吸血鬼伯爵が恋を知らなすぎる

たぬ基地

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25話:帰還

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「とりあえず、薬も手に入りましたし──帰りましょう、伯爵」

 アルバートに促され、モルヴェナに半ば追い出されるようにして館を後にする。
 扉の向こうには、昼だというのに薄闇が垂れ込めていた。
 木々のざわめきが、まるで彼らの背を押すように鳴っている。

 棺にいそいそと入り込むドラキュロルを横目に、アルバートだけがモルヴェナに呼び止められた。

「アルバート」

 その名を呼ぶ声は、森の底から響くように低く甘かった。
 振り返った瞬間、紅い瞳がすぐ目の前にあることに気づく。
 モルヴェナは、唇の端をわずかに上げ、彼の耳もとへ顔を寄せた。

「──ひとつ、覚えておきなさい」

 囁かれた声は、まるで呪文のように冷たく、それでいて心の奥に沈み込むようだった。
 言葉の意味を掴む前に、アルバートの体がわずかに強張る。

 モルヴェナは満足げに微笑むと、指先で彼の胸元を軽く押し戻した。
 その指先には、赤い光がかすかに灯っている。

「……ふふ。伯爵のアレルギー克服、頼んだわよ。──私のためにも。」

 言葉の終わりに、森の風がざわめいた。
 アルバートが何かを問おうとした時には、すでにモルヴェナの姿は霧のように掻き消えていた。

◇◇

 馬車が走り出す。
 眷属の馬たちが鼻を鳴らし、森の蔦を蹴って進んでいく。
 昼と夜の境が曖昧な森を抜け、遠くに微かな陽光がのぞいた。

 棺の中では、伯爵がふんぞり返って文句を言い続けていた。

「まったく! あの女、いちいち癇に障る!! この薬など飲まんでもアレルギーイは治るのだ!!」

「はいはい、伯爵」

「お前、聞いておるのか!? 私はこのままでも滅びぬ!!」

「ええ、滅びませんとも」

 アルバートは短く答え、窓の外を見た。
 木々の影が流れ、森が遠ざかる。
 風が髪を揺らし、耳元にさっきの囁きが微かに残っていた。

 ──“ひとつ、覚えておきなさい。アレルギー克服には、あなた一人では荷が重すぎるわ。半端者”をもう一人、用意なさい。血が足りなくなればあなたが死ぬわ。”

(……伯爵には薬を飲ませ、必ずやアレルギーを克服させよう。
 だが──あの言葉にだけは、従う気はない。)

「…何が取引だ…、モルヴェナめ…!!」
 
 伯爵の寝息混じりの文句が、またひとつ響く。
 アルバートは小さく息をつき、瞼を閉じた。

(問題は……どうやって、この強情な伯爵さまに、俺の血を飲ませるか?)

 馬車はゆるやかに森を抜け、石畳の街道へと出た。
 日の光を避けるように黒布で覆われた車体が、風を切って疾走していく。
 その前を駆けるのは──例のサングラスをかけた、漆黒の馬たち。

◇◇

 ちょうどそのころ、街道沿いの村で薪を運んでいた青年が、遠くの黒い影に気づいた。
 真昼の陽光の中、二つのサングラスがぎらりと光を弾く。

 一瞬、目の錯覚かと思った。
 ──だが、確かにそれは馬だった。

 黒い馬が、黒い馬車を引いている。
 まるで夜の幻が、昼を駆け抜けていくように。

「な、なんだ……あれ……? 馬が……サングラスを……?」

 青年が呆然と立ち尽くす中、馬車は砂煙を上げながら遠ざかっていく。
 その姿は、どこもかしこも漆黒で、陽の下にはあまりにも不似合いだった。

 その話は、数日もしない内に瞬く間に広がっていった。

 “サングラスを掛けた黒い馬が、真っ黒な馬車を引いていた”という噂は、
 海を超え、人から人へと広がっていく。

 やがてその話は、吸血鬼を狩る者たちの耳にも届くことになるのだった。

 純潔のドラキュラ伯爵の血を引く、ドラキュロルを探す者たちのもとへ──。
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