フリージアを嫌わないで

天埜鳩愛

文字の大きさ
3 / 47
フリージアを嫌わないで

3

しおりを挟む
「透さん、伏見です。まだいらっしゃいますか?」

 しかしすぐに、聞きなれた低くも滑らかに若々しい声がした。

(伏見君? 大分前に出たはずなのに)

 びっくりして伏し気味だった顔を上げると、零れた涙が頬を伝い落ち、テーブルの上で弾けていった。
 伏見はイートインコーナーを開いたこの秋から店を手伝ってくれている大学生だ。今日はこの荒天であるのに大学の友人たちに誘われた飲み会があるといっていた。
 それでも閉店作業を手伝おうとする彼に、電車が遅延する前に早めに現地に向かいなさいと快く送り出したのだ。
 反応に戸惑う間に、もう一度はっきりと聞き取れるほど強く叩かれた。

「透さん? もういらっしゃらない?」

 透は慌てて四本まとめた指の先で涙の跡を拭うと、ぱたぱたと足音を立てて扉に駆け寄った。外気が伝いひんやりと凍える取っ手に手をかける。

「伏見君、どうしたの?」

(電車が止まって、困ってここに引き返してきたのかな?)

 扉を開けると確かに伏見がそこに立っていた。背がとても高い彼を見上するとすると透の顔を見て伏見は僅かに眉を顰めた。

「大丈夫、ですか?」
「えっ……」

  一瞬自分が泣いていたことを見とがめられたのかと思ったが、こんな薄暗い中そんなはずはないと気を取り直す。それでも反射的に顔を伏せ袖口で目元を拭うと、普段通り『感じのいい』笑顔を張り付けた。

「大丈夫だよ。君こそどうしたの?」 

 しかし伏見は押し黙ったまま真剣な顔を崩さない。ひた向きな視線にきまりが悪くなり、意気地のない透は目線を少し反らしてしまった。年下の青年に気遣われるほど惨めな顔を自分はしていたのだろうか。

「飲み会だったんでしょ? 居酒屋、早めにしまったとか? それとも電車が動かなかった?」

  気を反らすように扉をわざとぐっと押し、透は努めて明るい声色を装い尋ねかけた。しかし扉を薄く開けただけですぐに凍えるような外気と共に雪が吹き込んできた。

「わあ。寒いっ! 中、入って」

 涙がまだ残る顔に風はヒヤリと冷たい。シャツに藍色のカーディガンを羽織っただけの透は、我が身を片手で抱えて身をすくめると彼を忙しく店内へと招き入れた。

「すみません」

 伏見は頭を下げた。しょげたような仕草が大型犬のようで、透はすぐに絆され眉を下げた。ついつい面倒を見てしまいたくなる。

「寒かったでしょ」
「はい」

 素直な返事に透は知らずに微笑んでしまう。さっきまで寂しくて泣いていたのに、急に心強い味方が現れたような気持ちになってしまう。
(俺って単純だな。誰か傍に居るってだけで、こんなに楽)
 でも誰でもいいわけではないとも思う。いい大人になってもまだ人見知りの癖が抜けない透には、本当に心を許せる相手はごくわずかなのだから。
(伏見君……)
 改めてみても、頼りがいある姿かたちをしていると思う。彼はがっしりと広い肩幅に胸板も厚く、一目でなにかスポーツをしていたのではないかと思わせる体格をしている。それなのに顔立ちはまだ青年らしく柔和で、甘さすら感じる。そのアンバランスの妙がまた魅力的だ。
 今は特殊な職種や公務員でもない限り、バース性を職場に申告する義務はない。だけどおしゃべり好きの叔父が聞きだしたところによれば、彼はアルファ性を持っているらしい。それも納得の偉丈夫だった。
 人当たりもよくイートインスペースの給仕から店のSNSの更新、透が苦手な会計ソフトの入力まで手伝ってくれて、一度教えたら飲み込み込みも早い。何事も素早くそつなくこなしてくれる。
 
 健やかかつ恵まれた体躯。端正な形の太い眉に通った鼻筋、黒目勝ちの大きな瞳は知的な印象だ。唇はノミで削られたようにはっきりかつ、すっと美しい形で、おおよそ想像できるアルファ性がもつ男性美に溢れている。満遍ない世代の女性からうっとりと見上げられ、男性からは羨望の眼差しを集める。
 都内の有名大学に通い、身につけているもの一つ取っても、普通の大学生が持ち得るようなブランド品では無いと分かる、らしい。叔父のお古を好んできている透にはちんぷんかんぷんだが、ファッションに詳しい叔父がそう言っていた。
 土日の忙しい時にだけ、お手伝い程度にしかシフトは入っていない。
 ここの給金程度、彼のお小遣いの足しにもならないはずだ。
 正直どうしてここでアルバイトをする気になったのか疑問で聞いたことがあったが、「ここのスィーツが好きなんです。端正で気品があって、甘さもちょうどいいから」と微笑んではぐらかされた。

(何もしないで立ってるだけでも絵になる子。でも、なんだかいつもと雰囲気が違う……)

