
BL
執着ヤンデレ攻め×一途受け

アプリで元カノを気にしなくなるくらい魅力的になろうとした結果、彼氏がフリーズしました

あと
BL
「目指せ!!魅力的な彼氏!!」 誰にでも優しいように見えて重い…?攻め×天然な受け ⚠️攻めの元カノが出て来ます。 ⚠️強い執着・ストーカー的表現があります。 ⚠️細かいことが気になる人には向いてません。 合わないと感じた方は自衛をお願いします。 受けは、恋人が元カノと同級生と過去の付き合いについて話している場面に出くわしてしまう。失意の中、人生相談アプリの存在を知る。実は、なぜか苗字呼び、家に入れてもらえない、手を出さないといった不思議がある。こうして、元カノなんか気にしなくなるほど魅力的になろうとするための受けの戦いが始まった…。 攻め:進藤郁也 受け:天野翔 ※誤字脱字・表現の修正はサイレントで行う場合があります。 ※タグは定期的に整理します。 ※批判・中傷コメントはご遠慮ください。

転生DKは、オーガさんのお気に入り~姉の婚約者に嫁ぐことになったんだが、こんなに溺愛されるとは聞いてない!~

トモモト ヨシユキ
BL
魔物の国との和議の証に結ばれた公爵家同士の婚約。だが、婚約することになった姉が拒んだため6男のシャル(俺)が代わりに婚約することになった。 突然、オーガ(鬼)の嫁になることがきまった俺は、ショックで前世を思い出す。 有名進学校に通うDKだった俺は、前世の知識と根性で自分の身を守るための剣と魔法の鍛練を始める。 約束の10年後。 俺は、人類最強の魔法剣士になっていた。 どこからでもかかってこいや! と思っていたら、婚約者のオーガ公爵は、全くの塩対応で。 そんなある日、魔王国のバーティーで絡んできた魔物を俺は、こてんぱんにのしてやったんだが、それ以来、旦那様の様子が変? 急に花とか贈ってきたり、デートに誘われたり。 慣れない溺愛にこっちまで調子が狂うし! このまま、俺は、絆されてしまうのか!? カイタ、エブリスタにも掲載しています。

処理中です...