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スーツ姿で黒髪を綺麗に後ろで結い上げた美しい女性だが、すっと切れ長の瞳、薄目の唇は酷薄げに見える。紫央の母の推薦で職に就いただけあって、薔太を見る目はいつも親の敵でも見るように冷淡で厳しい。紫央の母と雰囲気が似た、剣が強い美貌と相まって薔太は彼女を苦手としていた。
先日成人した折、紫央の母親から薔太に直接電話が来たことは紫央には内緒のままだ。紫仙の母は取ってつけたように成人の祝いをのべた後、いつもの調子で一方的にまくしたててきた。
『薔太さんも成人をしたことですし、一人暮らしをしている学生なんて世の中には幾らでもいらっしゃるでしょう? 夏休みが終わるまでは待って差し上げるから、そこを出ておいきなさい。葛城家の跡取りの紫央がいつまでもふらふらしているのも体裁が悪いわ。縁談も幾つかあるのだから、いつまでも他人の面倒を見ている場合じゃない。そう思わなくて?』
その時、秘書の彼女も婚約者の候補の一人だと紫央の母に告げられた。それからは、余計に彼女を見るのが苦しいのだ。
「似合いの美男美女だな」
後ろで教授がそう無責任な声を上げたが薔太はぐっと唇を噛むとそれを無視して紫央に向き直る。
「薔太、すまない。あとは任せたよ」
「はい。お任せください。紫央さん、お帰りは……」
「もちろん、ここに戻るよ。夜に少し話をしよう」
ぎゅっと肩を抱かれて、衆人環視の間であるのに、紫央はむしろ周りに見せつけるようにまた薔太のこめかみに口づけた。
「行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」
ひぃっに近い悲鳴が学生から上がり、秘書も柳眉を吊り上げた。教授はさもありなんという顔つきで顎に手をやる。しかし薔太も紫央の様子がいつもと違うことが気になってしまい、周囲に対してけん制のように送られた口づけの意味に気が付けずにいた。
※※※
「ではこれで『金蘭亭』の見学ツアーは終わります。小さな屋敷ですが、最晩年の紫仙の日々の営みを感じ、覗き見ることができたのではないでしょうか? 最後に。皆さま、テラスから見える新緑と今が盛りの薔薇の競演を楽しみながら、しばらく歓談してお過ごしください。質問などもそちらで承ります」
明るい陽射し溢れるテラスに出れば、眼下に薄紅の薔薇の咲き乱れる庭を見渡せる。皆が口々に感嘆の声を上げたから、薔太は嬉し気に唇を綻ばせた。アーチの奥には何種類かの薔薇が植えられていて、とりわけ眩いほど明るい朱赤で背丈の高い薔薇が遠目にもよく目立つ。この花は紫仙が最も愛した薔薇、祖父の洋紅が作出し、妻の名を名付けた。その名も『千朱(せんじゅ)』だ。ティーにスパイス系の強香種の薔薇で、その花姿は若い頃は偉丈夫で知られた祖父の姿にも似つかわしいと紫仙がよく言っていた。
その奥にはこれから庭の主役になるであろう柏葉紫陽花や山紫陽花等、少し古式ゆかしい品種が植わっている。薔太は日ごろ丹精込めて世話をしている愛する我が子を褒められたような心地になった。内心小さくガッツポーズをして皆の様子をにっこりと眺めていた。
「ここで先生が作品のヒントを思い浮かんだこともあったのかなあ。感慨深い」
「そうですね。ここは紫仙先生もお気に入りの場所でしたから。テーブルはおいてありませんでしたけど、ロッキングチェアに腰かけてこうして庭を眺めたりされてました」
(みんな喜んでくれてる。おじいちゃんの作った、紫仙先生の小さな薔薇園。俺たちだけの花苑)
和装の紫仙先生がここに座って本を読みながら時々目線を上げて、薔薇の手入れをしている祖父を眺めている姿が昨日の事のように思い出される。
小さな薔太が二人の間を蝶々のように飛び回っていたあの頃、子供心にも感じていた。
祖父と紫仙の間には多くを語らずとも、目線一つで互いの言わんとすることを読み取れるような、濃密な空気が流れていた。あんな風に自分もずっと紫央の傍にいられたら幸せだなあと思った。まさに金蘭の交わりだ。でも自分は紫央と、それだけではなんだか少し物足りないとすら感じてしまう。紫央が咲きたての薔薇を愛でるように自分にそっと触れる、あの優しい手つきがないと、いやなのだ。
(僕は欲深いのかな……。紫央さんにああしてずっと触れてもらいたいって思ってしまう)
紫央の周りには仕事絡みでも家の繋がりでも、いつも匂い立つように美しい大人の女性がいる。学生時代には親の強い勧めで付き合っていた人もいたようだし、今はあの秘書の女性が金蘭亭にいても何かにつけて連絡をよこしてくる。そのたび薔太は言いようのない思いにとらわれ、ぎゅっと胸を小さく絞られるような心地に苛まれていた。
