8 / 21
8
しおりを挟む
「それはそれは」
屈託ない笑顔を見せる友人たちと違い、大場教授と紫仙の研究者だという女性が意味深な目くばせを交わし合う。それを目にした薔太の胸の中にもやっとしたものが広がった。
「随分な入れ込みようだな」
「……それはどういう意味でしょうか?」
意図を図りかねた薔太が眉を顰めると、教授は唇を吊り上げるだけの、嘲りを帯びた笑みを向けてきた。
「そのままの意味だ」
返答に困り眉を下げ、戸惑う薔太に矢継ぎ早に大場が続けてきた。
「君、『甘い束縛』は当然読んだことがあるだろう?」
「『甘い束縛』? すみません、俺まだ読んだことがないんです」
「あきれたなあ。君はこの資料館の正式な学芸員を目指しているのだろう? そうしたらその人物の育った時代背景、学んだ学問、同時代の文献、作品ならば随筆、小説、絵画に至るまですべて目を通すべきだろ」
今の大場に張り付いた笑顔は、あの女性秘書や紫央の母が時折見せる、薔太を嘲るようなそれに似ていた。大きな目を見張り、そのあと目を伏せ、薔太は小さく頭を下げた。
大場から勉強不足を指摘され、とくとくと心臓を鳴らし薔太は、かあっと頬を赤らめた。そして消え入るような声で呟いた。
「『片桐鉄線』の作品は少しその……。性描写が強めな部分もあるとのことで、しぃ、紫央さんに成人するまで読むのは待ちなさいって。ずっと言われていたので」
「それはまた、随分と過保護だな」
紫央を悪く言われたようで反論をしたくなったが、流石に今この場で目上の人にそれはないとぐっとこらえる。
紫仙は一般的には優美な筆致で愛らしい市井の子どもら、神聖さすら漂う美人画、今でいうイラストレーションの走りのような、ひたすらに美しい風景画等を主に描いていた。
彼が片桐鉄線名義で小説を書いていたことは没後に分かったことだ。片桐鉄線が書いた小説は恋愛ものだが、ジャンルとしたら不倫ものと呼べるだろう。
寺にも飾られている静謐な絵を描く画家のインモラルな小説は、その存在を人々に知られた当時話題になったらしい。
(俺だって、あらすじぐらい知ってる。主人公の男は画家だ。幼いころから恋していた幼馴染みの女性が別の男と結婚し、彼も家の定めた許嫁と婚姻関係を結ぶ。しかし夫に先立たれた女性が一人娘を連れて路頭に迷いかけたところを、主人公は自らの隠れ家とも呼べる庵に匿う。かつて恋した未亡人と画家は同居し、二人は次第に死んだ親友に対する情と初恋の人に対する情に揺蕩いながらも、惹かれあう)
薔太は画家の先生が書く話だから主人公が画家なんだ、ぐらいにしか思っていなかった。
「俺も先日成人しましたから、ちょうど読もうと思っていたところです。すみません。いつかここで『片桐鉄線』展を開きたいとは思っているのですが……」
(でもきっと、紫央さんのお母さまがいい顔をしない。父の作品の中であれは『恥部』だって言い切ったらしいから)
「君は、箱入り息子というか、箱庭育ちというか……。まあ、仕方ないだろう。君のおじいさまは著名な薔薇の園芸家で品評会でも賞を獲った『千朱』を作出したので有名だったらしいが、道楽みたいなその援助をし続けていたのも紫仙だった。ここでの仕事を任せていたのも、ただの友情ばかりと思っていたのかね? ではしっかり読んでみるといい」
「……あの。私も片桐鉄線についてはその……」
眼鏡の奥、じぃっと熱っぽくもひた向きな瞳を向けてきたのはここの予約を取った女性だ。彼女から向けられている眼差しもまた、また強い熱を帯びており、薔太は居心地の悪さを感じていた。いわばこれは好奇の瞳というたぐいのものだろう。紫央と二人で歩くときにたまに向けられる女性たちの羨望の眼差しにも似ているようで、もっと明け透けで遠慮がない。
曖昧に微笑んでから他の学生の元へ動こうかと思った矢先、杉田が静かに囁いてきた。
「あの、少しだけ、いいですか?」
「はい」
「卒論を書く上で片桐鉄線について色々と調べて私なりに作品の解釈や新しい発見をしたいと思っているんです。それで質問があるんですが、解散後に少しお時間をいただけますか?」