 そんな彼だが今はどこか普段とは違う昏い雰囲気を醸して、紙袋を持ち扉を背に佇んでいる。

「忘れ物でもしたの?」
「……ちがいます」

 喫茶スペースから漏れる灯りの下で改めて彼を見て驚いた。
 ダウンコートの色が暗く濡れたあとが目立たなかったが、黒髪から雨粒が滴るほどに濡れそぼっていた。
 普段のなんでもスマートにこなす怜悧な彼の姿とは程遠く、一目で只事ではないと思った。こんな寒い晩にずぶ濡れになってまで店まで戻ってくるとは、きっと何か事情があるに違いない。

「伏見君、ずぶ濡れじゃない。飲み会はどうしたの? お休み中にみんなと会うの久々だって。楽しみだっていってたのに」
「……」

 伏見はどこか思いつめたような貌をしている。透は切なげなその姿にぎゅっと胸を締め付けられた。
 時には幼い子供に対してだけでなく、こんな立派な青年にまで憐憫から世話を焼き過ぎてしまう、透の昔からの癖だろう。

「気になることがあって戻ってきました」
「気になること?」

 白目が冴え冴えと澄んだ瞳でまっすぐに見つめられたが、透には見当がつかなかった。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。

完結|好きから一番遠いはずだった

七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。 しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。 なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。 …はずだった。

【完結】end roll.〜あなたの最期に、俺はいましたか〜

みやの
BL
ーー……俺は、本能に殺されたかった。 自分で選び、番になった恋人を事故で亡くしたオメガ・要。 残されたのは、抜け殻みたいな体と、二度と戻らない日々への悔いだけだった。 この世界には、生涯に一度だけ「本当の番」がいる―― そう信じられていても、要はもう「運命」なんて言葉を信じることができない。 亡くした番の記憶と、本能が求める現在のあいだで引き裂かれながら、 それでも生きてしまうΩの物語。 痛くて、残酷なラブストーリー。

隠れSubは大好きなDomに跪きたい

みー
BL
ある日ハイランクDomの榊千鶴に告白してきたのは、Subを怖がらせているという噂のあの子でー。 更新がずいぶん遅れてしまいました。全話加筆修正いたしましたので、また読んでいただけると嬉しいです。

【完結】エデンの住処

社菘
BL
親の再婚で義兄弟になった弟と、ある日二人で過ちを犯した。 それ以来逃げるように実家を出た椿由利は実家や弟との接触を避けて8年が経ち、モデルとして自立した道を進んでいた。 ある雑誌の専属モデルに抜擢された由利は今をときめく若手の売れっ子カメラマン・YURIと出会い、最悪な過去が蘇る。 『彼』と出会ったことで由利の楽園は脅かされ、地獄へと変わると思ったのだが……。 「兄さん、僕のオメガになって」 由利とYURI、義兄と義弟。 重すぎる義弟の愛に振り回される由利の運命の行く末は―― 執着系義弟α×不憫系義兄α 義弟の愛は、楽園にも似た俺の住処になるのだろうか? ◎表紙は装丁cafe様より︎︎𓂃⟡.·

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

平凡な僕が優しい彼氏と別れる方法

あと
BL
「よし!別れよう!」 元遊び人の現爽やか風受けには激重執着男×ちょっとネガティブな鈍感天然アホの子 昔チャラかった癖に手を出してくれない攻めに憤った受けが、もしかしたら他に好きな人がいる!?と思い込み、別れようとする……?みたいな話です。 攻めの女性関係匂わせや攻めフェラがあり、苦手な人はブラウザバックで。    ……これはメンヘラなのではないか?という説もあります。 pixivでも投稿しています。 攻め:九條隼人 受け:田辺光希 友人:石川優希 ひよったら消します。 誤字脱字はサイレント修正します。 また、内容もサイレント修正する時もあります。 定期的にタグ整理します。ご了承ください。 批判・中傷コメントはお控えください。 見つけ次第削除いたします。

借金のカタで二十歳上の実業家に嫁いだΩ。鳥かごで一年過ごすだけの契約だったのに、氷の帝王と呼ばれた彼に激しく愛され、唯一無二の番になる

水凪しおん
BL
名家の次男として生まれたΩ(オメガ)の青年、藍沢伊織。彼はある日突然、家の負債の肩代わりとして、二十歳も年上のα(アルファ)である実業家、久遠征四郎の屋敷へと送られる。事実上の政略結婚。しかし伊織を待ち受けていたのは、愛のない契約だった。 「一年間、俺の『鳥』としてこの屋敷で静かに暮らせ。そうすれば君の家族は救おう」 過去に愛する番を亡くし心を凍てつかせた「氷の帝王」こと征四郎。伊織はただ美しい置物として鳥かごの中で生きることを強いられる。しかしその瞳の奥に宿る深い孤独に触れるうち、伊織の心には反発とは違う感情が芽生え始める。 ひたむきな優しさは、氷の心を溶かす陽だまりとなるか。 孤独なαと健気なΩが、偽りの契約から真実の愛を見出すまでの、切なくも美しいシンデレラストーリー。

処理中です...