先ほど薔太のこめかみに触れた、紫央の優しい口づけを思い出しながら切なくなった。
先日成人した折、紫央の母親から薔太に直接電話が来たことは紫央には内緒のままだ。紫仙の母は取ってつけたように成人の祝いをのべた後、いつもの調子で一方的にまくしたててきた。
『薔太さんも成人をしたことですし、一人暮らしをしている学生なんて世の中には幾らでもいらっしゃるでしょう? 夏休みが終わるまでは待って差し上げるから、そこを出ておいきなさい。葛城家の跡取りの紫央がいつまでもふらふらしているのも体裁が悪いわ。縁談も幾つかあるのだから、いつまでも他人の面倒を見ている場合じゃない。そう思わなくて?』
その時、秘書の彼女も婚約者の候補の一人だと紫央の母に告げられた。それからは、余計に彼女を見るのが苦しいのだ。
「似合いの美男美女だな」
後ろで教授がそう無責任な声を上げたが薔太はぐっと唇を噛むとそれを無視して紫央に向き直る。
「薔太、すまない。あとは任せたよ」
「はい。お任せください。紫央さん、お帰りは……」
「もちろん、ここに戻るよ。夜に少し話をしよう」
ぎゅっと肩を抱かれて、衆人環視の間であるのに、紫央はむしろ周りに見せつけるようにまた薔太のこめかみに口づけた。
「行ってらっしゃいませ」
「ああ、行ってくる」
ひぃっに近い悲鳴が学生から上がり、秘書も柳眉を吊り上げた。教授はさもありなんという顔つきで顎に手をやる。しかし薔太も紫央の様子がいつもと違うことが気になってしまい、周囲に対してけん制のように送られた口づけの意味に気が付けずにいた。
※※※
「ではこれで『金蘭亭』の見学ツアーは終わります。小さな屋敷ですが、最晩年の紫仙の日々の営みを感じ、覗き見ることができたのではないでしょうか? 最後に。皆さま、テラスから見える新緑と今が盛りの薔薇の競演を楽しみながら、しばらく歓談してお過ごしください。質問などもそちらで承ります」
明るい陽射し溢れるテラスに出れば、眼下に薄紅の薔薇の咲き乱れる庭を見渡せる。皆が口々に感嘆の声を上げたから、薔太は嬉し気に唇を綻ばせた。アーチの奥には何種類かの薔薇が植えられていて、とりわけ眩いほど明るい朱赤で背丈の高い薔薇が遠目にもよく目立つ。この花は紫仙が最も愛した薔薇、祖父の洋紅が作出し、妻の名を名付けた。その名も『千朱(せんじゅ)』だ。ティーにスパイス系の強香種の薔薇で、その花姿は若い頃は偉丈夫で知られた祖父の姿にも似つかわしいと紫仙がよく言っていた。
その奥にはこれから庭の主役になるであろう柏葉紫陽花や山紫陽花等、少し古式ゆかしい品種が植わっている。薔太は日ごろ丹精込めて世話をしている愛する我が子を褒められたような心地になった。内心小さくガッツポーズをして皆の様子をにっこりと眺めていた。
「ここで先生が作品のヒントを思い浮かんだこともあったのかなあ。感慨深い」
「そうですね。ここは紫仙先生もお気に入りの場所でしたから。テーブルはおいてありませんでしたけど、ロッキングチェアに腰かけてこうして庭を眺めたりされてました」
(みんな喜んでくれてる。おじいちゃんの作った、紫仙先生の小さな薔薇園。俺たちだけの花苑)
和装の紫仙先生がここに座って本を読みながら時々目線を上げて、薔薇の手入れをしている祖父を眺めている姿が昨日の事のように思い出される。
小さな薔太が二人の間を蝶々のように飛び回っていたあの頃、子供心にも感じていた。
祖父と紫仙の間には多くを語らずとも、目線一つで互いの言わんとすることを読み取れるような、濃密な空気が流れていた。あんな風に自分もずっと紫央の傍にいられたら幸せだなあと思った。まさに金蘭の交わりだ。でも自分は紫央と、それだけではなんだか少し物足りないとすら感じてしまう。紫央が咲きたての薔薇を愛でるように自分にそっと触れる、あの優しい手つきがないと、いやなのだ。
(僕は欲深いのかな……。紫央さんにああしてずっと触れてもらいたいって思ってしまう)
紫央の周りには仕事絡みでも家の繋がりでも、いつも匂い立つように美しい大人の女性がいる。学生時代には親の強い勧めで付き合っていた人もいたようだし、今はあの秘書の女性が金蘭亭にいても何かにつけて連絡をよこしてくる。そのたび薔太は言いようのない思いにとらわれ、ぎゅっと胸を小さく絞られるような心地に苛まれていた。
先ほど薔太のこめかみに触れた、紫央の優しい口づけを思い出しながら切なくなった。
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