彼女がすまなそうに申し出てきたので、親切心と職務に対する使命感から薔太は愛想良く頷いた。
「承知しました」
一時間半の見学ツアーを終え、他の学生たちが薔太に「また明日」と手を振りながら解散していった。そして片桐鉄線の研究者である学生と教授の二人だけがその場に残った。
薔太は薔薇や金木犀が入った香しい紅茶を淹れると、テラスで待つ二人の元に紫仙愛用の鎌倉彫の盆で運んできた。
屈託ない笑顔を見せる友人たちと違い、大場教授と紫仙の研究者だという女性が意味深な目くばせを交わし合う。それを目にした薔太の胸の中にもやっとしたものが広がった。
「随分な入れ込みようだな」
「……それはどういう意味でしょうか?」
意図を図りかねた薔太が眉を顰めると、教授は唇を吊り上げるだけの、嘲りを帯びた笑みを向けてきた。
「そのままの意味だ」
返答に困り眉を下げ、戸惑う薔太に矢継ぎ早に大場が続けてきた。
「君、『甘い束縛』は当然読んだことがあるだろう?」
「『甘い束縛』? すみません、俺まだ読んだことがないんです」
「あきれたなあ。君はこの資料館の正式な学芸員を目指しているのだろう? そうしたらその人物の育った時代背景、学んだ学問、同時代の文献、作品ならば随筆、小説、絵画に至るまですべて目を通すべきだろ」
今の大場に張り付いた笑顔は、あの女性秘書や紫央の母が時折見せる、薔太を嘲るようなそれに似ていた。大きな目を見張り、そのあと目を伏せ、薔太は小さく頭を下げた。
大場から勉強不足を指摘され、とくとくと心臓を鳴らし薔太は、かあっと頬を赤らめた。そして消え入るような声で呟いた。
「『片桐鉄線』の作品は少しその……。性描写が強めな部分もあるとのことで、しぃ、紫央さんに成人するまで読むのは待ちなさいって。ずっと言われていたので」
「それはまた、随分と過保護だな」
紫央を悪く言われたようで反論をしたくなったが、流石に今この場で目上の人にそれはないとぐっとこらえる。
紫仙は一般的には優美な筆致で愛らしい市井の子どもら、神聖さすら漂う美人画、今でいうイラストレーションの走りのような、ひたすらに美しい風景画等を主に描いていた。
彼が片桐鉄線名義で小説を書いていたことは没後に分かったことだ。片桐鉄線が書いた小説は恋愛ものだが、ジャンルとしたら不倫ものと呼べるだろう。
寺にも飾られている静謐な絵を描く画家のインモラルな小説は、その存在を人々に知られた当時話題になったらしい。
(俺だって、あらすじぐらい知ってる。主人公の男は画家だ。幼いころから恋していた幼馴染みの女性が別の男と結婚し、彼も家の定めた許嫁と婚姻関係を結ぶ。しかし夫に先立たれた女性が一人娘を連れて路頭に迷いかけたところを、主人公は自らの隠れ家とも呼べる庵に匿う。かつて恋した未亡人と画家は同居し、二人は次第に死んだ親友に対する情と初恋の人に対する情に揺蕩いながらも、惹かれあう)
薔太は画家の先生が書く話だから主人公が画家なんだ、ぐらいにしか思っていなかった。
「俺も先日成人しましたから、ちょうど読もうと思っていたところです。すみません。いつかここで『片桐鉄線』展を開きたいとは思っているのですが……」
(でもきっと、紫央さんのお母さまがいい顔をしない。父の作品の中であれは『恥部』だって言い切ったらしいから)
「君は、箱入り息子というか、箱庭育ちというか……。まあ、仕方ないだろう。君のおじいさまは著名な薔薇の園芸家で品評会でも賞を獲った『千朱』を作出したので有名だったらしいが、道楽みたいなその援助をし続けていたのも紫仙だった。ここでの仕事を任せていたのも、ただの友情ばかりと思っていたのかね? ではしっかり読んでみるといい」
「……あの。私も片桐鉄線についてはその……」
眼鏡の奥、じぃっと熱っぽくもひた向きな瞳を向けてきたのはここの予約を取った女性だ。彼女から向けられている眼差しもまた、また強い熱を帯びており、薔太は居心地の悪さを感じていた。いわばこれは好奇の瞳というたぐいのものだろう。紫央と二人で歩くときにたまに向けられる女性たちの羨望の眼差しにも似ているようで、もっと明け透けで遠慮がない。
曖昧に微笑んでから他の学生の元へ動こうかと思った矢先、杉田が静かに囁いてきた。
「あの、少しだけ、いいですか?」
「はい」
「卒論を書く上で片桐鉄線について色々と調べて私なりに作品の解釈や新しい発見をしたいと思っているんです。それで質問があるんですが、解散後に少しお時間をいただけますか?」
彼女がすまなそうに申し出てきたので、親切心と職務に対する使命感から薔太は愛想良く頷いた。
「承知しました」
一時間半の見学ツアーを終え、他の学生たちが薔太に「また明日」と手を振りながら解散していった。そして片桐鉄線の研究者である学生と教授の二人だけがその場に残った。
薔太は薔薇や金木犀が入った香しい紅茶を淹れると、テラスで待つ二人の元に紫仙愛用の鎌倉彫の盆で運んできた。
41
あなたにおすすめの小説
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
肩甲骨に薔薇の種(アルファポリス版・完結済)
おにぎり1000米
BL
エンジニアの三波朋晴はモデルに間違われることもある美形のオメガだが、学生の頃から誰とも固定した関係を持つことができないでいる。しかしとあるきっかけで年上のベータ、佐枝峡と出会い、好意をもつが…
*オメガバース(独自設定あり)ベータ×オメガ 年齢差カプ
*『まばゆいほどに深い闇』の脇キャラによるスピンオフなので、キャラクターがかぶります。本編+後日談。他サイト掲載作品の改稿修正版につきアルファポリス版としましたが、内容はあまり変わりません。
ヤンデレだらけの短編集
八
BL
ヤンデレだらけの1話(+おまけ)読切短編集です。
【花言葉】
□ホオズキ:寡黙執着年上とノンケ平凡
□ゲッケイジュ:真面目サイコパスとただ可哀想な同級生
□アジサイ:不良の頭と臆病泣き虫
□ラベンダー:希死念慮不良とおバカ
□デルフィニウム:執着傲慢幼馴染と地味ぼっち
ムーンライトノベル様に別名義で投稿しています。
かなり昔に書いたもので芸風(?)が違うのですが、楽しんでいただければ嬉しいです!
【異世界短編】単発ネタ殴り書き随時掲載。
◻︎お付きくんは反社ボスから逃げ出したい!:お馬鹿主人公くんと傲慢ボス
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
その首輪は、弟の牙でしか外せない。
ゆずまめ鯉
BL
養子ゆえに、王位継承権を持たないオメガで長男のレイン(24)は、国家騎士団として秘密裏に働き、ただ義弟たちを守るためだけに生きてきた。
第一継承権を持つアルファで次男のリオール(19)は、そんな兄に「ごく潰し」と陰口を叩く連中を許せなかった。自分を犠牲にしてまで守る価値はないと思っていた。なにかと怪我の多い国家騎士団を辞めさせたかった。
初めて訪れた発情期のとき。約束をすっぽかされたリオールが不審に思い、兄の部屋へ行くと、国家騎士団の同僚──グウェンソード(28)に押し倒されるところを目撃して激高する。
「今すぐ部屋から出ろ!」
独占欲をあらわにしたリオールは、グウェンソードを部屋から追い出し、兄であるレインを欲望のままに抱いた。
翌朝、差し出されたのは特注の首輪──外せるのはリオールのみ。
「俺以外に触らせるな」
そう囁かれたレインは、何年も首輪と弟の執着に縛られ続けてきた。
弟には婚約者がいるのに、こんな関係を続けてもいいのか。
本当にこのままでもいいのか。
ひたすら執着して独占したがる弟と、罪悪感に苛まれる兄。
その首輪は、いつか弟の牙で血に染まるのか──。
どうにかしてレインを落としたいリオールと、弟との関係に悩むレインのオメガバースです。
リオール・グランケット(19)×レイン・グランケット(24)
※この作品は2015年頃に本文を書き、2017年頃にオメガバースに改稿、さらに2026年に手直しした作品になります。読みにくいかもしれません。ご了承ください。
三人称ですが攻めだったり受けだったり視点がよくかわります。攻め視点多めです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる